昨日の記事を書くにあたり、古い切手の画像も欲しいと思ったものの、どこにしまったのかを思い出せなくて。記憶力がどんどん落ちてると実感した。
で〜。古切手を探してて見つけたものが今日の記事の画像です。
まずはトップ画像。義母が「処分」と分別した小さなプラケースにごそっと入れてあったのは、赤い羽のバッジです。
赤い羽といえば共同募金ですね。
webによりますと、赤い羽共同募金が始まったのは、昭和22年のこと。戦争により住まいを焼かれたり、親を無くした孤児たちの支援をしようと、共同募金が始まったそうです。
昭和30年代に入ると、民間の社会福祉施設の建物の増改築や、生活に困っている人への支援にシフト。
昭和40年代に入ると、子供の遊び場の整備へ。手話研修やボランティア活動の活性化に役立てるようになる。
昭和50年代になると、小規模作業所への支援。働く女性の増加に伴い保育所が急激に増え支援額も増える。一人暮らしの老人や給食サービスもスタート。
昭和60年代になると、障害スポーツや障害者の社会参加にも支援。デイサービスなどの地域の高齢者が参加する活動への支援も行われる。
平成初期。在宅福祉。施設福祉サービスを。平成7年の阪神淡路大震災を契機にボランティア団体や非営利団体への支援開始。
現在、孤独死、自殺、引きこもり、虐待など変化するニーズへの支援も始まる。
とありました。そういえば、小学校の時は、係が回ってきて10円出せば赤い羽をもらってたなあ。神奈川在住時は赤い羽共同募金を子供らが小田急相模原駅前で募る姿は風物詩的に見かけてましたが。
でもさ。なぜに義母は赤い羽でなくバッジを保管してたのだろう?数字はそのバッジをもらった年だと思うけどさ。謎。
スワローズ。ヤクルトではない。国鉄スワローズ。義父がかつて勤めていたのは国鉄でして。野球ファンでもある義父は国鉄スワローズを応援してた模様。
国鉄スワローズとは?
1949年にプロ野球の2リーグ分立に合わせて日本国有鉄道が球団を設立。
1950年にセ・リーグに加盟。
1961年に初のAクラス入り。主力の金田正一が読売ジャイアンツに移籍。経営意欲を失った国鉄は1965年途中に産経新聞に球団譲渡。サンケイスワローズとした。
球団のスワローズの由来。
国鉄東海道線を走った特急つばめ号から。車両の由来であるツバメの英単語「Swallow」より。
つばめ号が、球団設立時点で国内で最も早い鉄道とされていた。つばめ号やツバメのように飛ぶ速さのある勢いのある球団になるようにとの願いから採用。
NF BREAKER というのは、三菱電機の何からしい。裏に刻印してありました。なぜこれが我が家にあったのかもう謎。おそらく義父の残した品だと思うけども。
ヤマハのライター。箱に入ってた。おそらく義父は昔タバコを吸ってたと聞いたので、義父のものだと思います。この形なので多分ZIPPOのライターだと思う。
取り敢えず、捨てるに忍びなくて咄嗟にとりわけたあれこればかりです。既に由来もわからん。