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洞川温泉の旅(5) 再び洞川へ おもてなしの源流をたどる

2023年11月22日 16時40分13秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 
先週に続き今週も洞川温泉にやって来ました。但し、今回は日帰り旅です。今回やって来たのは「泉の森大神(泉の森霊泉)」です。現在、「ごろごろ水」「新泉洞」「泉の森大神」の3ヶ所が、「洞川湧水群」として、環境庁によって「名水百選」に指定されています。
 
そのうち、「ごろごろ水」は既に堪能し、「新泉洞」は私有地で立ち入れず。残る1ヶ所の「泉の森大神」も、「ごろごろ水」に負けず劣らず風光明媚だと聞き、電車とバスを乗り継いで行って来ました。
 
洞川温泉のバス停を降り、龍泉寺の前を通り、「かりがね橋」と言う吊り橋の下を潜ると、まもなく川にかかった赤い橋が現れます。その赤い橋を渡り、赤い鳥居の下を潜ると、お稲荷さんを祀ったお社に行き当たります。
 
 
そのお社の奥に、洞窟から清水が湧き出ている場所があります。横には石で祭壇が設けられ、不動明王が祀られています。それが「泉の森大神」です。
 
この場所は、洞川の町から見て東北方向に当たる鬼門の位置にある為、魔除けも兼ねて、この湧き水を祀るようになったのではないかと言われています。私が帰る時も、地元の主婦と思しきご婦人が2人、お社に花を備えに訪れていました。
 
 
すぐ隣はキャンプ場です。夏には涼を求めた観光客で、さぞかし賑わった事でしょう。でも、今はもう晩秋。キャンプ場にはもう誰もいません。その隣にある、この神域も、木漏れ陽の中で、キラキラと輝いていました。
 
 
「泉の森大神」の帰りに、漢方胃腸薬の陀羅尼助(だらにすけ)を作っている工場の前を通りがかりました。聞けば、洞川温泉の旅館や薬局で売っている陀羅尼助は、全てこの工場で製造しているとか。他では売っていないこの薬を、私も一度試しに買ってみる事にしました。
 
どこで買おうか迷っていたら、ちょうどこのお店で、土産物と一緒に陀羅尼助も売っているのが目につきました。そこで、土産物の名水胡麻豆腐や名水葛餅と一緒に、陀羅尼助も少し買う事にしました。
 
 
その店では、おばあちゃんが1人で店番をしていました。そのおばあちゃんに、葛餅や陀羅尼助の品定めをしてもらっているうちに、すっかり意気投合。おばあちゃんに、おかきと葛湯(くずゆ)をご馳走してもらう事になりました。
 
確かに、このご馳走も、見ようによっては、客に商品買わそうとする店の魂胆かも知れません。でも、私は決してそれだけではないと思います。何故なら、この洞川温泉の成り立ち自体が、助け合いの中から生まれてきたようなものだからです。洞川温泉は「後鬼(ごき)の里」と呼ばれています。何故そう言われるようになったのか?簡単に書きます。
 
昔、生駒山に鬼の夫婦がいて、村の子どもを襲って食べていました。そこで、飛鳥時代に修験僧の役小角(えんのおづぬ、別名:役行者)が、鬼を懲らしめる為に、鬼夫婦の子どもを洞窟に閉じ込めてしまいました。そして、「子どもを返してくれ」と泣き叫ぶ鬼夫婦に、役小角は「子どもを取られた村人も同じ思いだ」と諭しました。
 
それを機に、鬼夫婦は、それまでの行いを悔い改め、役小角に弟子として付き従う事になります。そこで、役小角は、大峰山に修験道の道場を開いた後、鬼夫婦に、修行僧の世話をするように言います。
 
そして、夫の前鬼(ぜんき)には今の下北山村の前鬼集落に、妻の後鬼(ごき)には今の洞川温泉に、それぞれ行者の宿を作らせました。そして、後鬼には、陀羅尼助という漢方薬の製法を教え、修行僧にも勧めるように言いました。
 
残念ながら、前鬼集落は今や過疎化でほとんど人がいなくなりました。昔はここも大峰奥駈道(おおみねおくがけみち:昔の巡礼路)の中継地点にあるお宿として、多くの修行僧を迎え入れたのでしょうが。今は唯一の子孫とされる人物が、たった一軒だけ宿坊を経営されているそうです。(詳しくは前鬼・後鬼に関するウィキペディアの記述を参照)
 
それに対して、洞川温泉の方は、大峰山の入口に位置する事もあって、年々興隆を極め、今の温泉町に発展したそうです。つまり、洞川温泉の住民は後鬼の子孫と言う訳です。そういう言い伝えが残っています。
 
 
伝説の呪術師に仕えた鬼の末裔の秘境宿に泊まってみた。【前鬼】【後鬼】【役行者】【小仲坊】【大峯奥駆道】【前鬼山】【下北山村】【金峯山寺】【吉野山】
 
前述のもてなしも、修行僧をずっともてなして来た長い歴史が背景にあるからではないでしょうか。この世知辛い世の中に、そんな夢みたいな話が果たしてあるのか否か?書いている私自身も実は半信半疑ですが(笑)。少なくとも、おばあちゃんの親切には、「わざとらしさ」は全然感じられませんでした。それだけは確かです。
 
 
お昼は温泉街の一角にある和食屋さんで湯豆腐定食にしました。前回来た時は、どのお店も定食類は軒並み千円以上したので、お昼は数百円で食べられる別の店の丼物にしました。しかし、折角来たからには、普段食べる事の出来ない川魚や名水仕立ての湯豆腐も食べなければ。そう思い、今回は1,300円の湯豆腐定食を頼みました。
 
食べた感想ですが、やはり美味かった!まず湯豆腐の食べ応えが、普段スーパーで買って食べている木綿豆腐と全然違う。どっしりしていて、水っぽさが微塵もない。
 
 
卵焼きも、中に具がぎっしり入っていて、厚みがスーパーの惣菜とは全然違う。味も非常に甘くて円やか。自炊では、とてもこんな卵焼きは作れない。しかも、座敷の席の窓からの、街中を流れる山上川の眺めは絶品。
 
でも値段は総じて高め。比較的安い湯豆腐定食も、1人前で1,300円もします。他の商品を見ても、普通のざるそばが700円なのに、何故天ざるそばとなるだけで、倍の1,400円もするのか?(笑)
 
同じ事は旅館の宿泊料金についても言えます。実は洞川温泉にも、当日予約可で素泊まり歓迎の民宿もあるにはあります。一泊数千円で泊まれるので、貧乏で休みもそんなに取れない人には有難いです。
 
しかし、お世辞にもサービスは良いとは言えません。良くてビジネスホテル並み。悪ければ木賃宿も同然。当然トイレもバスも無し。そういう意味では、「後鬼の里」と呼ばれる洞川温泉も、世間並みに俗化はしています。それはある意味、仕方のない事かも知れません。それも有名な店ほど俗化しています。
 
だったら、もう後は中間で妥協するしかない。ほどほどに値段が安くて、ほどほどにサービスが充実している、そんな店や旅館を選ぶしかありません。それはグルメサイトのクチコミ投稿や星の数とは余り関係がありません。
 
昼食を食べた後は、村営スーパー銭湯の洞川温泉センターに入浴し、15時前洞川温泉発のバスに乗って帰りました。その時刻のバスに乗っても、大阪阿部野橋に着いたら、もう17時半を回っていて、辺りはすっかり夕闇に包まれていました。
 
大阪の近くにあり、往復の交通費も4千円以内で済みます。それでいながら、目的地までたどり着くには片道約3時間もかかります。しかも、冬はバスの便も激減し、マイカーで来ようとしても、路面凍結による通行規制で、なかなかたどり着けなくなります。逆に言えば、観光客が激減する冬こそ、俗化に染まらない洞川温泉本来の良さが楽しめるかもしれません。但し、足の確保と防寒対策だけは、くれぐれも忘れずに。

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