拙ブログの、旧掲示板2006年3月頃の書き込みの中に、こういうやり取りがありました。―バイト先の同僚から、「亡国のイージス」というテレビゲームの内容に関連して、以下の説明を求められた。その同僚曰く「くだんのテレビゲームには、僚艦を攻撃された自衛艦が、僚友を助ける為に、自艦をわざと敵の攻撃に晒す場面が出てくる。そうしないと専守防衛にならないからだ。こんな理不尽な事が本当にあるのか」と。それに対して私は「そもそも、日本が米国のイラク侵略に加担したから、そんな理不尽な目にも遭うのだ」と切り返したが、唐突にこんな事を聞かれて、軍事には素人との負い目も合ったので、切り返しに迫力を欠いた、云々と。(詳しくは同月10日付拙稿「「亡国のイージス」のシチュエーション」以後の過去ログを参照の事)
http://afghan2004.hp.infoseek.co.jp/kakolog109.htm
今頃何でこんな事を思い出したかと言うと、このバーチャルなテレビゲームの場面でしかない「亡国のイージス」のシチュエーションを、リアル世界で本当に実現しようと思っている人が居て、しかもこの前の参院選で堂々と当選していた、という事を知るに及んだからです。それが、当時「ヒゲの隊長」の名前で知られた、元・自衛隊イラク先遣隊長にして現・自民党参院議員の佐藤正久(まさひさ)氏なのだそうです。
「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」(元イラク先遣隊長 佐藤正久・参院議員)
http://news.tbs.co.jp/20070810/newseye/tbs_newseye3630843.html
しかし冷静に考えれば、やっぱり可笑しいわ、この佐藤という人の論理は。「正当防衛・緊急避難」だの「目の前で苦しんでいる仲間がい」て云々としきりに言っていますが、米国の方で日本を勝手にイラク侵略戦争の仲間に引きずり込んでおいて、「何故助けない」も糞もあるかい。当時の世論はイラク派兵に反対・懐疑派が多数であったにも関わらず、国会ではロクスッポまともな議論もせずにウヤムヤなまま、どさくさ紛れにイラク特措法を通してしまいました。その挙句に、内戦の泥沼に嵌り込んで、イラクから撤退する国も相次いでいる今頃になって、犯罪者の方から一方的に「何故助けないのか、人の道に反するのではないか」なぞと偉そうに言われる筋合いはありません。戦争加担を消防・救急活動一般と同列に論じようとする、その狡猾な手口が如何にも見え見えで。
そう言えば、戦前の柳城湖事件(当時中国・満州に駐留していた日本の関東軍が、自作自演の鉄道線路爆破を口実にして、満州事変を引き起こした)の時も、一方的に外国領土に駐留して自分の方から戦争を仕掛けておきながら、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう=先に手を出した乱暴な中国を懲らしめる)などと扇動して、国民を侵略戦争から破滅的な消耗戦に引きずり込んでいきました。死神・佐藤のやっている戦争誘発行為もそれと全く同じじゃないか。「亡国の死神・佐藤」を許すな!
そう言うと必ず次に返って来るのが、「日本は拉致問題で北朝鮮と対峙している以上、憲法改正して軍隊を持つまでは、米国に何処までも付いていくしかないのだ」という理屈です。しかし、こんな詭弁に騙されてはいけません。この理屈こそ、「他国民衆の不幸と引き換えに自国民だけが助かれば良い」という「一国平和主義、奴隷の平和」の最たるものではないですか。「核廃絶」を通して「搾取・差別・人権抑圧のない、公正で民主的な世界の実現」を目指す国際平和運動の崇高さと比べると、その論理のジコチューさがより際立ちます。
そして、「他人の不幸と引き換えに、自分たちだけのつかの間の安泰を確保する」というその発想ですが、その矛先が何も「他国」だけに向けられている訳ではない事は、既に今までの「負け組の不幸・不公正・犠牲の上に、ごく一部勝ち組のジコチュー平和を確保してきた」自民党政治で嫌と言うほど経験しているではないですか。「ごく一部の人たちの安泰のためには自分が犠牲されても一切文句が無い」という御目出度い人はそれでも良いのでしょうが、少なくとも私はそんなジコチューな世の中はゴメンです。
(参考資料:追記続行中)
・駆けつけ警護に容認論 集団的自衛権、有識者懇で大勢(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0811/TKY200708110004.html
・武器使用で日本は独自に制約(同上・特集「新戦略を求めて」)
http://www.asahi.com/strategy/0416a.html
・えっ、イラク復興支援っていいことじゃないの?(停戦委員会)
http://www.geocities.com/ceasefire_anet/misc/iraq_fukkou.htm
・柳条湖事件(満州事変勃発)(クリック20世紀)
http://www.c20.jp/1931/09ryujo.html
・元自衛官・佐藤正久参議院議員は即刻辞職せよ!!(アッテンボローの雑記帳)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/08/post_c9d8.html
・ブロガーは連帯する!~マスメディアは連帯できないのか?佐藤正久発言への対応(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊))
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/f1716eed9c119b74ec350e3429896524
・元自衛官佐藤正久参院議員のトンデモ度(とむ丸の夢)
http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-373.html
・〔ツール〕はてなキーワード「佐藤正久」を含む注目エントリー(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
http://alcyone.seesaa.net/article/51349575.html
・イラク派兵で暴走しだした「軍の論理」と、「滅びの美学」を追求する「美しい国」内閣?(多文化・多民族・多国籍社会で「人として」)
当該記事のコメント欄に「佐藤正久の行為は当たり屋と同じ」というのがありましたが、正に「言い得て妙!」です。
http://ukiuki.way-nifty.com/hr/2007/08/2007.html
この佐藤正久発言については、与党による言論規制が効いているのか、他メディアが異様に沈黙している中にあって、ネットでは逆に世論が沸騰しています。先程、それらの内の幾つかの記事を上記に追記しましたが、その中でも極め付けは下記記事。イラク人質事件の時に個人バッシングに走ったネットウヨクは、相手が国家権力や軍隊となると、途端に黙ってしまう様です。
・[時事]ヒミツの大計画!(笑) 投稿者:佐藤正久です(猿゛虎゛日記)
>今日はTBSの記者さんに取材されましたよ! ボク(ヒゲの隊長さんね!)が昔考えた、あるとっておきの計画を教えてあげたよ! これってサイコーかも?(笑) 歴史に名前を残す大偉業のような気がする! これはやってみる価値アリだったとおもうね。そのうち日本でもニュースになると思うから、チェックしてね!<(偽・今井メールのノリで)
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070813/1186989406
http://afghan2004.hp.infoseek.co.jp/kakolog109.htm
今頃何でこんな事を思い出したかと言うと、このバーチャルなテレビゲームの場面でしかない「亡国のイージス」のシチュエーションを、リアル世界で本当に実現しようと思っている人が居て、しかもこの前の参院選で堂々と当選していた、という事を知るに及んだからです。それが、当時「ヒゲの隊長」の名前で知られた、元・自衛隊イラク先遣隊長にして現・自民党参院議員の佐藤正久(まさひさ)氏なのだそうです。
「自衛隊とオランダ軍が近くの地域で活動していたら、何らかの対応をやらなかったら、自衛隊に対する批判というものは、ものすごく出ると思います」「巻き込まれない限りは正当防衛・緊急避難の状況は作れませんから。目の前で苦しんでいる仲間がいる。普通に考えて手をさしのべるべきだという時は(警護に)行ったと思うんですけどね。その代わり、日本の法律で裁かれるのであれば喜んで裁かれてやろうと」(元イラク先遣隊長 佐藤正久・参院議員)
http://news.tbs.co.jp/20070810/newseye/tbs_newseye3630843.html
しかし冷静に考えれば、やっぱり可笑しいわ、この佐藤という人の論理は。「正当防衛・緊急避難」だの「目の前で苦しんでいる仲間がい」て云々としきりに言っていますが、米国の方で日本を勝手にイラク侵略戦争の仲間に引きずり込んでおいて、「何故助けない」も糞もあるかい。当時の世論はイラク派兵に反対・懐疑派が多数であったにも関わらず、国会ではロクスッポまともな議論もせずにウヤムヤなまま、どさくさ紛れにイラク特措法を通してしまいました。その挙句に、内戦の泥沼に嵌り込んで、イラクから撤退する国も相次いでいる今頃になって、犯罪者の方から一方的に「何故助けないのか、人の道に反するのではないか」なぞと偉そうに言われる筋合いはありません。戦争加担を消防・救急活動一般と同列に論じようとする、その狡猾な手口が如何にも見え見えで。
そう言えば、戦前の柳城湖事件(当時中国・満州に駐留していた日本の関東軍が、自作自演の鉄道線路爆破を口実にして、満州事変を引き起こした)の時も、一方的に外国領土に駐留して自分の方から戦争を仕掛けておきながら、「暴支膺懲」(ぼうしようちょう=先に手を出した乱暴な中国を懲らしめる)などと扇動して、国民を侵略戦争から破滅的な消耗戦に引きずり込んでいきました。死神・佐藤のやっている戦争誘発行為もそれと全く同じじゃないか。「亡国の死神・佐藤」を許すな!
そう言うと必ず次に返って来るのが、「日本は拉致問題で北朝鮮と対峙している以上、憲法改正して軍隊を持つまでは、米国に何処までも付いていくしかないのだ」という理屈です。しかし、こんな詭弁に騙されてはいけません。この理屈こそ、「他国民衆の不幸と引き換えに自国民だけが助かれば良い」という「一国平和主義、奴隷の平和」の最たるものではないですか。「核廃絶」を通して「搾取・差別・人権抑圧のない、公正で民主的な世界の実現」を目指す国際平和運動の崇高さと比べると、その論理のジコチューさがより際立ちます。
そして、「他人の不幸と引き換えに、自分たちだけのつかの間の安泰を確保する」というその発想ですが、その矛先が何も「他国」だけに向けられている訳ではない事は、既に今までの「負け組の不幸・不公正・犠牲の上に、ごく一部勝ち組のジコチュー平和を確保してきた」自民党政治で嫌と言うほど経験しているではないですか。「ごく一部の人たちの安泰のためには自分が犠牲されても一切文句が無い」という御目出度い人はそれでも良いのでしょうが、少なくとも私はそんなジコチューな世の中はゴメンです。
(参考資料:追記続行中)
・駆けつけ警護に容認論 集団的自衛権、有識者懇で大勢(朝日新聞)
http://www.asahi.com/politics/update/0811/TKY200708110004.html
・武器使用で日本は独自に制約(同上・特集「新戦略を求めて」)
http://www.asahi.com/strategy/0416a.html
・えっ、イラク復興支援っていいことじゃないの?(停戦委員会)
http://www.geocities.com/ceasefire_anet/misc/iraq_fukkou.htm
・柳条湖事件(満州事変勃発)(クリック20世紀)
http://www.c20.jp/1931/09ryujo.html
・元自衛官・佐藤正久参議院議員は即刻辞職せよ!!(アッテンボローの雑記帳)
http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2007/08/post_c9d8.html
・ブロガーは連帯する!~マスメディアは連帯できないのか?佐藤正久発言への対応(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊))
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/f1716eed9c119b74ec350e3429896524
・元自衛官佐藤正久参院議員のトンデモ度(とむ丸の夢)
http://pokoapokotom.blog79.fc2.com/blog-entry-373.html
・〔ツール〕はてなキーワード「佐藤正久」を含む注目エントリー(低気温のエクスタシーbyはなゆー)
http://alcyone.seesaa.net/article/51349575.html
・イラク派兵で暴走しだした「軍の論理」と、「滅びの美学」を追求する「美しい国」内閣?(多文化・多民族・多国籍社会で「人として」)
当該記事のコメント欄に「佐藤正久の行為は当たり屋と同じ」というのがありましたが、正に「言い得て妙!」です。
http://ukiuki.way-nifty.com/hr/2007/08/2007.html
この佐藤正久発言については、与党による言論規制が効いているのか、他メディアが異様に沈黙している中にあって、ネットでは逆に世論が沸騰しています。先程、それらの内の幾つかの記事を上記に追記しましたが、その中でも極め付けは下記記事。イラク人質事件の時に個人バッシングに走ったネットウヨクは、相手が国家権力や軍隊となると、途端に黙ってしまう様です。
・[時事]ヒミツの大計画!(笑) 投稿者:佐藤正久です(猿゛虎゛日記)
>今日はTBSの記者さんに取材されましたよ! ボク(ヒゲの隊長さんね!)が昔考えた、あるとっておきの計画を教えてあげたよ! これってサイコーかも?(笑) 歴史に名前を残す大偉業のような気がする! これはやってみる価値アリだったとおもうね。そのうち日本でもニュースになると思うから、チェックしてね!<(偽・今井メールのノリで)
http://d.hatena.ne.jp/zarudora/20070813/1186989406
今私がバイトで生計を立てている業務請負の現場ですが、やっぱり少し変です。
まず本題に入る前に、今働いている現場について最小限の説明をしておきます。普通、請負会社や派遣会社というのは、業務委託先のメーカーの工場なりスーパーの物流センターに入り込んで、そこで与えられた仕事をするものです(尚、派遣・請負・偽装請負の別については過去拙稿記事を参照の事)。私の働いている会社もあくまでそれが基本形ですが、こと今の配属先に限って言えば少し違うのです。形の上でこそ某大手外食チェーン物流センターの看板こそ上げていますが、実はその土地・建物は請負会社自身の自社所有物件なのです。あくまで請負会社所有の自社倉庫で、某大手外食チェーンの物流業務をメインとしつつも、今やそれだけでは採算が取れないので、謂わば副業の形で、他の異業種企業からもマテハン業務を委託されているのです。今は、当該外食チェーンの冷凍・冷蔵・ドライ食材や関連具材の商品仕分けをメイン業務に据えながら、構内の別フロアでユニクロ衣料やスーパーに卸すパン生地などの仕分けを行っています。
その中でまた新たな副業をやろうとしているのですが、その導入プロセスがもうムチャクチャなのです。新規副業の中身は豆腐の仕分け。恐らく何処かのスーパーに卸す商品なのでしょう。分っているのはその事だけ。どういう商品の形態・荷姿で、どれぐらいの受注量で、どういう作業フローで動くのか、何人の人数で何時間作業すればどれだけ仕分け出来るのか(おそらく午前中半日業務の筈です、そうでなければ今までの通常業務に取りかかれません)、そういう肝心な事が皆目分かっていないのです。そんな状態で、昨日の業務終了後に初めて私たちバイトにその話があって、もう早速本日からその豆腐が入荷して実際に仕分け作業に突入しているのです。私は本日はシフトの休みだったので、その作業は明日が初体験という事になります。
何かムチャクチャ無責任な話でしょう。バイトに説明している当の請負会社の所長も、その所長に話を持ってきた人物も、具体的な事は何も知らないのです。恐らくもっと上の方で採算合わせの都合だけで決まった事を、そのまま下に伝えているだけでしょう。上も上で、その話をもってきた奴も奴ならば、所長も所長です。「自分は具体的な事は何も知らない」などという事をバイトの前で平然と言い、それに対して私やその他のバイトが「もっと具体的な事を教えてくれなければ、意見求められても何も言い様がない」「若しそれで商品破損したり作業員が怪我したらどうするんや」と言うと、所長曰く「もっと前向きに考えてくれ」。
アホかいな。前向きも糞も、こんなデタラメな仕事の仕方があるかい。こんなやり方でそもそも「仕事している」と言えるか。この手の話は、何ヶ月も前に話があって然るべきで、既に社員内部で意思統一が図られた上で、少なくとも数週間前にはバイトにも納得のいく説明をした上で、それで実施に移すのが、普通の会社のする事です。それがもうムチャクチャ「行き当たりばったり」で、それを空虚な精神論・根性論で騙し騙ししてすり抜けようとしているだけじゃないか。会社の無為無策によって生まれた要らぬ苦役を上から下にしわ寄せしているだけじゃないか(まるで今の安倍政権と全く同じw)。
確かに、今のメイン業務量の季節的変動が大きいので(実際、夏・GW・年末の繁忙期と年明けの閑散期とでは手取り8万円ほどの差がある)、その採算の穴を埋めるために取れる仕事はとにかく取ってこようとする、その話も分らなくはないです。しかしそれも程度問題です。今でも荷が勝ちすぎ人がそれに追いついていない状態で、それをどうにかやりくりしながら日常業務を回しているのが現状です。それでどうにかまともな時間に仕事を終わらしている状態なので、構内清掃も在庫整理も人材育成も二の次。そんな事をしているから、冷凍商品を格納忘れで一晩中ほったらかしにしてパレット1枚分全部溶かしてしまったり、作業中にフォークリフトが動かなくなるまでラジエーター切れを放置していたりするのです。
何故こんなモラルハザードに陥るのか。勿論一番根本にあるのは、派遣・請負という雇用形態が原因でしょう。委託先大手企業は派遣・請負会社への業務委託手数料をケチり、派遣・請負会社は会社で委託手数料を極力浮かせようとする。そこで働く社員・バイトの賃金・労働条件をピンハネしながら「仕事が無くなれば食い扶持も無くなる」と脅しつけて。
そうして「見てくれ」だけ取り繕う「行き当たりばったり」の「やっつけ仕事、消耗労働」の繰り返しの中で、「とりあえずその日を乗り越えればそれで良い」「面倒な事、手間隙かかる事(≒根本的な問題解決)は避ける」。だから、職場には進歩も改善も全くなく、十年一日の如く同じ事・同じ失敗の繰り返しで、それでもそれを改めようともせず。それを全て個人差の能力の問題にすり替えて、根性論や精神主義で誤魔化そうとしたり、「誰それは作業が遅い」とか「楽している」とか妬んで、そのくせ、今の社会の仕組みの中で職場の矛盾を捉えてそこから改善していこうとはせず、お互い傷口を舐めあい馴れ合って、「下見て暮らせ傘の下」で鬱憤を晴らしているだけじゃないか。
ウチの会社、確かに表面上は和気藹々としています。事務パートさんがわざわざ麦茶を作って、誰でも飲めるように冷蔵庫に冷やしておいてくれたり(実際、上の方からそういう指導がされている)、メチャメチャ仕事で遅くなった時には夜食でホカ弁の差し入れがあったり(最近はもう殆どなくなったが)。麦茶を作るより冷茶機を設置してくれた方が事務パートも私たちバイトも助かると思いますが、それはさて置いて。それはウチの会社が、今の様な業務請負会社になる前から港湾・建設関係の人夫出し業を営んできた、そういう社歴・社風のようなモノがあるからでしょう。実際、バイトにも有給休暇や社会保険がありますから。本来はそれがごく当たり前の話なのですが、それもひとまず横に置くとして。少なくとも、グッドウィル・フルキャスト・日研総業などの偽装請負会社ほどには酷くはない。
しかしそれも穿った見方をすれば、本当に労働者の人権を考えての事ではなく、単に「見てくれを気にしている」だけに過ぎないからでしょう。有給休暇や社会保険の付与も、国や自治体から睨まれたら煩いからだけでしょう。そうでなければ、あんな「豆腐仕分け」導入時の様なデタラメな態度など、取る筈がありません。
この事は過去の拙稿記事「B層封建オヤジの職場ファシズム」でも取り上げたが、問題はもっと根深い所にあるのではないかと思うようになりました。確かに、そういう退嬰的な職場の中で、自己保身と「下見て暮らせ傘の下」でウサを晴らすしか能の無い社畜・反動職制やB層封建古だぬき自身にも大いに問題がありますが、より根本的には、人を社畜や古だぬきにしてしまっている今の社会の仕組みに問題があるという事を、単に頭の中だけでなく皮膚感覚としても感じ始めています。
これら社畜・古だぬきの、だらしなさ、仕事のいい加減さ、自分には甘く人にはぞんざいで横柄なジコチューさに対して、今まではただ単に「何てジコチューでいい加減な奴らなんだろう」と腹を立て、「少なくとも自分はこの様にはならない」つもりでいましたが、もうそれは止めます。上の会社全体がそういういい加減な流れできている以上、いくら自分だけが個人レベルで努力しようとしても、所詮は無駄な努力にしかなりません。一バイトの身分で、そこまでしてまで資本家と心中する気も更々ありませんし。
少なくとも違法行為や人としても道だけは踏み外さないようにはします。しかし今までみたいに、自分なりに次の作業や全体の事を考えて、その中で自分も楽になるようにと、今まで個人レベルでやってきた業務改善や前段取りの類は、これからは全て止めます。「行き当たりばったり、ぶっつけ本番」のいい加減な仕事ぶりで会社全体が回っている中では、そんな努力や工夫をしても何もなりませんから。
とりあえずその日一日乗り切る努力だけはします。そうしないと仕事が終わらず家にも帰れませんから。しかし、私の努力・工夫はそこまでです。後は会社がどうなろうが知ったこっちゃありません。それ位の気持ちでいないと資本の論理に絡め獲られてしまいます。その中で、賃下げ・労働条件切り下げ・不当労働行為については断固闘い、他の人が闘っている場合にも協力は惜しみません。但し、資本の論理に絡み獲られた社畜・古だぬきによる「下見て暮らせ傘の下」的な不当な言い掛かりに対しては、断固として反撃を加えていくことにします。今でもエアコンも無いドライフロアでの作業と冷蔵・冷蔵エリアでの作業を一日の間に交互に何度も繰り返し、夏場には40度~50度の温度差を一日に何度も身体に受けて、いい加減腰・背中・肩・腕・首にダメージがきているのに、これ以上また新たに何を我慢しろというのか。
その中で、生活保護水準並みの低賃金と引き換えに、我々に「豆腐の仕分け」みたいなデタラメな仕事の仕方や、「腰・背中・肩・腕・首にダメージが来る」ような働き方を強いている元凶たる「派遣・請負」労働そのものについても、それを廃絶・止揚していく道を探っていこうと思っています。
日本のトヨタを始めグローバル資本・国際資本は、今や国家・民族の枠組みを超えて世界市場を相手に金儲けに勤しんでいます。アジア・中東・アフリカ・東欧・中南米と、より低賃金・無権利な労働者と乱獲・乱掘し放題な天然資源を求めて。国際資本が、あくなきコストダウンと労働の間化・疎外化を、全世界の民衆に強いているのです。そして24時間働き尽くめの労働者の搾取の上に、24時間営業コンビニや格安長距離バス・タクシーの「便利さ」や、「安かろう悪かろう」商品の氾濫があるのです。日本ワーキングプアや中国農民工の惨状も、全てはここに由来するのです。
アフガン・イラクのテロにしても、ブッシュ・安倍やアホな右翼は、あれを一握りのテロリストの所為にしたり宗教・民族・文明間の闘いであるかのように言っていますが、より根本的には、「持つ者」と「持たざる者」との経済・社会的格差に起因するものである事ははっきりしています。
そうであるならば、日本や中国・北朝鮮やアフガン・イラクなども含め、全世界の民衆による連帯で、我々に奴隷状態を強いているこの国際規模での戦争と搾取の仕組みを廃絶していく道こそが、現状打開の唯一の道である事は明らかです。「戦争もリストラも人権抑圧もゴメンだ」(拙ブログ)、「核兵器の無い公正な社会を」(2007年原水禁世界大会)、「もう一つの世界は可能だ」(世界社会フォーラム)。これらの呼びかけを具体的に実現していくにはどうすれば良いか、そこまで視野に入れながら、職場の矛盾についても考えていこうと思っています。
この件について助言・忠告・文句などあれば、どうぞコメントをお願いします。
(追記)
前記記事にある「豆腐の仕分け」というのは、中部地方を中心に現在ブームを呼び始めている「すっごい豆腐」の仕分け作業でした。入庫した豆腐を各店舗別に分けて置いておくだけの作業なので、一人でも一時間ぐらいで出来ます。仕分けした商品はその後直ぐに別の業者が引取り某大手スーパーに納めます。完全な通過型物流(在庫が残らない)で、ウチには通過手数料が入る仕組みになっています。
蓋を開けたらそれだけの事でした。最初からきちんと情報開示しておけば何の問題もなかったのに。「自暴自棄になるな」という有難いご忠告も戴いていますのでこれ位にしておきますが、ここで私が言いたかったのは、JIT(ジャスト・イン・タイム)や24時間営業などの「目先・上辺の便利さ」だけを見るのではなく、「そのサービスを底辺で支えている人たちが、一体どういう扱いをされているか」という事にも想いを巡らせて貰いたい」という事です。「必要な情報開示も無く、ただただ顧客に良いようにあしらわれるだけ」というのがその実態ですが、これが果たしてまともな仕事の在り方と言えるのか、という事について。
こんな状況の下では、「契約自由、良貨は悪貨を駆逐する」という市場経済万能論者・新自由主義者や、「今の若者は仕事をただ飯の種としてしか捉えておらず、愛国心や愛社精神の欠片も無い」とお説教を垂れる道徳至上主義者・新保守主義者の言い草が、つくづく空々しく聞こえます。
(参考文献)
ちなみに、格差・貧困・下流労働の構造を暴く好著を、ネット検索でヒットしたものから幾つか紹介。
・ポリー・トインビー・著、椋田直子・訳「ハードワーク 低賃金で働くということ」(東洋経済新報社)
・バーバラ・エーレンライク・著、曽田和子・訳「ニッケル・アンド・ダイムド アメリカ下流社会の現実」(同上)
・雨宮処凛・著「生きさせろ! 難民化する若者たち」(太田出版)
まず本題に入る前に、今働いている現場について最小限の説明をしておきます。普通、請負会社や派遣会社というのは、業務委託先のメーカーの工場なりスーパーの物流センターに入り込んで、そこで与えられた仕事をするものです(尚、派遣・請負・偽装請負の別については過去拙稿記事を参照の事)。私の働いている会社もあくまでそれが基本形ですが、こと今の配属先に限って言えば少し違うのです。形の上でこそ某大手外食チェーン物流センターの看板こそ上げていますが、実はその土地・建物は請負会社自身の自社所有物件なのです。あくまで請負会社所有の自社倉庫で、某大手外食チェーンの物流業務をメインとしつつも、今やそれだけでは採算が取れないので、謂わば副業の形で、他の異業種企業からもマテハン業務を委託されているのです。今は、当該外食チェーンの冷凍・冷蔵・ドライ食材や関連具材の商品仕分けをメイン業務に据えながら、構内の別フロアでユニクロ衣料やスーパーに卸すパン生地などの仕分けを行っています。
その中でまた新たな副業をやろうとしているのですが、その導入プロセスがもうムチャクチャなのです。新規副業の中身は豆腐の仕分け。恐らく何処かのスーパーに卸す商品なのでしょう。分っているのはその事だけ。どういう商品の形態・荷姿で、どれぐらいの受注量で、どういう作業フローで動くのか、何人の人数で何時間作業すればどれだけ仕分け出来るのか(おそらく午前中半日業務の筈です、そうでなければ今までの通常業務に取りかかれません)、そういう肝心な事が皆目分かっていないのです。そんな状態で、昨日の業務終了後に初めて私たちバイトにその話があって、もう早速本日からその豆腐が入荷して実際に仕分け作業に突入しているのです。私は本日はシフトの休みだったので、その作業は明日が初体験という事になります。
何かムチャクチャ無責任な話でしょう。バイトに説明している当の請負会社の所長も、その所長に話を持ってきた人物も、具体的な事は何も知らないのです。恐らくもっと上の方で採算合わせの都合だけで決まった事を、そのまま下に伝えているだけでしょう。上も上で、その話をもってきた奴も奴ならば、所長も所長です。「自分は具体的な事は何も知らない」などという事をバイトの前で平然と言い、それに対して私やその他のバイトが「もっと具体的な事を教えてくれなければ、意見求められても何も言い様がない」「若しそれで商品破損したり作業員が怪我したらどうするんや」と言うと、所長曰く「もっと前向きに考えてくれ」。
アホかいな。前向きも糞も、こんなデタラメな仕事の仕方があるかい。こんなやり方でそもそも「仕事している」と言えるか。この手の話は、何ヶ月も前に話があって然るべきで、既に社員内部で意思統一が図られた上で、少なくとも数週間前にはバイトにも納得のいく説明をした上で、それで実施に移すのが、普通の会社のする事です。それがもうムチャクチャ「行き当たりばったり」で、それを空虚な精神論・根性論で騙し騙ししてすり抜けようとしているだけじゃないか。会社の無為無策によって生まれた要らぬ苦役を上から下にしわ寄せしているだけじゃないか(まるで今の安倍政権と全く同じw)。
確かに、今のメイン業務量の季節的変動が大きいので(実際、夏・GW・年末の繁忙期と年明けの閑散期とでは手取り8万円ほどの差がある)、その採算の穴を埋めるために取れる仕事はとにかく取ってこようとする、その話も分らなくはないです。しかしそれも程度問題です。今でも荷が勝ちすぎ人がそれに追いついていない状態で、それをどうにかやりくりしながら日常業務を回しているのが現状です。それでどうにかまともな時間に仕事を終わらしている状態なので、構内清掃も在庫整理も人材育成も二の次。そんな事をしているから、冷凍商品を格納忘れで一晩中ほったらかしにしてパレット1枚分全部溶かしてしまったり、作業中にフォークリフトが動かなくなるまでラジエーター切れを放置していたりするのです。
何故こんなモラルハザードに陥るのか。勿論一番根本にあるのは、派遣・請負という雇用形態が原因でしょう。委託先大手企業は派遣・請負会社への業務委託手数料をケチり、派遣・請負会社は会社で委託手数料を極力浮かせようとする。そこで働く社員・バイトの賃金・労働条件をピンハネしながら「仕事が無くなれば食い扶持も無くなる」と脅しつけて。
そうして「見てくれ」だけ取り繕う「行き当たりばったり」の「やっつけ仕事、消耗労働」の繰り返しの中で、「とりあえずその日を乗り越えればそれで良い」「面倒な事、手間隙かかる事(≒根本的な問題解決)は避ける」。だから、職場には進歩も改善も全くなく、十年一日の如く同じ事・同じ失敗の繰り返しで、それでもそれを改めようともせず。それを全て個人差の能力の問題にすり替えて、根性論や精神主義で誤魔化そうとしたり、「誰それは作業が遅い」とか「楽している」とか妬んで、そのくせ、今の社会の仕組みの中で職場の矛盾を捉えてそこから改善していこうとはせず、お互い傷口を舐めあい馴れ合って、「下見て暮らせ傘の下」で鬱憤を晴らしているだけじゃないか。
ウチの会社、確かに表面上は和気藹々としています。事務パートさんがわざわざ麦茶を作って、誰でも飲めるように冷蔵庫に冷やしておいてくれたり(実際、上の方からそういう指導がされている)、メチャメチャ仕事で遅くなった時には夜食でホカ弁の差し入れがあったり(最近はもう殆どなくなったが)。麦茶を作るより冷茶機を設置してくれた方が事務パートも私たちバイトも助かると思いますが、それはさて置いて。それはウチの会社が、今の様な業務請負会社になる前から港湾・建設関係の人夫出し業を営んできた、そういう社歴・社風のようなモノがあるからでしょう。実際、バイトにも有給休暇や社会保険がありますから。本来はそれがごく当たり前の話なのですが、それもひとまず横に置くとして。少なくとも、グッドウィル・フルキャスト・日研総業などの偽装請負会社ほどには酷くはない。
しかしそれも穿った見方をすれば、本当に労働者の人権を考えての事ではなく、単に「見てくれを気にしている」だけに過ぎないからでしょう。有給休暇や社会保険の付与も、国や自治体から睨まれたら煩いからだけでしょう。そうでなければ、あんな「豆腐仕分け」導入時の様なデタラメな態度など、取る筈がありません。
この事は過去の拙稿記事「B層封建オヤジの職場ファシズム」でも取り上げたが、問題はもっと根深い所にあるのではないかと思うようになりました。確かに、そういう退嬰的な職場の中で、自己保身と「下見て暮らせ傘の下」でウサを晴らすしか能の無い社畜・反動職制やB層封建古だぬき自身にも大いに問題がありますが、より根本的には、人を社畜や古だぬきにしてしまっている今の社会の仕組みに問題があるという事を、単に頭の中だけでなく皮膚感覚としても感じ始めています。
これら社畜・古だぬきの、だらしなさ、仕事のいい加減さ、自分には甘く人にはぞんざいで横柄なジコチューさに対して、今まではただ単に「何てジコチューでいい加減な奴らなんだろう」と腹を立て、「少なくとも自分はこの様にはならない」つもりでいましたが、もうそれは止めます。上の会社全体がそういういい加減な流れできている以上、いくら自分だけが個人レベルで努力しようとしても、所詮は無駄な努力にしかなりません。一バイトの身分で、そこまでしてまで資本家と心中する気も更々ありませんし。
少なくとも違法行為や人としても道だけは踏み外さないようにはします。しかし今までみたいに、自分なりに次の作業や全体の事を考えて、その中で自分も楽になるようにと、今まで個人レベルでやってきた業務改善や前段取りの類は、これからは全て止めます。「行き当たりばったり、ぶっつけ本番」のいい加減な仕事ぶりで会社全体が回っている中では、そんな努力や工夫をしても何もなりませんから。
とりあえずその日一日乗り切る努力だけはします。そうしないと仕事が終わらず家にも帰れませんから。しかし、私の努力・工夫はそこまでです。後は会社がどうなろうが知ったこっちゃありません。それ位の気持ちでいないと資本の論理に絡め獲られてしまいます。その中で、賃下げ・労働条件切り下げ・不当労働行為については断固闘い、他の人が闘っている場合にも協力は惜しみません。但し、資本の論理に絡み獲られた社畜・古だぬきによる「下見て暮らせ傘の下」的な不当な言い掛かりに対しては、断固として反撃を加えていくことにします。今でもエアコンも無いドライフロアでの作業と冷蔵・冷蔵エリアでの作業を一日の間に交互に何度も繰り返し、夏場には40度~50度の温度差を一日に何度も身体に受けて、いい加減腰・背中・肩・腕・首にダメージがきているのに、これ以上また新たに何を我慢しろというのか。
その中で、生活保護水準並みの低賃金と引き換えに、我々に「豆腐の仕分け」みたいなデタラメな仕事の仕方や、「腰・背中・肩・腕・首にダメージが来る」ような働き方を強いている元凶たる「派遣・請負」労働そのものについても、それを廃絶・止揚していく道を探っていこうと思っています。
日本のトヨタを始めグローバル資本・国際資本は、今や国家・民族の枠組みを超えて世界市場を相手に金儲けに勤しんでいます。アジア・中東・アフリカ・東欧・中南米と、より低賃金・無権利な労働者と乱獲・乱掘し放題な天然資源を求めて。国際資本が、あくなきコストダウンと労働の間化・疎外化を、全世界の民衆に強いているのです。そして24時間働き尽くめの労働者の搾取の上に、24時間営業コンビニや格安長距離バス・タクシーの「便利さ」や、「安かろう悪かろう」商品の氾濫があるのです。日本ワーキングプアや中国農民工の惨状も、全てはここに由来するのです。
アフガン・イラクのテロにしても、ブッシュ・安倍やアホな右翼は、あれを一握りのテロリストの所為にしたり宗教・民族・文明間の闘いであるかのように言っていますが、より根本的には、「持つ者」と「持たざる者」との経済・社会的格差に起因するものである事ははっきりしています。
そうであるならば、日本や中国・北朝鮮やアフガン・イラクなども含め、全世界の民衆による連帯で、我々に奴隷状態を強いているこの国際規模での戦争と搾取の仕組みを廃絶していく道こそが、現状打開の唯一の道である事は明らかです。「戦争もリストラも人権抑圧もゴメンだ」(拙ブログ)、「核兵器の無い公正な社会を」(2007年原水禁世界大会)、「もう一つの世界は可能だ」(世界社会フォーラム)。これらの呼びかけを具体的に実現していくにはどうすれば良いか、そこまで視野に入れながら、職場の矛盾についても考えていこうと思っています。
この件について助言・忠告・文句などあれば、どうぞコメントをお願いします。
(追記)
前記記事にある「豆腐の仕分け」というのは、中部地方を中心に現在ブームを呼び始めている「すっごい豆腐」の仕分け作業でした。入庫した豆腐を各店舗別に分けて置いておくだけの作業なので、一人でも一時間ぐらいで出来ます。仕分けした商品はその後直ぐに別の業者が引取り某大手スーパーに納めます。完全な通過型物流(在庫が残らない)で、ウチには通過手数料が入る仕組みになっています。
蓋を開けたらそれだけの事でした。最初からきちんと情報開示しておけば何の問題もなかったのに。「自暴自棄になるな」という有難いご忠告も戴いていますのでこれ位にしておきますが、ここで私が言いたかったのは、JIT(ジャスト・イン・タイム)や24時間営業などの「目先・上辺の便利さ」だけを見るのではなく、「そのサービスを底辺で支えている人たちが、一体どういう扱いをされているか」という事にも想いを巡らせて貰いたい」という事です。「必要な情報開示も無く、ただただ顧客に良いようにあしらわれるだけ」というのがその実態ですが、これが果たしてまともな仕事の在り方と言えるのか、という事について。
こんな状況の下では、「契約自由、良貨は悪貨を駆逐する」という市場経済万能論者・新自由主義者や、「今の若者は仕事をただ飯の種としてしか捉えておらず、愛国心や愛社精神の欠片も無い」とお説教を垂れる道徳至上主義者・新保守主義者の言い草が、つくづく空々しく聞こえます。
(参考文献)
ちなみに、格差・貧困・下流労働の構造を暴く好著を、ネット検索でヒットしたものから幾つか紹介。
・ポリー・トインビー・著、椋田直子・訳「ハードワーク 低賃金で働くということ」(東洋経済新報社)
・バーバラ・エーレンライク・著、曽田和子・訳「ニッケル・アンド・ダイムド アメリカ下流社会の現実」(同上)
・雨宮処凛・著「生きさせろ! 難民化する若者たち」(太田出版)
・首相、原爆症認定基準見直しを表明(産経新聞)
6日の広島原爆の日を前に、安倍晋三首相は5日、広島市内のホテルで被爆者団体の代表らと面会し、「原爆症認定のあり方については、専門家の判断の下、見直しを検討したい」と表明した。原爆症認定をめぐる集団訴訟では、国の認定基準の妥当性が次々と否定され、国側は6連敗中。首相の発言は認定基準の見直しに踏み込むことで訴訟の早期決着に道を開き、被爆者救済策の充実を目指したものだ。(以上引用)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070805/shs070805001.htm
・原爆症認定訴訟:熊本地裁判決に国が控訴 原告ら反発(毎日新聞)
原爆症の認定申請を却下された被爆者が国に処分取り消しを求めている訴訟で、国は10日、原告21人のうち19人を原爆症と認めた熊本地裁判決(7月30日)を不服として控訴した。原爆症認定を巡っては、安倍晋三首相の指示を受けた厚生労働省が基準見直しに向けて近く検討会を発足させるが、訴訟については「科学的知見で異なる点があり、過去の判決を合わせても統一的な考え方が示されていないため、上級審の判断を仰ぐことが必要」と説明している。(以上引用)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070811k0000m040129000c.html
「原爆投下しょうがない」久間発言がダメ押しとなって、当初は楽勝と思われていた参院選長崎選挙区でも自民党候補がボロ負け。慌てた安倍は急遽被爆者代表との会見をセッティングし、原爆症認定基準の見直しに踏み出す事を約束しました。しかし国の本音は全然違いました。原爆症認定訴訟原告勝訴の熊本地裁判決に対しても再び控訴を申し立てたのです。それが前段と後段の引用記事の内容です。
従軍慰安婦や沖縄戦集団自決の場合などと同様に、戦争の被害・加害事実を軽く見積もろう、当事者が死に絶えるのを待って完全に隠蔽してしまおう、そうして「戦後レジーム脱却」への障害を取り除こう―そういう考えで為されてきたとしか思えない程、恣意的で現実離れした認定基準で以って、現存被爆者26万人のうちの僅か2千人余しか原爆症患者として認定されない仕組みが、今まで作られて来ました。その中で、被爆直後に広島・長崎入りした入市被爆者や、爆心地から半径僅か2kmより外で被爆した「遠距離」被爆者、被爆二世・三世世代などは、「黒い雨」・残留放射能・体内被曝の影響を悉く無視されて、原爆症認定から完全に排除されてきました。
そういう国の恣意的な原爆症認定姿勢を糾したのが、1988年の長崎原爆松谷訴訟に始る原爆症集団認定訴訟です。直近の熊本地裁判決を含め今までの6度の集団訴訟で、いずれも原告勝訴の判決が出ています。それに対して国は、悉く控訴で対抗してきました。
今回も、人気挽回狙いの彌縫策が見え見えの、たった15分の被爆者との会見で、一体何を言ったのかと思えば、単なるリップサービスのみに終始して。その一方で「裁判と見直しは別」と釘を刺す(冷水をぶっかける)用心深さだけは、きっちり忘れずに。
しかも、その直後に控訴とは。「あの小泉ですらも」ハンセン病熊本地裁判決を機に国の控訴を取り下げ、後にハンセン病患者が隔離終結・名誉回復・社会復帰への道を切り開く契機を作ったというのに。そんな事なら、最初からお為ごかしの被爆者会見などするな!
※記事標題にあるKYとは「空気(K)が読めない(Y)」の略で、安倍首相の今の姿を揶揄したものとして、ネットで使われている表現なのだそうです。やはり考える事はみんな同じようです。
(参考資料)
・原爆症認定訴訟(同集団訴訟弁護団公式サイト)
http://www.genbaku.jp/
・原爆症認定集団訴訟・勝利を呼ぶ座り込み(民間の被爆者支援ブログ)
http://yaplog.jp/hibakusya/
・日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)公式HP
http://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/
6日の広島原爆の日を前に、安倍晋三首相は5日、広島市内のホテルで被爆者団体の代表らと面会し、「原爆症認定のあり方については、専門家の判断の下、見直しを検討したい」と表明した。原爆症認定をめぐる集団訴訟では、国の認定基準の妥当性が次々と否定され、国側は6連敗中。首相の発言は認定基準の見直しに踏み込むことで訴訟の早期決着に道を開き、被爆者救済策の充実を目指したものだ。(以上引用)
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070805/shs070805001.htm
・原爆症認定訴訟:熊本地裁判決に国が控訴 原告ら反発(毎日新聞)
原爆症の認定申請を却下された被爆者が国に処分取り消しを求めている訴訟で、国は10日、原告21人のうち19人を原爆症と認めた熊本地裁判決(7月30日)を不服として控訴した。原爆症認定を巡っては、安倍晋三首相の指示を受けた厚生労働省が基準見直しに向けて近く検討会を発足させるが、訴訟については「科学的知見で異なる点があり、過去の判決を合わせても統一的な考え方が示されていないため、上級審の判断を仰ぐことが必要」と説明している。(以上引用)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070811k0000m040129000c.html
「原爆投下しょうがない」久間発言がダメ押しとなって、当初は楽勝と思われていた参院選長崎選挙区でも自民党候補がボロ負け。慌てた安倍は急遽被爆者代表との会見をセッティングし、原爆症認定基準の見直しに踏み出す事を約束しました。しかし国の本音は全然違いました。原爆症認定訴訟原告勝訴の熊本地裁判決に対しても再び控訴を申し立てたのです。それが前段と後段の引用記事の内容です。
従軍慰安婦や沖縄戦集団自決の場合などと同様に、戦争の被害・加害事実を軽く見積もろう、当事者が死に絶えるのを待って完全に隠蔽してしまおう、そうして「戦後レジーム脱却」への障害を取り除こう―そういう考えで為されてきたとしか思えない程、恣意的で現実離れした認定基準で以って、現存被爆者26万人のうちの僅か2千人余しか原爆症患者として認定されない仕組みが、今まで作られて来ました。その中で、被爆直後に広島・長崎入りした入市被爆者や、爆心地から半径僅か2kmより外で被爆した「遠距離」被爆者、被爆二世・三世世代などは、「黒い雨」・残留放射能・体内被曝の影響を悉く無視されて、原爆症認定から完全に排除されてきました。
そういう国の恣意的な原爆症認定姿勢を糾したのが、1988年の長崎原爆松谷訴訟に始る原爆症集団認定訴訟です。直近の熊本地裁判決を含め今までの6度の集団訴訟で、いずれも原告勝訴の判決が出ています。それに対して国は、悉く控訴で対抗してきました。
今回も、人気挽回狙いの彌縫策が見え見えの、たった15分の被爆者との会見で、一体何を言ったのかと思えば、単なるリップサービスのみに終始して。その一方で「裁判と見直しは別」と釘を刺す(冷水をぶっかける)用心深さだけは、きっちり忘れずに。
しかも、その直後に控訴とは。「あの小泉ですらも」ハンセン病熊本地裁判決を機に国の控訴を取り下げ、後にハンセン病患者が隔離終結・名誉回復・社会復帰への道を切り開く契機を作ったというのに。そんな事なら、最初からお為ごかしの被爆者会見などするな!
※記事標題にあるKYとは「空気(K)が読めない(Y)」の略で、安倍首相の今の姿を揶揄したものとして、ネットで使われている表現なのだそうです。やはり考える事はみんな同じようです。
(参考資料)
・原爆症認定訴訟(同集団訴訟弁護団公式サイト)
http://www.genbaku.jp/
・原爆症認定集団訴訟・勝利を呼ぶ座り込み(民間の被爆者支援ブログ)
http://yaplog.jp/hibakusya/
・日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)公式HP
http://www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/
●エグゼンプション外す/厚労省の重点政策 与党大敗受け(しんぶん赤旗)
厚生労働省は九日の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)に、長時間労働野放しのホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入を除外した来年度の労働政策の重点事項を提出しました。一日八時間・週四十時間の労働時間の規制を除外し、何時間働かせても、残業代も払わずにすむ制度です。
昨年の審議会で労働者委員の反対を押し切って報告書に盛り込みましたが、国民の猛反対にあい、今春の通常国会への法案提出を断念。自民・公明の与党は参院選後にも提出を狙う構えでしたが大敗し、エグゼンプション反対を掲げた野党が多数を占めたことから、除外に追い込まれたものです。
しかし、財界・大企業は経済財政諮問会議や規制改革会議で導入を強く求めており、完全に断念させるたたかいが引き続き焦点になっています。(以上引用)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-10/2007081002_02_0.html
●<靖国参拝>8・15は全閣僚が見送り 政権弱体化を象徴?(毎日新聞)
安倍内閣の全閣僚が10日、そろって終戦記念日(15日)の靖国神社参拝を見送る考えを明らかにしたのは、参院選惨敗による政権弱体化で、国内外の摩擦を少しでも避ける必要に迫られている事情が大きい。中国などの反発を承知で小泉純一郎首相(当時)が参拝に踏み切った昨年とは打って変わり、今年の「8・15」は身動きの取れない安倍政権を象徴している。(以下中略)
安倍首相は就任後から、近隣諸国に配慮した方が政権にとって得策との判断で参拝を控えているが、元々は首相参拝を強力に主張してきた。参院選ではこうした「安倍カラー」は支持されず、首相周辺は「当面、首相が参拝する環境にはない」という。政権維持の瀬戸際にある首相に、各閣僚も「右へならえせざるを得ない」(政府関係者)のが実情のようだ。(以上引用)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070811k0000m010156000c.html
差し詰め「先の参院選で示された民意が早速政治の世界にも影響を及ぼしつつある」といった所でしょうか。7月30日付の私のコメント「真の勝利者は民主党ではなく反自公に投票した人民です」でも言及した「政治家に対する民衆圧力」が、次第にその力を発揮し始めたようです。勿論、小泉・安倍政治の改憲・新自由主義路線は、アナクロニズムの靖国派政治家のみならず米国・国際資本の意向をも反映したものですから、当然反動も揺り戻しもあるでしょう。「それをどう乗り越えていくか」という点で、民衆の力が試されているのです。
しかし、前段の「労政審のホワイトカラー・エグゼンプション導入除外」ニュースについて、これを一旦はウェブ上にアップした筈の朝日・毎日などの一般商業メディアが、早々に記事をウェブ上から削除したのは、一体何故なのでしょうか(ネット検索で見出しはヒットするものの記事本体は悉く削除されている)。穿った見方をすれば、後段の「全閣僚の靖国参拝見送り」ニュースについては、これは「反日圧力」「ウヨ・サヨ」云々のレベルに貶めてヘイトスピーチの具にしたい靖国派にとっても格好の燃料補給になるが、前者の「ホワイトカラー・エグゼンプション」については、それをいくら煽っても「寝た子を起こす」事にしかならないからなのでしょうか。
厚生労働省は九日の労働政策審議会(厚労相の諮問機関)に、長時間労働野放しのホワイトカラー・エグゼンプション制度の導入を除外した来年度の労働政策の重点事項を提出しました。一日八時間・週四十時間の労働時間の規制を除外し、何時間働かせても、残業代も払わずにすむ制度です。
昨年の審議会で労働者委員の反対を押し切って報告書に盛り込みましたが、国民の猛反対にあい、今春の通常国会への法案提出を断念。自民・公明の与党は参院選後にも提出を狙う構えでしたが大敗し、エグゼンプション反対を掲げた野党が多数を占めたことから、除外に追い込まれたものです。
しかし、財界・大企業は経済財政諮問会議や規制改革会議で導入を強く求めており、完全に断念させるたたかいが引き続き焦点になっています。(以上引用)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-08-10/2007081002_02_0.html
●<靖国参拝>8・15は全閣僚が見送り 政権弱体化を象徴?(毎日新聞)
安倍内閣の全閣僚が10日、そろって終戦記念日(15日)の靖国神社参拝を見送る考えを明らかにしたのは、参院選惨敗による政権弱体化で、国内外の摩擦を少しでも避ける必要に迫られている事情が大きい。中国などの反発を承知で小泉純一郎首相(当時)が参拝に踏み切った昨年とは打って変わり、今年の「8・15」は身動きの取れない安倍政権を象徴している。(以下中略)
安倍首相は就任後から、近隣諸国に配慮した方が政権にとって得策との判断で参拝を控えているが、元々は首相参拝を強力に主張してきた。参院選ではこうした「安倍カラー」は支持されず、首相周辺は「当面、首相が参拝する環境にはない」という。政権維持の瀬戸際にある首相に、各閣僚も「右へならえせざるを得ない」(政府関係者)のが実情のようだ。(以上引用)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070811k0000m010156000c.html
差し詰め「先の参院選で示された民意が早速政治の世界にも影響を及ぼしつつある」といった所でしょうか。7月30日付の私のコメント「真の勝利者は民主党ではなく反自公に投票した人民です」でも言及した「政治家に対する民衆圧力」が、次第にその力を発揮し始めたようです。勿論、小泉・安倍政治の改憲・新自由主義路線は、アナクロニズムの靖国派政治家のみならず米国・国際資本の意向をも反映したものですから、当然反動も揺り戻しもあるでしょう。「それをどう乗り越えていくか」という点で、民衆の力が試されているのです。
しかし、前段の「労政審のホワイトカラー・エグゼンプション導入除外」ニュースについて、これを一旦はウェブ上にアップした筈の朝日・毎日などの一般商業メディアが、早々に記事をウェブ上から削除したのは、一体何故なのでしょうか(ネット検索で見出しはヒットするものの記事本体は悉く削除されている)。穿った見方をすれば、後段の「全閣僚の靖国参拝見送り」ニュースについては、これは「反日圧力」「ウヨ・サヨ」云々のレベルに貶めてヘイトスピーチの具にしたい靖国派にとっても格好の燃料補給になるが、前者の「ホワイトカラー・エグゼンプション」については、それをいくら煽っても「寝た子を起こす」事にしかならないからなのでしょうか。
今回参院選での与党惨敗理由については、米国コロンビア大学のジェラルド・カーチス教授が7月30日に外国特派員協会で語ったように、(1)年金問題などでの安倍首相の指導力の無さ、(2)「戦後レジームからの脱却」という安倍政権の方針と、格差拡大・年金問題・度重なる閣僚失言や不祥事に怒る国民感情との乖離、(3)地方・弱者切り捨ての小泉政治をそのまま継承している安倍政権への批判―以上の3点で以って有権者は安倍政権を拒否したとする見方が、一番的を得ていると思います。
要するに「国民が何を今一番求めているかが分らず、現実の国民生活の困窮に対しても自分の身に即して考える事が出来ない政権・与党だったから、あのような結果になった」という事です。
ただ、世間にはまた全然違う見方をする人もいるようです。「拉致問題や国防・安全保障から比べると、年金問題や閣僚失言などは取るに足らないもの」「安倍・与党批判は、北朝鮮や中国の仕掛ける反日戦略の一環であり、拉致被害者家族を貶めるもの」「安倍内閣は、そういう反日策動に足元を掬われたのだ」という様な見方をする人たちがそれです。
しかしまあ、「年金問題などは国防や拉致問題と比べると取るに足らないもの」「安倍・与党批判は拉致被害者家族を貶めるもの」・・・ですか。何か、ものすごい言い様ですね。
そもそも、日本の年金問題や格差・貧困問題などと北朝鮮・拉致問題が、一体どういう繋がりがあるのかが、全然分りません。それぞれ全く違う次元の問題です。それを無理やり結びつけて、「年金や格差などという”瑣末”な事柄に目くじらを立てて、国や政権の悪口を言うとはケシカラン、愛国心が欠けておる」などと一方的に言われてもねえ。
何故、安倍政権や自民党が、こんなにみんなから総スカンを食い、今や内閣支持率22%(FNN最新世論調査)の惨状にまで立ち至っているかと言えば、偏にこの政権の「表向き言っている事」と「実際にやっている事」の隔たりが、余りにも大き過ぎるからです。だから「国民をバカにするのもいい加減しろ!」とみんな怒っているのです。
国民に偉そうに愛国心や道徳教育の説教を垂れながら、当の自分たちのやってきた事は一体何ですか。教育基本法改悪の時のやらせミーティングを手始めに、人には耐乏生活を説く政府税調会長が自分の愛人を政府宿舎に住まわせたり、人を「機械」呼ばわりしたり、「原爆投下しょうがない」発言で被爆者の方の感情を逆撫でしたりとか、人を人とも思わない言動を閣僚が繰り返す。
「美しい国」とか「教育再生」とかいう奇麗事の陰で、国・企業の言いなりになる受験エリートの育成のみに重点が置かれ、学力テスト対策で通常授業や学校行事を潰して過去の出題問題ばかりやらせたり、成績の悪い子には当日欠席を指示したり。
その「美しい国」とタイアップした「希望の国」とかいう奇麗事の陰で、悪徳派遣企業を規制緩和で甘やかし、偽装請負や、介護報酬や派遣給与のピンハネを事実上黙認してきたり。ホワイトカラー・エグゼンプション導入を企んでサラリーマンを無限仕事地獄に叩き落そうと画策したり。その挙句にネットカフェ難民や介護・医療難民や、無理やり生活保護を辞退させられて「おにぎり食べたい」と言って餓死した人まで生み出して。
そんな国民生活の困窮を尻目に、事務所経費の二重計上はするわ、領収書コピーの使い回しはするわ、そのくせ、それを指摘されると「自分だけがやっているのではない」だとか言ってはぐらかすばかりで、経費公開で自ら疑惑を晴らそうとは絶対にせず。
そんな政治を思いっきりしておいて、その挙句に年金問題や住民税・消費税増税問題で止めをさされて。そのくせ、いざ選挙が近づいてくると、なりふり構わず誰でも候補に擁立したり、党利党略だけで国会会期や投票日を好き勝手に延ばしたりと、往生際の悪さ際立つ事もこの上なし。これの一体何処が「美しい国」「希望の国」なのか。公徳心や遵法精神が一番欠けているのは、自分たち首相・閣僚や財界のお偉方ではないですか。
そういう気持ちで反安倍・反自公に投票した人が大半なのです。今回は保守地盤の東北・九州・四国でも地方格差・農業切り捨てへの怒りが噴出し、とりわけ期日前投票者が激増した地域で悉く与党が大敗した事が、それを何よりもよく物語っています。これの一体何処が「瑣末」な問題なのですか。何故「拉致被害者を貶める」事になるのですか。何故「北朝鮮の手先」となるのですか。
「従軍慰安婦の問題には涙するくせに拉致被害者の問題には涙しないのか?」と、これらの人たちは、今まで事在る毎に言ってきました。しかし、これらの人たちも、自分たちの周囲に実際に起こっている生活破壊については見ようともせず涙もせず、それどころか「瑣末な問題」だの「反日」だのと決め付けて当事者を貶めている点では、全く同じ事では無いでしょうか。
それどころか、これらの人たちの中には、「当の拉致被害者の事も本当に分っているのだろうか」という疑念すら抱かせるような言動も過去にしてきた輩もいます。私が2004年10月の「救う会大阪」集会に参加した時のレポートの中で、会場での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱について、「拉致問題の中にこれらの問題まで一方的に持ち込んでくるのは大衆運動の在り方として疑問に思う」と書いた事に対して、他の掲示板で執拗に絡んできた輩がいました。しかしその後の経過はどうだったのか。当の拉致被害者家族の中から、この様な「救う会大阪」の集会運営の在り方に対して疑問の声が出てきて、それが一つの契機となって「救う会大阪」はその後「大阪ブルーリボンの会」に改組を余儀なくされたのではなかったのでしょうか。
そう言えば、2002年917以後の在日コリアン・バッシングや2004年のイラク日本人人質バッシングの時にも、横田夫妻がバッシング被害者の事を慮るメッセージを発したのとは対照的に、これらの輩は、当時ネットで薄汚いヘイトスピーチをさんざっぱら満展開していました。
「年金などは取るに足らない問題」「安倍・与党批判は拉致被害者家族を貶めるもの」という言説については、幾ら何でもあんまりだと思ったので、その旨のメールを、実は既にある「救う会」関係者の方にも送っています。先日その方から真摯なお返事を戴きました。その方は、「確かに安倍首相は拉致問題では一定の新天地を切り開いた人だが、その他の外交・内政問題では問題が多すぎる」「そういう意味では、所詮は安倍さんも古いタイプの自民党の代表者でしかなく、やがては淘汰されるべき運命に在る、先の参院選の結果はその証左だった」「今後は北朝鮮・拉致問題は普遍的な人権問題として取り組まれるべき時期に来ているのであって、いくら時の政権党が人気浮揚策として利用しようとしても、もうそれだけでは国民は振り向かなくなっている」という意味の事を述べられていました。
メールで実際やり取もして、その中で私の言いたい事も一定伝える事が出来たので、もうこの件は済んだ問題ではありますが、それでも「取るに足らない」だの「拉致被害者を貶める」だのいう言説については、ちょっと許せないものを今でも感じていますので、敢えてブログ記事として公開する事にしました。
要するに「国民が何を今一番求めているかが分らず、現実の国民生活の困窮に対しても自分の身に即して考える事が出来ない政権・与党だったから、あのような結果になった」という事です。
ただ、世間にはまた全然違う見方をする人もいるようです。「拉致問題や国防・安全保障から比べると、年金問題や閣僚失言などは取るに足らないもの」「安倍・与党批判は、北朝鮮や中国の仕掛ける反日戦略の一環であり、拉致被害者家族を貶めるもの」「安倍内閣は、そういう反日策動に足元を掬われたのだ」という様な見方をする人たちがそれです。
しかしまあ、「年金問題などは国防や拉致問題と比べると取るに足らないもの」「安倍・与党批判は拉致被害者家族を貶めるもの」・・・ですか。何か、ものすごい言い様ですね。
そもそも、日本の年金問題や格差・貧困問題などと北朝鮮・拉致問題が、一体どういう繋がりがあるのかが、全然分りません。それぞれ全く違う次元の問題です。それを無理やり結びつけて、「年金や格差などという”瑣末”な事柄に目くじらを立てて、国や政権の悪口を言うとはケシカラン、愛国心が欠けておる」などと一方的に言われてもねえ。
何故、安倍政権や自民党が、こんなにみんなから総スカンを食い、今や内閣支持率22%(FNN最新世論調査)の惨状にまで立ち至っているかと言えば、偏にこの政権の「表向き言っている事」と「実際にやっている事」の隔たりが、余りにも大き過ぎるからです。だから「国民をバカにするのもいい加減しろ!」とみんな怒っているのです。
国民に偉そうに愛国心や道徳教育の説教を垂れながら、当の自分たちのやってきた事は一体何ですか。教育基本法改悪の時のやらせミーティングを手始めに、人には耐乏生活を説く政府税調会長が自分の愛人を政府宿舎に住まわせたり、人を「機械」呼ばわりしたり、「原爆投下しょうがない」発言で被爆者の方の感情を逆撫でしたりとか、人を人とも思わない言動を閣僚が繰り返す。
「美しい国」とか「教育再生」とかいう奇麗事の陰で、国・企業の言いなりになる受験エリートの育成のみに重点が置かれ、学力テスト対策で通常授業や学校行事を潰して過去の出題問題ばかりやらせたり、成績の悪い子には当日欠席を指示したり。
その「美しい国」とタイアップした「希望の国」とかいう奇麗事の陰で、悪徳派遣企業を規制緩和で甘やかし、偽装請負や、介護報酬や派遣給与のピンハネを事実上黙認してきたり。ホワイトカラー・エグゼンプション導入を企んでサラリーマンを無限仕事地獄に叩き落そうと画策したり。その挙句にネットカフェ難民や介護・医療難民や、無理やり生活保護を辞退させられて「おにぎり食べたい」と言って餓死した人まで生み出して。
そんな国民生活の困窮を尻目に、事務所経費の二重計上はするわ、領収書コピーの使い回しはするわ、そのくせ、それを指摘されると「自分だけがやっているのではない」だとか言ってはぐらかすばかりで、経費公開で自ら疑惑を晴らそうとは絶対にせず。
そんな政治を思いっきりしておいて、その挙句に年金問題や住民税・消費税増税問題で止めをさされて。そのくせ、いざ選挙が近づいてくると、なりふり構わず誰でも候補に擁立したり、党利党略だけで国会会期や投票日を好き勝手に延ばしたりと、往生際の悪さ際立つ事もこの上なし。これの一体何処が「美しい国」「希望の国」なのか。公徳心や遵法精神が一番欠けているのは、自分たち首相・閣僚や財界のお偉方ではないですか。
そういう気持ちで反安倍・反自公に投票した人が大半なのです。今回は保守地盤の東北・九州・四国でも地方格差・農業切り捨てへの怒りが噴出し、とりわけ期日前投票者が激増した地域で悉く与党が大敗した事が、それを何よりもよく物語っています。これの一体何処が「瑣末」な問題なのですか。何故「拉致被害者を貶める」事になるのですか。何故「北朝鮮の手先」となるのですか。
「従軍慰安婦の問題には涙するくせに拉致被害者の問題には涙しないのか?」と、これらの人たちは、今まで事在る毎に言ってきました。しかし、これらの人たちも、自分たちの周囲に実際に起こっている生活破壊については見ようともせず涙もせず、それどころか「瑣末な問題」だの「反日」だのと決め付けて当事者を貶めている点では、全く同じ事では無いでしょうか。
それどころか、これらの人たちの中には、「当の拉致被害者の事も本当に分っているのだろうか」という疑念すら抱かせるような言動も過去にしてきた輩もいます。私が2004年10月の「救う会大阪」集会に参加した時のレポートの中で、会場での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱について、「拉致問題の中にこれらの問題まで一方的に持ち込んでくるのは大衆運動の在り方として疑問に思う」と書いた事に対して、他の掲示板で執拗に絡んできた輩がいました。しかしその後の経過はどうだったのか。当の拉致被害者家族の中から、この様な「救う会大阪」の集会運営の在り方に対して疑問の声が出てきて、それが一つの契機となって「救う会大阪」はその後「大阪ブルーリボンの会」に改組を余儀なくされたのではなかったのでしょうか。
そう言えば、2002年917以後の在日コリアン・バッシングや2004年のイラク日本人人質バッシングの時にも、横田夫妻がバッシング被害者の事を慮るメッセージを発したのとは対照的に、これらの輩は、当時ネットで薄汚いヘイトスピーチをさんざっぱら満展開していました。
「年金などは取るに足らない問題」「安倍・与党批判は拉致被害者家族を貶めるもの」という言説については、幾ら何でもあんまりだと思ったので、その旨のメールを、実は既にある「救う会」関係者の方にも送っています。先日その方から真摯なお返事を戴きました。その方は、「確かに安倍首相は拉致問題では一定の新天地を切り開いた人だが、その他の外交・内政問題では問題が多すぎる」「そういう意味では、所詮は安倍さんも古いタイプの自民党の代表者でしかなく、やがては淘汰されるべき運命に在る、先の参院選の結果はその証左だった」「今後は北朝鮮・拉致問題は普遍的な人権問題として取り組まれるべき時期に来ているのであって、いくら時の政権党が人気浮揚策として利用しようとしても、もうそれだけでは国民は振り向かなくなっている」という意味の事を述べられていました。
メールで実際やり取もして、その中で私の言いたい事も一定伝える事が出来たので、もうこの件は済んだ問題ではありますが、それでも「取るに足らない」だの「拉致被害者を貶める」だのいう言説については、ちょっと許せないものを今でも感じていますので、敢えてブログ記事として公開する事にしました。
(転載開始)
平 和 宣 言
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
2007年(平成19年)8月6日
広島市長 秋 葉 忠 利
(転載終了)
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html
今日も普段と変らない喧騒の中で仕事が終わり、職場では誰も何も話題にしませんでしたし、私もわざわざ自分から話かけたりしませんでしたが、今日は62年目の広島原爆祈念日です。遅ればせながら、1分間黙祷。
「時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けている」「しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。」
確かに現実に目を転じれば、内戦・内紛・人権抑圧が今も其処彼処に起こっているのは事実です。しかし同時に、それを解決しようとする動きが進んできたのも事実です。植民地の独立、普通選挙権、男女平等、8時間労働制、社会保障、人権規定の広がり、等々。戦前の明治憲法下の天皇制・帝国主義国家から日本国憲法下のブルジョア民主主義国家に移行したこの日本が、その良い例です。
その到達点を踏まえた上で、現存する未解決の問題についても、それをどういう立場から打開しようとしているのかが、今、問われているのです。仮に為政者の「力の支配」に阿り寄りかかる事で、自分たちだけのつかの間の「平和」が得られたとしても、そんな「平和」は、為政者の都合でどうにでもなる「奴隷の平和」でしかありません。「力の支配を奉ずる前時代の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定する」のではなく、「悲しみや痛みから教訓を学び取って、人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそう」としてこそ、「奴隷の平和」ではない「真の平和」に向かって初めて前進できるのです。
(参考記事・資料)
・広島「原爆の日」、平和記念式典(TBS)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3627377.html
・原水爆禁止2007年世界大会(原水禁世界大会実行委員会)
http://www.antiatom.org/
・2007国民平和大行進
私も×年前の生協職員時代にはリレー行進者としてこの平和行進に参加しました。
http://antiatom.org/daikousin07/
・映画「夕凪の街 桜の国」公式サイト
この夏お薦めの映画。自分で宣伝しておきながら、実はまだ色々あって観れていません(汗)。何とかして観るつもりです。
http://www.yunagi-sakura.jp/
平 和 宣 言
運命の夏、8時15分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)――静寂――阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。
落下傘を見た少女たちの眼(まなこ)は焼かれ顔は爛(ただ)れ、助けを求める人々の皮膚は爪から垂れ下がり、髪は天を衝(つ)き、衣服は原形を止めぬほどでした。爆風により潰(つぶ)れた家の下敷になり焼け死んだ人、目の玉や内臓まで飛び出し息絶えた人――辛うじて生き永らえた人々も、死者を羨(うらや)むほどの「地獄」でした。
14万人もの方々が年内に亡くなり、死を免れた人々もその後、白血病、甲状腺癌(こうじょうせんがん)等、様々な疾病に襲われ、今なお苦しんでいます。
それだけではありません。ケロイドを疎まれ、仕事や結婚で差別され、深い心の傷はなおのこと理解されず、悩み苦しみ、生きる意味を問う日々が続きました。
しかし、その中から生れたメッセージは、現在も人類の行く手を照らす一筋の光です。「こんな思いは他の誰にもさせてはならぬ」と、忘れてしまいたい体験を語り続け、三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を未来(みらい)永劫(えいごう)忘れてはなりません。
こうした被爆者の努力にもかかわらず、核即応態勢はそのままに膨大な量の核兵器が備蓄・配備され、核拡散も加速する等、人類は今なお滅亡の危機に瀕(ひん)しています。時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けているからです。
しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。
世界の1698都市が加盟する平和市長会議は、「戦争で最大の被害を受けるのは都市だ」という事実を元に、2020年までの核兵器廃絶を目指して積極的に活動しています。
我がヒロシマは、全米101都市での原爆展開催や世界の大学での「広島・長崎講座」普及など、被爆体験を世界と共有するための努力を続けています。アメリカの市長たちは「都市を攻撃目標にするな」プロジェクトの先頭に立ち、チェコの市長たちはミサイル防衛に反対しています。ゲルニカ市長は国際政治への倫理の再登場を呼び掛け、イーペル市長は平和市長会議の国際事務局を提供し、ベルギーの市長たちが資金を集める等、世界中の市長たちが市民と共に先導的な取組を展開しています。今年10月には、地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」総会で、私たちは、人類の意志として核兵器廃絶を呼び掛けます。
唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。
被爆62周年の今日、私たちは原爆犠牲者、そして核兵器廃絶の道半ばで凶弾に倒れた伊藤前長崎市長の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、核兵器のない地球を未来の世代に残すため行動することをここに誓います。
2007年(平成19年)8月6日
広島市長 秋 葉 忠 利
(転載終了)
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html
今日も普段と変らない喧騒の中で仕事が終わり、職場では誰も何も話題にしませんでしたし、私もわざわざ自分から話かけたりしませんでしたが、今日は62年目の広島原爆祈念日です。遅ればせながら、1分間黙祷。
「時代に遅れた少数の指導者たちが、未だに、力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定するだけでなく、被爆の実相や被爆者のメッセージに背を向けている」「しかし21世紀は、市民の力で問題を解決できる時代です。かつての植民地は独立し、民主的な政治が世界に定着しました。さらに人類は、歴史からの教訓を汲んで、非戦闘員への攻撃や非人道的兵器の使用を禁ずる国際ルールを築き、国連を国際紛争解決の手段として育ててきました。そして今や、市民と共に歩み、悲しみや痛みを共有してきた都市が立ち上がり、人類の叡智(えいち)を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしています。」
確かに現実に目を転じれば、内戦・内紛・人権抑圧が今も其処彼処に起こっているのは事実です。しかし同時に、それを解決しようとする動きが進んできたのも事実です。植民地の独立、普通選挙権、男女平等、8時間労働制、社会保障、人権規定の広がり、等々。戦前の明治憲法下の天皇制・帝国主義国家から日本国憲法下のブルジョア民主主義国家に移行したこの日本が、その良い例です。
その到達点を踏まえた上で、現存する未解決の問題についても、それをどういう立場から打開しようとしているのかが、今、問われているのです。仮に為政者の「力の支配」に阿り寄りかかる事で、自分たちだけのつかの間の「平和」が得られたとしても、そんな「平和」は、為政者の都合でどうにでもなる「奴隷の平和」でしかありません。「力の支配を奉ずる前時代の世界観にしがみつき、地球規模の民主主義を否定する」のではなく、「悲しみや痛みから教訓を学び取って、人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそう」としてこそ、「奴隷の平和」ではない「真の平和」に向かって初めて前進できるのです。
(参考記事・資料)
・広島「原爆の日」、平和記念式典(TBS)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3627377.html
・原水爆禁止2007年世界大会(原水禁世界大会実行委員会)
http://www.antiatom.org/
・2007国民平和大行進
私も×年前の生協職員時代にはリレー行進者としてこの平和行進に参加しました。
http://antiatom.org/daikousin07/
・映画「夕凪の街 桜の国」公式サイト
この夏お薦めの映画。自分で宣伝しておきながら、実はまだ色々あって観れていません(汗)。何とかして観るつもりです。
http://www.yunagi-sakura.jp/
2007年参院選の基礎データをまとめました。基礎数値は「平和への結集」ブログさんの数値を参考にさせてもらいました。
但し、そのままの形で当ブログに転載したのではレイアウトが大幅に崩れてしまいますので、こちらの方で必要最小限のレイアウト加工を施しています。その関係で、記事タイトル・前書きとデータ表示の間に大きな空白が開いてしまい若干見づらくなっていますが、これは私の今のウェブ力量では如何ともし難いので、何卒ご了承下さい。
※「党派別当選者数」データの見方:当選者=選挙区+比例区、新勢力=当選者+非改選。
※党派名:国民=国民新党、日本=新党日本。
但し、そのままの形で当ブログに転載したのではレイアウトが大幅に崩れてしまいますので、こちらの方で必要最小限のレイアウト加工を施しています。その関係で、記事タイトル・前書きとデータ表示の間に大きな空白が開いてしまい若干見づらくなっていますが、これは私の今のウェブ力量では如何ともし難いので、何卒ご了承下さい。
※「党派別当選者数」データの見方:当選者=選挙区+比例区、新勢力=当選者+非改選。
※党派名:国民=国民新党、日本=新党日本。
党派別当選者数 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
当選者 | (選挙区) | (比例区) | 新勢力 | (非改選) | 公示前 | ||
自民 | 37 | 23 | 14 | 83 | 46 | 110 | |
民主 | 60 | 40 | 20 | 109 | 49 | 81 | |
公明 | 9 | 2 | 7 | 20 | 11 | 23 | |
共産 | 3 | 0 | 3 | 7 | 4 | 9 | |
社民 | 2 | 0 | 2 | 5 | 3 | 6 | |
国民 | 2 | 1 | 1 | 4 | 2 | 4 | |
日本 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | |
諸派 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
無所属 | 7 | 7 | ― | 13 | 6 | 6 | |
党派別得票数・率 | |||||||
選挙区 | 得票率 | (04年) | 比例区 | 得票率 | (04年) | ||
自民 | 18,606,193 | 31.35 | 35.1 | 16,544,696 | 28.08 | 30.0 | |
民主 | 24,006,817 | 40.45 | 39.1 | 23,256,242 | 39.48 | 37.8 | |
公明 | 3,534,672 | 5.96 | 3.9 | 7,765,324 | 13.18 | 15.4 | |
共産 | 5,164,572 | 8.70 | 9.8 | 4,407,937 | 7.48 | 7.8 | |
社民 | 1,352,018 | 2.28 | 1.8 | 2,634,716 | 4.47 | 5.3 | |
国民 | 1,111,005 | 1.87 | - | 1,269,220 | 2.15 | - | |
日本 | - | - | - | 1,770,697 | 3.01 | - | |
諸派 | 477,182 | 0.80 | - | 1,264,848 | 2.15 | - | |
無所属 | 5,095,168 | 8.59 | 10.2 | - | - | - | |
計 | 59,347,628 | 58,913,683 |
参院選関連のエントリーはまだまだ続きます。
●自民党:惨敗を経て更に劣化の度を深める。
今回の参院選の舞台裏が次第に明らかになってきています。まずは自民党から。今回の選挙を通して、この党の中では、議席の大幅な減少以上に、人材の劣化が一段と進行しています。
地方の1人区、その中でも特に疲弊しつつある北海道・東北・九州・四国・沖縄での惨敗振り。これは取りも直さず、農漁民や建設業界などの従来からの支持基盤・集票マシーンが崩壊に瀕し、自民党から離反しつつある事を示すのものです。そして、この自民党の地力低下は、地方のみならず、大都市圏の複数区にも共通して大なり小なり見られる傾向です。
その良い例が東京です。ここでは安倍の人気取りだけの為に、上から一方的に落下傘候補の丸川珠代を押し付けられた挙句に、そのしわ寄せで現職の保坂三蔵が落選してしまいました。不人気の丸川が自民党執行部の異常な梃入れによってどうにか最下位当選を果たした一方で、保坂陣営の間には大きなシコリを残す事になりました。
そうこうして、どうにか当選してきた数少ない自民党議員というのが、西田昌司(京都)・谷川秀善(大阪)といった「勝共連合の出来損ない」みたいな時代錯誤の靖国派や、パッパラパーの丸川珠代、変節漢の義家弘介、イラク侵略お先棒担ぎの佐藤まさひさ、アホ面の山本一太といった面々なのですから、もう目も当てられません。落選組も大した人材はいませんでしたが、当選組は更にそれに輪をかけたような、どうしようもない人材ばかりで。
http://www.news.janjan.jp/election/0707/0707289974/1.php
http://www.news.janjan.jp/election/0707/0707289976/1.php
●公明党:二股をかけつつある下駄の雪
「改革にアクセル、暴走にブレーキ」だったかな、そういうキャッチフレーズで与党入りしてきた公明党ですが、実際は自民党と一緒になって改憲・格差助長政治を推進してきて、世間から「増税戦犯」呼ばわりされるまでに至っています。それでも本体の創価学会を守りたい一心で、与党がどんな政治をしようがそんな事にはお構い無しに、ひたすら「どこまでも着いて行く下駄の雪」を決め込んでいました。
しかし、安倍マルコスの余りのトンデモぶりに、学会信者・支持層からの突き上げもキツイのか、最近は微妙に自民党とは距離を置き始めている、とのウワサも出てきています。今回の参院選でも、靖国派のトンデモ議員に対しては最後まで推薦を出し渋りました。投票動員も公明候補だけに限って自民党の方には全然力を入れていなかったという事も聞いています。
ひょっとしたら、もう既に自民・民主の両方に二股をかけ始めているのでは。どちらにしても、ひたすら学会の存立だけが目的で、それで国民生活がどうなろうと、そんな事は知ったこっちゃ無いという、そういう公明党であります。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/07/post_4883.html
●民主党:民衆圧力に晒されているのは何も与党だけとは限らない
「ブーメラン政党」、これが今までの民主党の別名でした。元々自民党から分かれた人が中心なので、改憲も大企業擁護も自民党とは何ら変りません。自民党と同様に、国のヒモ付き政党助成金と大資本ヒモ付きの企業献金で、党が成り立っています。だから「政治とカネ」の問題で与党を追及しても、いつも自分たちにも跳ね返ってくるので追及も及び腰で、それをパフォーマンスで誤魔化してきました。先の教育基本法改悪に際しても与党案以上にムチャクチャな改悪案を出してきたり、一時などは対案路線とかで、自民党と露骨な悪政推進競争を演じたりしてきました。
しかし、今回はどうやら勝手が違うようです。今回民主党に投票してくれた人たちは、今までのネオコン・ネオリベ・靖国マンセーとは違うようなのです。そして今まで馴れ合ってきた自民党も、最近のデタラメぶりに民心離反は決定的となりつつあります。元々は改憲派で自民党時代は幹事長の要職にあった小沢党首としても、政権復帰を狙う以上は、この民心をハナから無視する訳にもいかず、大いに悩んでいる所でしょう。早速米国からは「テロ特措法の延長に反対するな、イラク派兵を継続しろ」と、盛んに牽制球を送られてきています。さあ困ったもんだ。
http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20070802010007022.asp
●共産党・社民党:一党平和主義からの脱却か、二大政党への埋没か
これらの党は、「第二自民」の民主党とは違って、それなりに改憲・搾取政治には反対の論陣を張ってきました。特に共産党については、教育基本法やらせ改悪の舞台裏や、石原・松岡・赤城などに見られる「政治とカネ、政治私物化」の追及にしても、舌鋒鋭いものがあります。だから私もずっと共産党を支持してきたのです。加えて選挙区候補の宮本岳志が私の地元地域出身で、生協時代から名前を知っていたという事もあります。
しかし肝心の選挙戦術では、両党とも中選挙区制時代からの自党伸長第一主義に拘っています。当選を度外視して軒並み1人区に候補を擁立したり、複数区と見れば当選可能性の在る無しに関わらずやたら立候補させたり。その結果、折角の舌鋒鋭い追及も、全部民主党にそのお株を奪われる形となっています。
その唯一の例外が全野党共闘の力で勝利した沖縄の無所属推薦候補です。この沖縄方式を今すぐ他の選挙区にも自動的に当てはめる事は無理としても、「1人区では反自公への票の集中を」「複数区では自公でも第二自公でもない候補の当選を、場合によっては共同候補の擁立も含めて」考えておれば、今より更に与党への打撃となったでしょうし、「小泉・安倍レジームからの脱却」(これは取りも直さず今までの民主党路線からの脱却もを意味する)もその姿をはっきりと国民の前に現す事が出来たのではないでしょうか。今後は「激動する政治に主導的に対応できるよう」「組織のうえ」のみならず「政治と理論のうえでも」(以上、共産党常幹声明より引用)全力をあげて努力して欲しいものです。
http://www.jcp.or.jp/giin/senkyo/2007_sanin/2007sanin_kekka.html
●与党も野党も、お家事情の為に安倍の負け逃げを許すのか
参院選の惨敗後も、安倍は汲々と政権にしがみつこうとしており、その居直りが更に国民の怒りを呼んでいます。自民党のお家事情からすれば、「今安倍が辞めても代わりの人がいない」「安倍には最後まで火中の栗を拾ってもらう」という算段なのでしょうが、そんな勝手な理屈で、民意を反映しない政治をこれ以上やられたのでは、国民は堪ったものではありません。
折りしも折り、昨日放送の「太田総理」のTV番組では、「選挙で過半数を得られなかった内閣は総辞職を義務化します」というマニフェストを取り上げていました(記事冒頭の写真参照)。「参院選は政権選択選挙ではない、単なる中間テストにしか過ぎない」と言っていた与党代理人の面々が、野党代理人や番組参加者から集中砲火を浴びていました。「安倍か小沢かと言って政権選択選挙にしてしまったのは自分たちじゃないか」「小泉の時も郵政解散でそう言って議席を掠め取っておきながら、自分たちの分が悪くなった時だけ言い逃れするのはズルイじゃないか」と。そこでタレントの木下優樹菜が与党代理人の面々に言った「あんたら、ガチ(本気)で言っているのではないだろう(本心は解散が怖いのだろう)」などは、モロ相手の本質を突いているのでは。
これは何も与党だけとは限らないようです。民主も共産・社民も、選挙準備が出来ていないので本音では早期解散には及び腰なのだとか。しかし我々にとっては、今の政治は、もうとっくに我慢の限界を超えているのです。小泉・安倍レジームも、ネオコンもネオリベも靖国も、もうマッピラです。「美しい国」などという欺瞞的な宣伝文句の陰で、無理やり生存競争に駆り立てられ、「おにぎり食べたい」と餓死していった人を生み出す様な政治ではなく、普通の人が普通に暮らせる政治を。政治家にその気が無いなら、我々がそれを勝ち取るまでです。
http://www.ntv.co.jp/souri/manifesto/main.html#
●自民党:惨敗を経て更に劣化の度を深める。
今回の参院選の舞台裏が次第に明らかになってきています。まずは自民党から。今回の選挙を通して、この党の中では、議席の大幅な減少以上に、人材の劣化が一段と進行しています。
地方の1人区、その中でも特に疲弊しつつある北海道・東北・九州・四国・沖縄での惨敗振り。これは取りも直さず、農漁民や建設業界などの従来からの支持基盤・集票マシーンが崩壊に瀕し、自民党から離反しつつある事を示すのものです。そして、この自民党の地力低下は、地方のみならず、大都市圏の複数区にも共通して大なり小なり見られる傾向です。
その良い例が東京です。ここでは安倍の人気取りだけの為に、上から一方的に落下傘候補の丸川珠代を押し付けられた挙句に、そのしわ寄せで現職の保坂三蔵が落選してしまいました。不人気の丸川が自民党執行部の異常な梃入れによってどうにか最下位当選を果たした一方で、保坂陣営の間には大きなシコリを残す事になりました。
そうこうして、どうにか当選してきた数少ない自民党議員というのが、西田昌司(京都)・谷川秀善(大阪)といった「勝共連合の出来損ない」みたいな時代錯誤の靖国派や、パッパラパーの丸川珠代、変節漢の義家弘介、イラク侵略お先棒担ぎの佐藤まさひさ、アホ面の山本一太といった面々なのですから、もう目も当てられません。落選組も大した人材はいませんでしたが、当選組は更にそれに輪をかけたような、どうしようもない人材ばかりで。
http://www.news.janjan.jp/election/0707/0707289974/1.php
http://www.news.janjan.jp/election/0707/0707289976/1.php
●公明党:二股をかけつつある下駄の雪
「改革にアクセル、暴走にブレーキ」だったかな、そういうキャッチフレーズで与党入りしてきた公明党ですが、実際は自民党と一緒になって改憲・格差助長政治を推進してきて、世間から「増税戦犯」呼ばわりされるまでに至っています。それでも本体の創価学会を守りたい一心で、与党がどんな政治をしようがそんな事にはお構い無しに、ひたすら「どこまでも着いて行く下駄の雪」を決め込んでいました。
しかし、安倍マルコスの余りのトンデモぶりに、学会信者・支持層からの突き上げもキツイのか、最近は微妙に自民党とは距離を置き始めている、とのウワサも出てきています。今回の参院選でも、靖国派のトンデモ議員に対しては最後まで推薦を出し渋りました。投票動員も公明候補だけに限って自民党の方には全然力を入れていなかったという事も聞いています。
ひょっとしたら、もう既に自民・民主の両方に二股をかけ始めているのでは。どちらにしても、ひたすら学会の存立だけが目的で、それで国民生活がどうなろうと、そんな事は知ったこっちゃ無いという、そういう公明党であります。
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/07/post_4883.html
●民主党:民衆圧力に晒されているのは何も与党だけとは限らない
「ブーメラン政党」、これが今までの民主党の別名でした。元々自民党から分かれた人が中心なので、改憲も大企業擁護も自民党とは何ら変りません。自民党と同様に、国のヒモ付き政党助成金と大資本ヒモ付きの企業献金で、党が成り立っています。だから「政治とカネ」の問題で与党を追及しても、いつも自分たちにも跳ね返ってくるので追及も及び腰で、それをパフォーマンスで誤魔化してきました。先の教育基本法改悪に際しても与党案以上にムチャクチャな改悪案を出してきたり、一時などは対案路線とかで、自民党と露骨な悪政推進競争を演じたりしてきました。
しかし、今回はどうやら勝手が違うようです。今回民主党に投票してくれた人たちは、今までのネオコン・ネオリベ・靖国マンセーとは違うようなのです。そして今まで馴れ合ってきた自民党も、最近のデタラメぶりに民心離反は決定的となりつつあります。元々は改憲派で自民党時代は幹事長の要職にあった小沢党首としても、政権復帰を狙う以上は、この民心をハナから無視する訳にもいかず、大いに悩んでいる所でしょう。早速米国からは「テロ特措法の延長に反対するな、イラク派兵を継続しろ」と、盛んに牽制球を送られてきています。さあ困ったもんだ。
http://www.toonippo.co.jp/news_kyo/news/20070802010007022.asp
●共産党・社民党:一党平和主義からの脱却か、二大政党への埋没か
これらの党は、「第二自民」の民主党とは違って、それなりに改憲・搾取政治には反対の論陣を張ってきました。特に共産党については、教育基本法やらせ改悪の舞台裏や、石原・松岡・赤城などに見られる「政治とカネ、政治私物化」の追及にしても、舌鋒鋭いものがあります。だから私もずっと共産党を支持してきたのです。加えて選挙区候補の宮本岳志が私の地元地域出身で、生協時代から名前を知っていたという事もあります。
しかし肝心の選挙戦術では、両党とも中選挙区制時代からの自党伸長第一主義に拘っています。当選を度外視して軒並み1人区に候補を擁立したり、複数区と見れば当選可能性の在る無しに関わらずやたら立候補させたり。その結果、折角の舌鋒鋭い追及も、全部民主党にそのお株を奪われる形となっています。
その唯一の例外が全野党共闘の力で勝利した沖縄の無所属推薦候補です。この沖縄方式を今すぐ他の選挙区にも自動的に当てはめる事は無理としても、「1人区では反自公への票の集中を」「複数区では自公でも第二自公でもない候補の当選を、場合によっては共同候補の擁立も含めて」考えておれば、今より更に与党への打撃となったでしょうし、「小泉・安倍レジームからの脱却」(これは取りも直さず今までの民主党路線からの脱却もを意味する)もその姿をはっきりと国民の前に現す事が出来たのではないでしょうか。今後は「激動する政治に主導的に対応できるよう」「組織のうえ」のみならず「政治と理論のうえでも」(以上、共産党常幹声明より引用)全力をあげて努力して欲しいものです。
http://www.jcp.or.jp/giin/senkyo/2007_sanin/2007sanin_kekka.html
●与党も野党も、お家事情の為に安倍の負け逃げを許すのか
参院選の惨敗後も、安倍は汲々と政権にしがみつこうとしており、その居直りが更に国民の怒りを呼んでいます。自民党のお家事情からすれば、「今安倍が辞めても代わりの人がいない」「安倍には最後まで火中の栗を拾ってもらう」という算段なのでしょうが、そんな勝手な理屈で、民意を反映しない政治をこれ以上やられたのでは、国民は堪ったものではありません。
折りしも折り、昨日放送の「太田総理」のTV番組では、「選挙で過半数を得られなかった内閣は総辞職を義務化します」というマニフェストを取り上げていました(記事冒頭の写真参照)。「参院選は政権選択選挙ではない、単なる中間テストにしか過ぎない」と言っていた与党代理人の面々が、野党代理人や番組参加者から集中砲火を浴びていました。「安倍か小沢かと言って政権選択選挙にしてしまったのは自分たちじゃないか」「小泉の時も郵政解散でそう言って議席を掠め取っておきながら、自分たちの分が悪くなった時だけ言い逃れするのはズルイじゃないか」と。そこでタレントの木下優樹菜が与党代理人の面々に言った「あんたら、ガチ(本気)で言っているのではないだろう(本心は解散が怖いのだろう)」などは、モロ相手の本質を突いているのでは。
これは何も与党だけとは限らないようです。民主も共産・社民も、選挙準備が出来ていないので本音では早期解散には及び腰なのだとか。しかし我々にとっては、今の政治は、もうとっくに我慢の限界を超えているのです。小泉・安倍レジームも、ネオコンもネオリベも靖国も、もうマッピラです。「美しい国」などという欺瞞的な宣伝文句の陰で、無理やり生存競争に駆り立てられ、「おにぎり食べたい」と餓死していった人を生み出す様な政治ではなく、普通の人が普通に暮らせる政治を。政治家にその気が無いなら、我々がそれを勝ち取るまでです。
http://www.ntv.co.jp/souri/manifesto/main.html#
ほぼ下馬評通り、自民惨敗・公明敗北・民主躍進・共社退潮に終わった今回の参院選。聞く所によると、一部の共産党員・支持者は、今回の選挙結果について、二大政党制の脅威の前に、何やら意気消沈しているとか。多分、数年前の私なら同じ様に気落ちしていた事でしょう。しかし今回は、そういう敗北感は殆どありません。共産党の退潮については残念に思いながらも、今回の選挙結果については、「小泉・安倍レジームからの脱却」の可能性も垣間見える、そういう新たな変化への予兆もはらんでいるのでは、という気がして仕方がないのです。敢えて言えば「負けても嬉しい」という心境です。これは決して負け惜しみで言っているのではありません。
(1) もはや公明党の力を借りても自民党は過半数を維持できない所まで追い詰められている。
それは選挙結果を見れば一目瞭然です。自民党は改選議席64に対して獲得したのは僅か37と、史上二番目に少ない数で、もう半減に近い負け方です。連立与党の公明党も、常勝神話が崩れて3議席減の9と、こちらも史上初の一桁台に転落。いずれ劣らず見事な負けっぷりです。
確かに、自民党の長期低落傾向は今に始った事ではありませんし、それどころか、つい近年には「小泉詐欺」で虚構の多数議席を占めたりもしていました。今までも、自民党は危機に陥るたびに、総裁や党のカラーを変えたり、他の党と連立を組むなどして、巧妙に政権を維持してきました。しかし、もはや今や自民党は、そういう小手先の彌縫策では対応出来ない所まで来ているのではないでしょうか。小選挙区制優位の仕組みを導入したり公明党や広告・宣伝企業の電通の力を以ってしてもカバーしきれないくらい、自民党の体力・求心力が落ちてきているのではないでしょうか。
http://www2.asahi.com/senkyo2007/
http://www2.asahi.com/senkyo2007/chart/070730a.html
(2) 今回の民主党当選者は必ずしも「ネオコン・ネオリベ」盲従とは限らない。
今回の民主党当選者の顔ぶれを見ていて、ある面白い事に気がつきました。それは、今まで思っていたほど「ネオコン・ネオリベ」色は強くない、という事です。確かに民主党は、旧社会党から旧民社党・元自民党・旧自由党までの寄せ集め政党で、党内には護憲派もおればゴリゴリの改憲右派もおり、その中で主流はあくまでも後者の改憲右派だというのが、これまでも私の認識でした。
しかし今回の当選者については、リベラル21などが出した改憲の是非を問うアンケートに対して、9条改憲に反対すると回答した人が半数近くに達しているのです。それも、相原久美子・神本美恵子・今野東(ともに比例)や岡崎トミ子(宮城)・大河原雅子(東京)などの様な、従来から左派・リベラル色の比較的強かった候補だけでなく、松下政経塾出身者や羽田・小沢グループの中にも、当該アンケートや候補者自身の公式サイト・ブログの中で9条改憲反対を明言している人が何人もいるのです。
それらの回答の中には、「9条改憲は反対だが憲法改正には賛成」とか、同様に「集団自衛権行使には賛成」という様に、相互に矛盾する様なものも少なくありません。正直言って、それらの「9条改憲反対」言説が、果たしてどれだけ本気なのか、単なる人気取りの回答ではないか、疑念を抱かせるような回答状況ですら在る、と言う事も出来るかもしれません。
また、「参院だから」というのも在るかも知れません。確かに参院は、「良識の府」と言われるだけあって、今までも衆院と比べたら比較的リベラル色の強い候補が当選する事が少なくありませんでした。しかしその事は逆に言えば、少なくとも参院では衆院以上に、民衆が候補者を監視して、「ネオコン・ネオリベ・改憲」寄りにならないように不断に圧力をかけ続ける事で、反改憲派の裾野を広げる事も出来るのではないでしょうか。
民主党が所詮は「第二自民」の寄せ集め政党であり、自民党も今後は民主党へも連立工作を働きかけてくる事が充分予想される中にあって、左から民主党に圧力をかけ続けてそれを阻止していく事の重要性について、改めて考えさせられました。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-91.html
http://kaze.fm/wordpress/?p=132
(3) 二大政党誘引型の選挙制度が、逆に与党の首を絞める結果になりつつある。
それにしても、今回は与党が凄まじいまでの負けっぷりを示しました。特に1人区の、それも期日前投票者が激増した選挙区で(山形・秋田・沖縄など)、与党が軒並み全滅しています。
衆院で小選挙区比例代表並立制が導入されて10年以上が経過して、参院選や地方選挙にもその影響が及んでいます。その結果、共産・社民といった従来からの左派・革新政党が凋落し、変って民主党が与党批判の受け皿となりつつあります。これは、与党優位、最悪でも与党と第二自民の民主党による政権たらい回しを狙って導入された選挙制度ですが、ここまで与党が凋落すると(はるか昔の50年代から60年代前半にかけての時期には6割近い得票率を得ていたのが、今や3割台を維持するのが精一杯)、逆に「与党のボロ負け」に更に輪をかける結果になっています。元々は少数政党排除を目的に導入された選挙制度によって、逆に与党が更に自分で自分の首を絞める結果に陥っている様は、もう漫画というしかありません。
(4) 共産・社民両党による従来型の選挙戦術は限界に直面している。
今回、与党批判票の大半が民主党に流れ、共産・社民両党の議席は更に後退しました。共産党は「前回、前々回よりは得票数が増えた」と総括している様ですが、今回は期日前投票も含めると投票率自体が大幅にアップしているのであって、そんな中で僅かな得票増を云々した所で、大した意味はありません。問題はそれよりも、2000年以降の衆参国政選挙で、共産・社民両党の得票が、それぞれ400万票台、300万票弱で固定化・低迷している事です。この票数では、「小泉詐欺」の時の様に与党が大勝した時も、今回の様に与党に逆風が吹いて民主党が躍進した時も、同じ様に数議席しか取れません。
では共産・社民両党の目指す政治が、全然国民にアピールしなかったから、この体たらくなのでしょうか。いいえ、決してそんな事は無い筈です。少なくとも、格差・貧困に目を瞑り、スキャンダルと失言・失態に明け暮れている今の与党や、票目当てで格差批判をやるだけで実際には与党と共に労働者派遣法や介護保険法の改悪などに手を貸してきた民主党などよりは、はるかにマトモな事を主張しています。たとえ個々の政策や党の体質には色々問題があったとしても。
勿論、中には与党や民主党・公明党に愛想が尽きて、共産党や社民党に支持を鞍替えする人は少なくありません。しかし、それ以上に、従来からの共産・社民支持層の1~2割近くが、民主党に流れているのです。これは必ずしも「民主党への幻想」だけで片付けられる問題ではない様に思えます。
1986年のフィリピン大統領選挙で、フィリピンの左派は「アキノもマルコスも、どっちもどっち」論に拘泥する余り、結果的に民主化過程では脇役に甘んじてしまいました。今回も同じ事が言えるのではないでしょうか。
小泉自民党の大勝をもたらしたのは確かに扇動政治の為せる技でしたが、少なくとも今回の民主党躍進の裏にあるのは、為政者による扇動などではなく、地方の農漁民・自営業者や、都会のワーキングプア・プレカリアート、高齢者・母子家庭などの、「こんな政治はもう沢山だ」という悲鳴にも似た叫びなのです。民主党が第二自民党である事は、これらの人たちも皮膚感覚では薄々感づいているのです。それでも一縷の望みを託して、民主党に投票した人が大勢いるのです。小池百合子や高市早苗や丸川珠代が「勝ち馬に乗る」のとは訳が違うのです。そこの所を、共産党や社民党は本当に理解しているのでしょうか。
http://www2.asahi.com/senkyo2007/chart/070730a.html
(1) もはや公明党の力を借りても自民党は過半数を維持できない所まで追い詰められている。
それは選挙結果を見れば一目瞭然です。自民党は改選議席64に対して獲得したのは僅か37と、史上二番目に少ない数で、もう半減に近い負け方です。連立与党の公明党も、常勝神話が崩れて3議席減の9と、こちらも史上初の一桁台に転落。いずれ劣らず見事な負けっぷりです。
確かに、自民党の長期低落傾向は今に始った事ではありませんし、それどころか、つい近年には「小泉詐欺」で虚構の多数議席を占めたりもしていました。今までも、自民党は危機に陥るたびに、総裁や党のカラーを変えたり、他の党と連立を組むなどして、巧妙に政権を維持してきました。しかし、もはや今や自民党は、そういう小手先の彌縫策では対応出来ない所まで来ているのではないでしょうか。小選挙区制優位の仕組みを導入したり公明党や広告・宣伝企業の電通の力を以ってしてもカバーしきれないくらい、自民党の体力・求心力が落ちてきているのではないでしょうか。
http://www2.asahi.com/senkyo2007/
http://www2.asahi.com/senkyo2007/chart/070730a.html
(2) 今回の民主党当選者は必ずしも「ネオコン・ネオリベ」盲従とは限らない。
今回の民主党当選者の顔ぶれを見ていて、ある面白い事に気がつきました。それは、今まで思っていたほど「ネオコン・ネオリベ」色は強くない、という事です。確かに民主党は、旧社会党から旧民社党・元自民党・旧自由党までの寄せ集め政党で、党内には護憲派もおればゴリゴリの改憲右派もおり、その中で主流はあくまでも後者の改憲右派だというのが、これまでも私の認識でした。
しかし今回の当選者については、リベラル21などが出した改憲の是非を問うアンケートに対して、9条改憲に反対すると回答した人が半数近くに達しているのです。それも、相原久美子・神本美恵子・今野東(ともに比例)や岡崎トミ子(宮城)・大河原雅子(東京)などの様な、従来から左派・リベラル色の比較的強かった候補だけでなく、松下政経塾出身者や羽田・小沢グループの中にも、当該アンケートや候補者自身の公式サイト・ブログの中で9条改憲反対を明言している人が何人もいるのです。
それらの回答の中には、「9条改憲は反対だが憲法改正には賛成」とか、同様に「集団自衛権行使には賛成」という様に、相互に矛盾する様なものも少なくありません。正直言って、それらの「9条改憲反対」言説が、果たしてどれだけ本気なのか、単なる人気取りの回答ではないか、疑念を抱かせるような回答状況ですら在る、と言う事も出来るかもしれません。
また、「参院だから」というのも在るかも知れません。確かに参院は、「良識の府」と言われるだけあって、今までも衆院と比べたら比較的リベラル色の強い候補が当選する事が少なくありませんでした。しかしその事は逆に言えば、少なくとも参院では衆院以上に、民衆が候補者を監視して、「ネオコン・ネオリベ・改憲」寄りにならないように不断に圧力をかけ続ける事で、反改憲派の裾野を広げる事も出来るのではないでしょうか。
民主党が所詮は「第二自民」の寄せ集め政党であり、自民党も今後は民主党へも連立工作を働きかけてくる事が充分予想される中にあって、左から民主党に圧力をかけ続けてそれを阻止していく事の重要性について、改めて考えさせられました。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-91.html
http://kaze.fm/wordpress/?p=132
(3) 二大政党誘引型の選挙制度が、逆に与党の首を絞める結果になりつつある。
それにしても、今回は与党が凄まじいまでの負けっぷりを示しました。特に1人区の、それも期日前投票者が激増した選挙区で(山形・秋田・沖縄など)、与党が軒並み全滅しています。
衆院で小選挙区比例代表並立制が導入されて10年以上が経過して、参院選や地方選挙にもその影響が及んでいます。その結果、共産・社民といった従来からの左派・革新政党が凋落し、変って民主党が与党批判の受け皿となりつつあります。これは、与党優位、最悪でも与党と第二自民の民主党による政権たらい回しを狙って導入された選挙制度ですが、ここまで与党が凋落すると(はるか昔の50年代から60年代前半にかけての時期には6割近い得票率を得ていたのが、今や3割台を維持するのが精一杯)、逆に「与党のボロ負け」に更に輪をかける結果になっています。元々は少数政党排除を目的に導入された選挙制度によって、逆に与党が更に自分で自分の首を絞める結果に陥っている様は、もう漫画というしかありません。
(4) 共産・社民両党による従来型の選挙戦術は限界に直面している。
今回、与党批判票の大半が民主党に流れ、共産・社民両党の議席は更に後退しました。共産党は「前回、前々回よりは得票数が増えた」と総括している様ですが、今回は期日前投票も含めると投票率自体が大幅にアップしているのであって、そんな中で僅かな得票増を云々した所で、大した意味はありません。問題はそれよりも、2000年以降の衆参国政選挙で、共産・社民両党の得票が、それぞれ400万票台、300万票弱で固定化・低迷している事です。この票数では、「小泉詐欺」の時の様に与党が大勝した時も、今回の様に与党に逆風が吹いて民主党が躍進した時も、同じ様に数議席しか取れません。
では共産・社民両党の目指す政治が、全然国民にアピールしなかったから、この体たらくなのでしょうか。いいえ、決してそんな事は無い筈です。少なくとも、格差・貧困に目を瞑り、スキャンダルと失言・失態に明け暮れている今の与党や、票目当てで格差批判をやるだけで実際には与党と共に労働者派遣法や介護保険法の改悪などに手を貸してきた民主党などよりは、はるかにマトモな事を主張しています。たとえ個々の政策や党の体質には色々問題があったとしても。
勿論、中には与党や民主党・公明党に愛想が尽きて、共産党や社民党に支持を鞍替えする人は少なくありません。しかし、それ以上に、従来からの共産・社民支持層の1~2割近くが、民主党に流れているのです。これは必ずしも「民主党への幻想」だけで片付けられる問題ではない様に思えます。
1986年のフィリピン大統領選挙で、フィリピンの左派は「アキノもマルコスも、どっちもどっち」論に拘泥する余り、結果的に民主化過程では脇役に甘んじてしまいました。今回も同じ事が言えるのではないでしょうか。
小泉自民党の大勝をもたらしたのは確かに扇動政治の為せる技でしたが、少なくとも今回の民主党躍進の裏にあるのは、為政者による扇動などではなく、地方の農漁民・自営業者や、都会のワーキングプア・プレカリアート、高齢者・母子家庭などの、「こんな政治はもう沢山だ」という悲鳴にも似た叫びなのです。民主党が第二自民党である事は、これらの人たちも皮膚感覚では薄々感づいているのです。それでも一縷の望みを託して、民主党に投票した人が大勢いるのです。小池百合子や高市早苗や丸川珠代が「勝ち馬に乗る」のとは訳が違うのです。そこの所を、共産党や社民党は本当に理解しているのでしょうか。
http://www2.asahi.com/senkyo2007/chart/070730a.html