行雲流水

阿島征夫、一生活者として、自由に現代の世相を評す。時には旅の記録や郷土東京の郊外昭島を紹介する。

よみがえるか所得政策

2016-10-01 18:52:29 | Weblog
国際通貨基金(IMF)がアベノミクスが成功するためには所得政策が必要と言いだした。所得政策とは懐かしい言葉で、1970年代石油ショックで2割~3割もの物価上昇でインフレが止めよもない時代、労働組合はその物価を基準に賃金を上げた。物価と賃金のスパイラルが起き、日本経済は崩壊する恐怖を国民はいだいた。当時の政労使の指導者は60年代後半西欧で採られた所得政策を日本でもやったらどうかという話が出て、政府が総需要抑制で物価を押さえ込むから、賃金上昇を自粛してという極めて緩やかな所得政策的なものがトップで決まった。当時は基幹産別が組織する金属労協が春闘をリードしており、物価を抑えて実質賃金を増やす路線に転換し頭の隅に所得政策を置いておく程度のものだったが、日本経済が安定成長路線に軌道修正するのに寄与した。
本家の英国(注1)やドイツ(注2)での所得政策は賃上げが労組の目論み通りにできず失敗に終わったことを考えると、日本の所得政策的なものはそれなりに役割を果たしたといえる。
 
このように所得政策自体はインフレを抑えるための政策だったが、IMFが今回言いだしたのはデフレ脱却を目的とするもので最低賃金を1500円にとか、介護者の賃金を10%上げると言った部分的なものから全労働者の賃金を5%上げろといったガイドラインを設けるか、時限立法化するという所得政策だ。70年代のように労働組合の力が強くない今日、ガイドラインを設けても一部の大企業や公務員だけが実現でき、大部分の労働者が働く中小企業には及ばない。むしろ時限立法で賃上げ分は法人税から控除するといった政策が必要だ。
 
注1、イギリス政府は,1962年所得政策を導入し68年7月には,68年物価所得決を制定,ポンド切下げ後の物価安定を目ざしたが,労働者の協力を得ることができず,賃金上昇はガイド・ラインとされた3.5%を超え,所得政策は結果からみると失敗に終った。69年12月の70年物価所得法も,労働党の選挙思惑もあって功を奏さなかった
注2、西ドイツでは66年以来政府,学識経験者,労使による協調ある行動による懇談会が開催されている。これは政府が経済分野の予測数値(賃金,物価の予測値を含む)を示し,安定成長の条件を政府が労使に明らかにし,労使交渉の参考に資するという目的のもので一種の所得政策的な政策といえる。
しかし,67年の景気回復と上昇の過程で賃金の上昇率は実質経済成長を大幅に下回ったことから,労組側に協調方式に対する不信感を与えることになり,69年の誘導指標賃金の伸び5.5%~6.5%についてはついに合意に達することができなかった。

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