どういう訳か、2017年3月に書いたこの記事が集中的に読まれています。何か理由があるのかもしれませんが、それを探るよりも再掲してみます。
脳には場所でその働きが異なる「機能局在」という考え方があります。左脳はデジタル右脳はアナログ。脳機能をそんなにシンプルなものと断定するのは危険ではありますが、この記事や記事中に紹介している前記事のような症例こそが、脳機能の局在を知る手掛かりを教えてくれます。
iPadを使っているのですが、購入した時にドコモショップのサービスで「dマガジン」というアプリがついてきました。
いわゆる週刊誌から月刊誌まで。男女ライフスタイル誌、男女ファッション誌、お出かけグルメ、エンタメ、ビジネス IT、スポーツ等々180誌が読み放題。
一か月後から有料でしたが、400円/月!ウソみたいな安さです。
dマガジン導入の前は、週刊新潮や週刊文春は新聞の広告欄の見出しで十分と思っていましたが、今はときどき読むことがあります。何しろ無料ですから(笑)
今日は週刊文春3月30日号を読んで、またもや右脳に言語野がある(かもしれない)ケース発見。
週刊誌の見出しはちょっと恥ずかしくて転記しにくいですねえ。でも。
「石原・浜渦『逃げ恥』を許したおバカ都議」3ページにわたる記事でしたが、気になったのは9行のみ。
「石原氏は脳梗塞の後遺症が残る利き手の左手ではなく、右手で宣誓書にサインし、冒頭『(記憶を司る)海馬がうまく働かず、平仮名さえ忘れました。記憶を引き出せないことが多々あります』と断ったうえで質疑に応じた。」
ここでお断り。今回の記事は、書かれていることが正確であるという前提でお話ししています。
3月27日。小雨の庭の花たちです 。貝母
この短い9行の記事から、いろいろなことがわかります。
まずは「利き手が左手」ということですね。 その左手に「署名ができないほどの後遺症としてのマヒがある」ということもわかります。
ということは、脳梗塞は「右脳に起きた」ということになります。
びっくりすることに「平仮名を忘れている」つまり、「平仮名が読めない」とカミングアウトしたのです。
もう一つは「(利き手でない)右手で名前は書ける」のですね。
ミニ水仙
右脳の働きはアナログ情報の処理、色や形や音楽さらには感情的な処理までも受け持ちます。左脳はデジタル情報の処理をします。つまり言葉は左脳の担当ですから、右脳にダメージを受けたときには「失語症」の心配はしなくていいのが普通です。
ただし大切なことは、このざっくりしたわけ方は、右利きの人の場合だということです。左利きの人は、言語野が左脳にも右脳にもあると言われています。
石原さんの「平仮名が読めない」ということは、言葉の障害と考えられます。理由は、石原さんは左利きですから、脳梗塞でダメージを受けた右脳にも言語野があったということなのです。
先日のニュースで、石原慎太郎さんが百条委員会での証人喚問に際して、次のように発言したと伝えられました。正確な情報のためにネットで全文記載してありそうなものを見つけましたから、ここに転記します。
「お答えする前に一言、お断りしておきますけど。私ごとになりますが、私、2年ほど前に脳梗塞を患いまして、いまだにその後遺症に悩んでおります。現に、利き腕の左腕が使えず、字も書けませんし、絵も描けません。患部がですね、右側頭頂部だったために、その近くに「海馬」と言う不思議な部分がありまして、記憶を埋蔵している箱のようなものですが、これがうまく開きません。そのため、残念ながら全ての字を忘れました。平仮名さえ忘れました。物書きでありますから、ワードプロセッサーを使ってなんとか書いてますけど、そういう点で記憶を引き出そうとしても思い出せないことが多々ありますので、一つ、ご容赦いただきたいと思います」
うーん、週刊文春の短い記事はけっこう正確に伝えてくれています。
冬アジサイ
一般の読者はびっくりしたでしょう。
こういう場所ですから「まさか嘘は言わないだろうから、脳梗塞の後遺症で海馬がうまく働かなくなると平仮名も忘れてしまうんだ」とそのままに受け取ったのではないでしょうか?
発言内容はさておき「その割には、ちゃんと話すことはできるんだ」と思ったでしょうね。
単に「宣誓書にサインをした」とだけ書かずに「脳梗塞の後遺症の残る利き手の左手でなく、右手で」と「左手が利き手」であることを省略してないことに拍手です。
左利きの人は、言語野が左脳だけでなく右脳にも一部あるといわれています。
そのことは、左脳にダメージを受けても言語野がすべてやられることになりませんから、「左利きの人は失語症が軽くて済む」といわれることにつながります。
今回のように、右脳にダメージを受けたのに、普通なら左脳障害の後遺症である言葉の障害(軽症のことが多いですが)を起こしてしまうことにもなりますけど。
たまたま、前回の記事「例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります」も同じ例です。
クリスマスローズ
実は「また『忘れる』ことが、種々のトラブルの原因にされてしまって・・・困ったこと」と、私は思っていました。
その前に解説が必要だということに、週刊文春の記事は気づかせてくれました。
平仮名を「忘れてしまって」分からなくなったのではなく、平仮名の理解をする脳の機能に、脳梗塞の後遺症が起き「読めなくなって」しまったのです。形のレベルで「わからない」場合も、形はわかっても「意味と関連付けること」ができなくなってしまう場合もあります。
漢字の方がわからないケースと、仮名の方が難しくなるケースがあります。一文字が問題の場合もあるし、文が難しい場合もあります。
「失読」という症状です。細かく調べないと正確なことは言えません。
「失読」には「失書」も伴うことがよくあります。「字が書けない」という症状です。ところが自分で書くことはできなくてもパソコンを使えば書ける場合もありますから、石原さんの発言の後半はうなずけるものだといえます。
脳機能という切り口を持っていると、たった9行の記事からもいろんなことがわかるものです。
コリアンダー
認知症も「物忘れ」こそ大切な症状と思われています。何か問題があれば「物忘れ」「記憶力がおかしい」「思い出せない」「覚えられない」と言います。
認知症の最初の症状は「記憶力低下」ではありません。
前頭葉の機能低下こそ、認知症のもっとも初期の症状の原因となります。
例えば小ボケの症状である「鍋を焦がしたり、やかんの空焚き」をしてしまうのは、鍋やヤカンを火にかけているのを「忘れる」のではなく 、他の用事をしていると、前頭葉の中核的な働きである「注意分配力」がうまく働かない状態なので、注意を振り向けることができなくなるから起きる失敗なのです。
いろんなことを思いついたり、企画したりするような「意欲」も前頭葉の役割です。
認知症が始まってすぐ、記憶の障害が目立つ前に「意欲」がわきませんから「何もせず、ボーとして居眠りばかりしている」のですが、そのことを指摘すると「あんたもこの齢になったらわかるわよ」などと妙に納得させられるような反論にあったります。そうすると「『物忘れ』もそんなに目立たないし、やっぱり歳のせいかなぁ」と、折角の認知症を回復させられるゴールデンタイムを見逃してしまうのです。