あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

1990.7.5のファッション

2024年01月14日 06時38分47秒 | 雑記
義父母が取り置きした新聞にチラシもありました。
1990年は平成2年です。今が2024年なので34年前。今年定年を迎える人が青春だった頃のファッションをご覧ください。
トップ画像は「年上のボーイフレンドとデートの日に着るスーツ」です。
あの頃流行りの髪型はソバージュと大きなイヤリング。
肩パットのスーツ。膝上15センチのタイトミニのスカート。
太眉でビビットカラーの口紅。そんでハイヒール。あの頃の流行りです。
左下に少し映り込んでる大きなカチューシャも流行ってましたねえ。私も何本も持ってたわ。
肩パットはどんどん大きくなりました。肩に頭が3個乗りそうです。
最後はスーパーのチラシ。カジュアルファッションでも肩パット!フレンチTシャツであっても肩パット。そういえば、あの頃の男子大学生もみんなこんな感じのTシャツを着てたねえ。
最後はハイレグ水着です。女性はともかく男性の水着は罰ゲームのよう。いや、あの頃はこれを男子は普通にきてたのね。
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懐かしい新聞CM

2024年01月13日 06時03分23秒 | 雑記
義父母が取り置きしていた新聞より、CMを紹介します。(固い話はもうお腹いっぱいなんじゃ!ここらでひと笑いしたい)
まずはトップ画像。1984年(昭和59)12月3日の四国新聞。
曰く「NECのパソコンは国内実績NO1を快走中です」
時代はまだフロッピィ。画面右の3台。
左より本体・キーボードとディスプレイテレビと別売りですが、両方買わないと使えないのでは?
中央、「ソフトの数が違う8ビット」フロッピィ2台内蔵で275,000円
右は「1MバイトFDD内蔵 16ビットの最新鋭機」415,000円
ちなみに、下に日本電気株式会社と書いてあり、NECってそういうこと?と知りました。
素敵な金八先生もこのCMをピックの決め手でした。
阪神の掛布雅之氏。昭和55年(1980)7月12日(土曜)のCM
これまた素敵な笑顔です。金鳥のCMは昔からこのノリだったのね。
ちなみに3つのカケフ大作戦
作戦1直接シュっ! その場でダウン
作戦2居そうな所にシュッ! フラフラになって出てきてダウン
作戦3 通り道にシュッ! 帯状に塗っておくとふれてダウン です。
三ツ矢サイダー 1985年(昭和60)3月18日(月曜)のCM
健康的な富田靖子さんの太眉の笑顔がピックアップの決め手。
フランスデュラン製ゴブレットが大瓶1ケースに2個ついてます。
そう、この時代はケース買いしてたのね。

最後は富士通のパソコン。左下の女性が可愛かったからピックしたものの、実は裏の技術の日立のゴクミのごきげんワープロの方が良かったかも?ワープロって知ってます?一世風靡したのよね。私も持ってた。
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運転限界と環境の変化

2024年01月12日 06時14分48秒 | 雑記
義父母の取り置き新聞から見つけた3つ目は1992年(平成4)9月14日(月曜)の高齢者の運転年齢は?です。発行日から敬老の日を意識しての記事でしょうか?
曰く「高齢運転が増える中で、自分が運転できる限界年齢について男性は75歳くらいまで。女性は65歳くらいまでと考える人が一番多いとの記事です。
現在は2024年なので、今から約30年前の記事ですね。この時からすでに増加する高齢者の事故について書いてあります。
参考資料として上のグラフは一世帯当たり車を持ってる数です。わかりにくいやもしれないので、平成4年はグラフの左3分の1当たりにあります。
もう一つ参考に。車が普及したのはいつ頃か?について。
「昭和30年代前半。35年ごろから全国的に普及し始め、40年代に発展した。」
だそうです。
少し前、高齢者が池袋でおそらくハンドル操作を謝って、歩行者に突っ込み犠牲者が出たというニュースがありました。これを契機に高齢者の免許証返納が増えたというのも見たのですが。現在は期待するほど返納が進んでない。なぜか?
そりゃあ、地域に車が少なかった頃は、買い物は徒歩や自転車などで行ける場所に揃っていたけど、今は車がないと買い物に行けないから。ですね。
神奈川県相模原市在住の頃は、人も多く店も多く。欲しいものはすぐ近くで手に入った。店を選ぶほどに買い物に困らなかったけど。香川県に戻るとどないもこないも。欲しいものは諦める!選択の余地がない。
あ。自転車移動の私はもう一つ選択肢があったな。頑張って長距離自転車を走らせて買いに行く。
はあ。いつまで元気に自転車に乗れるやら。いや、実は車の運転免許証は持ってるので、車に乗ろうと思えば出来るのですが。ここでトップ記事の「自己判断で自分は何歳まで運転できるか?」と考えた場合、30年近くペーパードライバーやっててもっペン運転出来ると思えない自分がいるんですわ。ビビリで臆病な私はもし事故ったら?と思うとねえ。けどさ。トップ記事が出たのは1992年だとして、2024年の現在も自己判断で運転技術に自信を持って走ってるのは男性75歳の女性65歳はあんまり変わってないと思う。
我が家の近所では男も女も80歳超えの爺さん婆さんが日常的に車を運転してます。彼らは運転技術に自信があるから運転を続けているのではない。近くに店がないから車で行かないといけないが本音ではなかろうか?
問題点ははっきりしてるけど。解決は出来そうにないという〜。
そういえば、先日いつもの道をいつものように自転車を走らせていたら、ある店の駐車場から突然バックしてきた車にぶつかりそうになった。駐車場に頭から停車してて何も見ずにバックした爺さん!許すまじぃ〜!!慌ててセンターラインを踏み越して回避したけど、その時対向車がいたら事故ってた。
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出生率

2024年01月11日 06時37分56秒 | 雑記
私の暮らす三豊市でも先日20歳の集いが開催されました。コロナ禍が終わり、振袖姿のお嬢さん達が楽しそうに参加されてるのを新聞で拝見。
さて、昨日に引き続き義父母の取り置き新聞より気になったものを紹介します。
今日は出生率について。
いやね。実はこの1993年(平成5)1月1日(金曜)の切り抜きの隣には天皇御一家の記事が掲載されていて義父母はこちらの記事を取り置きしたのだと思うのですが。
1993年は今が2024年なので30年前ですね。
30年前の出生率が史上最低で平成4年生まれの赤ちゃんが121万3千人ならば、現在の出生率はどうなのか?とふと思いまして、web検索したところ。
2022年生まれの赤ちゃんは79万9728人前後でした。ちなみに、外国人や国外で出産した日本人の赤ちゃん除いた日本在住の日本人だけに限れば77万人前後なんだそう。
30年前から出生率が史上最低!とか知ってた割に対策しなかったのかな?子育て世代が「子供作ろう」って思う効果的な使える&助かる対策ね。そうなんだろうなあ。
なんかさ、去年少子化対策で「子供三人上ならば大学は無償化します」を目玉に得意そうに「異次元の政策」と発表してた人がいましたが。そんなんではどないもならんとこまで日本人が減っちゃったと思うのは私だけか?子供を産む&育てる人に寄り添う政策を考えろ!
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お米の値段

2024年01月10日 09時53分54秒 | 雑記
今日の香川県は寒くて天候が悪いので、年末年始に義父母が取り置いていた新聞の切り抜きを紹介します。
新聞というのはニュースです。なるべく正確な情報を購買者に届けるべく紙面を埋めてある訳で。
まずピックアップするのは昭和56年(1981)7月18日の四国新聞の記事です。
初見で思ったのは60キロ当たり17756円のところ。
私はこれを見て「え?高くない??」でした。
記事は1981年のもの。現在2024年なので、今から43年前ですね。
比較対象がなくてはわかりにくいので、サラリーマンの平均賃金をweb検索すると、
「1981年のサラリーマンの年収は313万800円でした。
比べて、2012年のサラリーマンの年収は473万3600円でした」
直近のデーターが年次統計に出てないのですが。これを踏まえて、米価の変遷をwebで調べましたところ。
こうなってた訳です。折れ線グラフの緑色の線が価格の変遷です。
上のグラフの右柱に金額表示されてるのがお米60キロ当たりの米価です。データーは下に書いてるように1996年から2023年までの変化。新聞の切り抜きの1981年時からのデーターが欲しかったのですが、米価を同じ条件で調べたものがない!自由価格米とか出てきて、同じ条件での統計が見つからないのだ。
ちなみにこちらが2008年から2021年度の玄米60キロ当たりの米価です。
米価は各種銘柄の平均値ですので、コシヒカリもおいでまいも価格足して銘柄数で割ってると思って下さい。
いや〜。切り抜きを一見して43年前にお米60キロが17756円で買い取ってもらえたのに、2023年10月17日発表の農水省の2023年度の米価は60キロ当たり全銘柄平均で15291円(前年度に比べ10%上昇)となってました。
もちろん政府が日本人がお米を食べなくなってるので、減反して米の生産を減らす政策を長年とってるのもあるのでしょうが。それにしても農家にお金が入らなくなってるから農家になる若者が減り続けてるのは納得です。
とはいえですね。
1981年当時、バリバリの米農家さんが35〜45歳だったと仮定して、トップ画像から43年後の現在は78〜88歳な訳です。
無理矢理トップ画像の1981年に絡めて考えるのもおかしなことですが。やりがいを持ってお米を作っていた人に政府からずっと「米あまりだから米を作るな」言われ続けて心折れないって人はわずかなんじゃないかな?ってか。そのわずかの人ももうすぐ米農家さんを引退するお年になってるのだなあ。と。私が結婚して1992年に神奈川県に引っ越して2021年夏にUターン出戻りすれば、田園ってこうだっけ??とあっちもこっちも荒れた耕作放棄地になっておりまして。現在進行形で耕作放棄地が減ることはままなく。しかも建物はあるが人は住んでない家があっちにもこっちにもあるのを見ると未来は暗いと思っちゃうのですよ。
ところで、不思議なのですが、日本の食料国内生産と輸入量ってか、食料自給率が低下して〜というニュースもまま見るのですが。耕作放棄地が大量にあるのになぜ自給率が低下し続けるのか?私が愚痴ってどないもなりませんが。何か間違ってるとは思うのだ。なんだかな〜??

ちなみに、現在の日本において米価を気にする政治家さんがどの位いるのか?知らないけれど、トップ画像に写っているのは画面左から中曽根行菅庁長官・桜内幹事長・二階堂総務会長・渡辺蔵相となってます。現在ではみなさん自民党の大政治家です。政府のお米の買い入れ価格はこれらの政治家が決めてた時代の新聞でした。お米は政治なのです。

ここまでがトップ画像の義父母が残してた新聞記事を見つけて記事を書こうと思ってた内容でした。
続けて、昨日JA香川県からあるお知らせが届きました。
曰く「営農経済事業の将来方向」の取り組みにかかるカントリーエレベーターの再編実行計画の概要について」です。
お米を作るらない人にはわからないと思う。
簡単にいえば、香川県のお米の集荷・荷受けを担うカントリーエレベーターの設備が古くなった。新規に作り直すにはお金がかかる。だがお米の生産農家が年々減って、現状でもカントリーエレベーターは赤字運営だ。そこで現状稼働してるカントリーエレベーターを再編します。
私が暮らす香川県西讃地方を例に取ると、現状「高瀬・宝山・豊中共同・宝山第二・観音寺・豊南カントリー・豊南ライス」の7箇所をまずは3つに再編10年後には一つに再編します」ということです。
わかる〜?もうね。米つくんなよっ!と農協が言ってるのだ。どんだけ〜??
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小さなお葬式??

2024年01月07日 17時05分58秒 | 雑記
私の住む地域では1月4日9時に業者さんの廃品回収があった。とはいえ私が出すのは新聞&雑誌である。これに間に合わないと困るので年末年始の忙しさを縫うように作業を進めてようやく間に合った。
頑張ったのは、去年の夏頃、それまでは四国新聞の販売所が回収してくれてた新聞の回収がなくなってしまったのだ。となると、年に2回ある小学校の廃品回収に出さねばなのだけれども。聞くところによると、昨今の子供の減少と回収品を乗せる軽トラを持ってる親も減っていて、小学校の廃品回収も大変なんだとか。となると、リサイクルプランナーと名乗る業者さんが頼りなんである。
とりあえず間に合わせるべく頑張った。出すもの出してゆっくり残した新聞の切り抜きやら書類を片付けててトップ画像を見つけた。
おそらく義父が亡くなる前に契約したものと思われ、カードと契約者の説明書もついていた。
話は少し変わる。
去年の後半、テレビCMやYouTubeやweb画面に「小さなお葬式」というものを見かけた。この価格を安易に信じるととても後悔すると思う。というのも、セットプランは最低限のものしか含まれていないのだ。
トップ画像の家族葬99,000ー(税込)を例に取ると、プランに含まれるのは平棺・骨壺(本骨のみ)・寝台布団1セット・納棺・ドライアイス1回分(4個)・火葬許可証手続代行・出棺時立ち会い・寝台車(病院・自宅〜葬儀会館10キロメートルまで)・会館安置料以上。
この99,000ープランにあなたが想像するお葬式で必要なものは入ってますか?
プランに含まれないものは霊柩車・お別れ花・遺影写真・仏着・ローソク線香セット・分骨壺・脱臭剤です。
葬儀場によってプランや価格的な違いがあると思われるので。例としてもう1件。

こちらは令和3年4月になくなった義父の葬式をお願いした葬儀場のwebページです。
義父はとても理性的な人で、自分の葬式をトップ画像の場所でやるようにメンバーになったと思われますが、実は急死だったので自分の考えなどを義母や義姉に伝えることなくなくなった。で、近所の葬儀場で葬式を執り行った模様です。
年末に食器棚や電話台を片付けたのですが、その中にトップ画像の他にお葬式の際に支払った葬儀場・49日の法要のギフト館・49日法要の仕出し屋さんへ支払った請求書を見つけました。
で、請求書の詳細を見比べて葬式とはいかにお金のかかるものか!とたまげてしまいました。
想像しやすいようにいつくか例をあげますと。
上の画像左奥の、盛り籠1個8000円×3個=24000円+外税8%1920円=25920円。
上の画像中央奥の生花1基10000円×3個と中奥奥前の回転燈篭23000円=55000円+外税10%=58300円でお供物として合計84220円プラスとなる。
上の祭壇(棺・骨瓶・位牌セット・祭壇生花・小道具含む)のセット料金で40万円。
写真代(カラー)キャビネ1個サービス17000円。
遺影映像写真5000円。
となります。
ちなみに寝台車(病院から自宅)17282円
霊柩車(葬儀会館から火葬場)20508円
葬儀参加者用のマイクロバス(葬儀会館から火葬場)20000円
ドライクーラー(遺体保全料)8000円
仏衣・寝台車用布団・枕13000円
巻線香・台・ローソク2095円
36時間持つローソク1400円
告別式司会料15000円
除菌消臭剤セット6000円
ご会葬返礼品(今治タオル)500円×27個=13500円
Wハガキ(初回50)2500円
以上に消費税10%で57129円
合計税込6284143円でした。

これらの他に団子・枕飯・おりょうぐ膳が2000円
寺院のお茶菓子(葬儀2法要1)200円×3個=600円
親族お茶菓子600円
外税(10%)320円で合計3520円。
火葬場から戻って法要後、法要膳持ち帰り汁5420円×20個=109000円
消費税(8%)8720円
合計121240円
以上から葬儀会館への支払いは合計833874円となりました。
これだけでもお葬式はお金がかかるのがわかりますが。
実はもっとお金がかかることが抜けてます。
そうお寺さんへの支払いです。
詳細は義母が別会計にして記録してあるようで詳細な金額がわからないのですが。
お寺さんへの支払い明細は、読経代(枕経・お通夜・葬式・焼き場・法要)の少なくともン万円×5回。確かこれで計算して後日義姉が支払いに行ったのですが、「足りませんなあ」と言われ1度帰ってきました。知らない間にもう1回読経してくれてたようです。
更に戒名代金がン十万円かかり、なぜかお葬式の時にうちのお寺さん以外のお坊さんもいたのでこちらもプラスの出費となりました。家族葬だと伝えてあったのに。なんで二人もお坊さんがいるのか??みんな首を捻った出来事でした。
お寺さん以外に焼き場にも支払いが発生します。
ってなことで、小さなお葬式でプランしてもオプションであれもこれもいるわぁ〜となるのでご注意ください。
家族葬ということは、葬儀にくる人の数も減るので、その分香典も減ります。心構えしておかないとガツンとまとまったお金が一気に支払わねばならない〜!!となるので「小さなお葬式」の言葉には御用心くださいね。
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新年もよろしくお願いします

2024年01月03日 16時30分59秒 | 雑記
2024年に入ったばかりなのに、大事件に大災害が起きてしまった。
帰省や旅行に出てた皆様、無事にお家に帰れますように。

ブログを始めて10年以上の私ですが、年末年始、どちらも記事を投稿してないのは初めてかもしれん。
2021年の夏に神奈川から香川に戻って2年が過ぎた。ぼちぼち年間スケジュールも把握しつつあるのですが。
香川の西讃地方は年末のクリスマスの頃はとても寒く、風が強く雨も降る日が約1週間続きました。菜園に出れなくなったので、溜め込んでた「いつかやる」を片っぱしから片付けにかかった。急ぐことは大体終わったので、義母が倒れて以来放置してた食器棚の下部の空間の片付けに取り掛かったまではいい。
片付け始めて愕然となる。
「昭和天皇重体」の新聞記事をはじめとして、古い新聞が大量に取り置いてある。義理の両親が皇室記事が載ってる新聞を片っぱしから!それに100年シリーズ。
100年シリーズは香川県設置100年&四国新聞100年&四国の鉄道100年だ。
その他、重大ニュースもある。
きききき、切り抜きじゃ!ファイルじゃあ〜〜!!
なぜに年末にやり始めたのか?後悔してももうやるしかない!というのも、取り掛かった食器棚の他に、電話台の下。更に床に積み重なって置いてある書類の片付けと、食器棚の片付けだけで終わらなかったのだ。しかも片付け始めて判明。義母もしくは義父は、食器棚の下→電話台の下→床の順番で一杯になると次に移っていたのですよ。つまり、床に置いてあるのが2021年のもの。義父は2021年4月に急死しました。義母は義姉に手伝ってもらいながら相続関係を一通り済ませてありましたが、書類は大事なものもそうでないのもごちゃ混ぜで床の上に積み上げてあったのです。
うそ〜ん!?
気づかない私も大概ですが、義母の書類を触るのは嫌だと放置してたのが敗因です。
もうね。やり始めちゃったのだ。やるしかないよ。
と。大掃除しつつ。正月料理作りつつ。お片付けです。そこへ弟よりヘルプコール!
「母さんが体調が悪くてかかりつけ医を受診したら、先生が『脳梗塞の疑いあり』で大きな病院へ救急車で運ばれることになった。ついては付き添いして欲しい」とのこと。
大ごとである!ちなみに私の名前のあられは実家があられ屋にちなんでいる。年末はお餅を作らねば!なのである。忙し過ぎて奥さんも母に付き添えないらしい。ってなことで私は救急窓口の待合へ。ってなことがありまして。
幸い、検査の結果、実母は脳梗塞など急性期の病気は発病してなかった。体調の悪さは前日に無理して仕事してたからのようだ。ってなことで実母は入院を勧める先生を振り切って退院した。
心配事は増えた。いい歳なのに仕事をするという。
勘弁して欲しい。子供らの気持ちは一致している。けどやると言うんだもの〜!!
もう愚痴しか出てこない!
とはいえ、できることをやらんと!
沢庵や甘酢漬けや煮物などを作って様子を見に行った。
やっぱ働いている母。た、ため息しかでない〜〜!
そんなこんなでブログ書きの優先順位が下がる。ってか後回しとなる。いやね。いつぞや古い新聞記事や新聞CMを紹介した記事を連投したことあるのですが、今回も今ではもうない「ワープロ」や、頭が3つ肩に乗りそうな肩パット付きの服!これがわかる人はそこそこの年代の方々ですね。なので紹介したいと思ったり。2023年に起きたことは2023年中に〜!と思ってたのに、最早新年ですよ。いや〜、ままならんわ。
足掻いてるうちに新年!
「一年の計は元旦にあり」という言葉がありますが、今年も忙しい一年になるの確実だよねえ〜。が、頑張りますので。たまに記事投稿というペースになるかと思いますが、気長くお付き合い下さい。
記事を書いてみれば、まさかの言い訳とか。ないわぁ〜。
すみません!私のブログをブックマークしてまで閲覧してくださる優しい皆様、今年もよろしくお願いします〜。
これで終わらんのが私よ。
年末に溜まりに溜まったフラストレーションを1月1日にスーパーでぶつけてきた。それがトップ画像です。
いやね、行きつけのスーパーマルナカは毎月1&2&3日にそれぞれ別ではあるけど商品が10%引になりまして。先月12月1日は出遅れて、リピート買いしてる商品が売り切れてて買えなかったのだ。既に取り置きも無くなったので是非ともゲットせねば!と開店時間しばらくで到着したらですね。まだ福袋が大量にあったのだ。
おっしゃあ〜!!予算5000円で買うっ!





ゲットです!
これに1日には3個購入してるいつものも購入〜。開店直後だったのでまだ在庫があった。で、ここからが笑い話なのですが。私は自転車でスーパーに来店したのです。
福袋5個と購入品のマイバック。これをパズルのようにして自転車に載せた。あまりの状態で帰宅する自分の姿にスーパーの駐輪場でどひゃひゃと大笑いしてしまった。
元旦にここまで大笑いしたのは初めてですわ。
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今日は冬至です

2023年12月22日 08時39分52秒 | 雑記
起きたら今朝は格別寒い。けど今日はゴミ出しの日なのです。燃えるゴミは月・金しか収集されないので、出さないと!年末が近くなったしパスは出来ない!と嫌々ゴミ出しに出るととっても寒かった。ので天気予報を検索したらば。

気温が1度台だった。今日は最高でも3、5度にしかならん。そして風がピューピューと鳴っている。そういえば、有線放送で粟島汽船の欠航も流れてたなあ。こんなに風の強い日が続くと島の人は大変だ。
あれ?そういえばボチボチ冬至じゃないのか?冬至っていつだ?
Yahoo!検索したら冬至は今日だった。
朝ごはんを用意する前に気づけたからメニュー変更だ。
え〜と?冬至の日には「ん」のつくものを食べればいいんだったか?
検索検索。
当時の七種(ななくさ)
「運盛りの食べ物で「ん」が2つあるものを食べれば運も倍増する。
んがつく食べ物を7つで七種。
なんきん:南京。かぼちゃ
れんこん:蓮根
にんじん:人参
ぎんなん:銀杏
きんかん:金柑
かんてん:寒天
うんどん:饂飩、うどん
すぐに用意出来るのはうどんだな。って事で今朝はうどんを食べました。
隣にある小さいカボチャはお昼にでもにんじんと先日作った小豆のあんこと一緒に煮合わせよう。んで、寒天もあるからりんごの寒天を作るか。寒すぎて自転車での買い物に出る気がないので、ありもので作るのですよ。
…人参な〜。菜園に植えてるけどな〜。寒くて取りに行きたくないのな〜。冷蔵庫の残り物のニンジンじゃダメかしら?新しいのがいいのかな〜?
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30年ぶりの価格改定だそうですね

2023年12月20日 08時38分32秒 | 雑記
2023.12.19の四国新聞のトップ記事です。
現行63円の葉書代が来秋より85円に値上げ予定とのこと。
マジ!?
海外に行くと自分宛に葉書を送ってたのですが、日本の葉書代って高いのねえ〜とあちこちの国で思ってたものですが。国内郵便を更に上げるってか!?
それは手紙を出すな!ってことか!?
と日本郵便にはがっかりです。
実は私は2008年5月30日に脳梗塞を発症してます。
当時神奈川県在住だったもので、田舎、四国は香川県の実家の両親と嫁入り先の両親には多大な心配をかけまして。この時、人生1回拾った!と思い生活や食事を改めると共に、子供の義務と両方の親宛におりにつけ葉書を出すようになりました。

こちらは義理の両親宛に出した葉書ファイルです。今昔かまわずファイルに挿してるので、50円切手のものから63円切手のものが混じってました。
葉書は散歩先で撮影した携帯画像をプリントアウトした自家製のものを使用。
四国香川に戻ったのが令和3年夏のこと。以後、両親に手紙を出すこともなくなり、用意して未使用の葉書サイズの写真はたまに友人に出すときに使用するくらいであまり減りません。
けど、来秋に葉書が85円に値上がりするとなると、気軽に出せなくなりますね。
ちなみに、未使用の葉書入れには未使用切手も一緒に入れてあるのですが。
こちらは日韓W杯の時に購入した切手シートです。過去一応援した試合の記念でまだ使ってない。ちなみにあれは2002年でしたね。ピンボケ画像になったので分かりにくいのですが、切手の額面は80円です。
封書(〜25gまで)が80円から消費税8%への引き上げに伴い82円になったのが2014年4月。消費税10%への引き上げに伴い2019年10月より84円になってます。それを来秋には葉書が85円になるとか。2度目ですが、もう葉書を出すことはないよなあ。今、ちょうど年賀状を書いてるけどさ。賀状終いの文章を書き加えたくなってる私がいる。ないわぁ〜。愚痴しか出てこないぜ。
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我が家の風呂場が寒いので、せめて追い焚きしたいと思う

2023年11月24日 06時15分30秒 | 雑記
今年3月に遡る。
私が住んでるのは、令和3年に亡くなったダンナのお父さんが建てた家です。昔ながらの日本家屋でして古い。
こんな感じ。壁はタイル。床というか足の裏がつく場所もタイル。おまけに天井が高い。となると保温機能はない。冬はとっても寒いのですよ。もうね歯をガチガチいわせて入るので修行の如くです。

ある日、通販会社から送られてきたカタログにトップ画像の商品を見つける。
沸かし太郎。
曰く、「お風呂に入れるだけでいつでも簡単に追い焚きができる」とある。
これいいかも?しかし躊躇せざるを得ない39、990円!税込だと43989円!!
お高い。
けど背に腹は替えられないんである。
けどさすがに〜??と思った私は、試しにweb価格で比較してみた。
同じ沸かし太郎が30,800円(税込)だった!
少々安くなってたがやはり高い!
迷ってダンナに購入していいか相談したらば、「これはやめておけ。似たような商品はいっぱいあるから」と。
数日後、ダンナが類似品を購入したので早速試しに使ってみることに。
まずは前日の残り湯。現在の水温は19、4℃です。
ちなみに、試しなので残り湯は足首まで減水した。
で、ワクワクと待ったのですが。
これが。
待っても待っても暖かくならない!
なんでやねんっ!
強力湯沸かしヒーターなのではないのか!
ムカついたので、いつまで待てば入浴可能になるのか?測ってみた。
5:50で19℃
6:25で30.6℃
6:37で33.1℃
6:45で35.5℃
6:52で37.2℃
ジリジリと上がる。ってか。ジリジリ上がるけどさ〜。
ふと、通販のチラシの最後に目がいく。
*容器の形状、材質など使用環境により異なります。
水からの湯沸かしは時間がかかります。
目安 夏:約3〜4時間 冬:約7〜9時間
なんやとぉ〜!!
今回は試しなので、水量は足首にしてます。残り湯を追い焚きに何時間もかかるなら、追い焚きではなく足し湯を選ぶわ。
ってな事で、ダンナがせっかく購入してくれた沸かし太郎の類似品はあれから一度も使ってない。ま。参考になりましたら幸い。
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しょうれいさんのおまつりを主宰する

2023年11月18日 06時06分34秒 | 雑記
私が嫁入りした家は結構な歴史があるので儀式も残ってる。中に一族が出席して行うものもある。一族といっても今では3軒しかない。かつてはもっとあったようだけども、独立した子供が遠い場所に家を構え戻らなくなったり。戦争に従軍して主人が戦死したりと理由はあれこれ。でだ。一族が3軒しかないので、3軒持ち回りで主宰して行う年に一度の儀式がありまして。実は今年の主催が我が家なのです。
で、まずは私は去年の儀式にこそっと見物に行った。というのも、儀式に参加するのは一族のそれぞれの当主と主宰家の奥さんの合計4人です。が、来年自分たちだけで準備を整えて儀式をやらないとならんとなると資料が欲しい!と。主宰のご主人に頼んで撮影や儀式終わりにインタビューをお願いした。何しろ我が家は令和3年に亡くなった義父がやってたし。おそらく少しは知ってるだろう義母は介護施設に入ってる上、耳が遠くて会話もままならんので!と押し切ったのが去年の9月28日のことです。

ダンナ、テンパる。
8月あたりにダンナはうちの山から旗竿に使う竹を切り出してきた。
長い。去年、主宰のお隣のご主人は「6メートルで切ったら足りなかった。旗が地面について弛んでる」というので、おそらく8メートルのサイズで切り出してきた。
どうやって持って帰ったのだろうか?ちっとも役に立たない私ですが、一応手伝おうか?と聞いたけど断られた。んで、儀式前日、出来上がった旗竿を家から儀式の旗立てに運ぶにもダンナは四苦八苦。なぜって普段使ってる道には電線があって、縦て竹を運ぶと電線に当たるのだ。ならば寝かせればいいじゃない?と思うでしょ。道が狭くて俺曲がってるからそれも無理。8メートルが邪魔をする。考えて家の裏にある裏道から出て、耕作放棄地(我が家のではない)を抜けて持ってった。まさかそこに道があったとは!嫁入りしてきて初めて知る事実。

他に主宰が用意せねばならぬ難敵はしめ縄です。
まずはどこで買うの?から始まった。いや、かつては農家だったので、自分ちで作った稲藁が自前で用意出来て、自分で縄をなっていたのでしょうが。今、米作りはしていない。稲藁が欲しければ買うのだよ。
去年のインタビューを見返すと「しめ縄はホームセンターで買った」とある。とダンナに伝えたけど、答えを待てなかった模様で、web通販で注文した後でした。後日、でっかく重い荷物が届いたのでこれは何?と思えば、くだんのしめ縄用の縄だった。どんだけ使うつもりやねんっ!ま。これだけあれば、少々失敗しても練習し放題だね。って事で問題なし!ということにしておこう。テンパってギリギリなのに。そんな8月末にまさかの義母が入院してしまい、ダンナは病院に日参し出した。そりゃあ「万一の時に救命するかしないかサインお願いします」と病院に言われた日には心配も最大になるってものよ。
そんなこんなで9月に入るとまずは儀式の日程を決定し、案内を一族の方々に儀式の2週間前に伝えた。文章を考えてコピーして配りに行ったのは私です。ダンナに余裕がないので出来ることから協力せねば。
そしてお彼岸。お彼岸もな。古い家なので、親戚宅へお参りに行ったり来ていただいたり。お墓も掃除して。お花をあげて線香も。仏壇もお彼岸仕様にモデルチェンジして。仏様のお膳は今年は時間がないので、あれこれ省略させてもらった。
仏壇だけは!お義父さんが好きだったスイカとお酒は外せない。
 
後はお墓。ちなみに仏花はシャシャキを除いで全て私が育てました。義母が世話してた時は仏花を毎回スーパーや道の駅などで購入していたけど。お墓が多いから全部で13個も花束が必要なのだ。義母のように毎月花代を5000円もかけられんのじゃ!
あ。ついでに。先日投稿した記事で、天満神社と宗運寺がかつて一つだった。財田川と河内川の洪水で現在地に移転したという話がありましたが覚えてますか?我が家の古いお墓を見れば、どうもいづれかの洪水で亡くなった方も祀られてる模様。さらにしょっちゅうこぼしてる元耕作放棄地から大量の石が出てくるので、除去が大変というのも財田川の洪水で運ばれて来ちゃったようですわ。余談の余談だけどさ。
お彼岸終了。こっからしょうれいさんの儀式に集中するぞ。
ダンナは旗竿以外の準備です。
旗竿と旗を結んだり。てっぺんに刺す新しい笹を切り出したり。
旗竿を立ててみたら、旗をシャンと立つようにしないといかんと気づく。楔を噛ませて工夫してた。
私はといえば、スーパーに榊を買い出しに行ったらば。お彼岸合わせの残りしかなくって。しまった。やらかしたやもしれん。仕方なく購入したのは日本製の高い榊だったんだけども。葉っぱが見窄らしい。選びに選んでこれだよ〜。チッ!水につけてどこまで復活するか微妙だ。
あと、お供えの準備。上の画像の右上からお酒の器とお酒。蝋燭立てと蝋燭。右下から水入れと水。洗いごめ。塩。塩は盃でもうちょっと綺麗に盛りたかったのですが、固まらず不恰好です。(儀式後の撮影のため、蝋燭が使用済みになってます)
で、しょうれいさんの儀式用にお墓をお掃除して仏花も準備。
 
「儀式の時はシャシャキだけ飾るもんや」と義母に言われて去年も確かそうしたので今年も去年にならえ。ちなみにシャシャキは義姉にもらいました。けど代々墓の花はスーパーで一番高い仏花を買ってきた。去年もそうしたからね。
準備は整った。明日の本番を待つだけじゃ!

9月28日朝7時半、しょうれいさんのところへ向かう。
と?早くもお一人到着済みだった。儀式は8時で案内してあるけど、田舎の人は大概行動が早い。
もうひと方も到着して、まだ8時前だけど儀式を始める。
かつてはお坊さんだか神主さんだかもおこしいただいて盛大にやってたらしいけど。儀式が終わるとお膳を囲んで宴会みたいにしてたらしいけど。現在は簡略化してます。一族の当主が榊を捧げてお祈りするくらい。
儀式は早々に終了し、次の主宰に申し送りをする。
実は明治時代に作った旗がぼちぼち限界を迎えている。去年のこと、布が一部破れていたのを来年主宰する御当主の奥さんが修理してくれたのだけど。古すぎてミシンをかけられなかった。慎重に手縫いして縫ったけど、次に破れても直せないかもしれないこと。
それは3軒ともわかっていることだけど。申し送りは大切なのであえてする。
その後、儀式の主宰家の主人が「儀式担当しました」の紙にサインしたらほぼ終了。後は旗を次の方へ回せば我が家の当番の再来年まで問題ない。

ちなみにこちらがダンナが手作りしたしめ縄です。
ついでに、基壇の右奥の小さな石積みをかつて調査したと聞いた。これがなんか文化財らしくて大切にせねばならんとかなんとか。
裏側。ここも毎月1日にお墓に花と線香を上げるついでに私が掃除してる。ま、背後に笹林があるので年中降ってくる落ち葉を拾う位だけども。

今日の記事は個人的なことですが。次に主宰する再来年の私が確認出来るように詳しめに書きました。記事閲覧下さりありがとうございます。
いや、個人的はいえブログ記事で公開するので書けることと書けないことがあってだいぶん配慮してるよ。これでもさ。だって肝心の「しょうれいさん」とは?を書けなかったもの。歴史の闇ってどこにでもあるのね。
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うちのツバメ達

2023年08月04日 22時00分30秒 | 雑記
義母曰く「ツバメは大事にせないかん」ということで、我が家では毎年納屋をツバメに提供している。今年も3月にオスのツバメがやってきた。ダンナはツバメのために納屋中にブルーシートを貼った。ダンナ曰く「照明をつけるのもNG」「出入りは最小限で」「出入口は狭く。引き戸の隙間でも大丈夫」と細かいトリセツを受け、朝一に囀るオスの鳴き声に慣れた頃メスもやってきた。すぐに巣を作るのかな?と思ったのに、毎日の大半を屋外の電線で止まってるだけ。たまに他のツバメが来ると全力で追っ払う。
そんなこんなでようやく巣作りを始めた。やがで納屋から賑やかなヒナの声が聞こえるようになると、納屋の前の軒下や家のコンクリートには糞害も始まった。ある時などは自転車で病院に行き、ヘルメットを保管しようとしたらば籠カバーに白いフンを見つけた時は流石に怒りが込み上げてきたが、仕方ないんである。ってなことでダンナは日々せっせとツバメのフンを掃除してた。
やがて巣立ちの時。今年は成功してくれた。去年は最後の最後、巣が落下してしまったから、今年は頑丈なのを作った模様。
寂しいけど巣立ったらお別れか。
あれ?ツバメが電線にまだいる。どうやら我が家の納屋はうちのツバメの縄張りらしい。よそ様のツバメが来ようものなら全力排除するのである。
ん?なんかおかしいぞ?巣立ったハズなのに、頻繁に納屋に入っていく。
なんと!2度目の巣作りをやってる模様。
ツバメって一度使った巣はもう使わないようで、新しく作り始めちゃった。
ということは、納屋はもうしばらくツバメに明け渡さねばならん。
トップ画像は7月22日の様子。やけに暑い日が続くようになり、ツバメも暑さ対策が必要になったのか?


朝、物干し竿に止まってるのを見つけた。
分かりづらいので切り抜く。
あれ?物干しだけでなく、窓の桟にも張り付いてる奴がいる。器用だなあ。
同じ日、昼食を食べてたら、やけに近くで囀ってるなあ?とふと外を見たらばなんと!

細い棒にズラリと一家で並んでた。いや、増えたね。
何枚は撮影したなかで、一番数が多いのを切り出したのがトップ画像です。
器用だね。すんごく細いとこにぎゅうぎゅうで止まってる。全部で10羽。1回目の子ツバメと2回目の子ツバメと親鳥かな?もうしばらく飛行の練習をしたら日本を旅立つのだろう。どこまで行くのか?無事に来年も戻ってくるかな?
ちなみに、ツバメは農家には益鳥になる。昔話にもツバメって出てくるよな。
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猫と蜂と菜の花と

2023年03月16日 06時17分03秒 | 雑記
昨日は15日だったので、仏壇の花を新しいものと取り替えようと元耕作放棄地へ。
どの水仙を取ろうかな?と水仙を眺めていたら、菜の花の畝の向こうに何かいるような?
上の画像を切り出してみた。確かに白い塊が?何かしら〜?
気にはなったけども、水仙が優先です。お!水仙を刈り取る前に撮影しておこう。
咲いたわ〜。辺りには芳しい香りが漂っています。
去年の秋に球根を植えたのですよ。
あれ?
撮影場所から視線を左へ。白い猫。
あ!白い塊はキミだったのね。
水仙を一つ二つ。計6個刈り取っていると、菜の花の向こうで猫がぴょんぴょん跳ねてます。
ん〜?何やってるのだ??気にはなるものの。前回撮影を失敗したミツバチを撮影したい。
うん。私の影が映り込むので、反対側へ移動。
くっ!逃げられた。撮影失敗。
こ、今度こそ!念願のミツバチの撮影にようやく成功したよ。ミツバチは集めた花粉を両足にたっぷりつけてますねえ。けど、白いの!そこ邪魔なんだけど〜?
移動願います。
遊び疲れたのな?
子猫は菜の花の中で何をしてるのか?観察しててわかりました。ミツバチと戯れてました。下から菜の花を吸蜜するミツバチを狙い跳ねてたのね。
疲れて一休みかな?子猫だからミツバチは遊び相手なのかもしれんが。ミツバチは針を持っている。いい加減のところでやめような。
刈り取った水仙と菜の花と。菜園のキンセンカで仏花にしました。

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保管してあった義母の処分品とは?

2023年01月26日 06時40分36秒 | 雑記
昨日の記事を書くにあたり、古い切手の画像も欲しいと思ったものの、どこにしまったのかを思い出せなくて。記憶力がどんどん落ちてると実感した。
で〜。古切手を探してて見つけたものが今日の記事の画像です。
まずはトップ画像。義母が「処分」と分別した小さなプラケースにごそっと入れてあったのは、赤い羽のバッジです。
赤い羽といえば共同募金ですね。
webによりますと、赤い羽共同募金が始まったのは、昭和22年のこと。戦争により住まいを焼かれたり、親を無くした孤児たちの支援をしようと、共同募金が始まったそうです。
昭和30年代に入ると、民間の社会福祉施設の建物の増改築や、生活に困っている人への支援にシフト。
昭和40年代に入ると、子供の遊び場の整備へ。手話研修やボランティア活動の活性化に役立てるようになる。
昭和50年代になると、小規模作業所への支援。働く女性の増加に伴い保育所が急激に増え支援額も増える。一人暮らしの老人や給食サービスもスタート。
昭和60年代になると、障害スポーツや障害者の社会参加にも支援。デイサービスなどの地域の高齢者が参加する活動への支援も行われる。
平成初期。在宅福祉。施設福祉サービスを。平成7年の阪神淡路大震災を契機にボランティア団体や非営利団体への支援開始。
現在、孤独死、自殺、引きこもり、虐待など変化するニーズへの支援も始まる。
とありました。そういえば、小学校の時は、係が回ってきて10円出せば赤い羽をもらってたなあ。神奈川在住時は赤い羽共同募金を子供らが小田急相模原駅前で募る姿は風物詩的に見かけてましたが。
でもさ。なぜに義母は赤い羽でなくバッジを保管してたのだろう?数字はそのバッジをもらった年だと思うけどさ。謎。
スワローズ。ヤクルトではない。国鉄スワローズ。義父がかつて勤めていたのは国鉄でして。野球ファンでもある義父は国鉄スワローズを応援してた模様。
国鉄スワローズとは?
1949年にプロ野球の2リーグ分立に合わせて日本国有鉄道が球団を設立。
1950年にセ・リーグに加盟。
1961年に初のAクラス入り。主力の金田正一が読売ジャイアンツに移籍。経営意欲を失った国鉄は1965年途中に産経新聞に球団譲渡。サンケイスワローズとした。
球団のスワローズの由来。
国鉄東海道線を走った特急つばめ号から。車両の由来であるツバメの英単語「Swallow」より。
つばめ号が、球団設立時点で国内で最も早い鉄道とされていた。つばめ号やツバメのように飛ぶ速さのある勢いのある球団になるようにとの願いから採用。
NF BREAKER というのは、三菱電機の何からしい。裏に刻印してありました。なぜこれが我が家にあったのかもう謎。おそらく義父の残した品だと思うけども。
ヤマハのライター。箱に入ってた。おそらく義父は昔タバコを吸ってたと聞いたので、義父のものだと思います。この形なので多分ZIPPOのライターだと思う。

取り敢えず、捨てるに忍びなくて咄嗟にとりわけたあれこればかりです。既に由来もわからん。
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義母と義父の婚約時代の写真を見つけた

2023年01月25日 16時47分13秒 | 雑記
時は一昨年の暮れに遡る。
我が家で一番古い建物の軒下に穴が見つかり、とりあえず近所の建築会社の人に見てもらったところ、既に軒下の穴を塞いでどうこうなる状態ではなく、建物ごと背後に向かい倒れつつあるという診断が下りた。そうなってはもう取り壊すしかない!と建築会社に建物の解体を依頼した。けれどその前に建物を空っぽにしなくてはならん!と。
実はその建物は義母が嫁に来た時に最初に入った部屋があった。田舎の古民家なので、場所だけはあるとばかりに、嫁入り道具はもちろん嫁入りの時に持参した着物もしつけ糸が残る状態で丸々残っていた。義母は暮れまでに片付ける!とばかりに張り切って。あれこれ処分を進めた。その中に古い手紙の束があった。
古い切手だ!と嫁は捨てる手紙からこっそり切手が綺麗なものを取り置いた。
しかしその時はやることが一杯で悠長に出来ず。義母に命じられるままに次から次へとあれこれ処分を続けた。が、寒い中連日やってたら先に私が熱を出してしまう。以後、義母が一人で処分を続けていた。
ところが、正月1日に義母は突然脳梗塞を発症してしまった。片付けはストップ。私は突然の状況変化に右往左往した。
時は流れて季節も変わる。
そういえば、あの古い手紙をどうしたっけ?と思い出し。目的の切手を数枚切り抜いてふと?
義母が令和になっても取り置いていた昭和30年の手紙ってどこの誰からのものだろう?と。何の気なしに封書をくるりと裏返したところ、そこには令和3年の春に永眠した義父の名前があった。
ええっ!これって、お父さんからお母さんへ宛てた手紙なの!?
見れば、宛先人は義母の旧姓になっている。つまり結婚前の手紙だ。もしや?ラブレターなのでは??うっかり思い当たってしまった。
他人の手紙を見るのはいけないことだ。
そんなのはわかってる。けども、切手目当てに義母に内緒でこっそりと取り置いた手紙が、義父のラブレターの可能性があるのならば。切手欲しさにハサミを入れていいのだろうか?
これさ。義母は既に捨てたやつなんだよな。
切手を取る前に確認せねばなるまい。
決してラブレターを盗み読んではいないよ?と。自分で自分を言い聞かせ、いざ。

手紙は義母と義父の婚約時代のものでした。しかも国鉄に勤めてた義父はその頃、香川県の県庁所在地の高松に住んでおり野球が好きで球場に応援に行ってたらしい。で、封書の中で、婚約者の義母を一緒に甲子園に応援に行こう!と誘ってました。もう完璧な旅行計画付きのやつ。
これは、大切な手紙や。義母が昭和から平成。令和に至るまで捨てずにとっておいたのも頷ける手紙です。流石に切手欲しさにハサミを入れられない。
けどさ。この手紙をどないしょうか?当事者の義父は既に亡くなってるし、義母も介護施設に入ってる。しかもしかも義母が既に自ら捨てた手紙なのだ。
けどもけども。その手紙を嫁の私が持ってるというのはおかしな話だよな〜。
最初に閃いたのは、義父と義母の息子であるダンナが保管すればいいのでは?
いいアイデアだと思ったのですが。ダンナは自分の父母の手紙を読むことができないようだった。
ちえっ。
結局、手紙は義父と義母の娘である義姉に渡した。如何様にもしてくれるといいと思う。

時は流れて。去年の秋、義母が「我が家に100歳を超えた叔母さんのアルバムがあるから探して渡して欲しい」と頼まれた。
そんなことを言われても!とりあえず白黒写真のアルバムを数冊探し出した。
で。最初は自力で何とかアルバムを特定しよう!と閲覧したのよね。
で。中にこんな写真を見つけました。

これ、甲子園ではなかろうか?
で!閃いたのです。
婚約時代の義父が義母を甲子園に誘ってた手紙を。
ということは!この白いワンピースを着て傘を指してるのは義母ではなかろうか?
で。次のページに大きめの写真が貼ってあって。これがトップ画像です。
これ、多分義母の若かりし頃だ。で。場所は甲子園だ。
まさかの!あの手紙のその後の証拠写真を見つけてしまいました〜。次のページは文金高島田の花嫁衣装の義母の姿が。
いや〜。思いがけず我が家の歴史を一つ見つけてしまったわ。

大寒波到来中。皆様、被害はありませんか?
今朝、菜園に人参を取りに行ったらば、昨日の強風で一部トンネルのビニールが剥がれていたので、慌てて修理してたのですが。まさかの!ビニールの重しに使ってるレンガが地面に張り付いて動かず。そうなのです。レンガと地面の間が凍っていたのですよ。ビニールも決してビニールから聞こえてはならん、バリバリという音がしました。
凍ってるうううう〜。
レンガを重しにするのは諦めた。寒くてどないもならんので、急いで人参だけ掘り返す。家に戻ろうとした時、寒さに強いはずのそら豆の苗がぐったりとなってるのを発見してしまった。一応寒さよけに細かい網目の黒色ネットをかけてあるのですが。大寒波の低温には耐えられなさそうね。
くそっ!こんなことならば、そら豆にもビニールをかけておけばよかったわ。悔やんでも今更どないにもならんけども。もうね。枯れないでくれ!と願うのみ。
チッ!いい感じにそら豆が大きくなってたのにな〜。せめて全滅はしないでくれよ。頼む。
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