春宮の脇から万治の石仏に行く道の案内が出ていた。
数百メートルの近さである。
母を気遣い徒歩で、道案内に従っていく事になった。
春宮の直ぐ脇を流れる川を渡り、川の中州状の島へ。
我が家では未だ咲いていないが、原村の中心地と同じなのか川沿いに桜が咲いていた。

浮島神社の鳥居と対岸に渡る赤い橋。

二つ目のこの橋を渡ると万治の石仏がある岸。

後ろを振り返ると春宮が木立の間から見える。

石仏の脇にある説明文によると、「春宮の大鳥居を造る時この石を材料としてノミを入れたところ、傷口から血が流れだした。造るのを中止して石工達は阿弥陀如来を彫り、祭った。」と書かれていた。
家内と母が地元の市民新聞社の記者にインタビューを受けていた。
みのもんたの番組で取り上げられたみたいである。
その番組を見てこの地を訪れたのか等聞かれていたようだ。

ノミの跡はこの石仏の裏側にあるようだ。
我が家では裏まで廻らずに帰ってしまった。
この娘さんは見る事が出来たようだ。

数百メートルの近さである。
母を気遣い徒歩で、道案内に従っていく事になった。
春宮の直ぐ脇を流れる川を渡り、川の中州状の島へ。
我が家では未だ咲いていないが、原村の中心地と同じなのか川沿いに桜が咲いていた。

浮島神社の鳥居と対岸に渡る赤い橋。

二つ目のこの橋を渡ると万治の石仏がある岸。

後ろを振り返ると春宮が木立の間から見える。

石仏の脇にある説明文によると、「春宮の大鳥居を造る時この石を材料としてノミを入れたところ、傷口から血が流れだした。造るのを中止して石工達は阿弥陀如来を彫り、祭った。」と書かれていた。
家内と母が地元の市民新聞社の記者にインタビューを受けていた。
みのもんたの番組で取り上げられたみたいである。
その番組を見てこの地を訪れたのか等聞かれていたようだ。

ノミの跡はこの石仏の裏側にあるようだ。
我が家では裏まで廻らずに帰ってしまった。
この娘さんは見る事が出来たようだ。
