ブログの更新が途絶えてしまっていました。二か月も空いたことは、2005年6月のブログ開設以来初めてです。
3月11日に岩手県で地震にあって、18日に帰宅しました。
その直後は「今私にできること。今私がしなくてはいけないこと」と覚悟のようなものができました。その内容はブログを使ってエイジングライフ研究所が主張する認知症のメカニズムを発信しなくてはいけないという思いでした。
そしてそれは「東日 本大震災ー高齢者を認知症から守る」としてアップしました。
今回被災された岩手県の町々。宮城県の町々。
何とそのほとんどに私は伺ったことがありました・・・
3月末ごろから、お邪魔でないようにメールでいくつかの町には問い合わせをしましたが、つながらないのです。
しばらくたってから電話をしてみようかと思った時から、何かが起きました。
「お邪魔じゃあないかしら」
「悲しいお知らせを聞くことになったら、どうしましょう」
高齢者を認知症から守るためになすべきことはあるし、アドバイスも、と思うのに、行動がその先につながらないのです。
自分で勝手にハードルを設定し、そのハードルを上げていく。
いいえ。ハードルが上がったというよりも、自分の意欲が下がったという方が正確でしょう。
そしてブログも書けなくなってしまいました。書かなくてはという思いはいつもいつもありました。でも、書けないのです。
今日は言い訳ブログですが、撮りためていた写真のアップをさせてください。(ブログ更新の気持ちはあったのです)
しだれ桜とウコン桜(今年は、桜を見るたびにけなげだなあと思いました)
受験生なのに、勉強を全くしない!何をやってるんだか!
幸いにも(珍しくも?)、私の息子たちはそんなことはありませんでした。
自分を振り返ってみると「もうひと踏ん張りすればよかった」と思ったことは、枚挙にいとまがありませんが、まったく手つかずだったということは余りなかったように思います。
前頭葉がいろいろに考え、「こうしよう(ブログを書こう)」と決めます。
ほとんど同時に「でも、この条件は?あの状況は?」と考え始めて、決定事項が実行に移されません。
そして言い訳も前頭葉が考えます。
「知ってるまちなんだもの。他の人とは思いが違う・・・(だから書けない)」
いつもどこかに気になるところを持ちながら、生活しました。
「やるべきことがあるのに、そのことがよくわかっているのに、やっていない」ことを自覚していました。
「これって小ボケに入り口の心境かもしれない」と思いついたので、そのことを書きたくなって、今ようやくキーボードに向かってます。
種々の状況に対して何かをやろういう思い>意欲では行動に結び付きようがないのです。
生活を自分らしく組み立てる鍵は前頭葉から出てくる意欲なのですね。意欲を育てることが教育の最終目標かもわかりません。