民主・維新が合流して作った新党の党名は、結局私が希望した「UNITE(ユナイト)」ではなく、「民進党」という中途半端なものになってしまいました。今日3月27日にその結党大会が開催され、新党の結党宣言や綱領・規約も既に党のHPに公開されています。その内容については、このブログでも折に触れて取り上げていく事になるでしょうが、まずは、今まで戦争法(安保法制)反対運動をけん引してきた学生団体SEALDs(シールズ)来賓・奥田愛基(おくだ・あき)さんが民進党結党大会で述べたあいさつ全文をここに収録しておきます。党代表や政調会長のあいさつよりも、こちらのあいさつの方が、もっと重要な事を国民に訴えかけていると思いますので。
ついでに与党の自民党に対しても一言。「民進党」がいまいち魅力に欠けると思っているのは私も自民党も同じでしょうが、その思いの内容は多分、私と自民党とでは全く正反対でしょう。自民党も、「民進党」の事を「野合」だの「選挙互助会」だの言って腐している暇があるなら、せめて「民進党」みたいに学生を来賓に呼ぶぐらいの度量を見せたらどうですか。日本会議や靖国議連のような「お仲間」同士で時代錯誤のオナニーにふけるばかりでなく。「高校生未来会議」のような安倍応援団の「勝ち組」高校生ばかりに愛想を振りまくのではなく、家庭の事情で進学を断念せざるを得なかったり、奨学金の債務返済に苦しむ学生にも訴えかけるような形で。
【結党大会】(6)来賓 SEALDs創設メンバー奥田愛基(おくだ・あき)氏あいさつ=全文(民進党HPより)
なんで僕がこんなところに立っているのか。こんな所であいさつする柄ではないのですが。国民の声がないのに議員の方ががんばっている時は、たいがい良いことは起らないんです。逆に国民の声が上がっているのに、政治家の方が答えないということは、とても悲しいことであり、それでは日本の政治は変わらないと思っています。
昨年、安保法制に関して、SEALDs並びに本当に多くの方が声を上げました。それは政治家にがんばってほしいという声だけではなく、政治家に任せておけないということなんだと思います。しかし、安保法制が通った時に国会前にいましたが、その国会内の(参院本会議の)中継をそのままスピーカーで流していました。1人ひとり国会議員の点呼があって、採決された瞬間のことを今でも忘れません。うれしかったことが一つあります。その時に、「憲法違反」というコールが国会の外ではなく、国会の中から聞こえてきました。これに呼応するように、僕たちは声を上げました。
政治家が本当にがんばってくれている、そういうことがうれしかったということは、僕の人生でなかったことのように思うんです。声を上げても、どうせ変わらないよという人がほとんどのなかで、自分たちが声を上げることによって政治家が応えてくれた。それがテレビの中継で流れていた。
先ほど、国民の政治離れをどうにかしなければならないと、神津連合会長もおっしゃっていましたが、僕が国会の中央公聴会で話した時、僕の目の前で与党の議員の方は眠っていました。果たして、国民の政治離れなんでしょうか。それとも、政治の国民離れなんでしょうか。これも責任は俺たちにあるのでしょうか。それとも政治家の皆さんにあるんでしょうか。僕は、その責任を引き受けたいと思います。この国に生きるひとりの人間として、この国の責任を引き受けたいと思います。
しかし、自己責任という言葉があります。僕はその言葉は、非常に嫌いです。つまり「保育園落ちたの私だ」という声をあげると、「そんなの自己責任じゃないか」という人がいます。だとしたら、何のために社会はあるのでしょうか。何のために、政治はあるんでしょうか。何のために、この国はあるのでしょうか。われわれ1人の暮らしのために政治はあるべきであって、「お前のせいだ」と言うために政治があるのではないはずだと思うんです。
政治は開かれたものであってほしいと思います。きっと思うことは、たくさんあるのです。しかし、それが政治的な言葉になっていないだけで、「この国が今どこかおかしい」という声になっていない声に、もっともっと耳を傾けてほしいと思います。
今、相対的貧困が6人に1人。保育園の待機児童が東京だけでも2万人以上いると言われている。そんな社会のなかで自己責任と言われても、僕は変だと単純に思います。女性の活躍と言っておきながら、男性との賃金差はなんでこんな大きいのか。なぜ今この目の前にいる人は、ほとんど男性なんでしょうか。おかしくないですか。男性と女性の賃金はイコールであっていいと思います。
今年は18歳選挙権が実現するとあって、若者の投票率が話題になると思います。しかし、選挙の争点だからとか、話題になるからとかではなく、若者の声を聞いてほしいと単純に思います。そうであるならば、被選挙権年齢も下げてほしいと強く思います。18歳が考えて選挙に行けと言うならば、18歳が国会に行ったっていいではないですか。
民進党の「国民とともに進む」というスローガンがうそではなく、本気で言ってほしいと思います。僕らアホじゃないです。この政治家がうそついているか、本当のことを言っているかは、しゃべっているのを聞いていたら分かります。政治家に対して「ありがとう」と言ってみたいです。単純に応援したり「がんばってください」と言ってみたいです。そして、僕たちもがんばります。
ついでに与党の自民党に対しても一言。「民進党」がいまいち魅力に欠けると思っているのは私も自民党も同じでしょうが、その思いの内容は多分、私と自民党とでは全く正反対でしょう。自民党も、「民進党」の事を「野合」だの「選挙互助会」だの言って腐している暇があるなら、せめて「民進党」みたいに学生を来賓に呼ぶぐらいの度量を見せたらどうですか。日本会議や靖国議連のような「お仲間」同士で時代錯誤のオナニーにふけるばかりでなく。「高校生未来会議」のような安倍応援団の「勝ち組」高校生ばかりに愛想を振りまくのではなく、家庭の事情で進学を断念せざるを得なかったり、奨学金の債務返済に苦しむ学生にも訴えかけるような形で。
【結党大会】(6)来賓 SEALDs創設メンバー奥田愛基(おくだ・あき)氏あいさつ=全文(民進党HPより)
なんで僕がこんなところに立っているのか。こんな所であいさつする柄ではないのですが。国民の声がないのに議員の方ががんばっている時は、たいがい良いことは起らないんです。逆に国民の声が上がっているのに、政治家の方が答えないということは、とても悲しいことであり、それでは日本の政治は変わらないと思っています。
昨年、安保法制に関して、SEALDs並びに本当に多くの方が声を上げました。それは政治家にがんばってほしいという声だけではなく、政治家に任せておけないということなんだと思います。しかし、安保法制が通った時に国会前にいましたが、その国会内の(参院本会議の)中継をそのままスピーカーで流していました。1人ひとり国会議員の点呼があって、採決された瞬間のことを今でも忘れません。うれしかったことが一つあります。その時に、「憲法違反」というコールが国会の外ではなく、国会の中から聞こえてきました。これに呼応するように、僕たちは声を上げました。
政治家が本当にがんばってくれている、そういうことがうれしかったということは、僕の人生でなかったことのように思うんです。声を上げても、どうせ変わらないよという人がほとんどのなかで、自分たちが声を上げることによって政治家が応えてくれた。それがテレビの中継で流れていた。
先ほど、国民の政治離れをどうにかしなければならないと、神津連合会長もおっしゃっていましたが、僕が国会の中央公聴会で話した時、僕の目の前で与党の議員の方は眠っていました。果たして、国民の政治離れなんでしょうか。それとも、政治の国民離れなんでしょうか。これも責任は俺たちにあるのでしょうか。それとも政治家の皆さんにあるんでしょうか。僕は、その責任を引き受けたいと思います。この国に生きるひとりの人間として、この国の責任を引き受けたいと思います。
しかし、自己責任という言葉があります。僕はその言葉は、非常に嫌いです。つまり「保育園落ちたの私だ」という声をあげると、「そんなの自己責任じゃないか」という人がいます。だとしたら、何のために社会はあるのでしょうか。何のために、政治はあるんでしょうか。何のために、この国はあるのでしょうか。われわれ1人の暮らしのために政治はあるべきであって、「お前のせいだ」と言うために政治があるのではないはずだと思うんです。
政治は開かれたものであってほしいと思います。きっと思うことは、たくさんあるのです。しかし、それが政治的な言葉になっていないだけで、「この国が今どこかおかしい」という声になっていない声に、もっともっと耳を傾けてほしいと思います。
今、相対的貧困が6人に1人。保育園の待機児童が東京だけでも2万人以上いると言われている。そんな社会のなかで自己責任と言われても、僕は変だと単純に思います。女性の活躍と言っておきながら、男性との賃金差はなんでこんな大きいのか。なぜ今この目の前にいる人は、ほとんど男性なんでしょうか。おかしくないですか。男性と女性の賃金はイコールであっていいと思います。
今年は18歳選挙権が実現するとあって、若者の投票率が話題になると思います。しかし、選挙の争点だからとか、話題になるからとかではなく、若者の声を聞いてほしいと単純に思います。そうであるならば、被選挙権年齢も下げてほしいと強く思います。18歳が考えて選挙に行けと言うならば、18歳が国会に行ったっていいではないですか。
民進党の「国民とともに進む」というスローガンがうそではなく、本気で言ってほしいと思います。僕らアホじゃないです。この政治家がうそついているか、本当のことを言っているかは、しゃべっているのを聞いていたら分かります。政治家に対して「ありがとう」と言ってみたいです。単純に応援したり「がんばってください」と言ってみたいです。そして、僕たちもがんばります。