6月14日に留守電を入れてくださった保健師さんへ。
質問の趣旨は「小冊子では、ボケを認知症を同じ意味として使っていると思いますが、それでいいのでしょうか?」ですね?
どの町のどなたか、ちゃんと名乗ってくださっているのですが、困ったことに、何度聞き返しても、どちらも聞き取れないのです・・・ブログでお返事します。
今年のバラもそろそろ終わり。今の庭のバラたち。ウエスターランド
結論ですが、私はボケと認知症を同じ意味で使っています。
2004年に、厚生労働省が「認知症」という表現を使うように指導したのは、公文書上の「痴呆」を言いかえるという条件のもとでした。
行政用語としての「痴呆」を「認知症」に改めるということです。
シャルダンドフランス
それだけのことで、学術用語については「学会にゆだねる」となっていたくらいですから、一般的な使い方については、特別の指示や命令(?)はなかったのです。
この経緯からわかるように「ボケ」という言葉は、もともと公文書上では使われていませんから、日常レベルでどう使っても何の問題にもならないのです。
つまり、私が「ボケ」という言葉を使って、文を書いても講演をしても構わないということですね。
ミセスオークリーフィッシャー
ところで、日本人は、いったん決まったら一斉になびいていきます。
今となっては「認知症」と表現しないと「遅れている=内容も旧態依然たるものだろう」という印象が否めません。
それで、私も仕方なく、講演の演題や、文に書くときは「認知症」を使っています。
仕方なくと書きましたが、本当に仕方なく「認知症」といっています。
その理由はふたつあります。 グラナダ
一つは「認知症」という表現自体が変ということです。
病名は「症」という字を、臓器につけたり(脳症、関節症など)、状態につけたり(高血圧症、貧血症など)して表現しますが、機能に「症」をつけて病名にするということはありません。
思考症とか記憶症とは言いませんね。
思考障害とか記憶障害ならわかります。
「認知障害」は精神科領域で特定の症状に対してすでに使われていたために、「認知症」という妙な表現になったのです。現場では「認知のケース」「認知の人」というような使われ方になってきていますね。
もう一つの理由も重要です。
ボケを早期の状態で発見しようとすると、そのカギは前頭葉機能そのものです。
ところが、前頭葉には認知機能はありません。
ボケを「認知(機能)」の問題だと捉えると、早期発見はできないことになってしまいます。
小ボケから回復した人が、小ボケ状態だった時を振り返り
「自分の周りがボケーとしていた」
「霧の中にいるみたいだった}
「はっきりしないのでやる気が起きなかった」
「ボンヤリしているので、何事も面倒だった」などといい、
「今は周りがはっきりしてきたので、見たいし聞きたいし」
「こんなに、景色がきれいだったと感じるようになった」
「言われていることもはっきりしてきたので、話したくなった」などと
説明してくれることからも、むしろ「ボケ」という和語は、状態を的確に表現しているのではないかと思います。
2009年4月に同じ趣旨のことを書きましたので、こちらも読んでください。
癡狂→癡呆→痴呆→認知症→?