たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

シルクロードへの旅-カシュガル⇒ウルムチ

2023年03月09日 01時09分18秒 | シルクロードへの旅
「1991年5月5日(日)

カシュガルの街を歩く。
ホテルから広場、バザール、街並、人の並。
歩いてささやかながら、カシュガルの街を確認。

お腹の調子が悪いため昼食をパス。
新家書店で本を3冊購入。
かなり大きな書店だった。
3時半ごろホテルに戻ってツアーに合流。
バスにて観光。香妃墓、エイテガール寺院。
再びバザールへ。バッグを購入。値切りのかけひきが面白い。

今日はトルファン以来の青空が広がっている。
シルクロードとはこれでお別れ。
異国のこの雑多な街の大きさに圧倒されて、なにを書いていいのやらよくわからないが、シルクロードの街ではどこも子供がたくましく生きているのが印象的である。
異国の街カシュガルで出会った10歳の少女ポアイシェンヤースン、彼女もたくましく生きている子どもの一人であろう。
西洋的で幼いが目は鋭い。頭の回転がはやく利発そうだ。
悪い意味ではなくずるく生きる術をおぼえているのだろうか。昨日出会った私の顔をおぼえていて、目ざとくみつけくっついてくる。
トットちゃんの本を買いたくて書店をさがしていると、彼女がそでをひっぱる。
書店はどこかとたずねると、人にきいては案内してくれた。30分ほど歩いただろうか。
書店は見つかり、めでたく本を購入。
途中の彼女のすすめる指輪を買って彼女にも買ってあげて、広場に戻るとしきりになにかを言っている。ぼんやりしているものだから、なかなかなにを言おうとしているのかこちらはよくわからない。その時の彼女のチェッという舌打ちが忘れられない。わからなくてごめんねと言って去ろうとしても話してくれない。結局どうやらお金か物をよこせと言っているらしい。一元を渡すと彼女はバイバイと去っていった。
 
午後の観光で再び広場に行くと、やはり彼女はいた。わたしにくっついてくる。
物をもらえると思っているのだろうか。案内すると言っている。ガイドをしているのだ。
そうしてお金や物をもらっているのだろう。
そしらぬ顔を彼女のそばをすりぬけて、わたしは買い物に出た。
彼女は今もあの広場に立って、目ざとく観光客をみつけては彼らのカメラにしっかりとおさまっていることだろう。

シルクロードの街では子供は大人以上にたくましく、自分で生きている。
今はこれぐらいしか書けないなあ・・・。
ちなみにバザールで売られている華やかなスカーフは、Made in Japanだった。
今の日本とはあまりに違うシルクロードの街に今いて、東京の生活に戻れるだろうか。
世界は広い、大きい。
ぼやぼやしてはいられない。
今度は一人で、自分の足で歩いて、異国の街を垣間見てみたい。

夜半3時30分の飛行機でウルムチへ飛ぶ。
あっ気なく一時間半ほどで到着。」





東洋と西洋の間、これまでのオアシスと違って、バザールにいる子どもたちは白人の血がはいっているであろうと思われる顔立ちが多く見受けられました。
10歳の少女、平和ボケの日本から出たことのなかった当時のわたしには衝撃でした。
この日購入したウィグル語の「窓ぎわのトットちゃん」もバッグも、断捨離してしまいました。いつかお別れしなければならないのだから仕方なかったと思います。あの世で再会できることを楽しみにしています。

この旅で出会った子供たちは、無事に生き延びることができているでしょうか・・・。

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