たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

大量の中国人、大量の中東系

2025年03月22日 23時53分16秒 | 日記
 なんとか無事に日比谷を往復することができましたが往復の道のりはやはりぞっとします。日比谷駅に降り立つと構内に大量の中国人、やっぱりいるのか中国人、北京語きこえなくてもみためで中国人だとわかります。中国人だとわかるだけでイライラします。北京語が聞こえるともっとイライラします。帰りの乗り継ぎ駅に大量の中東系男性。駅のホームも電車の中も大量の中東系男性。優先席とかどかどかと坐っています。どこからきてどこでなにをしている人たちなのでしょうか。クルド人?わかりませんがぞっとしました。中国人を筆頭として日々外国人が増えています。浸食されています。東京宝塚劇場の中におそらくドイツ語だったと思いますが女性の二人連れ。友の会の貸切公演だったので宝塚が好きで観劇に来たのでしょう。日本が好きで日本を楽しもうと来ている外国人にどうということは全くありません。日本を食い物にしようとしているおかしな外国人にはもうこれ以上きてほしくないのです。終演後、シャンテの中でいつものちゃんぽん。中国人の女性が接客してくれました。彼女たちにどうこうということは全くありませんが本当に人手不足なのでしょうか。外国人を雇用すると最大72万円の助成金。日本人よりも安く使うために外国人を雇用すると最大72万円もらえる。日本政府のやっていることがおかしすぎます。東京の往復もはやぞっとするばかりです。日本人は帽子かぶってマスクしてまるで不審者のような人ばかり。日本はいつからこんなおかしな国になってしまったのでしょうか。あー、ほんとにもう日本終了。往復はもう背筋が凍りつくような思いがするばかりです。年配者もどうしてしまったのでしょう。医療機関や高齢者施設でマスク強要され続けてきているからマスクですか?なんか脳みそに血液がちゃんと回っていないんじゃないかって、そのようにしかみえなくってほんとに日本人どうしてしまったのでしょう。これではおかしな外国人に舐められるばっかりです。もうやめてくれませんか、そのマスク。










中国大使館で駐日大使に媚びえつらう石破首相夫人

2025年03月22日 13時16分03秒 | 気になるニュースあれこれ

中国に日本を売り渡そうとしている岸田前総理、石破総理、岩屋外務大臣。日本人を苦しめて中国人には至れり尽くせりの中国人ファースト、子どもがめった刺しにされて命を落としたことに抗議すらしない。日本人が憎いのか、なぜこのような人たちが日本の中枢にいるのか。日本おかしい、完全におかしい。


韓国の警察はおかしな外国人を逮捕、

2025年03月22日 12時41分48秒 | 気になるニュースあれこれ

日本の警察、完全に舐められています

2025年03月22日 12時33分01秒 | 気になるニュースあれこれ
おかしな外国人に対して、その場で発砲できる、逮捕できるような強い権限を警察官にもたせるよう法改正が求められます。こんだけ無防備に外国人をいれていたら日本の治安が悪化するばかりです。日本は世界一安全な国、海外にいくと実感します。お手洗いに立つとき荷物をおいていっても盗まれることはない、この世界一の安全は一度壊されたら戻すことはできません。衆議院法務委員会で選択的夫婦別姓などやっている場合ではないのですよ、立憲民主党のアタマおかしい国家議員さんたちきこえますか?


警察官、マスク外して・・・。


生きた心地しませんがいかねばなりません

2025年03月22日 12時10分13秒 | 日記
 外に出れば中国人、東京に行けば大量の中国人、次から次へと日本人を消滅させようとしているかのような日本政府の施策、ついにSNS規制と緊急事態条項がきてファシズムへと走っている自公政権。なにからなにまでおかしすぎてもはや生きた心地がしません。安倍晋三氏が亡くなったとき、日本が短い間にここまで転落することになるなど思いもしませんでした。純粋に観劇を楽しむことも難しくなってきましたが、チケットを予約できた分はなんとかいかねばなりません。何件も抽選で申し込んで当選した結果3月に観劇が集中してしまいました。気温があがってきました。席がセンターの中央あたりなのできついです。遅れると大迷惑。不安神経症に打ち勝ってなんとかバスと電車に体を乗せなければなりません。右膝と股関節の痛みが寝ている間もひどかったのは寒さと気圧によるものだったようです。体を揺らしてドスドスドスドスと歩かなければなりません。歩き方がおかしいとかばかにされてきました。精神的にたるんでいるかのよに笑われてきましたがわたしのせいではなかったですね。親から与えられた私の人生の罰ゲーム。罰ゲームも含めて私に与えられた人生だということでもうしばらく生き長らえねばなりません。

東日本大震災のあとずっと不安神経症、鍵を何度も何度も確認しないと不安でたまりません。わかっていても東京までいくとなると不安でたまらなってしまいます。どうかできるだけスムーズに出られますように。

トアラセット出る前に一錠、日比谷シャンテでまた一錠、親から割り振られた私の分の苦労、仕方ありません。ここまでまだ生き長らえていることができるだけ良しということで。そんな考え方は歪んでいると言われても辛いもんは辛い、確かに命に別条ありませんが体の中心で体全体を支えている股関節が生まれる前から脱臼していたなんて体全体を歪めながら何十年も生きてきたわけで辛いのです。

なんとか無事に往復できますように・・・、

中国人をみなくてすみますように・・・、これはそういうわけにはいかんでしょうな、絶望的、日本食われまくり、絶望的です。このままでは日本人消滅です。観劇をはじめとする全てのお楽しみは国という礎が安定していればこそ。そのことに気づいているかたは劇場のなかにどれぐれいいるでしょうか。今や劇場にいってもそんなことばかりを考えてしまいます。そんなことを一人一人が考えないと日本は本当に乗っ取られてしまいます。誰がトップとかトップ娘役で一喜一憂する以前にそもそもタカラジェンヌさんたちを守ることもできないんですけどね・・・。



3月27日に憲法審査会 緊急事態条項が衆議院(憲法審査会)で、採決される寸前です

2025年03月22日 00時51分19秒 | 気になるニュースあれこれ

「衆院憲法審査会は19日の幹事懇談会で、審査会を27日と4月3日に開くことを決めた。27日は参院の緊急集会、4月3日は放送・ネットCMをテーマに討議する。」


 これまでも書いてきていますが、緊急事態条項をいれた自民党の憲法改正案は「基本的人権」を削除しています。パンデミックをひきおこしワクチンを強制してくることが懸念されます。SNS規制と緊急事態条項、自民党はファシズムへと向かっています。怖ろしいことです。日本人を思考停止させて大事なことから目をそらせるためにテレビでは大谷選手をやっているのでしょうか。





2024年1月28日参政党公式チャンネル、

参政党 知らないと危険?パンデミック条約・緊急事態条項について



『心の健康を求めて』より-ボーダーライン心性-部分的対象関係

2025年03月21日 22時51分36秒 | 本あれこれ


ボーダーラインとは

 ここ20年ばかり、まさにボーダーラインの大流行である。これまで境界性といわれていたが、最近ではボーダーラインという英語読みが専門語を脱して一般の間でも通用するようになった感がある。ボーダーラインといわれて相談にきたといって外来を訪れる患者ないしは家族も少なくないのである。いわば誰もが知っている精神科の「病気」のひとつになったわけである。そして、よく聞かれるのは、「彼をどう扱ったらよいか」ということである。多少とも心の問題にかかわりをもつ人であれば、関心のあるところのようである。

 そこでボーダーライン患者に特徴的ないくつかの心性を取り挙げ、その対応の仕方を検討することにしたいと思う。

 ボーダーラインとは、もともと神経症と精神病、ことに精神分裂病の境界という意味で使用されていたが、1968年にO・F・カンバークがボーダーライン人格構造という概念を提唱して以来、一般人格より低い水準で機能している人格として捉えられるようになった。そして、1980年、米国精神医学学会の疾患分類第三版DSM‐Ⅲにおいて人格障害の一つとして収録されるに及んで広く一般に知られることになった。この背景には、この種類の患者の急増がある。さらに彼らは、厳しい行動を起こして周囲を巻き込むという特徴をもつだけに、臨床現場での注目を浴びることが多くなった。この事情はわが国でも同じである。

 

臨床的特徴-症例より-

 ここに繰り返される手首自傷を訴えて来院した23歳の未婚女性がいる。

 問題がはじまったのは、中学2年の半ばにニキビを気にするようになってからである。とくに男の子の目が気になりやすかったというが、男性への関心が高まったという意識はなかった。そして、ニキビのために登校するのが辛くなり、家に引きこもるのであるが、次第に登校をめぐって母親に暴力を振るうことがみられるようになった。それと前後して不潔恐怖による強迫洗浄も始まった。種々の症状として激しい感情(怒り)の突出に家庭内はかなりの緊張と混乱がみられたようです。父親は、単身赴任が多かったことに加え、子育てに関与することはなかった。

 ただ、そうした状態にあっても、中学は何とか卒業し高校に進学した。しかし、学校では異常に緊張するためいよいよ外出が難しくなったという。そのうち、太ることへの恐怖が生じ、拒食の傾向も出てきた。そのため、17歳のとき某大学心療内科に入院したが、今度は手首を切るようになった。前腕内側に縦縞模様に裂創を作るのである。そのため、精神科に転科となったが、そこでの人間関係もつらくて本人のつよい希望で退院となった。

 その後、拒食、手首自傷、家庭内暴力を起こしては三度ほどの入退院を繰り返している。その過程で高校を中退しているが、注目すべきは、そんな中である劇団の研究生になったり、大学受験検定試験を受けて合格したりしえいることである。もっとも、大学受験に失敗してから人間恐怖がひどくなり、チック様症状、オナラ恐怖、手首自傷などを織り混ぜながら、次第に引きこもりと家庭内暴力が全面に出る状態がみられるようになった。しかし、家にこもっていると取り残される不安が生じてきて、近くのデイケアに通ったり、恋人が欲しいといって教会に通ったりするところがある。ただ、長続きはしない。

 そして付き添った両親によると「最近になって母親を傍らから離そうとしないため食事の準備さえ支障をきたしている」という。

 また、二、三回目の面接で次のような話をしている。母親は、第一回目の妊娠のときひどい妊娠中毒症で、しかも死産であった上に、その後は三年ほど病人生活であったらしい。そして自分の妊娠のときもまた妊娠中毒だったのでひどく不安だった。未熟児で逆子であった。また小学二、三年のころからすでに、友達は遊んでいるのに、勉強しろというし、できないと髪を引っ張るなどのすごいヒステリーであった。とっても怖かった。しかしそれは本当の強さではなく、感情的になってひきつけをおこし、自分が水を持っていってやったことさえある。このように、生々しい昔の想い出が早期に出てくるのである。

 そして、治療がはじまってしばらくしたところで、母親が突然行方をくらますという事件を起こしてしまった。母親が耐えられなくなって、母親機能を放棄したのである。

 これは、かなり重症例のボーダーライン症例である。一般の適応のよい症例では、普段は何とか仕事なり社会生活なりを送れているが、ちょっとしたことで衝動的、不安定になるといった程度で治まるのが普通だである。しかしこの症例では、恐怖感におののいて家から外出できないほどの状態が長い間つづいている。それだけに、ボーダーライン患者の特徴がよく現れているといってよいであろう。

 まず彼らは非常に衝動的で不安定である。経過をみていると、想い叶って恋人ができると調子よさそうにみえるが、まもなくすると関係がこわれ抑うつ的に、さらには家庭内暴力、手首自傷、過食などが突出してくるのである。そして何よりも出現する賞状なり問題行動なりが多種多彩で、激しいのである。

 こうした症例をどう扱ったらよいのであろうか。いくつかの特徴的な心性を挙げながら、その対処法を検討することにする。

 

部分的対象関係ということ

 先の症例の特徴のひとつは特有な母親像であろう。患者は幼い頃から母親に支配的、感情的、そしてサディスティックな印象をもって生きてきたといっている。確かに、この種の症例には感情的になりやすい母親がいるので、この母親にもきっとそうした側面があったに違いない。しかし、治療者の眼前には子どもに圧倒されて困惑してしまった母親しかいない。これを併せ考えると恐ろしい母親の真の姿は、患者が人間恐怖ともいっている感情状態を考慮に入れないとみえてこない。いわば患者の激しい感情が投影されてできた母親像でもあるのである。したがって、この母親像は非常に主観的な性質をもっているといわねばならない。しかし、妄想のように患者の主観が現実を無視して描いた像ではない。母親の感情的な姿は確かにあったのであるが、しかしそれがすべてではないということである。感情的な面が異常に誇張されているのである。したがって、患者の感情状態がよくなって依存的な母子関係がでてくると、優しい母親像も出てくるのである。比較的安定したとき、この患者に「ひどいお母さんといっていたが、優しいところもあるんだ」といえば「そうですね」と簡単に同調するのである。大切なのは、一般の成人のもつ「うちの母はときどき感情的になるけれどそれなりに私たちのことも考えてくれている」といったよいところとわるいところをブレンドして描く能力がないことである。ひどい母親となればそれ以外の側面は考えられないし、優しい母親となればひどい母親の姿がみえないのである。

 このように一面だけしかみえない母子関係を「部分的対象関係」といい、対象のよいところもわるいところもブレンドして描く能力を備えた人格を全体的対象関係的と呼ぶのが一般的である。

 

部分的対象関係の精神力動

 問題は、こうした関係がどのような推移のなかで生じてくるかである。ここに20歳になる未婚の女性がいる。治療中のある日、次のような訴えをしてきて私を驚かした。面接室に入るなり「先生、私の母ほどひどい親はいませんよ。私に死ねといいます」と興奮気味である。不思議に思って事情を聞いても、「ひどい親」をいい張るだけで、話が進まない。「やさいいこともあるじゃない」というと、「先生まで母の味方をする」と激しい言葉を筆者に浴びせかけてくるのである。「何かあったな」と思いつつ興奮気味の患者を治めるべく温かく包むより他なかった。

 その数日後、母親がやってきて、「先生、この頃、荒れて困っています」という。聞くと次のような遣り取りが母子間であったことがあきらかになった。治療の前の日に、「ねえお母さん、治療にったら何を話したらいい?」と聞くので、思ったこと何を話してもいいのよと返事をすると「何も話すことないもの」という。その後、そんなことないでしょうというと「何もない」といった遣り取りをしていると、鉛筆の先でフスマを突き始めたのであった。そのため「ユキちゃん、止めなさい」と制すると、「お母さんは私が嫌いになったでしょう」といい出すのである。それで「そんなことないわよ、大切な子どもだもの」と返事をするが、これまたエスカレートしていくのであった。ついには、「お母さん、私はいない方がよいと思っているでしょう」「私は死んだ方がよいと思っているでしょう」「死んでやる」と執拗なのである。たまりかねて「そんなに死にたければ、死ねばいいじゃない」といってしまったというのである。これが「うちの母はひどい親です」の起源であることが判明した。

 ここで注目していただきたいのは、物語が前半と後半に分かれていることである。「ねえお母さん、何を話したらいい?」と語りかけているときの温かい母子関係と「死ねばよい」といったときの険悪な母子関係という質的に異なった二つの関係があるのである。そして、治療者のところに来たときの患者の頭には物語の後半しかない。「だって、お母さん、優しいときだってあるじゃない」というと「先生まで、母の味方をするんだから」とひどい剣幕になるのである。

 もしこれがかつてのヒステリー患者であったら、たとえ「私の夫は女遊びはするは、金使いはあらいは、何とひどい人間でしょう」と訴えて来て興奮していても、話を聴きながら「だって優しいところもいろいろあるじゃない?」といった対応をしえいると、「そうね、そういうこともあったわね」と治まってくるものである。ところが、ことボーダーライン患者となるとそうはいかないのである。ひどい親と、その親に虐待されるかわいそうな子という関係の部分は固定してしまっていて、それを無理に修正しようとするとかえって事態をわるくするばかりである。

 このような温かい人間像(親子)と邪悪なそれとが水と油のごとく混じり合わずに別々に出現することを、私たちは分裂減少と呼び、そうした親子関係を部分的対象関係と呼んでいることは先述した通りである。

 こうした関係は、非常に不安定で、憎しみ、怒り、抑うつといった陰性の感情状態を引き起こし、ともすればゴタゴタしやすいので、治療関係が危機に瀕するばかりか、ときには身体的な危険さえもたらすことさえあるのである。それだけにその対応が重要となる。

 

部分的対象関係の扱い方

 険悪な対象関係が状況を支配する場面でどのような対応の仕方があるのであろうか。もっとも有効な方法は、関係者があつまって、部分と化してしまった物語を筋の通った全体に統合することである。先の例を取り上げると、母親と患者と治療者の三人が集まって話し合ったことで、母親に向けていた患者の高まった感情も治めることができたのであった。これに似た事態は入院にしろ外来にしろ、いくつかの職種(医師・看護師・臨床心理士など)がかかわるチーム治療においてしばしば起こってくる。看護師や心理士との間で部分的対象関係を基盤にした激しい遣り取りが発生することが少なくないのである。こうしたとき関係者が寄り集まって、患者を温かく支えながら、ことの成り行きを明らかにしていくのである。この手続きは欠かせないように思う。

 それでゃ外来での一対一の関係のときの対応はどのようなものになろうか。関係者を集めることが容易でないことが多い。こうした場合、筆者は、語られている物語が全体の一部にしか過ぎないことを自分で意識することが大切だと思っている。そして次いで仮想の第三者を頭の中に準備するようにしている。こうした心構えをとるだけでも、こうした状態の患者を前にして治療者自身がずいぶんと楽になるのである。この楽さ加減が大切である。もちろん、よい関係においてもやはり別の隠れた部分のあることを承知しておくことは大切である。

 これは家庭内の関係についても同じである。一般に母親と子どもの間が険悪になっていることが多いが、そうしたときは父親なり兄なりが第三者の立場から仲介的な役割を演じる場を作るように心掛けることである。ただ、ここで示した症例の場合、母親の対応が子どもに何らかの不安、あるいは見捨てられ抑うつを引き出さないように心掛けることが大切であるが、すでにでき上がっているボーダーライン症例の母子関係ではそうした遣り取りを避けることは大変に難しいことと言わねばならない。専門家の指導を仰ぐことも必要になってくるが、避けがたい見捨てられ抑うつにどう対処するかが重要になってくることは間違いない。そのためには、二人(母子)だけの世界に父親ないしはその代理者をどう参加させるかが鍵となる。

 

対象関係のスィッチング

 部分的対象関係には、もうひとつ別の側面のあることも忘れてはならない。それは、もうひとつ質の違った二つの対象関係が展開していることである。

 例えば先述の症例で、患者がうちの母はひどい親といって部屋に駆け込んできたとき、治療者が「そうとばかりはいえないだろう。優しいときだってあったじゃない」と返事すると、猛り狂ったように「先生まで母の味方をする」と激しい感情を治療者の胸倉に投げ込んできたことを述べた。注目すべきは、うちの母はひどいといっているときの治療者患者関係はいたいけな子どもがお父さんに助けを求めているがごとき雰囲気があるが、治療者の返事に「先生まで母の味方をする」といきり立ったときの患者は獰猛な野獣のごとき雰囲気をもっていて、治療者を圧倒してしまっていることである。いわば主客が逆転しやすくなっている。これが対象関係のスィッチングと筆者が呼んでいるものである。投影同一視という未熟な防衛規制のなせるわざである。

 こうした状況にどう対応するか。

 まず心得ていなければならないことは、激しい感情を胸倉に投げ込まれて麻痺状態になっている治療者の心自身を回復させることである。萎縮して弁解がましくなったり、治療者の方が怒りを突出させたり、役割を放棄したりさまざまな状態に陥るわけであるが、できるだけ早く本来の<自分>を取り戻すことが大切である。また激しい言葉を浴びせ掛けながら、目の前で手首を切ってみせたある患者がいた。このようになると、治療者一人では手に負えなくなっている。補助者、ことに看護婦の手助けが必要となる。ともあれ、こうした状況では治療者自身が治療者としての機能を喪失しているわけであるから、誰かの手を借りてでも、できるだけ早く治療者機能を回復させることを図らねばならない。

 これは家庭内での親子関係もでも同じで、突然に感情を突出させて親の胸倉に激しい感情を投げ込まれて自分を失ったら、できるだけ早く親機能を回復させるべく心掛け、状況が混乱してきたら恥ずかしがったり遠慮したりせずに日頃親しい人の助けを求めるよう心掛けることが勧められる。

 その上で、目の前に起こっていることを可能なかぎり視覚的に描いてみせることが次に必要になってくる。視覚的とは、漫画的といい換えてもよい。そのために筆者は、民話や童話を援用することも少なくない。例えば、大国主命に助けを求めるような皮を剥がれたかわいそうなウサギが急変して可愛い子羊を襲う狼のように変わってしまったというような表現を用いるのである。勧善懲悪がはっきりした(水戸黄門)や(遠山の金さん)などに出てくる悪徳代官や商人、善良な市民といったキャラクターも使用しやすい。こうしたメタファーの使用はわかりやすいだけではなしに、患者の心に負担をかけることが少ないために、受け入れやすいのである。こうした遣り取りを繰り返していると、ある場面の自分だけしかみえなくなっていた患者も全体とのつながりのなかでの自分を観察することができるようになるのである。これがバラバラになった心の統合や安定化に役立つことは論じるまでもない。」

(牛島定信『心の健康を求めて‐現代家族の病理‐』慶応義塾大学出版、127~137頁より)

 

 


ミュージカル『落語心中』

2025年03月21日 21時24分12秒 | ミュージカル・舞台・映画
2025年3月12日(水)18時~、東急シアターオーブ

 激しい雨の日、渋谷駅は外国人、中国人だらけにぞっとし帰りのエスカレーターでは危険さえ感じましたがなんとか無事に観劇しました。開演に間に合いちょっとおやつを食べることもできました。三階席、転がり落ちそうなぐらいに急なので端にいた30代と思われる女性が杖使っているの危なっかしすぎたのか声かけてくれました。劇場の中はまだあたたかさがあり、おかしな外国人もいませんでした。客電が消えている時間だけは現実を忘れて楽しみました。傘があったのでオペラグラスは断念。すごくいい声で芝居もうまいなあと思った方が終演後に黒羽まりおさんだとわかり大納得でした。予備知識一切なし、舞台機構を駆使した場面転換の歯切れの良さ、ストレスのなさはさすが小池修一郎さんです。長い原作漫画をつめにつめながらうまくまとめられた感じでしょうか。上演時間長いですが早かったです。八雲、助六、みよ吉の関係がどうなっていくのだろうと人間関係を頭の中で整理しながら見入りました。女性よりも落語に魅せられ落語と心中した男の物語でした。主役は山崎育三郎さん。芝居も歌もうまくて安定の座長ぶり。ゆん(古川雄大さん)が老け役まで演じるのは初めてみました。育三郎さんもゆんも小噺、落語の場面は役者としての力量、間が問われる役所。舞台経験を積んで味が出てきた二人の男同士のぶつかり合い、友情、絆は見応え十分でした。ルドルフ役で帝国劇場デビューした時を思い出すと美しくも味のある役者さんになりました。みりおちゃん(明日海りおさん)が日本舞踊に三味線から露出度の高いドレスまで披露していて、もちろん男役ではない新しいみりおちゃん、すごくお稽古したのだろうと思いました。3人の子供時代を演じた子役が歌も小噺もうまくて、子役時代だからこその奇跡の瞬間。素晴らしかったです。中村梅雀さんと阿部裕さんもオペラグラスでわかり、ほんとにうまくて存在感たっぷり。

 日本の伝統を描いた、日本オリジナルのミュージカル。戦後のアメリカ教育で西欧諸国の方が精神性が高いかのように刷り込まれてきましたが、実は日本の方がずっと歴史が長く高い精神性が育まれきました。もっともっとこうしたミュージカルが創られてほしいと心から思いました。

 小池スタッフが集結し、生演奏で指揮は御崎恵さん。未知ながらも安心の布陣で心のぜいたくができるひととき。日本自体が絶望すぎて純粋な気持ちで観劇を楽しむことも難しくなってきましたが現実を横において集中することができました。


















全身黒ずくめに黒マスクはこわすぎます

2025年03月21日 21時16分31秒 | 日記
 坂の下のスーパー近くのコンビニで使い捨てカイロを買った帰り、信号待ちをしていた時反対側に黒い塊がみえたのでなにが?と思ったら、全身黒ずくめに黒マスクした人がうずくまっていました。具合悪いのかな、声をかけた方が?と思いましたが年齢も性別もわからないのでひるみました。差別するつもりはないですが体小さいし満足に歩くことができないので変な人だったらこわいわけで、日本人かどうかすらわからないのはこわいと思いました。おそらく小柄な若い男性っぽかったですがなんだかねコロナ騒動の前までは不審者にしかみえなかったよう恰好の人が街にあふれかえっているのが日常になってしまった日本、危機的状況でしかありません。顔がわからなない、表情をみせない大人たちの中で育つ子どもたちはどうなるのでしょうか。そこを考えない大人たちがこんなにも多いことに愕然とする毎日です。







東京都品川区議会・杉並区議会;参政党は日本人ファースト、そして子どもたちへの教育を大切に考えています

2025年03月21日 17時33分46秒 | 気になるニュースあれこれ

【参政党】おぎのあやか  令和7年第1回定例会本会議 一般質問







学校教育が怖ろしいことになっています。自分も教科書によって間違った歴史観を刷り込まれてきたのだということをこんな歳になって知りました。いまや学校教育は、侵略戦争をしてきたという自虐史観のLGBTやらSDGSやらを刷り込んでいる教科書。先日教科書選択について南京虐殺について書いていない教科書を都内の自治体が採択したという動画を参政党員があげていたのをみました。また探し出してリンクを貼りたいと思います。