3月14日、NHK朝の連続ドラマ「カーネーション」で主人公がしゃべったセリフが耳に飛び込んできました。
大阪岸和田の洋裁店主。
戦争未亡人で女手一つで店を切り盛りし、オーダーメイドの洋服づくりを信条としてきた。
娘三人も洋服デザイナー(コシノ姉妹がモデル)として名をなしている。
その娘たちから、年齢を理由にそろそろ引退を勧められていた。
たまたまデザインした中高年用の洋服が評判を呼び、オリジナルブランドの立ち上げを持ち掛けられたところで骨折。介護ベッド生活中。
という設定でドラマは進行していました。
娘たちの引退勧告に対して
「夜寝るのが惜しゅうて、朝起きるのが楽しみで(そんな生活をしなくてどうする!)」
「おもろないとイヤ!おもろいのあきらめて生きていけるもんか!」
このような「おもろい」テーマは天から降ってきません。自分が見つけるのです。他の誰が「おもろない」と言っても、じぶんが「おもろければ」それでいいのです。それを決めるのが前頭葉。
探し出して、そしてやってみなくては。
そうでなくては「おもろいか」「おもろないか」を、前頭葉は決めることができません。
ところで、ここで私は、長男の会社の社是を思い出しました。
「すべてのスタートは『楽しむ』こと。『楽しい』ではなく『楽しむ』である」(クリックしてみてください)
こういうことが言える73歳(より以上)の人に対して、私たちは
「あの人は絶対ボケないね!」と太鼓判を押すものです。
それは私たちがボケるかどうかの基準を「生き方。それもイキイキとした生き方ができているかどうか」においているからです。
こういう人はたとえ骨折しても
「一か月で治るから!」と断言できる強さも楽天性も兼ねているものですね。
その後の情報番組「あさいち」の認知症の解説には、大きな?がいくつも浮かびましたが、世の中の人たちが持っている「どういう人がボケないかの物差し」が正しいというのみにとどめましょう。
3月1日から、新しいブログを始めました。
「認知症の早期診断、介護並びに回復と予防のシステム 」
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