あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

千駄ヶ谷の富士塚

2012年04月14日 05時11分17秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
新宿御苑の千駄ヶ谷門を出てJR千駄ヶ谷駅方面へ。
先週の「ブラタモリ」で。タモリさんがカニと呼んでた東京体育館を横目に移動。
あれ?東京体育館の隣って、津田塾大学じゃないの?これって、ブラタモリで出て来た所だよね?かつて徳川将軍家の洋館が建ってたという…。「徳川」の文字が書かれてる電柱はないか??
とか言いつつ到着したのは鳩森八幡稲荷です。ここに「ブラタモリ」に出て来た富士塚があるのです。

説明板発見「この富士塚は寛政元年(1789)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒朴(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分にはクマザサが植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向かって左側に木造の黒宮の建物がある。
頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて階段としている。七合目には洞窟がつくられ、その中には身禄像が安置されている。

塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。
この富士塚は大正12年(1923)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰のあり方を理解する上で貴重な資料である。」
完成した寛政って、徳川11代、徳川家斉の時代だね。そんな時代からあったのね。
では登頂開始!
って…。危ないんですけど~!?
ホラ、昔の日本人って身長が低かったじゃない。男性でもせいぜい160センチあるかないかとか。だからでしょうか?自然石を使って作った登山道は狭くて急で危ないんですよ。
の、上るけどっ。画像を写してる場合ではっ。
おお。てっぺん辺り、黒くで小さい穴がいっぱい開いた火山岩を置いてある。わざわざ富士山から運んで来たんだね。これ。信仰って凄いなあ~。
画像では分かりにくいんですが、富士塚の麓に富士浅間神社の里宮が、頂上に奥宮があります。富士山を再現してるんですね。細かいなあ~。
さて、登頂記念にこんなのもいただけるのです。

おそらく有料だと思うので、いただいてませんけど。
ついでに、鳩森八幡神社の境内でこんなのも見つけました。
将棋堂です。
窓ガラスが反射して見えにくいですが、中に大きな王将が置いてあります。
説明板発見。「昭和61年、社団法人日本将棋連盟(当時の会長大山康晴15世名人)より、山形県の駒師香月氏の制作による、高さ120センチの欅製の大駒が奉納された。この縁により、同年11月、将棋の技術向上を目指す人びとの守護神とし、更に将棋界の繁栄を願って、日本将棋連盟と神社が協力し、この大駒を納める六角のお堂を建立した。
お堂の六角は天地四方を表し、屋根の上の飾り金物は将棋盤の足の形、つまりくちなし(梔子)の実の形をしている。くちなしは口無しに通じ、助言無用の戒めからきていると古くから言い伝えられている。
堂内に安置あれた大駒は、御影石の将棋盤の上に立ち、その奥に氏神の八幡神が祀られている。

毎年年頭に、このお堂の前で祈願祭が行われる。将棋上達を祈願する人は、いつでもその夢を絵馬札に託して奉納することが出来る。参拝者は棋力向上の願いが叶えられ、よろず勝運に恵まれると言われている。」
う~ん。なかなか。でもなぜに「馬」の字を反転した絵馬なんだろう?
長くなったので、明日鳩森八幡神社の記事を別けますね。   日本史 ブログランキングへ
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赤坂迎賓館の裏側

2010年09月20日 05時02分00秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
裏って言っても綺麗なんだよね。

国宝の噴水を見た後、本館に寄ってみると、おつきの人の泊まる部屋も公開されていました。でもそこも撮影禁止だったのね上の画像の階段を上って、1階右手に行った所にあります。

係員さんい尋ねたら、部屋の撮影はNGですが、外ならいいってことで撮影。お付きの人の部屋は画像右のオレンジの服を着ている人の右の扉の先です。なかなかに落ち着いてていい感じでした。金ぴかじゃなかったよ

本館の階段から庭を見るとこんな感じ。じゃりが多いね。じゃりって歩きにくいけど、あれ、意味あるんですよね。なんか、皇居観光してるガイドさんの説明を耳に挟んだんですけど、じゃりってどう歩いても音がするから、防犯に最適なんだって。高いヒールの靴には敵!
迎賓館の窓。
猛暑の8月5日の昼!そんなん休憩せんとヘバるわっ!
ってなことで休憩所のテントへ。

パイプ椅子に腰掛けて撮影しました。
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迎賓館設立の沿革

2010年09月19日 04時57分44秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
迎賓館参観。本館内を見てまわった後は、庭園の散策へ。画像を進む順序に沿って紹介します。画像だけだと寂しいので、パンフレットより「迎賓館設立の沿革」を書きます。

迎賓館は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった広大な敷地の一部に、明治42年(1909)に東宮御所(後に赤坂離宮となる)として建設されたものです。構造は鉄骨補強煉瓦造りで、地上2階地下1階の耐震、耐火構造となっており、明治時代の建築家が総力を挙げて建設した、日本における唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築です。

この建築は、昭和天皇や今上天皇が一時期お住まいになった以外、東宮御所としてあまり使用されることなく。戦後、建物、敷地共に皇室から行政へ移管され、国立国会図書館、内閣法制局、東京オリンピック組織委員会などの公的機関に使用されていました。

この間、わが国が国際社会へ復帰し、国際関係が緊密化し、外国の賓客を迎えることが多くなった為、国の迎賓施設をつくる方針がたてられ、これに伴い建設地や施設内容等の検討を行った結果、昭和42年(1967)に「旧赤坂離宮」を改修してこれに充てることになりました。

改修工事は昭和43年から5年有余の歳月と総額108億円の経費をかけて行われ、賓客に対し和風の接遇を行うための別館の新設と合わせて、昭和49年(1974)に現在の迎賓館が完成しました。

開館以来、世界各国の国王、大統領、首相などの国賓、公賓がこの迎賓館に宿泊し、レセプションでの懇談など、華々しい外交活動の舞台となっています。また、先進国首脳会議(1979、1986、1993)、日本・東南アジア諸国連合特別首脳会議(2003)などの重要な国際会議の
会場としても使用されます。

平成18年から3年間、大規模な改修工事を行い、平成21年(2009)4月から迎賓施設としての運用を再開しました。同年12月、創建当時の建造物である旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)本館、正門、主庭噴水池等が国宝に指定されました。

ということで、国宝の噴水です。
訪れた時は参観日の最終日ということで、運良く噴水から水が出ている光景を見ることが出来ました。いろんな動物がいるんだよ~。

さて、私が時折チェックしている「麺通団公式ウェブサイト」。今日は久々に笑わせてもらった。
トップページの下の方に「団長日記」がある。知る人は知っている映画『UDON』のモデルになった方の日記です。んで、今日の日記は「鬼が島でリアル鬼ごっこ」!頭悪~そうなネタですが、これを実施したのは団長ではなくて香川県の税務署!!です。つ~ま~リ~。
鬼=税務署員、逃げる人=一般公募の納税者。が、鬼が島でリアル鬼ごっこ!!
ちなみに100人の定員に応募者殺到で、予算ギリギリまで枠を広げた結果、一般参加者は159名。スタッフ(税務署さん含む)34名が炎天下の9月12日にリアル鬼ごっこを開催したんだそうです。
1時間逃げ切れたら賞金が出たんだって!ちなみに優勝者は香川県で働くブラジル人のエディさん(24歳)だったんだって。
…何やってんだ~香川県!
つーか、香川県民らしいイベントです。香川ってそういうとこだよな…。と、関東に住む香川県人は笑って脱力しましたよ。ええ。
あ…。もしかして鬼が島の説明いる?香川県人には説明いらんから忘れてました。
鬼が島とは県庁所在地の高松の港から小さな連絡船に乗って1時間くらい?にある女木島のことです。昔話の桃太郎に出て来る鬼が島の舞台。鬼が住んでた洞窟もあります。あ~但し、洞窟は実際に行ってみるとがっかりすること請け合いの、開発に失敗した観光名所になってます。訪問の行程が努力しないとたどり着けないのに、着いた先にあるのはこれかいっ!と脱力するシロもの請け合い。香川の子は大概遠足で行くんですけど~。この時に昔話の実態を知るという…。


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迎賓館で一番の部屋

2010年09月18日 04時09分25秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
今日紹介するのは朝日の間と羽衣の間です。迎賓館内は撮影禁止なので、画像はパンフレットより。
その前に、トップ画像の説明を。
画像の中央下に見える明るいドアが見えますか?ここが迎賓館の正面玄関です。画面が全体に黄色いですけど、実際にはそんなことはなく白と金で彩られて明るいです。レッドカーペットももう少し柔らかいローズ色。
朝日の間は正面玄関から入り、階段を上り、大理石の柱が立ち並ぶ大ホールを抜けた正面にあります。ここは迎賓館で一番格の高い部屋です。
大ホールの朝日の間に出入り口に小磯良平さんの200号絵が2枚あります。迎賓館の中では平和な感じで浮いてますが、私は好きだなあ~。

朝日の間という名前は、天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵に由来する。

フランス人画家がフランスの日本大使の奥さんをモデルに描いたんだそうです。
周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石である。紫色の大理石は現在では入手不能なんだって。
壁には京都西陣の金華山織の美術織物が張られ、床には、紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した段通が敷かれている。
この部屋は、国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談が行われている。

そういえば、今までの部屋に絨毯はありませんでした。あと、迎賓館1階の廊下はモザイク模様が美しいそうですが、大勢の一般参観者が踏んで痛むのを避ける為が、レッドカーペットを敷いて保護してたような…。
この部屋で私が面白いと思ったのは天井近くに向かい合うように装飾された4面の図案です。

なんか変ってる図案ですよね?
実はこれ、鎧が陸軍、船が海軍を象徴して描かれてるんだそうです。お寺の本堂の天井で八方睨みの龍の絵が描かれてたりしますが、船と鎧の装飾も騙し絵の技法で見る人がどこにいても自分の方を向いている曲面画法が用いられています。
朝日の間のモチーフは国運隆昌、国威発揚。今では廃れたスローガンですが、迎賓館は明治42年(1909)に東宮御所として建設されたものです。つまりですね、日本中が「大国ロシア」に勝利した日露戦争(1905)で浮かれていたまさにその時に作られた建物だから、軍隊色の強いレリーフがあちこちに散見してるんですね。日露戦争の舞台旅順を旅した直後に迎賓館に訪れたから、感慨もひとしお。迎賓館参観の記事を「旅順・大連の旅」の記事の直後に持って来たのはこの為です。
天井から下がるフランス製のシャンデリアは、迎賓館で一番大きいって言ってたかな?1トン以上あるそうですよ?

今回公開されてる最後の部屋は羽衣の間です。
羽衣の間の名前は、謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300平方メートルの曲面画法による大絵画が、天井に描かれていることに由来します。
3基のシャンデリアは当館で最も豪華なもので、およそ7000個もの部品で組み立てられており、高さは約3メートル、重さは約800キロ。壁は楽器、楽譜等をあしらった石膏の浮き彫りで飾られている。また、正面の中二階はオーケストラ・ボックスがあり、かつて、この部屋が舞踏会場として設計されたことが偲ばれる。

この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、レセプションや会議場等として使用されており、また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒が供されるところでもある。
参観者は胸にワッペンをつけてます。その模様は迎賓館の紋章、「五七の桐」。

花鳥の間にはテーブルの上に五七の桐の紋章が入った食器が並べてありました。
さて、館内撮影禁止なのでさくっとした説明で終り。
記事の中の説明文はほぼパンフレットから抜粋しましたが、足らずの画像はこちらから引用しました。

入口で売店が出ていたのだ。館内撮影禁止の不満は本で解消。上記の本は1冊1000円でしたが、他に1冊400円のもありました。
さて、次は庭園紹介。迎賓館の敷地面積のおよそ7割が庭園となってます。一般公開されたのはその一部ですが、普段に見えない場所が見えるのは嬉しいよね


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迎賓館本館内晩餐の間って

2010年09月17日 04時12分37秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
念願の迎賓館本館参観ですが、撮影禁止です。
なので、もらったパンフレットで紹介。
トップ画像は2階の彩鸞の間です。
「彩鸞の間」という名前は、左右の大きな鏡の上と、ねずみ色の大理石で作られた暖炉の両脇に「鸞」と呼ばれる架空の撮りをデザインした金色の浮き彫りがあることに由来する。
白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮き彫りで装飾され、10枚の鏡が部屋を広く見せている。
この部屋は表敬訪問のために訪れた来客が最初に案内される間として使用されたり、晩餐会の招待客が国・公賓に謁見したり、条約・協定の調印式や国・公賓とのテレビ・インタビュー等に使用されている。

参観者は各部屋ごとにいる職員の話を聞きながら進みます。

部屋のレリーフのモチーフは天馬・甲冑・獅子・矢など軍隊をイメージさせるものと、スフィンクスやホルンなどもあります。
上の画像は石膏に金箔を貼って仕上げてます。甲冑といっても日本の鎧じゃんこれ~。なんか笑える。

次の間は「花鳥の間」です。

「花鳥の間」という名前は、天井に描かれた36枚の絵や、欄間に貼られたコブラン織風綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝に、花や鳥が描かれていることに由来する。
周囲の腰壁は茶褐色のシオジ材で板張りしてあり、その壁の中段を飾るのが七宝である。下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼の天才清川そう助が焼いたものである。
この部屋は主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂で、最大約130名の席が設けられる。

壁に30枚の七宝焼が飾られてます。上の画像は「ちゃぼ」。5月に秋篠宮一家が訪れた際悠仁様が「ちゃぼはどこですか?」とお尋ねになられたというエピソードを伺いました。お父様から話を聞いて見るの楽しみにしてたんですって。

食堂ですが、ここで料理を作っている訳ではありません。どこから運んでくるのか?
上の画像ではわかりにくいのですが、画像奥中央の食器棚、その右手に入口があってそこから配膳係が出入りするんだそうで。
旅先でいくつか宮殿を見ましたが、日本の迎賓館の食堂は、木材が目立ってます。私は落ち着いていいと思いましたが、来賓はどういう感想なんだろうなあ~。
工夫が隅々まで施されている部屋ですが、シャンデリアにも一工夫。格調高い部屋に無粋なスピーカーはつけらせません。でもメガホンはふさわしくない。実はシャンデリアにスピーカーが隠されてるんですよ。訪れた時、シャンデリアにライトは入ってなかったので、説明を聞きながらまじまじとスピーカーを探しちゃいました。
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赤坂迎賓館参観

2010年09月16日 04時59分32秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
日本の国賓を迎える場所、赤坂迎賓館。一般公開されてます。
でも公開が再開されたのは、去年。知った時には既に申し込み期間が終ってて、今年こそ~と宮内庁のホームページをチェックしたましたら、5月の中旬過ぎに参観募集が始まったのです。
申し込みましたが参観希望日は落選しました。ですが予備日に当選しました。
『参観日:7月27日(水曜)、8月4日(水曜)、8月5日(木曜)のいずれか1日』とあります。
これではダンナが行けない~
でも一生に一度かもしれない迎賓館へ入れるならば、ダンナは有給を使う覚悟でギリギリまで待ったのですが、やはり無理…。
無念のダンナを見送って、私は8月5日に一人で迎賓館へ出かけました。

あ、思い出しました?
ブログを毎日チェックして下さってる方は「あれ?」と思われたかも。迎賓館には去年の秋来てるんですよ。
迎賓館へ(2009年12月11日)の記事
でもあの時は前庭にしか入れなかったんだよ~。でも今回は建物にも入れるんだなっ

JR四ッ谷駅から徒歩数分、前回迎賓館に入る行列に並んだ場所に到着しました。
「人がいない…」

入口は門が閉まってます。でもうっすら遠くに歩いている一般庶民の姿を発見!
参観ハガキを確認すると『受付場所:迎賓館西門』とあります。
てくてく移動すると、案内人発見!
受付で手荷物検査。大きな荷物を持ってる人は無料コインロッカーに預けるんですけど、私は肩掛けショルダー一つなんでそのまま進みます。





進んでいくと、入口が見えてきた。

順路は本館もしくは庭。
取りあえず本館を先。

入口はトップ画像の建物右より。格式の高い正面玄関からは一般庶民は入れません!
た~の~し~み~~




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