たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2013年『アンナ・カレーニナ』_思い出し日記(5)

2019年02月07日 22時47分50秒 | ミュージカル・舞台・映画
STORY

「舞台は19世紀末の帝政ロシア。浮気が原因で揉めている妻とのとりなし役を兄ステファン(通称ステーヴァ)から頼まれ、兄の元へと急ぐアンナはペテルブルク駅で列車事故に巻き込まれ、その混乱のさなか、若き陸軍将校ヴロンスキーと遭遇する。初めての旅に心ときめかす美貌の人妻アンナの姿は、ヴロンスキーの心に鮮烈な印象を残す。

 モスクワの兄宅に赴いたアンナは、義理の妹キャサリン(通称キティ)から意中の人がいることを告げられる。ほどなく、兄の友人で理想に燃える純粋な若者レイヴィンが現われ、キティに求婚する。レイヴィンに好意を抱きながらもそれを撥ねつけるキティ。そこへ訪ねてきたヴロンスキーは、アンナと偶然の再会を果たす。アンナは、彼こそがキティの意中の人物であることを知るが、彼の視線が自分に向けられるのを感じずにはいられない。キティもまたそれを察知する。

 ヴロンスキーの心は、もはやアンナへの想いで占められ、彼女を追い求めては愛の言葉をぶつける。そんな彼を厳しく拒絶するアンナ。しかし15歳年上の夫で、堅物の政府高官カレーニンとの暮らしに一抹の虚しさを覚えていた彼女は、ためらいながらも、ヴロンスキーの一途で熱い想いに急速に心を奪われていく。

 貞淑な妻と青年将校の道ならぬ恋は、プリンセス・ベッツィー率いる噂好きの社交界の格好の標的となり、カレーニンのもとにも届く。礼節と母親の義務をわきまえるよう妻を諭すカレーニン。しかし時はすでに遅く、ヴロンスキーの子を宿していたアンナは南国ヴェニスに駆け落ちしてしまう。

 だが、幸せな時間は長続きしない。夫の元に残してきた愛息セリョージャへの思慕の念にかられ、過ちを悔い、心も体も衰弱していくアンナ。ヴロンスキーが差し伸べる手も、宙を舞うばかりだ。

 一方、本当に大切な人はレイヴィンだとようやく気づいたキティは、彼を失ったことを悔やみ、病んでしまう。それを知って病床に駆けつけ、変わらぬ愛を誓うレイヴィン。

 アンナとヴロンスキー、キティとレイヴィン、2組のカップルの進む道は明暗の色を濃くしつつ、アンナはついに、大きな決断を下すのだった。」

2003年星組『ガラスの風景』『バビロン』

2019年02月06日 21時00分40秒 | 宝塚
 

システムメンテナンスで昨夜はブログを書けず、仕様が変わって使いやすくなったのか使いにくくなったのかわからず戸惑っていますがやっと更新。一昨日の星組宝塚大劇場千穐楽から、昨日の星組トップコンビ退団発表をうけて来し方を振り返ってみたくなりました。

 2003年2月14日-3月23日東京宝塚劇場星組『ガラスの風景』『バビロン』、タータン(香寿たつきさん)と渚あきちゃんの退団公演でした。わたしが知っている宝塚時代のタータンは杜けあきさんと一路真輝さんがトップの雪組時代が主ですが組替えで花組と雪組をいったりきたりし、新専科制度という天下の悪法で専科へ異動となった時はトップになることはないのかなと心配でしたが最終的に星組でトップとなり三作つとめて退団。渚あきちゃんもわたしが知っている宝塚時代は雪組、『この恋は雲のはてまで』、本公演では紫ともちゃんを慕う盲目の奴隷娘、新人公演では紫ともちゃんの役を演じたのでトップ娘役になってほしいと思っていました。入団13年目でタータンとコンビを組むことになったときはよかったあと嬉しかった記憶があります。

 この頃自分なにしていたのかと振り返ってみると大会社で二人分労働しながら卒業論文を秋に提出しなければならないという時で観劇から遠ざかっていました。宝塚の情勢にもうとくなりつつあったのですがタータンと渚あきちゃんの退団公演はみたいと思いました。どうやってチケットを入手したのかは思い出せませんが今ほどネットの時代ではなかったので電話で予約したのかな、たぶん・・・。一回だけですが観劇しました。『ガラスの風景』は柴田侑宏先生脚本、謝珠栄先生演出、イタリアのコモ湖畔が舞台のカンツォーネの調べが心地よく流れる舞台でした。タータンのスーツ姿が印象的な大人な作品。『バビロン』は荻田浩一先生の作品だったんですね。いつのまにか宝塚を退団されていると知ったときはびっくりでした。

 キャストを振り返ってみると組長が英真なおきさん、副組長が現組長の万里柚美さん(スマスマでずっと星組にいらっしゃると知った時は感動しました)、二番手がわたしの中では雪組時代が主の安蘭けいさん、のちに花組のトップとなった真飛聖さんはすでに若手スターだったのかな。のちに星組を5年間率いた柚希礼音さんもスターへの道を歩きはじめていたのかな。キラキラの原石たちをそうとは知らずに拝見していました。去年の夏『AnotherWorld』『キラー・ルージュ』を観たあとでこのプログラムを振り返っていたとき、いちばん端っこに入団一年目の紅ゆずるさんのお名前をみつけて感動しました。星組ひとすじ、17年間、卒業を発表されました。宝塚を心の底から愛し、一回一回命がけで舞台をつとめ、生まれ変わったらまた宝塚に入団したいと涙し、潔く清々しく巣立っていこうとするその姿に涙がこぼれています。時はたえず移ろいゆき、人も組織も変わっていく、変わっていかなければならない。17年という歳月はあっという間といえばあっという間なのかもしれませんが、移ろいゆく時の流れの中でこれでもかこれでもかと試練が訪れ闘い続けてきた日々、たくさんの苦しみときっとそれ以上にたくさんの喜びもあった日々。生き抜くことはかんたんなことはひとつもなく生きることはむずかしくて、でも生きていればいいこともあるさって思えることもある、そんな格闘の日々だと、自分の歴史と重ね合わせながら来し方を振り返ってみたくなったのでした。 

 タータンは今やミュージカルの大舞台で大活躍、『モーツァルト』のヴァルトシュテッテン男爵夫人の歌唱の素晴らしいこと、素晴らしいこと。渚あきちゃんは一昨年『グレート・ギャッツビー』で久しぶりに拝見。ブログやSNSを通しても、元気に活躍されている様子がわかるのは嬉しいものです。 

























 書いている間にサイトの不具合が修正されたようです。やっと書けました。よかった・・・。

星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした(2)

2019年02月04日 23時22分36秒 | 宝塚
 いい舞台に出会えると、大袈裟かもしれませんが「生きていてよかった」って思う。「この世に生まれきてよかった」って思える。キラキラな宝塚大劇場は丸ごとアミューズメントパーク。1月に二度もいってしまって十分すぎるぐらい贅沢。ほんとに贅沢。


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第17場 鴎の歌

貨物船、フランクフルト号。
舳先の高み、マストを背にした男がただ一人。
霧海の中に・・・。
カールが歌っている。

カール『鴎よ 翼にのせてゆけ
我が心の吐息を
遠きふるさとのエルベの流れ
霧は深く ため息のごと
岸辺によせる さざ波は
別れし人の睫毛にも似て
いつも ふるえる
鴎よ つたえてよ
我が心 いまも 君を愛す
鴎よ つたえてよ
我が心 いまも 君を愛す』

風強く、霧が流れて。

   -幕-

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 上田久美子先生がほれ込んだ脚本。今の自分にはここまで書ける力がないので再演を劇団にかけあったという脚本。カールとフロリアン、二人の男性がマルギットというお嬢様をめぐって争うのではなく、マルギットの幸せを願って譲り合う物語。哀しくて優しい物語。

 幕が下りる前、『鴎の歌』を口ずさむカールは微笑んでいました。やわらかい歌声で鴎に自分の想いを託すように、マルギットに幸福(しあわせ)になれって伝えてくれって語りかけるように歌うカールの姿がそこにはありました。感情を心の底から歌にのせるとこうなるのかと、上手い下手とは別のところにいるんだと・・・。

 今まさにフランクフルト号が出帆しようとするところ、フロリアンと共にカールをさがしにきたマルギットにカールの姿がみえたんですね。一度目ではわかっていなかったですが、マルギットは「カールだわ!」って言って迫をおりていきました。カールにはマルギットの姿が目に入ったのか、マルギットを罵ったのは自分の本心ではないことをマルギットが知ったことをカールは知らないまま出帆していったわけで、カールにとってはそれが幸せ。マルギットはその後フロリアンと人生を歩んでいったのか、余白が残るエンディング。

 脚本を読むと、「幸福(しあわせ)」って書かれています。『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』という高倉健さん主演の映画を思い出しました。言葉が深い。さらにかみしめていきたいです。

 今日、宝塚大劇場千穐楽でした。早いなあ。悲しいお知らせがありませんように・・・。
東京宝塚劇場まで出向くことはできないので次は3月24日のライブビューイング。無事につとめられますように。自分、次の道筋がみえていますように・・・。


キャトルレーヴも東京宝塚劇場よりもひろくってディスプレイも素敵でした。SNSでみかける写真はこれだったのかと。ひろくってみるところがありすぎ・・・。







 

日比谷な二日間でした

2019年02月03日 23時44分10秒 | 日記
 駅から遠い田舎に帰ってきてしまうと昼間は日比谷にいたのが嘘のようですが、日生劇場でラブネバ観てきました。にいちゃんにそっくりすぎる憲ちゃんグスタフの姿に、清史郎君グスタフから5年が過ぎたのかと幾重にも感慨深いものがありました。昨日も結局日比谷で過ごしたので池袋には行きませんでした。スパのスリーピングスペースはせまくってお隣さんとの距離が近いので、いびきのすごい人がきてしまうと不眠に陥りつらいものがありましたが楽しい二日間でした。贅沢しました。日比谷はキラキラ、キラキラしていました。束の間の夢をみていたような気がします。苦労して家賃を払いながら暮らしていた時は日常だった時間が今は束の間の夢の時間になりました。新幹線が無事に走るかぎりにおいて日帰りもできるけど遠いです。JR東日本のエリアから外れるのは遠いです。そのかわり宝塚大劇場は近くなりました。もっと地方で移動にお金と時間をかけて観劇している人はたくさんいるだろうし、ライブビューイングがないところだってあるんだし、贅沢なこと言ってはいけません、こうして楽しめるだけ十分すぎるぐらいありがたい。近くになんにもないところに帰ってくると気持ちは落ちますけどね、あとはまた現実、不安の海。稼ぐ自分に戻らねば・・・。

 5年前ラブネバが上演されたいたときの自分を思えばよくぞここまで立ち直ってきたんだよ、自分。





 朝はスパで食べずにお風呂に入り、久しぶりのCAFE東京宝塚劇場を眺めながら早目のお昼。当たり前だったのが次はいつになるかわからないと思うとさみしい・・・。






おもく受けとめたい

2019年02月02日 20時24分18秒 | 気になるニュースあれこれ
児相、一度も家庭訪問せず 17年末帰宅後 千葉・女児死亡


「毎日新聞2019年1月28日 20時56分(最終更新 1月28日 22時39分)

千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(10)が自宅で死亡し、父勇一郎容疑者(41)が傷害容疑で逮捕された事件で、県柏児童相談所が、虐待の疑いがあるとして実施した心愛さんの一時保護を解除後、一度も家庭訪問をしていなかった。柏児相が28日に記者会見で明らかにし、「対応に不足があった」と説明した。【斎藤文太郎、町野幸、橋本利昭】

柏児相によると、2017年11月7日、勇一郎容疑者から心愛さんへの虐待が疑われると市から連絡があり、心愛さんの右ほおにあざがあったため同日中に一時保護。心愛さんは保護前の学校の聞き取りに「母がいないところでたたかれる。『てめえ早く宿題やれ』と言われる」などと訴えた。勇一郎容疑者は虐待を認めなかったが、心愛さんが親族宅でしばらく暮らすことなどを条件に、柏児相は12月27日に保護を解除した。
 柏児相は18年2月までに親族宅を2度訪問し、心愛さんや勇一郎容疑者、親族と面談。虐待の再発がなく、心愛さんが学校生活を元気に送り、自宅での生活を望んだことなどから、心愛さんは3月に自宅へ戻った。
 当時、柏児相は心愛さんの家庭生活についても情報を関係機関と共有することにしていたが、当初のけがが軽かったことなどから、状況確認は学校が心愛さんに聞き取るだけで十分と判断していた。しかし、学校は随時、虐待や相談がないかを尋ねたものの、心愛さんから申し出はなく、体の見える部分に傷もなく、虐待は認知できなかった。勇一郎容疑者は今年1月、心愛さんを1カ月ほど休ませると学校に連絡し、柏児相もこれを把握したが、その際も自宅の確認や家族への連絡は誰も行わなかった。
 一方、柏児相は勇一郎容疑者が以前住んでいた沖縄県で妻に暴行を振るったとの情報があったり、柏児相に対して不信感を口にしたりするなど、虐待の潜在的なリスク要因があることも把握していた。柏児相の二瓶(にへい)一嗣(ひとし)所長は「保護解除の判断は妥当だったと思うが、その後、様子を観察して変化に気づくための対応は足りなかった」と話した。」


 転居前と転居後の自相、市役所、教育委員会、行政の限界、関係機関が情報共有していくことの難しさ、聴き取りと訪問による現況確認の大切さ、記録を的確に書くことの大切さなどなどを感じます。保健師、地域担当のワーカー・・・、がんばっていると思いますが、残念ながら連携が不十分だったと思わざるを得ません。担当する件数が多すぎるのでは、とはあくまでも推測ですが、救える命を救えなかったは事実。もしまた援助職のはしくれとなるのであれば訪問、関係機関との情報共有の大切さ等あらためて心に刻み込みたいと思います。母とのお別れが近いことを必死に受けとめようとしながら安全基地を求めて安心できる大人にすがるようなまなざしを向けた、さみしそうな女の子の表情を忘れることができません。その瞳が教えてくれたことは深い・・・。



星組『霧深きエルベのほとり』『エストレージャス』_二度目の観劇でした

2019年02月02日 07時57分38秒 | 宝塚
 1月29日(火)、15時開演、二度目の観劇でした。最初の観劇では、フロリアンってなにか心の奥底にあるんじゃないかっていう訝しい感じがあったのですが、カールとフロリアン、真逆の生まれ育ちだけれど、自分の気持ちを素直に表現できないというところが似た者同士なのかな、って思いました。初演された半世紀前は現実的な物語だったのかもしれませんが現在ではありえないおとぎ話のような世界。現実にはこんな男の人たちいないと思いますが、同時にどこか共感できるリリカルなところがあります。

 湖上レストランの場面「お金ならあるのよ。家をでるときに持ってきたお金がまだあるの。これからは、なにもかもあなたの稼ぎに頼るようになるのよ。だから最後に、私にお払いをさせて」。お金に苦労したことがなく、誰かに食べさせてもらわなければ生きていくことのできないことをわかっていない、マルギットの言葉と佇まいに生活感のないこと、ないこと。おそらくカールを傷つけていることに全く気づいていない。前回気になった裏声の発声が違和感なくなっていて、妃咲愛里さんのなせる技なのかなって思いました。ひと昔前の宝塚の娘役特有の高い声と白いお化粧は役作りの工夫なのでしょうね。

 つまらないといえばつまらない話を、脚本の世界観に息を吹き込み、深い心の物語に昇華させた星組の力、お見事。わかっていてもシュラック家を出た後の、紅カールの美しい涙と革のコートを着たカールの背中に涙が出ました。

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第13場 シュラック家の外-カールの独白-

ピアノの中で盆が回ると、シュラック家の玄関の外に、みすぼらしいコートを引っ掛けて突っ立つ人影。
枯葉が舞う。
夜、霧が深い。
カールが一人佇んで、家の中から聞こえてくるピアノの音を聞いている。やがて、その音が消える。
「俺がもし文士なら、小説を書くだろうな。エルベ河の傍にあるシュラック家の窓の外で、ある霧の深い晩、俺は、俺はじゃねえ、僕はだ。僕は、マルギットのピアノを聞いた。あのピアノの音はマルギットの腹を立てた音だ。やがてピアノは止んだ。お嬢ちゃんのお怒りはやんだらしい。家の中じゃあ、フロリアンがお嬢ちゃんを慰める。お嬢ちゃんはフロリアンを頼りにする。好きになる。惚れる。二人は夫婦になる」
 
 カール、静かに歌いだす。銀橋を歩く

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「ル・サンク」を買って、脚本、読んでいます。言葉が美しい。菊田一夫は詩人ですね。



自分を信じ続ける

2019年02月01日 21時39分43秒 | 祈り
「2005年4月24日(日)

本当にいつものことだが土曜日は疲れているせいか、考え方がネガティヴになってしまう。
ちっとも自分に自信がもてなくって、うなだれた私がいる。
胸を張れないから姿勢も悪い。
人が自分のことを笑っているような、悪口かなんか言っているような、そんな錯覚をおこしてしまう。神経症だ。
ゴスペルコーラスをやり続けることは、そんな自分との内なる闘い。身体の声をきくことだ。
体力をもう少しつけて、がんばりたい。
この小さな身体で、私は本当によくがんばっている。
女としての幸せを忘れている。人はそういう。
だが、人は人、自分は自分。一人の人間として、社会の中で本当の自立を目指そうとしているだけだ。
そんな普通の女性に、日本の社会は冷たい。
人間=男性、女性について述べる時だけ、あえて女性とことわらなければならない。社会保障制度は、専業主婦を優遇し続けている。
そんな社会に対して、微力ながらも関わっていきたい。
PSWの資格取得を目指すことは、そんな思いを現実にしていくための第一歩だ。
「社会福祉原論」のテキストを読み始めたが、社会学で学んだこと、卒業論文を通して主張したいこととつながっている部分がある。本当にやり続けられるのか不安だがスタートしたばかりだ。がんばってみよう。
40歳を過ぎて恋人もなく、シングルでいる私は淋しいのかなあ。
きっと淋しいんだろうなあ。みんな最後はひとりなんだよ。
自分の芯をもって生きていかなければならない。
私は自分の生産的な力を信じる。」

 自分がこんな想いを抱きながらPSWの国家試験合格を目指して、大会社で二人労働しながら勉強していたこと、忘れていました。ゴスペルは3年ぐらい続けたかな。大会にも出場しました。出番までの待ち時間に大会会場近くのカフェでレポートを清書したりしていました。心身をすり減らしながら合格した国家試験。回りまわって合格から10年余りのちに生かす入口に立つことはできたけれど、家賃を払いながら暮らせるだけの安定的な収入の道はきびしく実家に戻って2カ月半。

 やや久しぶりに30年間一人で暮らし続けた街にやってきました。新幹線代と時間を考えると遠いです。駅から遠く公共交通機関だけに頼っては生活できないド田舎に引っ込んでしまったのでほんの2カ月半しか過ぎていないといえばいないのにもっと時間が過ぎたような気がします。案内を読んだ時には、それだけで気力が失せてしまった、朝一時間に一本の巡回バスを利用すれば通える求人に、一昨日書類を発送してからの新幹線。目的は日曜日のラブネバ。日帰りも可能だけれど、毎週末通っていたスパに行きたくて、ベルばらの当日券に未練もあるので2泊3日のプチ旅。書類を発送したらもう全てを忘れたい。書類が通っても論文と面接。考えただけでまた気力が失せます。こんなエネルギーを削がれること、心の底からいや。この4年間になんどこんなことをやってきたのだろうと考えるとそれだけで体中の力が抜けていく感。また縁あって日中の居場所に出会うことができれば、毎朝一時間に一本の巡回バスを逃したら全てが終わるというプレッシャーとの闘い。仕事内容への不安と同時に通勤への不安。うつうつと考え始めたら果てしなくどこまでも不安の海。近くに店もないし、家にいるとざわめくからすっかり遠のいている自分がたまらなく惨めに思えてきたりするこの頃。

 都心はほんとに煌びやかでなんでもあって便利。地方との格差を実感しています。久しぶりの郷里は、かつては賑わっていた商店街が、映画館やらファッションビルやら立ち並んでいた繁華街がすっかりさびれてシャッター通りになっている光景にはことばがありません。反対に車でしかいけない大型のショッピングモールは平日も朝から駐車場満杯の大賑わいで、都心では駅近にある無〇良品もショッピングモールの中。自転車では行くことができません。車がほんとに横着。家の近くは特にひどい。信号がないのをいいことに飛ばしまくっているので直前までウィンカー出さないで曲がってくる車になんどか轢かれそうになっています。横断歩道あってもほとんど無視されてます。止まれ、って書いてあるところで止まらない車もあって、わたし、聞こえないけど怒ってます。「危ないよ、止まれよ、ウィンカー出せよ」って。この暮らしに慣れていくことができるのか。今さら中古マンションを購入するだけの力も、また家賃を払い続けるだけの力もないし、飛び立っていくためには荷物が多すぎるので今のところは家で暮らし続けるという選択肢以外ありません。3.11以降自然災害への不安といつも背中合わせなので、弟と同級生が近くにいるという安心感は代えがたい。先日お金が入った後弟に水道光熱費を半分払いました。食費もまるまる出してもらうばかりでは申し訳ないので自転車で行ける範囲で自分で買ったり、一軒家の水道光熱費は高いですが家賃を思えば安いもんです。安いお給料からどうやって家賃を払っていたのか自分でも不思議。部屋を引き上げるための費用もまだまだ尾をひいているし、また稼げるようになれば家賃負担がなくなった分チケット代に使えるし、プリンスエドワード島、オランダのマウリッツハイス美術館、イタリアのトスカーナに行くという夢をあきらめたくない。この世にいる間にやりたいことはまだあるのであきらめたくない。きっとやり直せる。自分を信じ続けるしかないです。

 家から1時間半ぐらいのところで観劇できることは滅多になくなりました。近隣の都市は劇場が相次いでクローズ。日比谷よりも大阪の方が新幹線代と時間が半分ですむのでこれからは関西かな。梅田芸術劇場、開拓していかねば。ラブネバは日生劇場だけ。日生劇場で観るのがいいんです。明日もまずは日比谷でフォーラムのぞいて、当日券無理そうだったら美術館。それから吉村さんのギャラリー展かな。気が重くなる現実はしばし忘れて楽しもう。郷里に戻ったらまたハロワとか、問い合わせとか、いろいろ。必ずやり直せるから、日曜日までは考えない、考えない。

 長々と成仏できない気持ちのつぶやきでした。