●NHK総合「追跡!AtoZ」:「無届け老人ホームの闇」
>渋川市で発生し10人が亡くなった老人ホーム火災。ここに入居していた人の多くは都内から移り住んだ生活保護受給者だ。
今、介護の必要な低所得者をターゲットにした悪質な無届け老人ホームが急増している。一部屋に何人もが押し込まれ、食費は一日300円といった悲惨な生活。
さらに、監督する立場にある行政が、施設不足を理由に、行き場のない低所得者にこうした無届けホームを斡旋してきたという問題も浮かび上がった。自ら訴え出られない高齢者を狙った悪徳ビジネスの実態とその背景を追う。
http://www.nhk.or.jp/tsuiseki/file/list/090425.html(公式サイト)
http://veohdownload.blog37.fc2.com/blog-entry-2112.html(「TV小僧」提供動画)
●映画「遭難フリーター」
>岩淵弘樹・23歳。平日は製造派遣大手の日研総業からキヤノンの工場に派遣され、時給1250円での単純労働、週末は憧れの東京でフルキャストの日雇い派遣。不安定な労働環境から抜け出せない彼は、フリーターの権利を求めるデモに参加し、マスメディアの取材を受ける。しかし、テレビ画面に映し出されたのは、ただただ“不幸で貧しい若者”でしかなかった―。
大手レコード会社に就職した友人に自己責任論調の説教を受け、居酒屋でおっちゃんに「あなたは奴隷なんだよ!」と罵られる。「俺は誰に負けた?俺は誰の奴隷だ?」岩淵は、拾った自転車で夜の東京を疾走する。
http://www.sounan.info/(公式サイト)
この間、上記のテレビ番組と映画を続けて見ました。それを見ての感想ですが、それぞれに書きたい事は多々あれども、今はそれだけの時間的余裕もないので、敢えて両方まとめた形で書かせて貰います。
まず何よりも思ったのが、「介護問題にしろ、ワーキングプアの問題にしろ、結局は、やっぱり貧困の問題に行き着いてしまうじゃないか」という事です。
前者のテレビ番組で取り上げられた、群馬県渋川市の無届け老人施設における火災事故の問題でも、犠牲になったのは低所得者の老人たちでした。高額の有料老人ホームにも特養にも入れない生活保護受給者が、あちこちたらい回しにされた末に、他の地方から吹き寄せられる形で、この姥捨て山に集められ、劣悪な扱いを受け続けた挙句に、失火で焼き殺されたのです。
かつて、介護問題が表面化してきた当初は、少子化や世代間格差や家族の在り方にスポットが当てられ、ワーキングプアなどの貧困問題とは、別個に扱われていました。斯く言う私も、つい最近までは、どちらかと言えば、そういう認識でした。
しかし、幾ら社会の少子化が進もうと、カネのある人は、幾らでも好条件の介護が受けられる訳です。これらの「勝ち組」にとっては、介護問題なんて実は全然関係ないのです。老老介護の問題にしても、介護虐待の問題にしても、当事者の悲哀を味わされるのは、常に「負け組」だけで。
後者の映画で取り上げられた、非正規雇用のワーキングプアの問題も、当初は「就職氷河期vs団塊世代」という様に、寧ろ世代対立に重きを置いた形で、取り上げられる事が多かったように思います。実際に、その頃はまだまだ、団塊世代には正社員が多くて、彼らは組合に組織され、会社からボーナスを貰いながら、就職氷河期世代に対して、「怠け者」だの「無能力者」だのと、罵っていられたのですから。それに対して、就職氷河期世代は、社員食堂はおろか、会社のゴミ箱すら自由に使わせてもらえず(!)、身包み派遣会社に管理され、バカ高い寮費をピンハネされていたのですから。
しかし、その後も正社員から非正規雇用への置き換えが進み、今や労働者の3人に1人が非正規職になるに従って、前述の捉え方も徐々に変わってきます。映画の主人公の、就職氷河期世代の派遣フリーター・岩淵君も、当初は、ただひたすら正社員願望に囚われていたのが、彼を取材しているNHK社員も、自分と同様に「こんな仕事なぞちっとも面白くねえ」「辞める事ばかりが頭をよぎる」と悩んでいるのを知るに及んで、「ただ正社員に這い上がる事だけを考えていても、決して問題は解決しない」という事に、少しずつ気付き始めます。
・・・・という事を、このぞれぞれのテレビと映画を見て、改めて気付かされた私でしたが、それでもまた明日から出勤すれば、若者も中高年も入り乱れて働いている、我が派遣・請負の職場で、「仕事のスピードが遅い60歳代のワーカーに対して、自分にそのしわ寄せが掛かってくる事に、心の中で苛立つ自分」が居るのです。「そういう自分も、そんなに若くはなく、遅かれ早かれ、その60歳代ワーカーと同じ立場に立たされるのが分かっているのに、それでも苛立ってしまう自分」の愚かさにも、無性に腹を立てながら。
勿論、その根底には「福祉の貧困」がある事も、当然分かっています。そもそも、60歳や70歳になっても、馬車馬の如く働かなければ食べていけないという事自体が、異常なのです。本来は、そうならない為にあった筈の、年金制度が全然機能しておらず、官僚の天下りや大型公共事業や金持ち減税や軍事費に化けてしまっている所に、そもそもの原因がある事ぐらい、百も承知の上です。
憲法25条(生存権規程)が全然守られていない。そんな現状が捨て置かれている限り、幾ら「日本は経済大国」だの「国際貢献」だの「国を守れ」だのと上から言われても、我々プレカリアートにとっては、「それは一体何処の国の話か?」という事にしかならない。
しかし、それらの事実を踏まえても、当該問題にまず第一線で向き合わなければならないのは、やはり当事者たる私自身であって、国や大企業ではない。
これは又聞きですが、「派遣村」村長の湯浅誠さん(NPO法人もやい代表)が、4月21日の大阪・西淀川区労連主催による青年集会で、生存競争に脱落し始めた仲間(先の60歳代ワーカーなどの)に対して、「どれだけ団結の立場に立てるのかが、単にイデオロギーや知識としてでなく、自分自身の生き方の問題として問われ始めている」という趣旨の事を仰られたそうです。その発言もかみしめながら、くだんのテレビ番組と映画の内容を、今改めて思い返しています。
この他にも、元タレント・清水由貴子さんの介護疲れによる自殺のニュースについても、実際に色々と思う所はあるのですが、それ以前のレベルで逡巡している私如きが、あれこれ言う気には到底なれないので、ここでは何も言いません。
死を決定的にしたのは、私が誤嚥させたからです。与えないほうがいい」と言われていたのに、見かねて経口補水液ゼリーを与えました。ほんの2、30ミリリットルですが、おそらくほとんど気管の方へ入ってしまったのではないかと思います。苦しみあえぎながら死んで行きました。
「阪神なんば線」のコメントでふれましたように、自宅介護では、ひと月にに2週間までしか点滴できない規則になっているそうなのです。それで、5月(しかも連休明け)にならないと点滴を再開できなかったのです。そういうわけで、その間、自己責任で水分・栄養補給を続けなければなりませんでした。最後の点滴が終わってちょうど一週間でした。
入院させれば、もう少し延命できたかもしれません。苦しまずに死を迎えられたと思います。私は躊躇しました。かかりつけ医も、「ここまで、自宅介護でがんばってきたのだから、このまま自宅で見取ったほうが悔いが残らないと個人的には思いますよ」と言う意見でした。私もそう思いました。死が目前に迫っている患者を、病院へ預けるか、このまま自宅で見取るかの選択は、どちらがよいのか、なんとも言えません。ただ、結果的に、最後まで介護したという満足感より、最後に私の手で誤嚥させてしまったという悔いのほうが勝ってしまいました。
人は、「あまり自分を責めてはいけないよ」と慰めてくれますが、この罪悪感は一生消えそうもありません。介護という負荷が突然なくなって、虚脱感と蓄積した疲労がどっと出て、体の調子がよくありません。涙ばかり出てきます。