あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

湯島天神の菊花展

2010年12月26日 04時28分43秒 | 上野・根津・湯島・神田
ニコライ堂を見た後の選択肢を友人に提示してみた。
「菊花展が始まってるんだけど。湯島天神か新宿御苑が近いけどどっち行く?時刻は既に14時半を周ってるから、菊花展見て今日の散歩はおしまいかな~?」
実はニコライ堂にほど近い湯島聖堂も東京都文化財ウィークで公開中なのですよ。でも大成殿内部の公開は土日祝日のみ。訪問の11月4日は木曜なので対象外。いつかここも見て見たい…。
ということで、友人か選択したのは湯島天神でした。新宿御苑は駅から菊花展のある庭園まで移動時間を考えるとキツいからという判断です。
ニコライ堂から徒歩で湯島天神へ。
うっ…。坂~~下って登らねばならん。東京って本当に坂だらけ!

湯島天満宮表鳥居に到着。
学問の神様菅原道真公を祀った湯島天神の参道入口にある銅造りの鳥居です。都内にある鋳造の鳥居としては時代も古く優秀なものです。
…すみません。画像取り忘れました!つーか目は境内の菊花展へ吸い寄せられてしまいます。
でもね~。11月4日では少し見頃に早かった!懸崖はあんまり咲きそろってなかった。
でもいいんです。私的ここの一押しは、毎年変るNHK大河ドラマの菊人形なのですから。
再リベンジ菊花展&念願達成(2008年11月12日)左をクリックすると、
『篤姫』の菊人形が見えます。
トップ画像は今年の大河「龍馬伝」より左から岩崎弥太郎。中央坂本龍馬。右は勝海舟。

もう一コマ。こちらは新婚旅行中という設定で、龍馬とおりょうさん。背景はこれ、桜島ですかね?

時節柄、合格祈願の絵馬の納め場所は、絵馬で鈴なりです。

千輪咲とは行きませんが、まさかこの種類でこの育て方が出来るとはっ!
この菊をご存知ですか?確か「巴錦」だったと思います。江戸時代の画家、葛飾北斎がこの菊を描き残してるんですよ。それが「巴錦」だったのか、育種家が再現したのかはわかりませんが。
さて、既に15時半。ぼちぼち帰らないと、帰宅ラッシュに巻き込まれてしまう。
東京メトロ千代田線の湯島駅へ。

自分土産はすあまの鶴の子と三笠みたいな雁の音(確かそんな名前だったような~)です。確か餡に杏が混ざってて美味しかったです
こちらの和菓子屋さんは季節限定商品が大概用意されてて立ち寄るのを楽しみにしています。
『上野の桜が咲いてる間限定』商品もあるんですよ。桜の咲いている時だけ販売(2009年4月10日)の記事左をクリックすると限定の「サクラサク」という大変めでたい名前の和菓子が見られます。

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ニコライ堂

2010年12月25日 04時32分09秒 | 上野・根津・湯島・神田
三崎坂を降りるとそこは東京メトロ千代田線の千駄木駅。移動して新御茶ノ水駅で下車。
ついたのはニコライ堂。こと日本ハリストス正教会教団復活大聖堂。こちらでいただいたちらしには「東京復活大聖堂教会」とありました。重要文化財です。
拝観時間:火曜~日曜夏季(8月を除く4月ー9月)PM1:00-PM4:00 冬季(10月ー3月)PM1:00-PM3:30
月曜・祝日・8月・年末年始PM1:00-PM5:00
東京都文化財ウィークの公開日は11月4日の13:00-15:30。この日に限って料金は無料でした。(当日以外の拝観料は300円)
注意事項:内部の撮影禁止。境内及び堂内での飲食や喫煙はご遠慮下さい。聖堂内の入堂は、入口から啓蒙所まで。礼拝所への立ち入り制限あります。
以前に訪れたことあります。ニコライ堂(2009年10月31日)の記事
その時は時間が合わずに聖堂内を見られなかったんですよ。だから気合い入ってます。私的に本日のメインイベントはここ!でした。

ハリストスとはギリシア語でキリストのことです。
明治24年(1891)に竣工したニコライ堂の名称は、文久元年(1861)に来日した聖ニコライ大主教に由来します。
ミハイル・シチュールボフの設計をもとにジョサイア・コンドル(1862-1920)が修正し実施設計を担当しました。ビザンチン様式の葱花アーチを基本モチーフとしたものでした。
大正12年(1923)9月1日の関東大震災後の復興工事は、岡田信一郎(1883-1932)の設計で昭和4年に竣工しました。建物の不燃化と構造補強を優先し、本堂のドーム屋根は、互いに隣接した縦長のアーチ窓12個を周囲に廻らせた上に、緑色の独特の丸屋根を載せたもので、鐘楼の高さは本堂ドームよりも低く抑えています。

鉄筋コンクリート造りがやがて主流になっていく時代の、先駆的建物として高く評価されています。平成10年の修復工事は、昭和4年の再建当時の復原を目指したもので、ビザンチン様式の美しい姿を蘇らせました。
以上の文章は東京都文化財ウィークの周知を目指したポストカードより。これ、訪問記念にいただいたんです。

ここ、素晴らしいですっ!
建物の外観はもちろん独特で一見の価値ありますが、ぜひぜひ内観も見て下さい。もう日本じゃないね、コレ!半端な美術館より感動するわ。
堂内にはイコンがいくつもあります。正教会ではイコンを「天国の窓」と呼んで大切にしています。
奥の堂内には入れなかったんですけど、啓蒙所の正面には聖ニコライの絵がありました。
「聖ニコライ/1861年6月、当時修道司祭であったニコライ・コサートキンは函館のロシア領事館付属聖堂の司祭として来日しました。日本語と日本文化を積極的に学び、初代教会から変ることのないキリスト教である正教の教えを日本人に伝え始めました。聖書や祈祷書の翻訳を進めつつ、ニコライ堂をはじめとする聖堂を日本各地に建て、明治時代後半には、信徒数は3万人にのぼりました。やがて日露戦争が始まりますが、彼は日本に留まり、日本の国のために祈り続けました。1912年冬、75歳で永眠し谷中墓地に埋葬されました。」以上教会で配られていたコピーです。

聖堂内の画像が撮れなかったのでイメージわかないかと思いますが、上の画像が祭壇です。これ木製でして、かつては黒色でしたが、なんかの記念で最近白と金で装飾されたそうです。
あとね、震災で内部は燃えちゃったんだけど、建物は鐘楼が崩れて聖堂内に落ちてしまったんだそうです。再建する時に、高さを低くしました。そしてビザンチン様式の鐘楼にデザインをマイナーチェンジしたんだって。
併せて、耐震補強として、聖堂内に太い柱を何本も入れました。昔の写真には柱がありません。
って何で色々知ってるのか?というと、親切なシスターが教えて下さったのです。
あ!
せっかくなのでアレを聞こう。
私「変った十字架があちこちにあるんですけど?」
シスター「ロシアン・クロスです」

上図の左端の十字です。日本語では「八端十字」とも言います。
私「なんで一番下の棒が傾いてるんですか?不自然ですよね??」
シスター「キリストがゴルゴダの丘に架けられた時、全部で3人が処刑されました。キリストの左右は盗人です。右側の盗人が言いました。『お前が本当に神なら助けて俺をみせろ』左側の盗人が言いました。『あなたは確かに神です。』そして右側の男は地獄へ落ち、左側の男は天国へ昇りました。聖書にかかれています」(*注意:メモを取らなかったので、正確な言葉でありません。ニュアンスのみ参考にして、お手元の聖書で確認して下さい)
へえ~。や。いい事聞いた!ちなみに鐘楼の高さ変更云々もシスターに教えてもらったのだ。

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旧吉田酒店

2010年12月24日 04時26分17秒 | 上野・根津・湯島・神田
黒田記念室を見学した後は、上野桜木町へ。
すると旧吉田家酒店こと台東区立下町風俗資料館付設展示場(台東区指定有形民俗文化財)がありました。
トップ画像はこも樽や陶製の樽の日本酒は、升・徳利で量って販売した。
休館日:毎週月曜日
開館時間:9:30-午後4:30
入館料:無料

むむ??前庭にあるのは現代アートですかね?

帳場です。奥の階段は上れません。

清酒・ビール・製糖会社などの看板やポスターも壁に飾られてましたが、一番主張していたのは熊手です。
画像には写ってませんが、熊手の下のは砂糖や塩も売られてました。
説明板によりますと「かつて谷中6丁目の一角にあった商家建築。吉田屋酒店は、江戸以来の老舗であった。旧店舗の建物が台東区に寄贈され、明治から昭和初期にいたる酒屋店舗の形態を後世に遺すため、昭和62年に移築復元して、当時の店頭の姿を再現、展示している。平成元年には、一階店舗と二階部分及び道具・分書類が台東区指定有形民俗文化財となった。
棟札によれば、明治43年(1910)に新築して、昭和10年(1935)に一部改築したもの。正面は1・二階とも出桁造りで商家特有の長い庇を支え、出入り口には横長の板戸を上げ下げして開閉する揚戸を設け、間口を広く使って販売・運搬の便を図った。一階は店と帳場で、展示している諸道具類や帳場などの文書類も実際に使用されていたもの。帳場に続く階段をのぼると三畳半と八畳の部屋があり、店員等が使用していた。向かって右側の倉庫部分は、外観のみを明治43年の写真にもとづいて復元した。店舗後方の和室部分は構造的補強の必要から増設したものである」とありました。
ちなみに、展示場なので酒や砂糖の購入は出来ません。

根津神社から坂を上って来たので往路とは別の三崎坂を選んで坂を下る。途中豆大福が看板の岡野栄泉さんがありました。

右手に現れたのは谷中霊園。道なりに坂を下ってゆくと、有名な谷中堂やいせ辰。菊見せんべい等近頃流行の谷根千などが次々と現れました。
うっ…。寄りたい…。でもここはぐっと我慢です。
文化財ウィークということで、本日11月4日午後13時ー15時半にはニコライ堂が無料公開されてるのです。例え堂内は撮影禁止としても、一辺見たい~~!!
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黒田記念室

2010年12月23日 05時17分06秒 | 上野・根津・湯島・神田
旧帝国図書館こと国際子ども図書館の並びに黒田記念室はある。
子ども図書館へ行く前に通りがかった時は施錠されていた。ここの開館時間は変則的なのだ。
公開日:木曜・土曜 午後1時ー4時。
休室日:年末12月26日-1月6日/夏期7月21日-8月31日/その他
入場料:無料
子ども図書館で過ごすうちに、公開時間となってました。
11月4日に訪問したのはたまたまでしたが、この辺りを散策するなら木曜日がおすすめですね。
 
ここもスクラッチタイルなのですね。
建物の竣工は昭和3年(1928)。設計は岡田信一郎。創建当初の姿に復し、2階を中心に改修の後、平成13年(2001)からリニューアルオープンしました。
館内には遺族から寄贈された遺作の展示の他、黒田清輝の油彩画126点、デッサン170点の他写生帳、書簡も所蔵されてます。
黒田記念室は美術に関する学術的研究と研究資料の収集を目的として設置されました。
ちなみに、黒田記念室の「黒田」って何ぞや?
それはこの絵を書いた画伯の名前です。湖畔
いただいたパンフレットによりますと、「黒田清輝(1866-1924)近代日本の美術に大きな足跡を残した画家であり、教育者であり、美術行政家であったといえます。ことに明治中期の洋画界を革新していった功績は大きく、その影響は、広く文学界全般に及びました。
9年にわたりフランスに留学。明治29年(1896)には、この年創設された東京美術学校の西洋画科の指導者となりました。後年には貴族院議員や帝国美術院長を歴任し、美術行政家として活躍しました」とあります。

前出の湖畔だけでなく、上記の<智・感・情>(1899)など、アカデミズムな絵画もあります。
建物に魅かれてふらりと入りましたが、なかなか興味深かったです。
にしても、岡田信一郎氏の設計した建物をこの所よく見てるような…。
え~と?
明治生命館・東京芸大陳列館も彼の設計だっけ?
気になっってWIKIで検索してみた。
既に訪れてる建物は、鳩山一郎邸(1924)、歌舞伎座(1924)、鎌倉国宝館も彼の作品でした。加えて、この後訪れたニコライ堂の修繕も彼が担当してます~。う~ん、ご縁があるのかしら?
ちなみにその他有名な岡田作品は、大阪市中央公会堂(1917)、琵琶湖ホテル(1934)、博報堂(1930)。
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旧帝国図書館

2010年12月22日 04時33分11秒 | 上野・根津・湯島・神田
明治39年(1906)に、帝国図書館として建てられました。その後の増築等により明治期ルネサンス様式を見ることが出来ます。現在は国立初の児童書専門図書館となっています。
開館日:月曜休館
公開時間:9;30-17:00
料金:無料
*毎週木曜は14時から建物に冠するツアーあり。(要予約)
訪問時の11月4日はうまい具合に木曜日でして、好都合だったのですが、この後ど~しても行きたい場所がありまして、諦めました。ま、予約してなかったから元々無理でしたが。

子どもがてんこ盛りの像がありました。台座に彫られているおじさんは小泉八雲です。…なぜに??
1階にある子どものへやは、子どもの本ばっかりなのですが、これがなかなか楽しくて、私ここに何時間でもいられる~。友人は「これ欲しい」と、本のタイトルや出版社を控えてました。
ちなみに、子どものへやに隣接する世界を知るへやには世界の国の本があります。
「帝国図書館時代、この部屋は貴賓室と呼ばれ、旧帝国図書館の中で一番格式が高く一般の利用に供されることはありませんでした。天井や壁の漆喰材料は明治時代からのものを採用し、現場で貝灰や石灰、角又、すさ等を混合するという大変手間のかかる方法で工事を行っています。天井の彫刻の補修を含め、漆喰工事だけで1年以上の期間を費やしています。床の木製ボーダーは、花梨・欅・黒檀で構成された創建当時のものを補修の上保存しています。
シャンデリアは、東京電力にて保管されていた現物の部品を採寸し、復元を行いました。材料は真鍮を使用し、金メッキを施しています。
木製扉の塗料は、残存していた塗料を分析した結果に沿い、色や材料も創建当時のものとほぼ同じものを使用しています。
空調は床下の免震層を通って来たダクトを直結した家具により吹き出した吸い込みを行っています。」と説明文がありました。

見取図です。でも間違ってます。つーか予定ではこうなるハズだった見取図です。
1906年と言えば日露戦争が終った所。日本はこの戦いに大金をつぎ込んで勝ちましたが、敗戦国のロシアから賠償金を取れなかったんですね。で。予算不足となりまして、帝国図書館はロの形を諦めて、見取図の上の色がついてる部分だけ造られました。
3階の本のミュージアムはかつての閲覧室です。
訪問した時は「絵本の黄金時代」(9.18-2011.2.6)という展覧会をやってました。世界各地で優れた絵本を数多く出版された<絵本の黄金時代>といわれる1920-1930年代。この時期のアメリカ・ソビエトを代表する作品を紹介。更に入って来たオリジナルの絵本が、日本で別に挿絵を書かれて出版してある例もあって、本好きにはこたえられませんなぁ。という展覧会です。こちらは入場無料です。あまり宣伝してないようで、客は私達だけでした。静かに楽しみたい人におすすめです。

子ども図書館は、近年になって免震作業が行われました。トップ画像の表の外装は、昔の外壁が見えますが、裏側は補強してあります。他にも様々な手段で免震と保存を行っています。
ここで昼食。
カフェテリアでは持ち込みの弁当の飲食も可能ですが、軽食の価格も安い。私はカレー400円を頂きました。味はともかく、上野公園は近くに飲食店がほとんどないので、あっただけでラッキーです。
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旧東京音楽学校奏楽堂

2010年12月21日 04時34分44秒 | 上野・根津・湯島・神田
以前にも紹介したこどがあります。今回は同行の友人の案内です。東京芸大に隣接。
公開日:日・火・木曜(水・金・土曜日はホールの使用がない場合)
公開時間:午前9時30分ー午後4時30分
入館料:一般300円 *木曜コンサート、日曜コンサートがある時は入場料500円
訪問した日は、本居長世の展覧会(10月10日-11月30日)をやってました。名前は知らなくとも、彼が作詞・作曲した童謡には聞き覚えがあるハズ。「赤い靴」「七つの子」「青い目の人形」「汽車ぽっぽ」「通りゃんせ」「十五夜お月さん」などなど。会場には彼の創った童謡が流れていました。
彼は有名な国学者本居宣長の家系に生まれ、日本語の美しさをよく表現した作詞を残しています。また娘達に童謡を唱わせて、日本全国津々浦々まで歌の旅をしました。少し驚いたのは彼と共に歌の旅をしていた娘さんが今も存命してて、そのうえうちの隣町に暮らしてるとか。

この建物は、東京芸術大学音楽部の前身であった東京音楽学校の校舎施設として、明治23年5月に建造されたものです。
木造2階立ての桟瓦葺で、中央家と翼家から成ります。奏楽堂は中央家二階にある講堂兼音楽ホールのことを呼びます。このホールはかつて滝廉太郎がピアノを弾き、
奏楽堂前に立つ滝廉太郎像
山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台です。
日本最古の洋楽音楽ホールとして、昭和63年に国の重要文化財に指定されています。
パイプオルガン
由来:このオルガンは、徳川頼貞が創建した南葵音楽堂に設置するため、1914年(大正3)英国のアボット・アンド・スミス社に発注された。第一次世界大戦のため完成が大幅に遅れ、南葵音楽堂に設置され、オルガン披露演奏会が行われたのは1920年(大正9)11月のことで、わが国初のコンサート用オルガンとして注目を集めた。その後、1923年(大正12)の関東大震災で南葵音楽堂が破損し使用不能となったため、オルガンは1928年(昭和3)頼貞氏より東京音楽学校に寄贈、同奏楽堂に移設された。
この楽器のパイプの出所については不明な点が多いが、元東京芸術大学教授秋元道雄氏の調査によると、1851年ロンドンでひらかれた「第一回万国博覧会」に、ドイツのエドゥムント・シュルツェが出品したオルガンのパイプが流用あるいは改造されたのではないかと推察されている。
1950年代後半に入ると、損傷が著しくなった。1972年(昭和47)奏楽堂の明治村移転計画に伴いオルガンの解体もささやかれたが「奏楽堂のパイプオルガンをよみがえらせる会」をはじめとした人々の手でオルガンの修復を促し、1987年(昭和62)奏楽堂の移築再建とともに古き良き時代のなつかしい響きを再びよみがえらせるに至った。
以上は舞台下にあった説明文の抜粋です。いつかこのパイプオルガンの音を聞いてみたいな。ちなみに、第二&第三日曜の演奏会で聞く事が出来ます。


/入場券
上の画像を見て思ったのですが、古建築を堪能するには、冬が最適なのですね。なぜって、冬になると落葉樹が葉を落としてくれるので建物がスケてよくわかるんですよ。そうだったのか~。つまり古建築鑑賞シーズンは冬!これからが本番なんですね。
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東京芸大特別公開

2010年12月20日 04時23分22秒 | 上野・根津・湯島・神田
根津神社の本殿特別公開を見学した後、門前の金太郎飴本舗でお土産購入。
このお店の飴は以前にも紹介しましたが七福神飴(2009年6月28日)の記事、私はとってもお気に入り。今回購入したのは珍味糖。友人は別の飴。
とっても美味しゅうございました。おまけにどこか懐かしい味です。次回はまた別の味の飴を買おう~。ここ、安いし
次に向かったのは、根津たいやき。
焼きたて熱々をゲット!
思わずパクリ
でもこの年で道ばたでたいやきをパクつくのはさすがに~。
地図を頼りに近くの公園へ。
…あれ?もしかして、軽く迷った?

気づくと谷根千とよばれている一角に入ってました。上の画像は「丁字屋」さん。染め物&洗い張り屋さんだそうです。無事、小さな公園を見つけベンチでたいやきをパクつく。美味い~~!!
坂を上って上野の東京芸術大学へ。

なにしろ、東京都文化財ウィークなので、大学の貴重な建物も公開中なのです。
はじめに訪れたのは「東京芸術大学陳列館」です。
説明文によりますと「本建物は昭和4年(1929)に岡田信一郎設計により建築され、以来本学の主要な展示室として通年に渡り様々な展示が催されていた。
鉄筋コンクリート造二階建ての本建物は、2つの大きな展示空間を持つ。1階は側面からの自然光により彫刻などの立体作品展示に、2階は高窓からの拡散した柔らかい光により絵画などの平面作品展示に、それぞれ適した環境を築いている。
築80余年を経た平成22年(2010)に本学の耐震改修事業の一環により耐震補強工事が行われた。建物の持つ空間の特徴を保ちながら耐震性を確保することを主旨として、一部の窓をコンクリート壁で塞ぎながらも展示空間への影響を最小限にする方法を採用することで、従来通りの展示を行うことが出来るとともに、部分的に改修したことがわかるような仕上げも施している。
旧屏風坂通りに面して正木記念館と旧東京美術学校本館玄関と共に並んで立つ姿は本学の歴史を感じさせる景観を形成している」とありました。

先日訪問した横浜。そこで見たのと同じスクラッチタイルの建物です。
が、なぜか正面玄関にあったのは皇居二重橋に設置されていた街灯。
検索かけました。伏見櫓(2009年6月18日)の記事こちらに二重橋にある街灯が写ってました!おおっ!同じだ。
なぜにここに??
謎です。
公開期間中は、陳列館の2階で「テキスタイルConnection展」をやってました。
天井近くから取り込む外光が柔らかく室内に入って来てなかなか素敵な空間でした。

続いて並びに立っている「正木記念館」へ、
東京美術学校5代校長・正木直彦氏の業績を記念して建てられた作品陳列館。昭和初期に流行したRC造の躯体に城郭風の屋根を載せた帝冠様式が特徴です。
当日は1階で「平櫛田中コレクション」展をやってました。嬉しい誤算です。
平櫛田中(1872-1979)の作品は大概美術館や博物館に納まってますよね。まさかここで見えるとは~!!
彼は1944年から東京美術学校の彫刻科で教授として後進の指導をしてました。その縁で作品が芸大に寄贈されたのです。100歳の誕生日に、30年分の木材を買い込んだエピソードも紹介されてました。コレクションは彼が集め寄贈した作品。私でも知っているロダンの作品や、本物そっくりに創られたなまずの木彫り。サンマやひものの木彫りは楽しかったですよ。
ラッキーなことに、2つの展覧会は無料で鑑賞出来ました。なんて太っ腹!
東京芸大旧東京美術学校玄関。
大正2年(1913)に建てられ、昭和47年の学校本館取り壊しの際、玄関部分のみ正木記念館中庭に移築されました。周囲とよく調和した移築保存の好例です。(以上、東京都文化財ウィークパンフレットより)

昨日NHKBSで「坂の上の雲」第9回「広瀬、死す」の放送がありました。その舞台へ今年の7月に行きました。
旅順観光のハイライト!(2010年8月22日)の記事こちらを見て下さると、秋山真之が建てた作戦は正解だとわかります。ま、作戦は実行力が伴わず失敗に終るのですが…。ドラマでも繰り返してますが、日露戦争はタイムアタック戦でした。日本軍は何がなんでもロシアのバルチック艦隊が到着する前に旅順を落とさねばならなかったのです。だから203高地攻めで乃木将軍は無茶したんですね。
よかったら左のバーに「旅順・大連旅行記」がカテゴリーにありますので、旅順の風景を見てやって下さい。日露戦争後第二次世界大戦後も旅順は軍港でした。現在は役割を終えつつありますが、やはり中国軍の軍港です。だから、かつて日本とロシアが占領していたままの街並が残されてるのですよ。
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根津神社特別公開

2010年12月19日 04時31分55秒 | 上野・根津・湯島・神田
11月の初週に毎年東京都の文化財ウィークと称する特別公開があります。
今年こそっ!と気合いはあったのですが、予定外に法事があって帰省した関係で、狙ってた場所は行けませんでした。それでもっ!と11月4日に友人と出かけて来ましたので今日から上野界隈の文化財を紹介します。
初日は「根津神社 本殿等7棟(重要文化財)」の特別公開です。
公開日:11/2・11/4・11/5のみ。
公開時間:10:00と15:00(社殿内)
料金:300円(昇殿する場合)
注意事項:社殿内見学ご希望の方は、時間厳守のこと。集合時間を過ぎた場合、社殿見学は出来ません。
ってなことが書いてあったので、頑張って9時半過ぎには根津神社に到着しました。もちろん一番乗り。いつも私のマニアックな訪問チョイスにつき合わされる友人には災難ですね。すんません。
そんなこんなで10時。
まずは靴を脱ぎ、300円を支払って社殿内へ。
そこでパンフレットをいただき社殿へ上がってまずは小さな部屋へ。人が揃うまでしばし待つ。部屋に入れるだけの人が集まった所でまずはお祓い。そして、根津神社の由緒の説明を聞く。
お話は面白かったです。
「神仏混合の時代に建てられたので、仏教様式が見られます」
「権現造りの完成形に近く、空から見ると建物が「エ」の形になっています。初期にはエの縦棒の位置にあったのは石などでしたが、根津神社は建物で繋がっています。この部分には人と神を繋ぐ意味があります。後で建物を見学しますが、奥の部屋の階段へは上がらないで下さい。私達もここへは上がりません」
「根津神社の赤色は落ち着いた朱色です。これは江戸の町民が好きな色でした。朱と黒の漆となっています」
など。直接お話を伺わないと、わからないことでした。
お話が終ると本殿へ…。

あれ?
自由見学なんですかね?
見ると、説明をして下さった禰宜さんは次の見学希望者の相手中です。
ん~?
ところで、公開は7棟ですよね??
あれれ?
………。どうやら違ってたようです。集まった見学希望者は肩すかしをくらった気分です。
言うならば、縛りが厳しいのにコレだけかよっ!と。
ヤケクソのように一斉に写真を撮っておしまい…。
 

 
うっ!無理して9時半に根津神社に到着したのに…。友人に申訳ない。
 
ともかく、気を取り直し次を目指します。

パンフレットにある由緒。「当神社は今から1900年の昔、ヤマトタケルの尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代5代将軍徳川綱吉は世嗣ぎが定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である」とあります。
御祭神 須佐之男命 大山咋命 誉田別命

実は以前にも何度か根津神社は記事にしています。
根津根源2009年11月16日の記事
根津神社のつつじ2009年5月4日の記事
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根津から千駄木へ

2009年11月17日 06時00分09秒 | 上野・根津・湯島・神田
根津神社の裏門から西へ。坂を登ると日本医科大学。その近所に「夏目漱石旧居跡」がある。
トップ画像です。
よ~く見ると、塀の上にニャンコの像が。
夏目漱石ときて猫。
つまり「我が輩は猫である」の作品が生まれた場所です。
右にある看板を読むと、夏目漱石が引っ越した後、建物に住んだのは森鴎外。
でも森鴎外はしばらくして近所の観潮楼へ引っ越してったって。
今、所縁の家は、愛知県犬山市の明治村にあるんだって。
次行ってみよう~。
つーか、資料は春に根津神社のつつじ祭りに訪れた際のくばっていた『根津権現かいわい浪漫ちっくマップ』です。
あれ…。
マップにはあるのに、ないっ!!!
せ、青踏社発祥の地はどこ??
見つからない~。
本日は連れがいるので!
きっぱり諦めて次々!!
む…。
もしかして…。また…。
見つからない。
佐藤春夫居住跡はどこだ??なんか、どこにもないんだけど…。
ないまま本日の散歩を終了するのは嫌だったので、マップが近くにある!と示す「旧安田楠雄邸」へ行ってみることにした。

う…。
観光に1時間目安?
ぱ、パスさせて下さい。もう足が限界なんです。まだ家まで帰らないといけないんです。
入口で挫折して、すごすごと帰宅したのでした~。
でもここ安田楠男邸はなかなかのポイントなんですよ。
管理がね、日本のナショナルトラストがやってるのね。
知ってる?
ナショナルトラスト。
イギリスへ行くと、あるんですよ。あれの日本版なんです。
公開日と公開時間が限られています。建物は安田財閥の系譜です。
ちなみに、ここのお隣が高村光雲であり高村光太郎であり『智恵子抄』の智恵子の住んでいた家があるそうで。
へえ~。
団子坂を下り東京メトロ千駄木駅へ。
観光箇所はこのあたりにまだまだ点在してますので、そのうちまた散歩したい場所です。


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根津権現

2009年11月16日 06時00分00秒 | 上野・根津・湯島・神田
権現?
どこかで聞いた事はあるが、行った事はないって言う人がほとんどかも~?
でもそんなことないんですよ。実は明治維新の時に「明神」とか「権現様」とかそれまで親しまれていた呼び名を禁じ、●●神社という呼び名にマイナーチェンジしてしまい、かつての呼び名を知らないだけになっちゃったんですよ。
さて、根津界隈散策と言うと、絶対ハズせない「根津神社」です。
明治の文豪の作品では、権現様として出て来るそうで…。
実はここ今年2度目の訪問です。
4月の下旬?や、5月だったか、名所のつつじ苑へお邪魔しました。
その時、唐門が修理中でしてね。なんとも趣きのある唐門で、ぜひ覆いのかかってない姿が見たかったので、修繕が終る時期を禰宜の方にお伺いしていたのですよ。
トップ画像がその唐門です。お化粧直しを終え、あでやかです。
ん?
神社の由来の看板発見。
うおっ!!
古っ!!
なんと、『根津神社は今から1900年余り昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉納している』
でた!太田道灌!!
江戸の地を散歩していると、あちこちで見かける名前なんだよなあ…。
そりゃもう、同人誌の1冊位もう出来る程出合ったよ…。
う~ん、こりゃ伊勢原にも行っといて太田道灌所縁の地をコンプリートしとくべき?
まあ、ヤマトタケルという日本の古代史の超ビッグネームが登場した訳ですが、こっちは中々に信じがたいんですけど~。
ホンマか!?
『江戸時代には5代将軍徳川綱吉が世継ぎが定まった際に現在の社殿を奉建』
ふむふむ。江戸時代も大事にされてた神社だったのね。
御祭神は須佐之男命他2神。
…スサノオを祀ってるんだ…。へえ~。

社殿です。
国の重要文化財です。
綱吉が天下普請で作りました。江戸の神社建築としては最大規模を誇る『権現造建築』です。
どうですか~?京都奈良など西の神社と比べてどの辺りが変ってるの?

社殿の一部アップです。私の大好きな狛ちゃんと…あと、何?象??

あと歴史好きのお薦めの見所は、この境内はかつて徳川綱重公の下屋敷がありました。
なので、徳川家宣公の産湯井戸とか、徳川家宣公の胎盤を納めた塚などが残っています。
いつかつつじの季節につつじの花越しで麗しい唐門の画像を写してみたい。
あ、変なんめっけ!

これ、江戸時代の街道沿いにあった道祖神を集めたものですね。
かつてのお役御免となった道祖神はひっそり根津神社の片隅で余生を送ってらっしゃいます。
場所は乙女稲荷から駒込稲荷へ向う途中です。根津神社の境内ですよ~。
さて、次行ってみよう~。
根津から千駄木へ向う道筋は、東京大学が近いこともあり、明治の文豪所縁の場所が点在しているのですよ。
さ~て、一番目はどこだ?
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根津界隈散策

2009年11月15日 06時00分00秒 | 上野・根津・湯島・神田
今日はお台場のビッグサイトへ創作漫画同人誌即売会COMITIAの当日です。
なので、記事を予約してアップしてみました~。

さて参議院参観後、地下鉄千代田線で湯島駅へ。
不忍池沿いを北上。以前から行ってみたかった「横山大観記念館」へ。
ここは富士山の日本画で有名な横山大観が生前暮らしていた旧居をそのまま美術館として公開しています。
トップ画像は大観が晩年足を悪くして二階の画室に上がれず。この部屋を画室として使ってた部屋です。
美術館へ行くと、巨匠大観の絵は一番目立つ所にうやうやしく、ガラスの向こうに飾られて展示してありますが、この記念館では、自然な感じで床の間や廊下に飾られています。
大観の旧居はお庭が広くて、客間に座って眺めるといい感じです。

建物の見取り図はこんな感じ。
ここは元々個人の家なので、狭いのはどうにもなりませんが、画伯の好みがよくわかるのでぜひ訪問してみては?
あの名画がここで生まれた!と思いを馳せるのも一興ですよ
『横山大観記念館』
開館日:木・金・土・日曜日
長期休館 梅雨期(6-7月)夏期(8月)年末年始(12-1月)
開館時間:10:00-16:00(入館は15:45まで)
入館料:大人500円。
*梅雨に閉館するのは、作品の保護の為だそうです。
また、展示作品は入替えがあります。お邪魔した時は、来年あちこちに貸し出し続けていた絵がようやく戻って来て展示出来るのよ~。と、記念館の人がおっしゃっていたのが印象的。
全くの余談ですが、大観の飼っていたペットの柴犬は「頓寿(とんじゅ)」と言う名前だったんだとか。とんじゅくんは毎晩夕餉の時、大観におよばれしていたようです。これはお酒の肴にしか箸をつけない大観を心配した奥さんが、偏食解消を目指しての作戦だったそうで…。
へえ~。
途中で食事を挟み北上。つーか、なんで湯島から行こうと思ったのか…。
根津駅から一端南下して引き返すべきだったと悔やみつつ北上~。

まずは見た目に時代がかっている古いお店を見物。
『はん亭』さんです。画像の正面側は串揚げ屋さんです。んで、奥は甘味処となっています。ちなみに、画像は裏道です。…多分もとはこちらが表だったのかも?なので、これを目当てに探しても見つからないかも~?
愚痴ってよかですか?
電線邪魔なんだよっ!
ぐっすん…。
次行ってみよう~。


●根津教会です。
ここはどなたかのブログで見て以来、雰囲気のある教会だなあ~。と思って寄ってみたのですが…。
運悪く、工事中でした。
それでも趣きのある教会です。文化財指定を受けた建物でした。
次行ってみよう~。


●念願の『根津たいやき』です!
いや~。ここのたいやきを食べてみたくて、5月だっけ?根津神社のつつじの見頃に合わせてここへ来たんですよ。
したら、休みでした。
根津たいやきの休日は不定休なのです。開店していたら、ラッキーと思う感じで目指してみて下さい。
有名店でまとめ買いする人も多いようですが、私らは各1個購入し、根津神社でパクついたのでした~。
散歩をよくするようになって、気づいたこと。
神社には大概ベンチがあるが、お寺にはベンチがない。
疲れたら神社か公園へ向おう~。
支払っていいのは運賃だけ。
相変わらずケチケチの散歩です。…散歩につき合っている人は大迷惑!この時も被害に会う友人がいたりして…。
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…萌え?

2009年11月03日 06時37分49秒 | 上野・根津・湯島・神田
画像は神田明神の絵馬です。
…何も言うまい…。
や~、お散歩で結構神社仏閣は寄るんですよ。
で、ね。
絵馬の絵柄は神社毎に個性があって、神社へ行くと確認するポイントの一つ。
神田明神の絵馬の図柄はどんなんかなあ~と思ったら…。
何じゃこりゃ!!
や、礼儀上わざわざ絵馬をひっくり返して何を書いてあるかとか読んだりは絶対しません。しないんだけど、絵馬をかけてある所に行ったらこの状態。
まあなあ~。神田明神は秋葉原から徒歩圏なんですよ。
ありがちっちゃ~ありがちなんだけど…。
本来、神田明神の有名人と言うと彼でしょう?

神田明神下に住まいのある銭形平次親分だいっ!
彼は実在の人物じゃなかったそうですが、大川橋蔵さん扮する平次親分の時代劇は長らく放送されててお茶の間のアイドルだったんだよ。つーても、私はリアルタイムで銭形平次の時代劇はあんまり見てないんだけどね。

神田明神にはこんなんもあります。
どうにも歴史にはほど遠い感じですが、ちゃんとした見所もあるのよ。

お百度石ですね。
なんだか、神田明神って神社にありがちなものの大概が揃ってるんだよね。
なんだか…テーマパークみたい…。


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湯島聖堂から神田明神へ

2009年11月02日 07時25分15秒 | 上野・根津・湯島・神田
階段を登り湯島聖堂の本堂へ…。
あれ?
閉まってる!?
何でじゃ~~!
混乱していると、大学生らしき二人連れがやってきて…。
「あれ~?前来た時は開いてたんだよ~」
そう。
ここ神田界隈は医大を中心に大学が集中しています。
孔子と言えば、儒教です。受験生の御用達です。
な~の~に~~!
閉まってるって…。閉まってるって!?
日本における儒教の認知度は地に落ちてるのかもしれん…。
もちろん帰宅後調べました!
大成殿の営業日&営業時間は9時半から17時まで(冬期は~16時まで)。土・日・祝日は10時から。
休みは夏期、年末休業あり。だそうです。
う~ん???
訪れたのは9月14日だっけ?それって夏期休暇??
訳わからん…。
がくっり肩をかかとまで落とし休憩。

ここでさっき購入した軍配もなかを確認…。
やっぱり~。
カバンの中にはカメラとかペットボトルとかがあって、そこにもなかを入れるのは壊れるかも~と、購入した時に不安だったので階段に腰掛けたついでに確認したら…、案の定壊れてました!
うう…。
しょうがないので休憩のついでに完食!ここは一つ、なかったことにしてしまおう~。
あれ??

大成殿の屋根の上に大きな鴟尾を発見。
わかりにくいけど、とってもでかいですよ。

さて、へこんでいてもしょうがない。
ので、次行ってみよう~。
湯島聖堂のへりをぐるりとまわる。裏にあるのが神田明神だ。とても近い。

ここの鳥居も石でも木でもないんですね。
神田明神へ伺ったのも始めてます。
た~の~し~み~~

神田明神はとても綺麗です。
入口にある説明文は日本語、英語の他確か中国語や韓国語でもかかれていたような…。
確かにこんだけ派手なお宮は東京では珍しいかも~。…秋葉原も近いしな。外国人観光客には訪れ易い場所だわ。




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湯島聖堂

2009年11月01日 04時25分32秒 | 上野・根津・湯島・神田
聖橋を渡ると右手に見えるのが湯島聖堂である。
これはJR総武線の窓からも見えるけど、訪れるのは始めて。
え~と、入口はどこだ??
トップの画像は入口にあった説明看板です。
でも…。
これさ…。
入れない進入経路はちゃんと書いておこうよ…。
画像ではわかりませんが、湯島聖堂って傾斜地に建ってるのですよ。
行ってみて鎖があって進めなかったらヘコむぜ…。
しかも、もう坂を降りた後だったりするとな…。ダメージがな。体力は無限ではないのだよ。
「神農祠」って所に行ってみたかったのに。右下からいこうとしたら行けませんでした。

あれ?なんじゃろか??

屋根上に日本ぽくないガーゴイル発見!
中国っぽくもない。どっちかというと、西洋バージョン??
む!
でっかい石像発見!

ピントが合ってない画像ですみません。
ところで誰の像かわかります?
これ『孔子像』なのですよ。
見上げる程大きいですよ。これこそ日本じゃ珍しいかも~?
なんで湯島聖堂に??
調べました!
湯島聖堂は近代教育発祥の地なのです。
徳川5代将軍綱吉が儒教振興の為創建し、後に昌平坂学問所となった場所。
え?
湯島聖堂=昌平坂学問所なの??
何何??
有料で入場出来る大成殿には、孔子などの思想家が祀られている。
へ~そうだんだ。
ここは行くしかないでしょう~。
あれ??

入れない…。
何でじゃ~~!!
『漆塗り乾燥中』へ…。へえ。この黒い門って漆塗りなんだ。

確かにピカピカツヤツヤです。
柱飾りの瑞獣の金色の目がかっこいい。
この門の脇にある入口を発見し、奥へと進む。
あ。
書き忘れた。
『孔子像』の傍らに楷の木があります。
説明文にね。
楷書の楷の字はこの楷の木に由来する。
ん?
どゆことかな~?
実は日本では珍しい木なのかもしれんが、地味だ。
9月だからか?
花も咲いていない。
紅葉もしていない。
普通の落葉樹にしか見えん…。
で、孔子と楷の木にどんなお話があるの?そこんとこ知りたいんだよね。
うおっ!
調べてる場合じゃないや。とっとと用意して出かけなくっちゃ。
これから竹里館出版局でお台場でイベントです。
お天気が悪いって予報なのがな…。
頼む。
降らないで~。

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ニコライ堂

2009年10月31日 06時17分05秒 | 上野・根津・湯島・神田
出版社の白泉社の建っているビルはかつての御成道に面してます。
御成道とは、江戸時代にお城から寛永寺へ参拝する時に使われていた道です。
せっかくなので、かつての道を辿って北上。
でもね、行きたい所から遠ざかってしまうので程よい所で左折。
そこは坂~~。
地図を見てとっても分かりにくいもの。
それは坂!
今までも地下鉄の駅を降りてが~~んってなった坂に何度も遭遇してますが、神田って坂だらけなんですよ。
それでもきっと江戸時代より坂は緩やかになってるんだろうけどね。
御成道を左折した所にあったのは「暗闇坂」って名前でした。
坂を登り切ると見えてきた見えて来た。
本日の目的地の一つ目ニコライ堂です。
トップの画像です。
ここはビザンチンロシア様式の大聖堂。
明治に完成した正教会。日本正教会の総本山。高さ38メートルの青銅色のドームが特徴的だ。国の重要文化財にも指定されており、外国人観光客にも人気。
う~ん?
ん??
あれ?
なんか、キリストが持ってるのに漢字が見えるような…。

あっれ~~???
入れない…。
教会っていつでも開いてるんじゃないの??
帰宅後調べました。
休みは祝日。
営業は13~16時(10~3月は~15時30分まで)だそうです。へ、へえ~。
料金は聖堂内見学300円(献金目安)
時間限定か…。知りませんでした!

ありょ?
なんか…。
あれ…。どっかで見たような…。
マークつけておきました。青いの。
なんか、いつかどこかで見たことあるのは確かなんだけど、どこで見たのかきっぱり思い出せません。
お~そ~ら~く~。
世界史の教科書だと思うんだけどね。
次行ってみよう~。

何やら線路が一杯。
こんだけ線路があるのに、電車のない写真を撮って終りという訳にはいくまい~?
思わず、電車が来るまで待ってしまいました。
一番手前を走って来るのは地下鉄。東京メトロ丸ノ内線。
その奥。画面を右から左奥へ横切ってるのはたぶんJR総武線。もしくは中央線?
一番奥を左右に横切ってるのはJR山手線。
ここって鉄道好きにお薦めのポイントなのね。
で?
ここってどこなのよ!

特徴ある姿の聖橋です。
上の画像は後日の撮影。
この日はど~にも聖橋の撮影ポイントが見つからず、友人も一緒だったので諦めたのです。
んで、後日改めて一つ上流にかかっている橋から聖橋を写してみました~。


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