たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『東北学/文化と震災からの復興』(1)

2013年07月07日 15時34分26秒 | 東日本大震災
「2013年1月某日

人が生きていく営みーそれは、先に逝った命、今生きている命、これから生まれてくる命をひっくるめて命なんだと思う。

河合隼雄さんと小川洋子さんの対談集を読んであらためてそう思った。
日本の祭りには、そうした命への鎮魂がこめられている」



2012年9月29日―11月17日
慶応義塾大学日吉キャンパス公開講座「日本ってなんだろう」を受講しました。

9月29日の3時限目、赤坂憲雄「東北学、新たなステージへ」のレジメより引用したいと思います。

「<1>はじめに民族芸能が復活を遂げた。(2011年5月の時点で)

 被災地では、いまだ生き延びることがテーマであった震災から2か月も経たぬ時期に、民族芸能の復活への動きが始まっていた。わたし自身は5月の末に、南三陸町の水戸辺というムラではじめてそのことを知った。あのときの驚きは忘れられない。

水戸辺は志津川湾に面した、小さな港をもつ漁村である。十数メートルの高さの津波に呑み込まれて、ムラはほとんど壊滅に近い被害を受けた。多くの人々は高台に逃げて、命だけは助かったが、何もかも失った。ところが、ムラの男たちは海辺から数キロも流された瓦礫の山のなかに分け入り、それぞれの思い出の詰まったものを探し続けたのである。そして、かれらがついに見つけたのは、水戸辺に伝承されてきた鹿(シシ)踊りの衣装と太鼓だった。それを洗い清め、仲間たちを集めて、避難所で踊った。仲間内から二名の犠牲者があったらしい。まさに鎮魂の踊りとなったにちがいない。避難所に暮らしていた人たちは、ほっとしたように涙をこぼした、という。

 それから、水戸辺の鹿踊りはあちこちに呼ばれるようになった。神社に奉納したり、ムラの行事や何かで、踊ってきたのである。すべての道具や衣装が見つかったわけではない。ニュースに触れた人々からは支援として道具類が届けられたようだ。

 気がついてみると、水戸辺の鹿踊りのように震災から数カ月で復活を遂げていった民族芸能は、けっして少なくはなかった。三陸の沿岸部にかぎっても、鹿踊りのほかに、剣舞や虎舞などが早い時期に復興している。メディアの片鱗に、明るいニュースのひとつとして取り上げられているのを見かけることが多かった。たしかに、廃墟のなかで演じられている民族芸能はインパクトが強い。しかし、どこでも後継者不足で、存続すら危ぶまれていたはずの民族芸能がそうして、むしろ華々しく復興する姿には、どこか意外の感を拭うことができなかった。
なぜ、民族芸能は復活を遂げていったのか。それが大切なテーマのひとつになった。」


受講中のわたしのメモ書きから


「鹿踊り→なぜシカではなく、シシと読むのか?

 激しく体をぶつけ合って太鼓を打ち鳴らす。
 山と海にはさまれた小さな漁村(南三陸)
 だから、漁村なのに鹿。
 昔は炭焼きで生計をたてていた。
 エネルギー革命で、漁業へ転換。

テーマは鎮魂。
被災地ですぐに復興した。
全ての失われた命のためにすぐになすべきテーマだったから。
人間が狩猟によって食べる物をシシという。
生きとし生けるもの全ての命のためにこの踊りを奉納する。
生きとし生けるもの全てに感謝をこめて建てたのが鹿踊り供養塔。
中尊寺建立の思想につながる。
鯨の供養塔もあちこちにある。
日本独自の文化。
全てを使いつくし、命をつないだ。その動物たちへの感謝。」

→まだまだ続きます。
 わたしの中で、『生きるとは、自分の物語をつくること』、そして『御巣鷹山と生きる』へ とつながっていきますが、 結びつくまでにまだかかります。


秋のプリンス・エドワード島_ビクトリアB&B

2013年07月07日 13時56分23秒 | プリンスエドワード島への旅
ハロウィン・パーティの写真をもう少し載せてみたいと思います。

小雨が降る中、ヴィクトリア村を通過した時のものです。



シーズンオフで閑散としていましたが、建物が可愛くて、楽しくってついつい何枚も撮ってしまいました。



B&Bもクローズですが、こんな風に通りすぎる人の目を楽しませてくれていました。



風が強いのでお人形が倒れてしまっていて、直してきました。



秋なのに緑と花もあふれていて、プリンス・エドワード島って不思議です。
写真家の吉村和敏さんがブログに書いていらっしゃいますが、「特別な場所」な感じがあります。

まとまった旅日記はもう少し先になります。

書きたいことがたくさんあって、平日は10時間労働の日々なので少しずつです。

こうしてあらためて写真を眺めていると私自身、幸せ感がよみがえってきます。