バラク・オバマの軌跡―アメリカが選んだ男ヘザー・レアー ワグナーサンガこのアイテムの詳細を見る |
2008年米国大統領選挙は、予想通り民主党のオバマ候補が共和党のマケイン候補に勝ち、次期大統領に選出されました。一時はマケイン候補に逆転される可能性もありましたが、サブ・プライムローン問題に加え一挙に表面化した世界的な金融危機のあおりを受けて、それまでのイラク戦争・規制緩和一本やりの「ブッシュ政治」の綻びが更に広がる中で、最終的にオバマがマケインに打ち勝ちました。
この今回の「米国の選択」については、既に多くの論評がネットに流れていますので、そちらを参照して下さい。ここでは下記のリンクを張るに止め、ごく簡単にまとめておきたいと思います。
・<08米大統領選挙>オバマ氏の公約と主張(AFP・BBニュース)
http://www.afpbb.com/article/politics/2535590/3497969
・オバマ大統領誕生に見る「ブッシュの8年間」(保坂展人のどこどこ日記)
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/42e60633e4307adec315433865e75af7
・バラク・オバマ、二つの顔(マスコミに載らない海外記事)
http://eigokiji.justblog.jp/blog/2008/02/post-38c9.html
・米大統領選挙はいつもガス抜きの出来レース~オバマ大統領は1年半前から決まっている(吉永俊朗の「鳥の目・虫の目」)
http://kotonoha-media.com/blog/yoshinaga/archives/50
今回の大統領選挙に対する左派・リベラルの評価は、次の二つに分かれます。「反ブッシュ・反ネオコンの勝利」を指摘する向きと、「所詮は共和・民主の保守二大政党制下でのガス抜きでしかない」とする向きと。私は、そのどちらも正しいと思います。オバマの選挙公約には、金持ち増税・低所得者減税や、地球温暖化ガス削減、期限を切ってのイラク撤退などの「社民主義・多極主義」的な公約と、アフガン戦争介入、イスラエル断固支持、公的保険制度創設要求には背を向ける(せいぜい民間保険加入への補助止まりまで)などの「新自由主義・ネオコン」的公約が同居しています。つまり、顔を半分庶民の方に向けつつ、軸足自体はあくまでもネオコン・財界の圏内に置いているのです。その軸足を庶民の方に移させるのは、今後のアメリカ人民の闘い如何にかかっています。
ただ、今回の選挙結果を、前述の「階級的」視点からだけでなく、もう一つ別の「人種・民族」の視点から見てみると、また別の米国史の到達点が見えてきます。「黒人・ヒスパニックなどのマイノリティ(少数派)の長年に渡る闘争・努力の末に、ようやくここまで来たな」という、また別の到達点が。
確かにオバマは純粋の黒人ではなく、白人女性との間に生まれたハーフです。しかし、それでも僅か数十年前の、ケネディやキング牧師が暗殺された頃から考えると、今回の米国初の黒人系大統領出現には、「まだまだ不十分な一歩」ではあっても、「それでも巨大な一歩」であると言えるのではないでしょうか。何せ日本で言えば、在日コリアン系の総理が誕生した様なものなのですから。
但しオバマの場合は、まだしもハーフであり、また旧来の米国支配層たるWASP(ワスプ:アングロサクソン系白人エリートの事)と同等の地位にまで上り詰めた、所謂「名誉白人」ともいうべき人物でもあります。同じ「人種・民族」的視点からの「歴史の進歩」の例を挙げるのであれば、例えば下記の現・ボリビア大統領エボ・モラレスの方が、より相応しいのではないかと思います。
・モラレスによる『先住民たちの革命』(Sightsong)
http://pub.ne.jp/Sightsong/?monthly_id=200711
・『反米大陸』伊藤千尋著 中南米がアメリカにつきつけるNO!(サラリーマン活力再生)
http://blog.goo.ne.jp/kintaro-chance/e/4ad4d42fa59ccb6702a67d63d4a6eb06
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南米のボリビア共和国は、他の南米諸国と同様に、19世紀初頭に早々とスペインから独立しました。しかし、独立後に政治・経済の実権を握ったのは、あくまでもスペイン系白人やその血を引く人たちでした。植民地時代からの搾取構造がそのまま引き継がれ、人口の過半数を占める先住民(ケチュア・アイマラ系インディオ)は行政から排除されたままでした。そして、19世紀後半以降はずっと、アメリカ帝国主義に支配される事になります。
それでも、1950~60年代にかけての一時期には革命政権が成立し、農地改革などが実施された事もありましたが、その革命もやがて挫折・変質してしまい、それ以降はずっと、地主・鉱山主を中心とした特権階級(オルガルキア)に支持された軍政が続いてきました。
しかし、90年代に入ると、それまで専ら「米国の裏庭」と呼ばれた中南米地域にも、ようやく転機が訪れる事になります。ベネズエラのチャべス政権を皮切りに、対米従属・新自由主義からの脱却を掲げる新政権が、域内に続々と誕生します。その中でボリビアでも、先住民出身の農民組合指導者エボ・モラレスが、多国籍資本による天然資源収奪や水道民営化・法外な料金値上げに対する反対闘争(「水戦争」・「ガス戦争」)を組織して、その闘いをバックに、大統領に就任する事になりました。ここにボリビア史上初めて、先住民出身の大統領が誕生する事になったのです。爾来この国では、天然資源の国有化や新自由主義からの脱却を掲げる現政権と、東部低地を基盤とする大農場主・多国籍資本や、そのバックに控える米国との間で、予断を許さない状況が続いています。
これが、21世紀の現代世界なのです。そういう「民族解放」「階級解放」の時代にあって、「民族派」を詐称する自衛隊・元幕僚長「死神トシオ」が果たしている客観的役割とは、一体どんなものなのでしょうか。
「日本のアジア支配は、侵略でも、帝国主義でも搾取でもない」と言い募りながら、今や米本国でも過去のものになりつつある「ブッシュ・ネオコン」政治にしがみつき、大義の無いイラク戦争のお先棒を担いで、米帝・軍需産業のポチとしてイラクに君臨する。「過去の戦争はアジア解放の為に起こした」なぞと見え透いたウソをつきながら、現代の「民族解放」にも「階級解放」にも敵対する。これでは、真の「ナショナリスト」には非ず、只の「反動」でしかありません。
こいつの言う「愛国」とか「憂国」とか「民族」というのは、大国の手先となって侵略のお先棒を担ぐ事なのでしょうか。それが日本の「国益」だというのであれば、他民族の犠牲の上に胡坐をかく、そんな「国益」なぞ、只の「自国エゴ」でしかありません。そんな「自国エゴ」がまかり通る国では、自国民の生命・人権も簡単に「支配者のエゴ」の犠牲にされます。それは、例えば後期高齢者医療制度の強行一つとって見ても明らかです。
「バカ山」(中山成彬)や「死神」(田母神俊雄)が、「政府見解と異なる意見を表明する権利」を主張し、「それが認められない日本は北朝鮮と同じ」とほざいています。その実、裏では「強制収用手続きが簡単で、空港建設が進む共産党独裁の中国が羨ましい」(中山成彬)などとも発言しているのだから、お話になりません。頭の中が「北朝鮮」なのは、バカ山・死神、お前ら自身じゃないかw。今まで散々、教育基本法改悪や「日の丸」・「君が代」強制を煽ってきた輩が、何を今頃、白々しい。「ご都合主義」も、いい加減にしろ。
勿論、たとえ公務員と言えども「言論の自由」はあります。但し、その自由には責任が伴います。少なくとも、他者の人権を平気で損なう様な、野放図な「権利」は認められません。レイプや犯罪や差別扇動の「自由」が無いのと同様に。これは、公務員だろうと民間人だろうと、みんな同じです。
それと同じ様に、他国市民の人権を蹂躙するような「国益」などは認められません。そう言うと、中には「まずは、何をさて置いても自国民を守るのが、国家の役目ではないか」という人も居るかも知れません。しかし、他国民の人権蹂躙と引き換えに実現される「国益」の下では、自国民の人権もいつ何時蹂躙されるか分かったものではありません。それは、旧日本軍が兵士を消耗品の様に扱い、沖縄戦で住民をスパイ扱いしたのを見れば、直ぐに分かります。
>但しオバマの場合は、まだしもハーフであり、また旧来の米国支配層たるWASP(ワスプ:アングロサクソン系白人エリートの事)と同等の地位にまで上り詰めた、所謂「名誉白人」ともいうべき人物でもあります。同じ「人種・民族」的視点からの「歴史の進歩」の例を挙げるのであれば、例えば下記の現・ボリビア大統領エボ・モラレスの方が、より相応しいのではないかと思います。<
私は、決してオバマ候補を人種的に貶める意図で、上記の文章を書いたのではありません。ここで私があくまで強調したかったのは、「死神」言説が如何に時代錯誤で反動的で矛盾に満ちたものであるか、という事に尽きます。その「死神」との対比で、<そもそも今はどういう時代で、その中で「死神」はどういう位置に居るのか?>という事を言いたかったが為に、直近の米国大統領選挙におけるオバマ勝利や、その前の南米ボリビア大統領選でのモラレス勝利を、引き合いに出してきたのに過ぎません。
つまり、戦後平和主義・民主主義を敵視し、過去の日本帝国主義を賛美する「右翼反米」的立場から、事あるごとに「大和魂」を扇動する「死神」に対して、「実際には米帝ブッシュのポチとして、イラク戦争に加担し、民族解放や社会進歩の足を引っ張っているだけじゃないか」と言いたかったが為に、「死神」との対比でオバマやモラレスの例を引いたのに過ぎませんでした。
しかし、その事が災いして、先の米国大統領選でのオバマ当選を、「反戦、反・新自由主義の勝利」ではなく「白人に対する黒人の勝利」と見てしまう立場に、知らず知らずのうちに陥ってしまっていたのではないかと、今では聊か反省しています。
そして、そういう「人種的立場」から、「オバマよりもモラレスの方が、より第三世界・有色人種の側に近いのではないか」という考えに、無意識のうちに嵌まり込んでしまっていた様な気がします。
また、それとは別に、「オバマはハーフで高学歴だから、実際には米帝の一員でしかない」という意識も、私の中にあったのは確かです。しかし、その後色々調べていくうちに、「ハーフだから支配階級の一員」と、単純に言えるものでは無い事も、次第に分かってきました。
米国では、60年代の公民権運動でマイノリティーの人権が叫ばれる様になって以降も、南部諸州を中心に、俗に「ワン・ドロップ・ルール(一滴の血の掟)」と呼ばれる風潮(黒人の血が一滴でも混じれば黒人として差別される)や、かつての南アフリカのアパルトヘイトも斯くやと思われる「異人種間結婚禁止法」が州法として堂々とまかり通るという現実がありますが、その事についても全く認識にありませんでした。
そんな状況下の国で争われた選挙戦で、オバマ候補が、従来からリベラル色の濃かった東部・ワシントンDCや太平洋沿岸の諸州だけでなく、従来は共和党の基盤であったオハイオやニュー・メキシコなどでも勝利したというニュースも、それらの「非リベラル」地域の政治状況や人種差別の強さが分かってこそ、初めてその価値が分かるのではなかったか。
勿論、オバマといえども、所詮は共和・民主両党(アメリカ帝国主義)の枠内での政治家にしか過ぎないのは事実です。オバマよりは遥かに革新的な候補者であるラルフ・ネーダーやシンシア・マッキニーの主張にしても、あの人たちも別に左翼でも何でもなく、ごく真っ当な公約を掲げているに過ぎないのに、それでもオバマから見たら遥かにマシに見える、つまりそれだけオバマが保守的である、という事です。
但し、そんなオバマでさえも、共和党のマケインよりはずっとずっとマトモであり、「死神」や「バカ山」(中山成彬)と比べたら、もう「月とスッポン」ほども違う。
しかし、その様な対比も、あくまでも「反戦、反・新自由主義」の側から見てどうなのかという、市民や労働者としての立場から見るのが、主であるべきではないか。そこを「黒人vs白人」という様に、ことさら人種対立を煽る図式で見出すと、もうそれは「死神」たちの「右翼反米」と、何ら変わらなくなってしまうのではないでしょうか―と、そう思った次第です。
(参考記事)
・「一滴の血の掟」ワン・ドロップ・ルール (逝きし世の面影)
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/7d72f31f783290414e864cb982d6d5e9
・ワンドロップルール(労組書記長社労士のブログ)
http://blog.goo.ne.jp/hisap_surfrider/e/4e7808abaa485abdbd88a0559d57c0b9
・黒人差別の歴史も知らないで新聞記者と名乗る愚(青瓢箪のブログ)
http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20081107/1226042722
・私のように黒い夜(本やタウン)
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9981027545