今日の写真は湯河原町の幕山梅園。梅の宴は18日までというのになんとまだ5分咲き
遠く離れた所に住む友人から久しぶりに電話がかかってきました。
「絹子さんの言うとおりにしただけなんだけど、思いがけないことになってしまって・・・」
笑いながらの言葉でしたが、ちょっとドキッとしますよね!続きを促すと面白い話に発展していきました。
「Tさん(ご主人)のお父さんが亡くなって、そろそろ2年。
お姑さんは『一人になってもこの家にいたい』と言うので、車で小一時間のところだけど、気になりながらも一応意見を通してあげてたの」
「最初は週一回は通ってたけど、実家の方にいろんなことが重なってちょっと間遠くはなってたのね」
「そのうちに糖尿病がだんだん悪くなっていって、HgA1cは7を超えてしまうし、元気もないし、いつも横になってる寝てるし」
「もちろん、このままではボケる!って思ったわ」
「それに加えて、どうしても、私たちと一緒に生活させてあげなくては!と思ったの。正直に言うと『最後ぐらいは母子一緒に過ごさせてあげたい』ってね。
ほんとに元気がなくて、そんなには長生きできないんじゃないかと思ったのよね、その時は。だって年齢が88歳ですよ!それが去年の年末」
「今年からお姑さんを迎えるにあたって、私のしたことは
1.絹子さんの本を読み返す。
2.糖尿病の勉強をする。
3.糖尿病にいい食事作りを実行。
毎食、海藻料理とかね。
4.家の周りを歩きやすいように片づけてあげた。
5.仕事一筋で生きてきて趣味はないタイプだったんだけど、ちょこっと編み物もできるように用意した。(この友人は編み物の先生)
6.家事で一緒にできることは、なるべく一緒にした。
7.家族のための仕事として、煮物は担当。洗濯物の整理もお願い!
8.Tさんにもよく相手をしてあげるように頼んだ。
まあ、こんな程度だったかな」
仕方ないから、手をとって歩くくらいだったの。
それが今では、3か月ほどしかたってないのに、朝夕、犬と散歩ですよ!」
「私が『図書館に行くので留守番をお願いね』と言ったら、最初は留守居をしてくれたのだけど、そのうち『私もつれていって』」
「今じゃあ、お気に入りの作家までできて、その人の小説を続けて借りるようになってるの」
「おしゃれになって、洋服も欲しがるし、美容院へも行くようになったのよ」
「Tさんとも、とっても仲良しでね・・・」
ここで私はちょっとした、感情の揺らぎを感じました(笑)
そこで私の発言
「ボケたお姑さんのお世話とどっちがいいの?」
「そりゃあもちろん元気なお姑さん。
でもね、同居を決めた時にはほんとにいつまで持つ?って言う感じだったのに・・・予想外(笑)」
「特別何をやったというのじゃないけど、絹子さんの言う通りなのね。
上手に手を打てば、ボケって治ることがよくよくわかったわ」
ここまで読んだ方は、「そんな簡単なことで認知症が治るなんて!」と思ったかもしれません。
彼女のやったことは、確かに特別のことではないかもしれません。
でも、いくら早期に気づいても、このようにきちんと日々の生活を変えていける(運動の脳、右脳、左脳そしてもちろん前頭葉をイキイキと使う生活にかえる)人ばかりでないことは確かです。
一人暮らしになって2年ですから、この程度に、脳機能の老化が加速されている状態ならば、本人に自覚があるので、促すと動けることは動けます。
でも、軽度認知症(小ボケ)の方々は、簡単にいうとスターターがうまく働いていない状態ですから、上手に誘導してあげる環境があるかないかで大違い。
言葉だけは一人前、やることなすことちょっと変、アチコチつじつまが合いません。
その状態のお姑さんを、彼女はとにかく動かしたのです。
嫁姑の関係はどうせどこか難しいものです。
お姑さんが理解がなくお嫁さんが一方的に我慢するというような極端な無理があったとします。
その時、このような状態に至ると、お姑さんは親身の声かけをしてもらえないのが普通です。
結論として、「こんなに良くなるなんて予想外」と笑っていえるお嫁さんの力がどんなに大きかったかと、私は思います。