脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

石原慎太郎さんは左利き-右脳梗塞で失語症に(再掲)

2024年01月13日 | 右脳の働き

どういう訳か、2017年3月に書いたこの記事が集中的に読まれています。何か理由があるのかもしれませんが、それを探るよりも再掲してみます。

脳には場所でその働きが異なる「機能局在」という考え方があります。左脳はデジタル右脳はアナログ。脳機能をそんなにシンプルなものと断定するのは危険ではありますが、この記事や記事中に紹介している前記事のような症例こそが、脳機能の局在を知る手掛かりを教えてくれます。


iPadを使っているのですが、購入した時にドコモショップのサービスで「dマガジン」というアプリがついてきました。


いわゆる週刊誌から月刊誌まで。男女ライフスタイル誌、男女ファッション誌、お出かけグルメ、エンタメ、ビジネス IT、スポーツ等々180誌が読み放題。
一か月後から有料でしたが、400円/月!ウソみたいな安さです。 
dマガジン導入の前は、週刊新潮や週刊文春は新聞の広告欄の見出しで十分と思っていましたが、今はときどき読むことがあります。何しろ無料ですから(笑)
今日は週刊文春3月30日号を読んで、またもや右脳に言語野がある(かもしれない)ケース発見。
週刊誌の見出しはちょっと恥ずかしくて転記しにくいですねえ。でも。
「石原・浜渦『逃げ恥』を許したおバカ都議」3ページにわたる記事でしたが、気になったのは9行のみ。
「石原氏は脳梗塞の後遺症が残る利き手の左手ではなく、右手で宣誓書にサインし、冒頭『(記憶を司る)海馬がうまく働かず、平仮名さえ忘れました。記憶を引き出せないことが多々あります』と断ったうえで質疑に応じた。」
ここでお断り。今回の記事は、書かれていることが正確であるという前提でお話ししています。

3月27日。小雨の庭の花たちです 。貝母

この短い9行の記事から、いろいろなことがわかります。
まずは「利き手が左手」ということですね。 その左手に「署名ができないほどの後遺症としてのマヒがある」ということもわかります。
ということは、脳梗塞は「右脳に起きた」ということになります。
びっくりすることに「平仮名を忘れている」つまり、「平仮名が読めない」とカミングアウトしたのです。
もう一つは「(利き手でない)右手で名前は書ける」のですね。

ミニ水仙

右脳の働きはアナログ情報の処理、色や形や音楽さらには感情的な処理までも受け持ちます。左脳はデジタル情報の処理をします。つまり言葉は左脳の担当ですから、右脳にダメージを受けたときには「失語症」の心配はしなくていいのが普通です。
ただし大切なことは、このざっくりしたわけ方は、右利きの人の場合だということです。左利きの人は、言語野が左脳にも右脳にもあると言われています。

石原さんの「平仮名が読めない」ということは、言葉の障害と考えられます。理由は、石原さんは左利きですから、脳梗塞でダメージを受けた右脳にも言語野があったということなのです。

先日のニュースで、石原慎太郎さんが百条委員会での証人喚問に際して、次のように発言したと伝えられました。正確な情報のためにネットで全文記載してありそうなものを見つけましたから、ここに転記します。
「お答えする前に一言、お断りしておきますけど。私ごとになりますが、私、2年ほど前に脳梗塞を患いまして、いまだにその後遺症に悩んでおります。現に、利き腕の左腕が使えず、字も書けませんし、絵も描けません。患部がですね、右側頭頂部だったために、その近くに「海馬」と言う不思議な部分がありまして、記憶を埋蔵している箱のようなものですが、これがうまく開きません。そのため、残念ながら全ての字を忘れました。平仮名さえ忘れました。物書きでありますから、ワードプロセッサーを使ってなんとか書いてますけど、そういう点で記憶を引き出そうとしても思い出せないことが多々ありますので、一つ、ご容赦いただきたいと思います」
うーん、週刊文春の短い記事はけっこう正確に伝えてくれています。
冬アジサイ

一般の読者はびっくりしたでしょう。
こういう場所ですから「まさか嘘は言わないだろうから、脳梗塞の後遺症で海馬がうまく働かなくなると平仮名も忘れてしまうんだ」とそのままに受け取ったのではないでしょうか?
発言内容はさておき「その割には、ちゃんと話すことはできるんだ」と思ったでしょうね。
単に「宣誓書にサインをした」とだけ書かずに「脳梗塞の後遺症の残る利き手の左手でなく、右手で」と「左手が利き手」であることを省略してないことに拍手です。
左利きの人は、言語野が左脳だけでなく右脳にも一部あるといわれています。
そのことは、左脳にダメージを受けても言語野がすべてやられることになりませんから、「左利きの人は失語症が軽くて済む」といわれることにつながります。
今回のように、右脳にダメージを受けたのに、普通なら左脳障害の後遺症である言葉の障害(軽症のことが多いですが)を起こしてしまうことにもなりますけど。
たまたま、前回の記事「例外ですが、左脳=デジタル・右脳=アナログに当てはまらないこともあります」も同じ例です。
クリスマスローズ
 
実は「また『忘れる』ことが、種々のトラブルの原因にされてしまって・・・困ったこと」と、私は思っていました。
その前に解説が必要だということに、週刊文春の記事は気づかせてくれました。
平仮名を「忘れてしまって」分からなくなったのではなく、平仮名の理解をする脳の機能に、脳梗塞の後遺症が起き「読めなくなって」しまったのです。形のレベルで「わからない」場合も、形はわかっても「意味と関連付けること」ができなくなってしまう場合もあります。
漢字の方がわからないケースと、仮名の方が難しくなるケースがあります。一文字が問題の場合もあるし、文が難しい場合もあります。
「失読」という症状です。細かく調べないと正確なことは言えません。
「失読」には「失書」も伴うことがよくあります。「字が書けない」という症状です。ところが自分で書くことはできなくてもパソコンを使えば書ける場合もありますから、石原さんの発言の後半はうなずけるものだといえます。
脳機能という切り口を持っていると、たった9行の記事からもいろんなことがわかるものです。
コリアンダー
 
認知症も「物忘れ」こそ大切な症状と思われています。何か問題があれば「物忘れ」「記憶力がおかしい」「思い出せない」「覚えられない」と言います。

認知症の最初の症状は「記憶力低下」ではありません。
前頭葉の機能低下こそ、認知症のもっとも初期の症状の原因となります。
例えば小ボケの症状である「鍋を焦がしたり、やかんの空焚き」をしてしまうのは、鍋やヤカンを火にかけているのを「忘れる」のではなく 、他の用事をしていると、前頭葉の中核的な働きである「注意分配力」がうまく働かない状態なので、注意を振り向けることができなくなるから起きる失敗なのです。
いろんなことを思いついたり、企画したりするような「意欲」も前頭葉の役割です。
認知症が始まってすぐ、記憶の障害が目立つ前に「意欲」がわきませんから「何もせず、ボーとして居眠りばかりしている」のですが、そのことを指摘すると「あんたもこの齢になったらわかるわよ」などと妙に納得させられるような反論にあったります。そうすると「『物忘れ』もそんなに目立たないし、やっぱり歳のせいかなぁ」と、折角の認知症を回復させられるゴールデンタイムを見逃してしまうのです。

ホンコンドウダン(ピンクシャンデリア)

by 高槻絹子

 



1月の右脳訓練-③新宿末広亭

2024年01月13日 | 私の右脳ライフ
新宿西口のヒルトン東京に友人と一泊しました。
友人は仕事のため、新宿駅に翌朝10時半過ぎには着かないといけません。つまりそれからは一人の東京タイム。
考えてみたら新宿に行くことはあまりありません。ここはひとつ新宿で過ごしてみようとまず第一段階の決断。(庭のビオラを見てください)

新宿で体験してみたい新しいニュースがない。そういう時、歳を重ねた人たちだけができることがあります。思い出の中を探ってみる…
母が体調を壊して長く慶應病院に入院したのですが、主治医の異動に伴って東京医大に転院しました。大学3年生の時だったか。
地上が開いている地下1階の西口広場は、もうできていました。今の新宿中央公園はまだ淀橋浄水場。もう使ってなかったかもしれませんが大きな浄水池が並んでいました。
最初の高層ビルの京王プラザホテルは建築中。

その頃新宿西口は、学生たちの町。フォークソングから始まってプロテストソングが響き渡るそんな町だったのです。一方で大学では急進的な学生たちが大学紛争と言われることになる大学当局との対立を繰り広げていました。大学構内のあちらこちらに、全共闘、革マル、中核派などの言葉が踊る、特徴的な字体の立て看板が立てかけられていた景色が今胸の中に広がります。
学生たちの活動はどんどんエスカレートしていきました。国際反戦デーの新宿西口では投石放火などだったでしょうか、とにかく駅の機能をストップさせてしまい、機動隊と激しく対立、多くの逮捕者まで出てしまうような事件すらありました。
そんな学生闘争真っ盛りに大学生活を送ったのですが、当時の言葉で言えばひよっていた私…正確に言えば幼すぎて問題意識を持つところまで至ってなかったと思います。

通学は池袋↔︎渋谷の山手線を使っていました。毎日新宿で途中下車して東京医大病院に寄って、母とあれこれ今日の出来事の話をしあって、夕食を見守り(残ったら私が食べて)帰宅。世の中の騒がしさとは無縁の学生生活でした。

私の生きてきた人生があるので「新宿」という言葉がこんなにも厚みを生んでくれる…歳を重ねるということもいいものですね。
私は、たまたま東京で学生生活をし、母の入院もあったので「新宿」が厚みを持って立ち現れましたが、もし全く知らない地名や言葉であっても「その時の私」は何をしていたか、何を思っていたかなどに思いを巡らせることで、きっと同じように厚みが生まれてくると思います。これが長く生きてきたことが持つ力です。

第二段階の決断は「そうだ。末広亭に行ってみよう!」
大学生になった時には2歳上の兄と一緒に暮らしました。入学後ちょっと落ち着いた頃に末広亭に連れて行ってくれました。
「こういうところも東京らしいよ」と兄が言ったことは覚えていますが、演目はすっかり忘却の彼方。


だいたいの計画が立ったところで、さあ行動開始。友人と二人でまずは新宿駅西口を目指してスタートです。
中央公園も木々が大きくなって、ここに浄水池があったとは誰も思わないでしょうね。

新宿西口まで歩いて行ったら小田急デパート大改築中…今度はどんな西口になるのでしょうか。

JR新宿駅で友人と分かれた後、ホテルへのシャトルバスを見つけたので、今チェックアウトしたホテルまで乗ってみることにしました。ピストン輸送していましたから、そのまままた新宿西口まで。都庁をはじめ高層ビル群の位置関係がよくわかりました。こういうことは私の趣味のようなものです。(好みは十人十色です)

まさに淀橋浄水場の跡に建てられた東京都庁舎。展望台に行ったのはいつのことでしょう?行けるようになったらすぐ行ったような…今度また展望台に行ってみましょう。

末広亭に行くには新宿駅を西口から東口まで連絡通路を使って横切ります。

私が住んでいるところにはUber Eatsがありません。半世紀経っても東京と地方には大きな格差がありますね。
東口のネコちゃんに会わなくっちゃあ。2021年の公認心理師試験を受けに来たときには、新宿駅が乗換駅だったのでわざわざこのネコちゃんを見にやってきました。

しばらくネコちゃんを見て、紀伊國屋を横目で見ながら通過、伊勢丹は1階を通り抜けて、さらにもう一区画進んで左折。右を見るともう末広亭の通りになります。

ちょっと検索してみたら、新宿末広亭は昭和21年に建てられた木造の建物。あらま!私とほとんど同じだけの歴史を持っているということです。
お弁当とお茶を持ち込んで、左右の桟敷席にも心惹かれましたが、一番前の椅子席に。
一番ずつの出し物が短いのです。5分くらいでしょうか。落語だとさわりの部分だけみたいな感じです。だんだん名前の知られている人たちが出てくると、持ち時間が長くなる。
春風亭昇太はもちろん「笑点」の話から入りましたが、なんと「時そば」を語ってくれました。私の目の前に、昨日見たばかりの深川江戸資料館のそばの屋台が見えましたよ。想定外の出来事が起きてくるのも生きていくときの楽しみの一つです。
色物というそうですが、落語以外の出し物も合間合間に演じられます。講談。切り絵。漫才。手品。曲芸。イキイキとした表情が手に取るようにわかります。小劇場というより、芝居小屋はこうでなくっちゃあ。
客ぶりというか、笑声のタイミングがいいお客さんがいて、雰囲気を引っ張ってくれました。歌舞伎の大向こうからの掛け声のようなものですね。
もう一つ。切り絵のモデルになった男性が、その作品を受け取りに行きながらお札を小さくたたんで芸人さんに手渡していました。「お。粋だなあ。経験を積まないとこうはできない」と拍手に力を込めました。
12時から、新幹線の時間に間に合うように4時半まで。楽しみました。
建物内の写真は不可ですから、せめて寄席看板を。

帰宅後、江戸文字について調べてみました。
江戸時代に使用された図案文字。
芝居文字:勘亭流。歌舞伎の看板、番付に使用。
相撲字:根岸流。大相撲の番付、広告に使用。
寄席文字:橘流。空席がないように字間を詰めて書くのが特徴。
新宿のビルの場所を知るのも、江戸文字の種類を知るのも、新しい知識を得ることは私の喜び。喜ぶ時間は脳を活性化しますが、これはあんまり深くはないかもしれません。
私的な遊びの記録をブログにあげるのは、こういう脳の使い方もある。こういう楽しみ方もあるという具体例を提示しているつもりです。参考にはならないかなあ…

by 高槻絹子






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