先週の休みに、マイケル・ムーア監督の映画「シッコ」を観てきました。
実は当初私は、ムーアの映画は以前の「華氏911」で充分堪能したので、この映画は「別に強いて観なくても良いや」という気でいました。そんな私の気が変わったのが、この8月29日に奈良県で起きた下記の妊産婦救急たらい回し事件のニュースを聞いてからです。いざ産気づいた時に20箇所近くの病院をたらい回しにされた挙句に死産という、このニュースを聞いて思ったのは、これは決して米国の医療保険の問題だけに限ったことではない、日本の医療の現実をも鋭く告発した映画ではないのか、という事です。私も、産科のお世話になる事こそ無いものの、今までも腎臓結石で救急搬送された事もあり、また腰痛を抱えていたりもするので、これは自分にとっても決して他人事ではないぞと、次第にそういう思いが頭をもたげてきました。それでこの映画を観る事にしました。
・救急搬送中に妊婦死産/医師不足、揺らぐ産科医療(東奥日報)
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2007/0830.html
それで映画を観た感想ですが、やはり頭の中でうろ覚えで知っていた事と、実際に映画で観た事は大違いでした。米国には日本や西欧諸国の様な公的医療保険制度は基本的には無く(低所得者・高齢者向けの限られたものは一応あるがその内容は貧弱)、数千万人単位の無保険者がいる事や、残りの被保険者も営利本位の民間医療保険によるものが大半を占める事など、一応それなりの知識は持ってはいたものの、正直言って下記ほど劣悪な環境にあるとは思ってもみませんでした。
・仕事中の事故で薬指と中指を切断したが、その治療費が薬指は1.2万ドルで、中指が6万ドル。高額な中指の方はくっつけるのを諦めざるを得なかった(上記写真参照)。
・80歳近い老人になってもスーパーの清掃夫として死ぬまで仕事に追われる。会社の健康保険に入っていなければ薬代すら払えないから。
・支払能力の無い無保険者は、金の切れ目が命の切れ目。救急車で病院から外に出され、点滴を付けたまま車椅子ごと路上に放り出される。
・骨髄移植でドナーが現れても、保険会社があれこれ難癖を付けて保険金を支払わかったばかりに手術を受ける事が出来ず、助かる命も助からなかった。
その中でも圧巻だったのが、2001年911テロで救援活動に携わり現場の塵埃で気管支や肺をやられた救急士や市民ボランティアが、対テロ戦争の英雄として当初こそ祭上げられたものの、その後は一切の公的救済の埒外に置かれ苦しんでいる姿です。そんな犠牲者たちをムーアが引率して、はるばるキューバのグアンタナモ米軍基地にまで押しかけて、拘束中のテロ容疑者と同じ治療を受けさせろと強訴に及ぶ。しかしその願いも空しく追い返されるものの、キューバの医師から手厚い看護を受けて、見事快方に向かう場面です。
これをキューバのプロパガンダと決め付けるのは簡単ですが、自国民の愛国戦士すら利用するだけ利用した後は平気で見殺しにする米国に、それを非難する資格はありません。米国では、公的保険や社会保障・社会福祉を要求する運動は、今までも全て医薬品業界や保険業界の圧力によって、悉く潰されて来ました。業界団体はロビー活動や政治献金によって政治を支配し、社会保障や生存権を要求する者を悉く「社会主義者・アカ」呼ばわりしてきました。そういうマッカーシズム(アカ攻撃)が、一攫千金を夢見る征服者による先住民侵略の米国建国の歴史とも相まって、この国を途方も無い資本家天国に仕立てあげてきたのです。
・「シッコ」で描く医療の現実(上)(関係性)
http://green.ap.teacup.com/passionnante/121.html
・マイケル・ムーア作品「シッコ」公開へ;米医療制度を批判(花・髪切と思考の浮游空間)
http://blog.goo.ne.jp/longicorn/e/b401f0e7ba1543e7a83e1a209dd61fb3
但し、ムーアは別に共産主義者でもないし、この映画も別に社会主義を賛美したものではありません。それは、ムーアが米国医療に対するアンチテーゼとして提示したのがソ連ではなく、米国と同じ資本主義国である仏・独・カナダの公的医療や社会福祉や市民社会の在り様である事からも伺えます。キューバの医療・福祉が肯定的に描かれているのも、別にキューバが社会主義国だからではなくて、西欧市民社会と同じ連帯の精神をそこに見出したからに過ぎません。映画の中に挿入されたフランスでの解雇自由化法案反対デモのシーンと「米国では国民は政府を恐れるがフランスでは政府が国民を恐れる」という小噺の紹介や、下記に示された数々の現場取材記録が、それを象徴的に物語っています。
・カナダでは、先の米国の例の様な「薬指と中指の縫合の一体どちらを切り捨てるか」などという悪魔の選択を強いられるような事は無い。患者をきちんと健康体に戻すのが医師としての当然の責務であって、米国で行われているような治療を行うと逆に刑事責任に問われる。
・カナダ国境近くに住む米国人の中には、カナダ人と偽装養子縁組までしてカナダの保険証を手に入れ、取締りの目を欺きながら国境を越えてカナダに通院する人もいる。
・英国の公的医療にはそもそも「治療費を請求する」という概念が存在しない。病院には確かに会計窓口はあるが、それは治療費請求の為のものではなく、通院にかかった交通費を逆に患者に支払う為のものだ。
上記が、これでもサッチャーの新自由主義改革で相当ダメージを受けたと言われる英国の公的医療制度の、これが現実なのだそうです。これを見せつけられて今更ながら、米国や日本の市民が如何に「途方も無いお人好し」であるかを、つくづく痛感させられました。誰が見ても低福祉・低人権の状況を「これが当たり前」と思い込まされているのですから。
但し、この欧州の例も手放しで賛美は出来ません。欧州の社会福祉が日本や米国よりは相対的に恵まれた状況にあるのは、市民革命以来の相互扶助の伝統も勿論ありますが、それ以上に、過去の帝国主義時代に植民地からの搾取によってもたらされたものである、という一面もあるからです。そして、昨今のグローバリゼーションの進展によって、これらの福祉制度が、実は先進国の中産階級以上だけに限られたものでしかなかった事も、次第に白日の下に晒されるようになってきました。翻って日本の現実はどうか。折角国民皆保険を実現したのもつかの間、それが歳月とともに突き崩され、高齢者や低所得者が保険の網から締め出され、今や米国の後を追う様にして大量の医療・介護・お産難民が生まれるような状況が広がっています。
・「シッコ」で描く医療の現実(下)(関係性)
http://green.ap.teacup.com/passionnante/122.html
・後期高齢者医療制度のポイント(くらた共子HP)
http://www.tomoko-kurata.jp/hibijoho07/0707ihoken75.html
・NHKスペシャル取材班・佐々木とく子著「ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策」(阪急コミュニケーションズ)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031928553&Action_id=121&Sza_id=G1&Rec_id=1008&Rec_lg=100812
・アフラック宮崎あおい、アリコ国仲涼子に惑わされない医療保険加入のポイント(My News Japan)
http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=614
・民間医療保険は公的保険に代われるか、その特徴と問題点(全国保険医団体連合会)
http://hodanren.doc-net.or.jp/kenkou/minnkann-hokenn.pdf
・・・とまあ、以上がこの映画を観た感想なのですが、これには後日談がありまして、この映画を観た数日後に、職場の休憩時間の雑談で何かの折に、(どういう経緯でそうなったのかはもう忘れましたが)確か私がこの映画の事を喋った時です。その時に相方のバイトが言った言葉が何と「××(私の本名)さん、そんな映画を観るのが好きですねえ」だった・・・。この相方のバイト君は確かに何の変哲も無いゲーム好きの青年なのですが(実は旧掲示板で登場した「亡国のイージス」ゲーム好きの青年が彼)、他のB層封建親父とは違ってムーアや井筒和孝の映画もそれなりに観る人でもあったので、この反応には正直言って、少しガッカリした覚えがあります。
その時に彼が言ったのが「反体制宣伝も過ぎると嫌味になる」という理屈です。曰く、マイケル・ムーアも、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で米国の銃社会を告発したのまでは良かったが、その後も「華氏911」や今回の「シッコ」と、告発モノばかり制作して、これを金儲けの道具にしているだけだ、と。
確かに、ムーア作品にはそういう「ある種のプロパガンダ臭が感じられる」という批評が、実際に映画界の一部にもある事は事実でしょう。ムーアの映画は、ドキュメンタリーにエンターテイメントの手法も取り入れているので(アポ無し突撃取材の多用など)、観る人によってはかつての写真週刊誌「フライデー」「フォーカス」と同じセンセーショナリズムを其処に感じる場合もあるでしょう。それならそれで、誇張されたと思う部分を割り引いて観ればそれで済む話だと、私は思うのですが。
それをも通り越して、徒に反体制に「節度」や「自制」や「行儀の良さ」を求められてもねえ(勿論これは暴力肯定とかとは別の意味合いです)。そんな事になればもうその時点で、ムーア映画は一介の退屈な勧善懲悪ドラマに堕してしまいます。また、そんな「行儀良さ」を求める人に限って、体制側の「節度・自制の無さ」「行儀の悪さ」には事の外寛大であったりするのですが。
何でこんな、イラク日本人人質・拉致家族会バッシングにも通じる、「節度」や「自制」や「自己責任」論に安易に流れていくような論理が絶えず出てくるのか。日本社会特有の「お上と長いものには巻かれろ」「みんな横並び・没個性・過剰適応」「下見て暮らせ傘の下」の風潮から来ているのかもしれません。また私の話の持って行き方にも問題があったのかも知れません。
この問題は引き続き解明が必要だと思っています。ただ現時点で一つだけ言える事は、「彼は今の日本の状況しか知らないので、それが当たり前だと思っている」「そして、それを基にして、自分や他者が恵まれているかそうでないかを判断している」という事です。
先の、英国の患者から治療費を受け取らずに逆に患者に通院交通費が支払われている現実や、以前に自分の職場でも仲間内でちょっとした論争になった「最低時給千円の要求は、果たして途方も無いものか否か」(ちなみに、こんな要求は独・仏ではとっくに実現されている)を知っていたら、彼の反応もまた違ったものになるのでは。実際その時も、「そんな映画を観るのが好きですねえ」と言われた後も構わず彼に上記の事例を話していくと、彼の反応がそれまでとは心持ち微妙に変っていった様に思いました。
勿論先述した様に、この社会保障・医療保険の欧州モデルも必ずしも最善のものだとは言えないかも知れません。しかし、少なくとも米国モデルよりは遥かに人間的で理に適ったものである事だけは確かです。
・映画「シッコ」公式サイト
http://sicko.gyao.jp/
実は当初私は、ムーアの映画は以前の「華氏911」で充分堪能したので、この映画は「別に強いて観なくても良いや」という気でいました。そんな私の気が変わったのが、この8月29日に奈良県で起きた下記の妊産婦救急たらい回し事件のニュースを聞いてからです。いざ産気づいた時に20箇所近くの病院をたらい回しにされた挙句に死産という、このニュースを聞いて思ったのは、これは決して米国の医療保険の問題だけに限ったことではない、日本の医療の現実をも鋭く告発した映画ではないのか、という事です。私も、産科のお世話になる事こそ無いものの、今までも腎臓結石で救急搬送された事もあり、また腰痛を抱えていたりもするので、これは自分にとっても決して他人事ではないぞと、次第にそういう思いが頭をもたげてきました。それでこの映画を観る事にしました。
・救急搬送中に妊婦死産/医師不足、揺らぐ産科医療(東奥日報)
http://www.toonippo.co.jp/tokushuu/danmen/danmen2007/0830.html
それで映画を観た感想ですが、やはり頭の中でうろ覚えで知っていた事と、実際に映画で観た事は大違いでした。米国には日本や西欧諸国の様な公的医療保険制度は基本的には無く(低所得者・高齢者向けの限られたものは一応あるがその内容は貧弱)、数千万人単位の無保険者がいる事や、残りの被保険者も営利本位の民間医療保険によるものが大半を占める事など、一応それなりの知識は持ってはいたものの、正直言って下記ほど劣悪な環境にあるとは思ってもみませんでした。
・仕事中の事故で薬指と中指を切断したが、その治療費が薬指は1.2万ドルで、中指が6万ドル。高額な中指の方はくっつけるのを諦めざるを得なかった(上記写真参照)。
・80歳近い老人になってもスーパーの清掃夫として死ぬまで仕事に追われる。会社の健康保険に入っていなければ薬代すら払えないから。
・支払能力の無い無保険者は、金の切れ目が命の切れ目。救急車で病院から外に出され、点滴を付けたまま車椅子ごと路上に放り出される。
・骨髄移植でドナーが現れても、保険会社があれこれ難癖を付けて保険金を支払わかったばかりに手術を受ける事が出来ず、助かる命も助からなかった。
その中でも圧巻だったのが、2001年911テロで救援活動に携わり現場の塵埃で気管支や肺をやられた救急士や市民ボランティアが、対テロ戦争の英雄として当初こそ祭上げられたものの、その後は一切の公的救済の埒外に置かれ苦しんでいる姿です。そんな犠牲者たちをムーアが引率して、はるばるキューバのグアンタナモ米軍基地にまで押しかけて、拘束中のテロ容疑者と同じ治療を受けさせろと強訴に及ぶ。しかしその願いも空しく追い返されるものの、キューバの医師から手厚い看護を受けて、見事快方に向かう場面です。
これをキューバのプロパガンダと決め付けるのは簡単ですが、自国民の愛国戦士すら利用するだけ利用した後は平気で見殺しにする米国に、それを非難する資格はありません。米国では、公的保険や社会保障・社会福祉を要求する運動は、今までも全て医薬品業界や保険業界の圧力によって、悉く潰されて来ました。業界団体はロビー活動や政治献金によって政治を支配し、社会保障や生存権を要求する者を悉く「社会主義者・アカ」呼ばわりしてきました。そういうマッカーシズム(アカ攻撃)が、一攫千金を夢見る征服者による先住民侵略の米国建国の歴史とも相まって、この国を途方も無い資本家天国に仕立てあげてきたのです。
・「シッコ」で描く医療の現実(上)(関係性)
http://green.ap.teacup.com/passionnante/121.html
・マイケル・ムーア作品「シッコ」公開へ;米医療制度を批判(花・髪切と思考の浮游空間)
http://blog.goo.ne.jp/longicorn/e/b401f0e7ba1543e7a83e1a209dd61fb3
但し、ムーアは別に共産主義者でもないし、この映画も別に社会主義を賛美したものではありません。それは、ムーアが米国医療に対するアンチテーゼとして提示したのがソ連ではなく、米国と同じ資本主義国である仏・独・カナダの公的医療や社会福祉や市民社会の在り様である事からも伺えます。キューバの医療・福祉が肯定的に描かれているのも、別にキューバが社会主義国だからではなくて、西欧市民社会と同じ連帯の精神をそこに見出したからに過ぎません。映画の中に挿入されたフランスでの解雇自由化法案反対デモのシーンと「米国では国民は政府を恐れるがフランスでは政府が国民を恐れる」という小噺の紹介や、下記に示された数々の現場取材記録が、それを象徴的に物語っています。
・カナダでは、先の米国の例の様な「薬指と中指の縫合の一体どちらを切り捨てるか」などという悪魔の選択を強いられるような事は無い。患者をきちんと健康体に戻すのが医師としての当然の責務であって、米国で行われているような治療を行うと逆に刑事責任に問われる。
・カナダ国境近くに住む米国人の中には、カナダ人と偽装養子縁組までしてカナダの保険証を手に入れ、取締りの目を欺きながら国境を越えてカナダに通院する人もいる。
・英国の公的医療にはそもそも「治療費を請求する」という概念が存在しない。病院には確かに会計窓口はあるが、それは治療費請求の為のものではなく、通院にかかった交通費を逆に患者に支払う為のものだ。
上記が、これでもサッチャーの新自由主義改革で相当ダメージを受けたと言われる英国の公的医療制度の、これが現実なのだそうです。これを見せつけられて今更ながら、米国や日本の市民が如何に「途方も無いお人好し」であるかを、つくづく痛感させられました。誰が見ても低福祉・低人権の状況を「これが当たり前」と思い込まされているのですから。
但し、この欧州の例も手放しで賛美は出来ません。欧州の社会福祉が日本や米国よりは相対的に恵まれた状況にあるのは、市民革命以来の相互扶助の伝統も勿論ありますが、それ以上に、過去の帝国主義時代に植民地からの搾取によってもたらされたものである、という一面もあるからです。そして、昨今のグローバリゼーションの進展によって、これらの福祉制度が、実は先進国の中産階級以上だけに限られたものでしかなかった事も、次第に白日の下に晒されるようになってきました。翻って日本の現実はどうか。折角国民皆保険を実現したのもつかの間、それが歳月とともに突き崩され、高齢者や低所得者が保険の網から締め出され、今や米国の後を追う様にして大量の医療・介護・お産難民が生まれるような状況が広がっています。
・「シッコ」で描く医療の現実(下)(関係性)
http://green.ap.teacup.com/passionnante/122.html
・後期高齢者医療制度のポイント(くらた共子HP)
http://www.tomoko-kurata.jp/hibijoho07/0707ihoken75.html
・NHKスペシャル取材班・佐々木とく子著「ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策」(阪急コミュニケーションズ)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031928553&Action_id=121&Sza_id=G1&Rec_id=1008&Rec_lg=100812
・アフラック宮崎あおい、アリコ国仲涼子に惑わされない医療保険加入のポイント(My News Japan)
http://www.mynewsjapan.com/kobetsu.jsp?sn=614
・民間医療保険は公的保険に代われるか、その特徴と問題点(全国保険医団体連合会)
http://hodanren.doc-net.or.jp/kenkou/minnkann-hokenn.pdf
・・・とまあ、以上がこの映画を観た感想なのですが、これには後日談がありまして、この映画を観た数日後に、職場の休憩時間の雑談で何かの折に、(どういう経緯でそうなったのかはもう忘れましたが)確か私がこの映画の事を喋った時です。その時に相方のバイトが言った言葉が何と「××(私の本名)さん、そんな映画を観るのが好きですねえ」だった・・・。この相方のバイト君は確かに何の変哲も無いゲーム好きの青年なのですが(実は旧掲示板で登場した「亡国のイージス」ゲーム好きの青年が彼)、他のB層封建親父とは違ってムーアや井筒和孝の映画もそれなりに観る人でもあったので、この反応には正直言って、少しガッカリした覚えがあります。
その時に彼が言ったのが「反体制宣伝も過ぎると嫌味になる」という理屈です。曰く、マイケル・ムーアも、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」で米国の銃社会を告発したのまでは良かったが、その後も「華氏911」や今回の「シッコ」と、告発モノばかり制作して、これを金儲けの道具にしているだけだ、と。
確かに、ムーア作品にはそういう「ある種のプロパガンダ臭が感じられる」という批評が、実際に映画界の一部にもある事は事実でしょう。ムーアの映画は、ドキュメンタリーにエンターテイメントの手法も取り入れているので(アポ無し突撃取材の多用など)、観る人によってはかつての写真週刊誌「フライデー」「フォーカス」と同じセンセーショナリズムを其処に感じる場合もあるでしょう。それならそれで、誇張されたと思う部分を割り引いて観ればそれで済む話だと、私は思うのですが。
それをも通り越して、徒に反体制に「節度」や「自制」や「行儀の良さ」を求められてもねえ(勿論これは暴力肯定とかとは別の意味合いです)。そんな事になればもうその時点で、ムーア映画は一介の退屈な勧善懲悪ドラマに堕してしまいます。また、そんな「行儀良さ」を求める人に限って、体制側の「節度・自制の無さ」「行儀の悪さ」には事の外寛大であったりするのですが。
何でこんな、イラク日本人人質・拉致家族会バッシングにも通じる、「節度」や「自制」や「自己責任」論に安易に流れていくような論理が絶えず出てくるのか。日本社会特有の「お上と長いものには巻かれろ」「みんな横並び・没個性・過剰適応」「下見て暮らせ傘の下」の風潮から来ているのかもしれません。また私の話の持って行き方にも問題があったのかも知れません。
この問題は引き続き解明が必要だと思っています。ただ現時点で一つだけ言える事は、「彼は今の日本の状況しか知らないので、それが当たり前だと思っている」「そして、それを基にして、自分や他者が恵まれているかそうでないかを判断している」という事です。
先の、英国の患者から治療費を受け取らずに逆に患者に通院交通費が支払われている現実や、以前に自分の職場でも仲間内でちょっとした論争になった「最低時給千円の要求は、果たして途方も無いものか否か」(ちなみに、こんな要求は独・仏ではとっくに実現されている)を知っていたら、彼の反応もまた違ったものになるのでは。実際その時も、「そんな映画を観るのが好きですねえ」と言われた後も構わず彼に上記の事例を話していくと、彼の反応がそれまでとは心持ち微妙に変っていった様に思いました。
勿論先述した様に、この社会保障・医療保険の欧州モデルも必ずしも最善のものだとは言えないかも知れません。しかし、少なくとも米国モデルよりは遥かに人間的で理に適ったものである事だけは確かです。
・映画「シッコ」公式サイト
http://sicko.gyao.jp/