たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『赤毛のアン』最終章-前向きに生きる力

2013年07月20日 21時42分36秒 | 『赤毛のアン』
 次の日の夕方、アンは小ぢんまりとしたアヴォンリ-の墓地へ出かけていった。マシューのお墓に新しい花をそなえ、スコッチローズに水をやった。そして彼女は、この小さな墓地の穏やかな静けさを心地よく思いながら、薄暗くなるまで、佇んでいた。ポプラの葉が風にそよぎ、そっと優しく話しかけるように、さやさやと鳴った。思うにままに墓地に生いしげっている草も、さわさわと揺れてささやきかける。アンがようやく立ち上がり、≪輝く湖水≫へ下っていく長い坂道をおりる頃には、すでに日は沈み、夢のような残照の中に、アヴォンリーが横たわっていた。それはまさに、「太古からの平和がただよえる故郷」だった。クローヴァーの草原から吹く風は、蜂蜜のようにほの甘く、大気は、すがすがしかった。あちらこちらの家々に明りが灯り、屋敷森をすかして、ゆれていた。遠くには、海が紫色にかすみ、潮騒の音色が、絶え間なく寄せてはかえし、かすかに響いている。西の空は、日の名残にまだ明るく、柔らかな色合いが微妙に混じり合っていた。池の水面は夕空を映して、さらに淡く滲んだ色に染まっている。このすべての美しさに、アンの心はふるえ、魂の扉を喜んで開いていった。
「私を育ててくれた懐かしい世界よ」アンはつぶやいた。「なんてきれいなんでしょう。ここで生きること、それが私の歓びだわ」

 丘を半分ほどおりていくと、すらりとした青年が、口笛を吹きながら、ブライス家の木戸から出てきた。ギルバートだった。彼はアンに気づくと、口笛をやめ、礼儀正しく帽子をとってあいさつをした。もしアンが、立ち止まって手を差し出さなかったら、彼はそのまま無言で通り過ぎていっただろう。
「ギルバート」アンは顔を真っ赤にして言った。「学校を譲ってくれて、ありがとう。お礼を言いたかったの。本当に親切にしてくれて・・・。感謝していることを知ってほしかったの」
 ギルバートは、さし出されたアンの手をしっかりと握った。
「アン、別に親切というほどのことじゃないよ。何かして君の役に立ちたいと思ったんだよ。僕たち、これからは友だちになろうよ。前に君をからかったこと、もう許してくれたかな?」
 アンは笑って、手を引っこめようとしたが、彼はまだ握っていた。
「池の船つき場に上げてもらった時には、もう許していたのよ。でも自分では気づいていなかったの。なんて頑固なお馬鹿さんだったのかしら。それに、思い切って白状すると、あれ以来、ずっと後悔していたの」
「僕たち、大親友になれるね」ギルバートは見るからに嬉しそうに言った。「君と僕は、いい友だちになるために生まれてきたのに、アン、その運命を君が邪魔してきたんだよ。僕らはお互いに、いろいろなことで助けあえると思うよ。勉強は続けるんだろう?僕もだよ。さあ、家まで送っていくよ」
 アンが台所に入って来ると、マリラは、好奇心の塊のようになってアンを見つめた。
「アン、小道を一緒に上がってきたのは、誰だい」
「ギルバート・ブライスよ」アンは、顔が赤くなっているのに気づいて、うろたえた。「バリー家の丘であったのよ」
「門のところで三十分も立ち話をするほど、ギルバートと仲良しだったとは知らなかったね」
 マリラは冷やかすように笑った。
「今までは仲良しじゃなかったわ、競争相手だったもの。でも、これからは仲良くした方が賢明じゃないか、ということになったのよ。本当に三十分も話していた?ほんの二、三分だと思っていたわ。でも、マリラ、五年間も話さなかった分を、取り戻さなければならないのよ」

 その夜、アンは満ち足りた気持ちで、長のらく窓辺にすわっていた。風は桜の枝をそよそよと優しく揺らし、薄荷(ミント)の香りをアンのもとまで運んできた。窪地の尖ったもみの上には、満天の星がまたたき、いつもの方角に目をむけると、ダイアナの部屋の灯が森をすかしてちらちらと輝いている。
 クィーン学院から帰って、ここにすわった晩にくらべると、アンの地平線はせばめられていた。しかし、これからたどる道が、たとえ狭くなろうとも、その道に沿って、穏やかな幸福という花が咲き開いていくことを、アンは知っていた。真面目に働く喜び、立派な抱負、気のあった友との友情は、アンのものだった。彼女が生まれながらに持っている想像力や、夢みる理想の世界を、なにものも奪うことはできなかった。そして道には、いつも曲がり角があり、そのむこうには新しい世界が広がっているのだ!
「『神は天に在り、この世はすべて良し』」アンはそっとつぶやいた。


 L・M・モンゴメリ 
 松本侑子訳『赤毛のアン』第38章、(2000年発行、集英社文庫)より。

 
 長い引用になりましたが上記の場面を、松本侑子さんの「『赤毛のアン』の謎とき-英文学と幸福の哲学」の講座に参加して、先生の朗読で聴きました。マシューのお墓に花を供えたアンが静かに心揺れ惑い、最後にはこの場所で生きていこうと決意する場面、そして一番最後の窓辺にすわっている場面は大好きで元気をもらえるので、原文と翻訳をノートに書いていつも持ち歩いています。そして朝の通勤電車の中で、職場が近くなった頃に必ず読んで電車を降りるのが日課になっています。今日は、原書のペーパーバックに目をやりながら、先生の美しい声で聴いてあらためて心に深く入ってきました。ちょっと涙が出そうになりました。


 冒頭のブラウニングの詩と最後を飾るブラウニングの詩「ピッパが通る」の紹介、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』からの引用の場面(第5章、アンの生い立ち)の紹介、『赤毛のアン』の幸福の哲学-いつも夢と希望をもって生きるアン、衣食住を丁寧に堅実に生きるマリラ、家族を愛する・いつも味方でいるマシュー、地元の活動に参加・地域の一員となるリンド夫人-、ロバート・バーンズ作詞のスコットランド民謡「わが恋人は赤い赤いバラにのせて」を流していただきながらアンにゆかりの場所の写真のスライドショーも拝見し、幸せなひとときでした。モンゴメリに『赤毛のアン』を称賛する手紙を送ったマーク・トウェインは、独学で英文学を学び、アンには数多くの引用があることを理解して読んでいたというお話もうかがいました。



 マシュー・マリラの兄妹と、アンは血のつながりがないからこそ、一緒に暮らしていく中で互いを思いやり慈しむ心が生まれ本当の家族になれたのかもしれない、そんなことをふと思いました。血のつながりってむずかしいですね。

 これからもこのブログに母や妹のことを書き続けていくつもりです。自分の中にたまっているものがたくさんあって外に向かって表現していきたい、まだまだ書き足りない、そんな思いが強いからです。
 
 でももう自分を責めたり、因果関係を追い求めたりすることはこれ以上やめようと思います。十分過ぎるぐらいにのたうちまわってきました。自分の感性を信じて、その分まで一生懸命に生きていこうと思います。私はまだ出会うべくして出会うべきもの(人)にまだ出会っていない、これからまだ幸せになれる時間はある、そんな気持ちになれた一日でした。


 松本侑子さんは、著書の中で最終章をこんなふうに紹介されています。


「進学、就職といった人生の岐路において、思いがけず不本意な結果になっても、今ここで生きることに最善を尽くす・・・。そうすれば、いつかきっと最善の収穫が返ってきて、次なる未来の扉は自然に開かれるだろう、すべては天の神が守り、導いてくださる・・・。アンはそう信じて、また前向きに生きていこうと決意するのです。
 こうして長編小説『赤毛のアン』は、神へ信頼と感謝、未来への希望に満ちあふれた明るさのなかで、静かに幕を下ろしていきます。」

 松本侑子著『赤毛のアンへの旅-秘められた愛と謎』、(NHK出版、2008年発行)より。

 
写真は、春のプリンス・エドワード島、バルサム・ホロウ・トレイルの中を流れる小川です。
長い文面を最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。