週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#370 -’20. 法隆寺を拝観して (その一)

2020年11月02日 20時52分32秒 | 国内旅行

今回は、取り急ぎ拝観料をお支払いして入る直前のことろ迄です。法隆寺の説明は法隆寺のHPから引用させて頂きます。

世界文化遺産 法隆寺

松の翠が美しい矢田丘陵を背に、大和平野を広々と見渡す斑鳩の里に聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造営を発願、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。

太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立し、冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって国の発展を計られましたが、惜しくも推古30年(622)49歳のとき、人々の悲嘆のうちに薨去(るびは「こうきょ」です。原村解説)されました。

その後太子の志は、太子の遺訓を守る長子の山背大兄王が受け継がれるところでありましたが、蘇我入鹿の軍勢により、大兄王をはじめ太子の一族は滅亡しました。法隆寺はその後も太子を慕う人々によって護持されたと伝えられますが、『日本書紀』によると天智9年(670)、一屋余す事無く焼失したと記されています。しかし間もなく再建が進められ、遅くとも奈良時代の初頭までには飛鳥時代の様式で中心伽藍が復興され、やがて旧にもました寺観が整えられたのが、世界最古の木造建築群として知られ現在の西院伽藍です。一方、斑鳩宮は、荒廃に任せるままになっているのを嘆かれた奈良時代の高僧行信僧都が、太平11年(739)ごろ、太子の菩提を願って宮跡に建立されたのが夢殿で、これを中心とした建築群が東院伽藍でです。このような幾多の経緯にもかかわらず今日の法隆寺では、飛鳥時代以来の多くの仏像や建造物のほか、あまたの美術工芸品を眼前にすることが出来ることは誠に幸いなことであります。

1  こちらの法隆寺の説明文を読んでいただければより、知識が増すとおもいます。

2  拝観見学するだけでも時間を有しますが、雨が降っていたことと荷物をホテルに預けに行ったことで時間が押してしまいました。法隆寺の境内図にもありますが、目ぼしい所を見たにすぎません。

3  南大門です。ボランティア活動しているガイドさん達かと。修学旅行や遠足も少なくなっていますから、手持ち無沙汰の用でした。

4  南大門をくぐります。その先には中門と五重塔がみえます。この時代にこの建造物群を建立できたのですから、再建されたものがあるにせよ凄い建造技術です。

5  南大門に掛っていたこちらの図柄の几帳が気になりました。ほかの所でも掛かっていましたが。

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7  言ってみれば事務所関係です。

8  海外からの観光客も国内の観光客も修学旅行生なども少なく見学するには最高でした。

9  この後に向かう東大門方面です。

10  振り返り入って来た南大門方面です。小学生の集団が集合写真を撮っていました。高校時代の修学旅行では猿沢の池の湖畔の修学旅行生用の旅館に宿泊しました。

11  中門です。

12  コロナ禍で手水舎もご覧の通り使用していないようでした。

13  中門です。

14  平山邦夫氏による法隆寺です。日本で最初の世界文化遺産指定です。

15  三経院・西室に向かうところの土塀です。三経院、西室はHPをご覧下さい。

16  拝観料を払い、中門・回廊・経蔵・鐘楼へと進みます。この後はその二へ続きます。

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