たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

曇り空の日に徒然に・・・

2014年07月03日 14時37分33秒 | 日記
はっきりしない天気の日が続いていて、なんとなく落ち着かないものを感じます。

本やパソコンの入った鞄を持ち歩きながら、人にあったかい場所や電源がとれる場所を求めて彷徨っていたら足腰と、もともと悪い股関節にかなりの負担がきてしまいました。
お隣が先日引っ越したので音丸聞こえの気疲れからは一時的に開放されていますが、
平日はまだまだ窮屈な感じで過ごしています。
少しずつ大きな組織から気持ちは離れて行こうとしています。
一度きりの人生ということで考えるとよかったのかもしれません。
ただ次にどこへ行けばいいのかはまだわかりません。
断捨離もまだまだ時間がかかりそうです。
少しずつ、少しずつ・・・。


一昨日も書類作成のために、パソコンをもって図書館へ行ったら、なんと臨時休館日。
先週インフォメーションの掲示があったのかもしれませんが見逃していました。
仕方なくパソコンの電源がとれるカフェへ行き、2時間あまり仕事のごとく集中したので、
書類作成は区切りがつきました。でも、お店の人たちのおしゃべりがきこえてしまって、
居心地がいいとはいえないので仕方なく、になってしまいました。


書類作成の作業は必要ですが、部屋にこもってやっているとおかしくなってしまいそうなので外に出でやるようにしています。電源がとれる場所は限られているので、インターネットで検索して見つけたお店でした。ファーストフードカフェと違って、注文はレジでしますが飲み物は店員さんが運んできてくれます。
最初は長居もできて心地いいと感じたのですが、GW頃からパソコンを持って何回も行っているうちに、また来た・・・みたいな感じで、だんだん居心地悪くなってきてしまいました。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ。」の掛け声も心がこもっていないなあと感じてしまいます。
ここもマクドナルドだったか・・・、残念です。


マクドナルドで働いていると知り合いがお店にきても、個人的な声かけは一切許されないそうですが、なんだか人のあったかさが失われているような、人が悪くなってしまったような感じがしてしまいます。考えすぎでしょうか・・・。


「もう一つの「合理化」は、ドイツの社会学者M・ヴェーバーに由来し、アメリカの社会学者G・リッツァーが「マクドナルド化」という概念に集約したものに関連する。「合理化」および「マクドナルド化」とは、人々がある目的を達成しようとするとき、関連することがらを数量化し、規則や機械によって関係者の行動をコントロールすることで、より効率的に、より予測可能な形で当の目的を達成しようとする傾向を意味する。この「合理化=マクドナルド化」と心理主義化との関係について、本書は次のような仮説を立てている。

 ”心理主義化してきて現代人は、「マクドナルド化」した人々である。つまり、心理学的知識や技法を身につけて、生活のあらゆる場面でより合理的に振る舞い、スムーズに予想したとおりにものごとを進行させようとする人々である。「マクドナルド化」した人々は、雇用流動化をはじめとするフレキシブルで合理的な社会編成を促進しており、それによって社会の心理主義化をいっそう押し進めている”と。」

(森真一著『自己コントロールの檻_感情マネジメント社会の現実』2000年講談社発行、45頁より引用しています。)



春のプリンス・エドワード島も曇り空です。