「ボーダーラインとは
ここ20年ばかり、まさにボーダーラインの大流行である。これまで境界性といわれていたが、最近ではボーダーラインという英語読みが専門語を脱して一般の間でも通用するようになった感がある。ボーダーラインといわれて相談にきたといって外来を訪れる患者ないしは家族も少なくないのである。いわば誰もが知っている精神科の「病気」のひとつになったわけである。そして、よく聞かれるのは、「彼をどう扱ったらよいか」ということである。多少とも心の問題にかかわりをもつ人であれば、関心のあるところのようである。
そこでボーダーライン患者に特徴的ないくつかの心性を取り挙げ、その対応の仕方を検討することにしたいと思う。
ボーダーラインとは、もともと神経症と精神病、ことに精神分裂病の境界という意味で使用されていたが、1968年にO・F・カンバークがボーダーライン人格構造という概念を提唱して以来、一般人格より低い水準で機能している人格として捉えられるようになった。そして、1980年、米国精神医学学会の疾患分類第三版DSM‐Ⅲにおいて人格障害の一つとして収録されるに及んで広く一般に知られることになった。この背景には、この種類の患者の急増がある。さらに彼らは、厳しい行動を起こして周囲を巻き込むという特徴をもつだけに、臨床現場での注目を浴びることが多くなった。この事情はわが国でも同じである。
臨床的特徴-症例より-
ここに繰り返される手首自傷を訴えて来院した23歳の未婚女性がいる。
問題がはじまったのは、中学2年の半ばにニキビを気にするようになってからである。とくに男の子の目が気になりやすかったというが、男性への関心が高まったという意識はなかった。そして、ニキビのために登校するのが辛くなり、家に引きこもるのであるが、次第に登校をめぐって母親に暴力を振るうことがみられるようになった。それと前後して不潔恐怖による強迫洗浄も始まった。種々の症状として激しい感情(怒り)の突出に家庭内はかなりの緊張と混乱がみられたようです。父親は、単身赴任が多かったことに加え、子育てに関与することはなかった。
ただ、そうした状態にあっても、中学は何とか卒業し高校に進学した。しかし、学校では異常に緊張するためいよいよ外出が難しくなったという。そのうち、太ることへの恐怖が生じ、拒食の傾向も出てきた。そのため、17歳のとき某大学心療内科に入院したが、今度は手首を切るようになった。前腕内側に縦縞模様に裂創を作るのである。そのため、精神科に転科となったが、そこでの人間関係もつらくて本人のつよい希望で退院となった。
その後、拒食、手首自傷、家庭内暴力を起こしては三度ほどの入退院を繰り返している。その過程で高校を中退しているが、注目すべきは、そんな中である劇団の研究生になったり、大学受験検定試験を受けて合格したりしえいることである。もっとも、大学受験に失敗してから人間恐怖がひどくなり、チック様症状、オナラ恐怖、手首自傷などを織り混ぜながら、次第に引きこもりと家庭内暴力が全面に出る状態がみられるようになった。しかし、家にこもっていると取り残される不安が生じてきて、近くのデイケアに通ったり、恋人が欲しいといって教会に通ったりするところがある。ただ、長続きはしない。
そして付き添った両親によると「最近になって母親を傍らから離そうとしないため食事の準備さえ支障をきたしている」という。
また、二、三回目の面接で次のような話をしている。母親は、第一回目の妊娠のときひどい妊娠中毒症で、しかも死産であった上に、その後は三年ほど病人生活であったらしい。そして自分の妊娠のときもまた妊娠中毒だったのでひどく不安だった。未熟児で逆子であった。また小学二、三年のころからすでに、友達は遊んでいるのに、勉強しろというし、できないと髪を引っ張るなどのすごいヒステリーであった。とっても怖かった。しかしそれは本当の強さではなく、感情的になってひきつけをおこし、自分が水を持っていってやったことさえある。このように、生々しい昔の想い出が早期に出てくるのである。
そして、治療がはじまってしばらくしたところで、母親が突然行方をくらますという事件を起こしてしまった。母親が耐えられなくなって、母親機能を放棄したのである。
これは、かなり重症例のボーダーライン症例である。一般の適応のよい症例では、普段は何とか仕事なり社会生活なりを送れているが、ちょっとしたことで衝動的、不安定になるといった程度で治まるのが普通だである。しかしこの症例では、恐怖感におののいて家から外出できないほどの状態が長い間つづいている。それだけに、ボーダーライン患者の特徴がよく現れているといってよいであろう。
まず彼らは非常に衝動的で不安定である。経過をみていると、想い叶って恋人ができると調子よさそうにみえるが、まもなくすると関係がこわれ抑うつ的に、さらには家庭内暴力、手首自傷、過食などが突出してくるのである。そして何よりも出現する賞状なり問題行動なりが多種多彩で、激しいのである。
こうした症例をどう扱ったらよいのであろうか。いくつかの特徴的な心性を挙げながら、その対処法を検討することにする。
部分的対象関係ということ
先の症例の特徴のひとつは特有な母親像であろう。患者は幼い頃から母親に支配的、感情的、そしてサディスティックな印象をもって生きてきたといっている。確かに、この種の症例には感情的になりやすい母親がいるので、この母親にもきっとそうした側面があったに違いない。しかし、治療者の眼前には子どもに圧倒されて困惑してしまった母親しかいない。これを併せ考えると恐ろしい母親の真の姿は、患者が人間恐怖ともいっている感情状態を考慮に入れないとみえてこない。いわば患者の激しい感情が投影されてできた母親像でもあるのである。したがって、この母親像は非常に主観的な性質をもっているといわねばならない。しかし、妄想のように患者の主観が現実を無視して描いた像ではない。母親の感情的な姿は確かにあったのであるが、しかしそれがすべてではないということである。感情的な面が異常に誇張されているのである。したがって、患者の感情状態がよくなって依存的な母子関係がでてくると、優しい母親像も出てくるのである。比較的安定したとき、この患者に「ひどいお母さんといっていたが、優しいところもあるんだ」といえば「そうですね」と簡単に同調するのである。大切なのは、一般の成人のもつ「うちの母はときどき感情的になるけれどそれなりに私たちのことも考えてくれている」といったよいところとわるいところをブレンドして描く能力がないことである。ひどい母親となればそれ以外の側面は考えられないし、優しい母親となればひどい母親の姿がみえないのである。
このように一面だけしかみえない母子関係を「部分的対象関係」といい、対象のよいところもわるいところもブレンドして描く能力を備えた人格を全体的対象関係的と呼ぶのが一般的である。
部分的対象関係の精神力動
問題は、こうした関係がどのような推移のなかで生じてくるかである。ここに20歳になる未婚の女性がいる。治療中のある日、次のような訴えをしてきて私を驚かした。面接室に入るなり「先生、私の母ほどひどい親はいませんよ。私に死ねといいます」と興奮気味である。不思議に思って事情を聞いても、「ひどい親」をいい張るだけで、話が進まない。「やさいいこともあるじゃない」というと、「先生まで母の味方をする」と激しい言葉を筆者に浴びせかけてくるのである。「何かあったな」と思いつつ興奮気味の患者を治めるべく温かく包むより他なかった。
その数日後、母親がやってきて、「先生、この頃、荒れて困っています」という。聞くと次のような遣り取りが母子間であったことがあきらかになった。治療の前の日に、「ねえお母さん、治療にったら何を話したらいい?」と聞くので、思ったこと何を話してもいいのよと返事をすると「何も話すことないもの」という。その後、そんなことないでしょうというと「何もない」といった遣り取りをしていると、鉛筆の先でフスマを突き始めたのであった。そのため「ユキちゃん、止めなさい」と制すると、「お母さんは私が嫌いになったでしょう」といい出すのである。それで「そんなことないわよ、大切な子どもだもの」と返事をするが、これまたエスカレートしていくのであった。ついには、「お母さん、私はいない方がよいと思っているでしょう」「私は死んだ方がよいと思っているでしょう」「死んでやる」と執拗なのである。たまりかねて「そんなに死にたければ、死ねばいいじゃない」といってしまったというのである。これが「うちの母はひどい親です」の起源であることが判明した。
ここで注目していただきたいのは、物語が前半と後半に分かれていることである。「ねえお母さん、何を話したらいい?」と語りかけているときの温かい母子関係と「死ねばよい」といったときの険悪な母子関係という質的に異なった二つの関係があるのである。そして、治療者のところに来たときの患者の頭には物語の後半しかない。「だって、お母さん、優しいときだってあるじゃない」というと「先生まで、母の味方をするんだから」とひどい剣幕になるのである。
もしこれがかつてのヒステリー患者であったら、たとえ「私の夫は女遊びはするは、金使いはあらいは、何とひどい人間でしょう」と訴えて来て興奮していても、話を聴きながら「だって優しいところもいろいろあるじゃない?」といった対応をしえいると、「そうね、そういうこともあったわね」と治まってくるものである。ところが、ことボーダーライン患者となるとそうはいかないのである。ひどい親と、その親に虐待されるかわいそうな子という関係の部分は固定してしまっていて、それを無理に修正しようとするとかえって事態をわるくするばかりである。
このような温かい人間像(親子)と邪悪なそれとが水と油のごとく混じり合わずに別々に出現することを、私たちは分裂減少と呼び、そうした親子関係を部分的対象関係と呼んでいることは先述した通りである。
こうした関係は、非常に不安定で、憎しみ、怒り、抑うつといった陰性の感情状態を引き起こし、ともすればゴタゴタしやすいので、治療関係が危機に瀕するばかりか、ときには身体的な危険さえもたらすことさえあるのである。それだけにその対応が重要となる。
部分的対象関係の扱い方
険悪な対象関係が状況を支配する場面でどのような対応の仕方があるのであろうか。もっとも有効な方法は、関係者があつまって、部分と化してしまった物語を筋の通った全体に統合することである。先の例を取り上げると、母親と患者と治療者の三人が集まって話し合ったことで、母親に向けていた患者の高まった感情も治めることができたのであった。これに似た事態は入院にしろ外来にしろ、いくつかの職種(医師・看護師・臨床心理士など)がかかわるチーム治療においてしばしば起こってくる。看護師や心理士との間で部分的対象関係を基盤にした激しい遣り取りが発生することが少なくないのである。こうしたとき関係者が寄り集まって、患者を温かく支えながら、ことの成り行きを明らかにしていくのである。この手続きは欠かせないように思う。
それでゃ外来での一対一の関係のときの対応はどのようなものになろうか。関係者を集めることが容易でないことが多い。こうした場合、筆者は、語られている物語が全体の一部にしか過ぎないことを自分で意識することが大切だと思っている。そして次いで仮想の第三者を頭の中に準備するようにしている。こうした心構えをとるだけでも、こうした状態の患者を前にして治療者自身がずいぶんと楽になるのである。この楽さ加減が大切である。もちろん、よい関係においてもやはり別の隠れた部分のあることを承知しておくことは大切である。
これは家庭内の関係についても同じである。一般に母親と子どもの間が険悪になっていることが多いが、そうしたときは父親なり兄なりが第三者の立場から仲介的な役割を演じる場を作るように心掛けることである。ただ、ここで示した症例の場合、母親の対応が子どもに何らかの不安、あるいは見捨てられ抑うつを引き出さないように心掛けることが大切であるが、すでにでき上がっているボーダーライン症例の母子関係ではそうした遣り取りを避けることは大変に難しいことと言わねばならない。専門家の指導を仰ぐことも必要になってくるが、避けがたい見捨てられ抑うつにどう対処するかが重要になってくることは間違いない。そのためには、二人(母子)だけの世界に父親ないしはその代理者をどう参加させるかが鍵となる。
対象関係のスィッチング
部分的対象関係には、もうひとつ別の側面のあることも忘れてはならない。それは、もうひとつ質の違った二つの対象関係が展開していることである。
例えば先述の症例で、患者がうちの母はひどい親といって部屋に駆け込んできたとき、治療者が「そうとばかりはいえないだろう。優しいときだってあったじゃない」と返事すると、猛り狂ったように「先生まで母の味方をする」と激しい感情を治療者の胸倉に投げ込んできたことを述べた。注目すべきは、うちの母はひどいといっているときの治療者患者関係はいたいけな子どもがお父さんに助けを求めているがごとき雰囲気があるが、治療者の返事に「先生まで母の味方をする」といきり立ったときの患者は獰猛な野獣のごとき雰囲気をもっていて、治療者を圧倒してしまっていることである。いわば主客が逆転しやすくなっている。これが対象関係のスィッチングと筆者が呼んでいるものである。投影同一視という未熟な防衛規制のなせるわざである。
こうした状況にどう対応するか。
まず心得ていなければならないことは、激しい感情を胸倉に投げ込まれて麻痺状態になっている治療者の心自身を回復させることである。萎縮して弁解がましくなったり、治療者の方が怒りを突出させたり、役割を放棄したりさまざまな状態に陥るわけであるが、できるだけ早く本来の<自分>を取り戻すことが大切である。また激しい言葉を浴びせ掛けながら、目の前で手首を切ってみせたある患者がいた。このようになると、治療者一人では手に負えなくなっている。補助者、ことに看護婦の手助けが必要となる。ともあれ、こうした状況では治療者自身が治療者としての機能を喪失しているわけであるから、誰かの手を借りてでも、できるだけ早く治療者機能を回復させることを図らねばならない。


