たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

あっという間に一日が終わりました

2017年01月23日 23時04分46秒 | 日記
 土日の連休明け&月末が近づいてきているせいか朝からひっきりなしに電話がなり、しかも事務所内に人が少なかったので電話応対と来客応対だけであっという間に午前中が終わりました。午後もあれやこれや、明日また休むので締日に間に合うように処理しなければならないことを教えていただきながらやっていたら、あっという間に一日が終わりました。こうして月次の締めを追いながら、自分の裁量で段取りを決めつつ業務をこなしていくのが、忘れかけていましたが本来のわたしでした。三年近くこうした感じで仕事をしていなかったですがなんとなく感覚は戻ってくるものなんですね。それにしても大変な仕事。若い方が多いですがみなさんよくやっているなあと思います。ハード・・・。疲れます。

 お昼休みに外に出ても食べる所がないので今日も食堂で空を眺めながらランチ。費用は外に出るより安くすみますけどね、やっぱり息抜きに出られないのはつらいなあ。タブレット端末として使い方が依然としてわからないままPCとしてSafaceを立ち上げてOTTVAを聴くのがささやかな息抜き。あとはイケメンのお写真みたり、『赤毛のアン』の英語を読んだりして少しばかりでも気分転換。でもお昼が終わって事務所に戻った時、空気がすごい澱んでいるのを感じたのはつらかったなあ。換気が必要ですが、簡単に窓開けるっていうわけにもいかず、なかなかむずかしいです。乾燥して澱んでいるって感じたのはわたしだけではなかったみたいです。時々外に出られますが、ここにずっといるのもつらいなあ。お昼休みに外で食べる所がないのはつらいです。でも4月末で契約終了してまた社会から孤立することを思うともっとつらいです。こうして経験を積むと需要はあるみたいなので、そんなことないのかな。どうなんでしょうか。大変な仕事だし、需要があるのと、雇用の安定はまた別の話なのでむずかしいところ。まずは4月末まで無事にやりとげることを考えようと思います。先のことはもう少しやってみてから、なんて呑気なことを言っている場合でもないか。

 一年前の今頃のわたしまはまだ、こうしてまた社会に戻って元気に仕事をしている自分の姿を思い描くことが全くできませんでした。すり減るだけすり減って気力が尽き果て、実家に引きこもって遺品整理しながら父と母と妹が眠るお墓の前で毎日夕方になると泣き崩れていました。手を合わせながら語りかけました。情けないけど、身動き取れない、どうしていいかわからないって、さめざめと涙を流しました。こうしてまた仕事ができていることが嘘のようです。今がつらくっても、収入が途絶えまま社会から孤立し続けた日々のつらさを思うとなんとかやっていければなあと思います。自分が社会のどこからも必要とされていない
というつらさは言葉にいいようもありませんでした。ボランティアやれるのは生活基盤が保障されている方の特権ね。家賃払っているわたしは収入必要です。12月11日から28日までのわずか10万足らずの給料(しかも交通費支給されてこの金額)から健康保険と年金をしっかり一か月分天引きされたら手取りは7万ぐらいにしかなりませんがな。こんな給与明細書みると悲しくなりますが、28日の残業代がちゃんと支払われたのかどうかを確認することもできませんが、社会から孤立し続けた日々のつらさを思い出すと、日中の居場所があるのはありがたいと思わないわけにはいきません。こうして普通に暮らせることはほんとうにありがたきなり。まだまだ悔しいものはありますが、少しずつ取り戻していきたいです。まだなんとか間に合うなリ。たぶん、きっと・・・。普通の生活を続けていくことはほんとうにむずかしいです。至難の技なり。

 昨日も『スマイルマーメイド』のニコニコ動画視聴しました。生でオペラグラスでは追いきれなかった清史郎君パブロの表情に胸キュン、涙。原田さんとふたりで歌ったり踊ったり。かけあいの間といい、歌唱力といい、芝居の力といい、ガブローシュコンビは何回みても尊いです。清史郎君、昨日は『ロミオ&ジュリエット』を観劇したような。古川さんロミオも大野さんロミオも2013年『エリザベート』のルドルフ。少年ルドルフだった清史郎君はエピローグで一緒に棺から出てきていました。少年ルドルフの髪型は青年ルドルフによって違っていたという小池先生のこだわりのある舞台でした。清史郎君がもう少し大人になったらまた小池作品に出演するなんてことあるといいなあ。願わくばルドルフをやってほしいです。小池先生に元気でいていただかないとね、なんてつらつら思っていると楽しいです。とりとめのないつぶやきでした。