2012年7月28日(土)、帝国劇場で観劇しました。
ルドルフ(オーストリア皇太子):井上芳雄
マリー(男爵令嬢):和音美桜
ステファニー(皇太子妃):吉沢梨絵
ターフェ(オーストリア首相):坂元健児
ラリッシュ(伯爵夫人):一路真輝
フランツ・ヨーゼフ(オーストリア皇帝):村井國夫
手帳をみると、青山のカフェで開かれていた吉村さんの「フランスの美しい村」の写真展」に立ち寄った後、17時30分開演の舞台に行きました。
暗い内容だけど、熱い舞台だったと感想を書いています。
5月と6月に『エリザベート』が上演されたあとでした。
『エリザベート』でルドルフを演じた三人(平方さん、古川さん、大野さん)と
初代ルドルフの井上さんとのトークイベントがあったりで、盛り上がって
いた頃でした。トークイベントの動画をみると、井上さんが初舞台から干支が一回りしましたと話されていて、あっという間にそんなにたってしまったの、っていう感じでした。
『エリザベート』を観に行った際に、帝劇の地下の楽屋入り口付近で
井上さんをお見かけしたことがあります。
腰を低くして、前かがみになって、ファンの女性の方に背の高さを合わせて
話をされていた姿が印象に残っています。
平日は職場の長時間労働となによりも言葉にいいようのないストレスが
体がよじれてしまいそうな感じでつらくてたまらない頃でした。
(今その頃のつらさを思い出すといっそうつらくなります。)
土曜日に東京に出るのはつらいかなと迷いながら、
『エリザベート』からの流れで観劇しました。
井上さんの舞台を観るのは、2000年のルドルフ以来だったと思います。
休業されていた一路さんの歌を聴くのも何年ぶりだろうという感じで、
なんだか懐かしい人にあったような気分でした。
私が仕事をしながら通信教育で大学を卒業し、そのあともなにかと勉強を
続けたりの超ハードな日々を送り、観劇からすっかり遠ざかっていた間に、
井上さんはミュージカル界をけん引するプリンスに成長されていました。
ハプスブルク帝国の力に翳りが見え始め、悲しい結末を暗示するかのように、
華やかなブルク劇場の皇帝がいる前で一人の女性が引き金を引いて自殺してしまう場面から、舞台は始まったと思います。
この女性を演じられていたのはどなたなのかな。
アンサンブルの皆さんの歌とダンスがすばらしかったことを思い出します。
二つの銃声が鳴り響いて幕が下りるラストはやりきれなくて、なかなか
肯定することはできないかなと思いました。
ルドルフが生きていたら、世界はちがっていたのではないだろうか、もったいない、本気でそう思いました。
世界が混沌している現在なおさらそう思います。
中途半端な書き方ですが、今日はここまでにします。
写真はげきぴあからの転用です。
昨日は夏至だったんですね。一年で一番昼間が長い日。
今日からまた少しずつ短くなっていくのはほっとします。
夕暮れの陽が沈んで行く頃に部屋に一人でいるのはよくないので、
一度外に出たら、真っ暗になるまで部屋には戻らないことにしています。
人の一日のサイクルの中で、ブルーモウメントの時間が一番気持ちが
沈みがちで部屋にいるのがよくないことは、中井久夫先生の本にもたしか
書かれていたと思います。
陽が短くなっていけば、部屋に戻る時間も早くなっていくので、
そういう意味でほっとしています。
去年の今頃はかなり辛かったことを思い出します。
朝から荷物をもって放浪して、股関節を痛めてしまって、
なんだかどん底でした。
それから一年が過ぎ、もう混乱は終わったのだから早く抜け出して
次のことを考えなさいと人から言われても、
そんなに簡単に抜け出せない。
どうやって抜け出せばいいのか、
安心して相談できるところもないまま、
今だにぐるぐると回っています。
自分のしてきたことは無駄ではないと思いたかったのに、
社会の流れは逆行しているのでなんだか言葉がみつからずに、
どう位置づければいいのか
やっぱりわからないまま時間は過ぎています。
話が大きすぎるのでむずかしいです。
自分の無力さを感じるばかりです。
いろいろと思いはあれど、私が今思いのあることは、家賃を払って
自分を食わせていかなければならない者にはやれないことばかりなので、
所詮自分には無理なんだとあきらめのような気持ちをもってしまって
います。
遠からずフルタイムでの社会復帰を目指していくしかないので、
平日の当事者の会には行けないですね。
行政がやっているので、どうしても平日の、しかも午前中だったりします。
むずかしいところです。
一人で考え込み始めてしまうと、自分は社会のどこからも必要とされて
いない存在なんだと、どんどん惨めに思えてきてしまいます。
自分はやり切った、無駄ではなかったと言い切ることができずに
もやもやしているのでなおさらです。
妹はこうやって、もっともっと強く自分を追い詰めていってしまったのかな。
私にはわからないですね。私がそこまでいくことはないはずですね。
ふっと瞬間的によぎったりすることが何度もありますが、私にはあり得ないと
思います。
妹の死を否定するわけではないけれど、私にはあり得ない。
シシィが歌っているように、「生きてさえいれば♪」です。
私は、私に与えられた時間を生き抜いていく。
ここまで生かされていることに感謝しながら、ここまで生き抜いてきた
自分をほめてあげながら、生き抜いていく。
妹の分まで生き抜いていくこと。それが私の役割。
そこがぶれないかぎり、私は大丈夫なんだと言い聞かせます。
花總さんのブログをのぞくと、麻路さきさんと息子さんとのスリーショットのお写真が。
星組の男役で背が高くて男前だった麻路さんよりも、いつの間にか、
息子さんの方が背が高くなっていてびっくり。
麻路さんは憧れの男役さんのひとりでした。
花總さんが書かれているように、時の流れは恐ろしいです。
たしか東宝の『エリザベート』初演の頃に生まれた息子さんなんですよね。
その間私は何をしてきたんだろうなんて思ってしまってはいけないですね。
妹と母のことを受け入れられる自分になりたい一心で、一生懸命に生きてきたんです。
ただ、雇用形態が悪かったために評価されるどころか、権力によって誹謗中傷
される結果となってしまいました。
その悔しさと怒りがまだ深く沈殿していて、自分は間違っていたのかなと
責めたりしています。
悔しいけれど過ぎた時間は戻ってはきません。
まだ取り戻せる、やり直せるだけの時間が私にはあるはずです。
小さな希望の灯りを見つけていきたいですね。
希望の灯りに出会いたいです。
カウンセラーのY先生がおっしゃいました。
「死にたいという話にも希望はある。希望がなければ人の話を聴くことはできない」と。
20年前の自分の日記を振り返るつもりで書き始めましたが、
すっかり長くなってしまいました。
またあらためます。
写真は、6月のプリンス・エドワード島。
遠く遠く、ぐんぐんと雲が流れていきます。
きれいですね。
またいつか行きたい。生きてさえいればきっと行ける。
今日からまた少しずつ短くなっていくのはほっとします。
夕暮れの陽が沈んで行く頃に部屋に一人でいるのはよくないので、
一度外に出たら、真っ暗になるまで部屋には戻らないことにしています。
人の一日のサイクルの中で、ブルーモウメントの時間が一番気持ちが
沈みがちで部屋にいるのがよくないことは、中井久夫先生の本にもたしか
書かれていたと思います。
陽が短くなっていけば、部屋に戻る時間も早くなっていくので、
そういう意味でほっとしています。
去年の今頃はかなり辛かったことを思い出します。
朝から荷物をもって放浪して、股関節を痛めてしまって、
なんだかどん底でした。
それから一年が過ぎ、もう混乱は終わったのだから早く抜け出して
次のことを考えなさいと人から言われても、
そんなに簡単に抜け出せない。
どうやって抜け出せばいいのか、
安心して相談できるところもないまま、
今だにぐるぐると回っています。
自分のしてきたことは無駄ではないと思いたかったのに、
社会の流れは逆行しているのでなんだか言葉がみつからずに、
どう位置づければいいのか
やっぱりわからないまま時間は過ぎています。
話が大きすぎるのでむずかしいです。
自分の無力さを感じるばかりです。
いろいろと思いはあれど、私が今思いのあることは、家賃を払って
自分を食わせていかなければならない者にはやれないことばかりなので、
所詮自分には無理なんだとあきらめのような気持ちをもってしまって
います。
遠からずフルタイムでの社会復帰を目指していくしかないので、
平日の当事者の会には行けないですね。
行政がやっているので、どうしても平日の、しかも午前中だったりします。
むずかしいところです。
一人で考え込み始めてしまうと、自分は社会のどこからも必要とされて
いない存在なんだと、どんどん惨めに思えてきてしまいます。
自分はやり切った、無駄ではなかったと言い切ることができずに
もやもやしているのでなおさらです。
妹はこうやって、もっともっと強く自分を追い詰めていってしまったのかな。
私にはわからないですね。私がそこまでいくことはないはずですね。
ふっと瞬間的によぎったりすることが何度もありますが、私にはあり得ないと
思います。
妹の死を否定するわけではないけれど、私にはあり得ない。
シシィが歌っているように、「生きてさえいれば♪」です。
私は、私に与えられた時間を生き抜いていく。
ここまで生かされていることに感謝しながら、ここまで生き抜いてきた
自分をほめてあげながら、生き抜いていく。
妹の分まで生き抜いていくこと。それが私の役割。
そこがぶれないかぎり、私は大丈夫なんだと言い聞かせます。
花總さんのブログをのぞくと、麻路さきさんと息子さんとのスリーショットのお写真が。
星組の男役で背が高くて男前だった麻路さんよりも、いつの間にか、
息子さんの方が背が高くなっていてびっくり。
麻路さんは憧れの男役さんのひとりでした。
花總さんが書かれているように、時の流れは恐ろしいです。
たしか東宝の『エリザベート』初演の頃に生まれた息子さんなんですよね。
その間私は何をしてきたんだろうなんて思ってしまってはいけないですね。
妹と母のことを受け入れられる自分になりたい一心で、一生懸命に生きてきたんです。
ただ、雇用形態が悪かったために評価されるどころか、権力によって誹謗中傷
される結果となってしまいました。
その悔しさと怒りがまだ深く沈殿していて、自分は間違っていたのかなと
責めたりしています。
悔しいけれど過ぎた時間は戻ってはきません。
まだ取り戻せる、やり直せるだけの時間が私にはあるはずです。
小さな希望の灯りを見つけていきたいですね。
希望の灯りに出会いたいです。
カウンセラーのY先生がおっしゃいました。
「死にたいという話にも希望はある。希望がなければ人の話を聴くことはできない」と。
20年前の自分の日記を振り返るつもりで書き始めましたが、
すっかり長くなってしまいました。
またあらためます。
写真は、6月のプリンス・エドワード島。
遠く遠く、ぐんぐんと雲が流れていきます。
きれいですね。
またいつか行きたい。生きてさえいればきっと行ける。