報告中の「冬の旅」は2月に行ったのです。
3月になって、我が家のカレンダー(京都の庭シリーズ)が一枚めくられました。
「あれっ。これって知ってる!京都の宝泉院じゃないの?」
右下隅にある小さな説明に目を近づけてみると、たしかに「宝泉院」
こうしてみると、まさにあの「額縁の庭」でした。
カレンダーを最初に1月から12月めくってみた時にも、変わったお庭と思ったはずなのですが、すらっと通り過ぎてしまっていました。
2月に「宝泉院」に行った私としたら、今の感じ方は全く違います。
1.2月にしたら珍しいほどの晴天で、庭越しに見え隠れしてしてた大原の里山と青空との対比がほんとに一幅の絵だった。
2.折からの雪どけのせいか、右下にある水琴屈の音がいつもよりももっと深い音色だと、寺人が教えてくれた。その音がよみがえる。
3.もちろんひんやりした空気。
4.おいしい御抹茶とお菓子。
5.宝泉院を楽しんだ前後の出来事の数々がシーンで思い浮かぶ。
6.友との会話。
7.御座敷の西から見た景色ね。正面の額縁の庭を撮らなかったのはなぜ?
不思議ですね。一枚の写真でも体験する前と、後では脳を揺り動かす力が全く違います。
1~5までは右脳主体で思い出したこと。6と7は左脳も関与してますね。
こういう例はどうでしょうか?
旅行前にどんなに仔細にガイドブックを検討しても、いまひとつわかりませんが、あれこれと体験して旅行後にガイドブックを見てみると、不思議なほどよく理解できるでしょ?
左脳の刺激があっても、知識だけで体験がなければ、後に劇的に理解が進むということはないように思います。
奈良でN村さんがいろいろ教えてくださって、仏様の見方が変わったことを書きましたが、どこかの喫茶店で同じお話を聞いただけでは、単なる知識が増えるだけで、多分そのうちに忘れ去られてしまうでしょう。
軽く見られがちな右脳ですが、その場で体験し感じること(右脳の働き)が、思いがけないほど私たちの脳を活性化することを知っておいてください。