あられの日記

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ミッション3「古いアルバムを100歳超えたおばさんに渡して欲しい」

2023年01月18日 05時15分40秒 | 雑記
あ〜!!めんどうな!!「ミッション1 私の古いひな祭りの写真を探せ」に続き「ミッション2 私の遺影写真をを探せ」が終わったと思ったら、まさかのミッション3があるなんて!しかもですね。今回は我が家に留まる話じゃなかったんですよね。親戚を巻き込んで大騒動になりました。知らぬはミッションを発動した義母だけという〜。
まずは該当するアルバム探しから。ミッション1の時に白黒写真のアルバムが数冊ありまして。その中に当たりがあると思うのですが。該当するアルバムというのが、義母のいう100歳超えのおばさんのものらしい。なぜそのアルバムが我が家に残ってるか?というと、時代の倣いと戦争の悲劇が原因かなあ?
そもそも100歳超えのおばさんという方と面識はあります。が、私がこの家に嫁に来た時は既に該当する方はおばあさんでした。昭和の始めに娘時代を迎えてたおばさんを判別するって出来ると思う?おばさんの娘時代を私は見たことない。しかも昭和9年生まれの義母の写真も白黒。アルバムを見ても、義母だかおばさんだか判別出来ない!
困った私はお隣のおばさんを白黒アルバム抱えて頼りました。
「実は義母が『100歳超えのおばさんのアルバムがうちにあるから、おばさんに渡して欲しい』と言っておりまして〜と切り出したところ。実は実は100歳超えのおばさんというのが、そもそもお隣のおばさんのダンナさんの腹違いの姉だったというのが判明しまして。え〜、これ以上は個人情報が入り乱れて大混乱する事になるで詳しくは書けないのですが。ええ。本当に。昔の人の血のつながりって一体どうなっているのか!横溝正史も真っ青でしたよ。
でも数冊の白黒アルバムの中から該当するアルバムを特定。トップ画像が貼ってあったアルバムで大当たりでした。トップ画像はアルバムを渡す前に興味深い写真だったので撮影したものです。昭和の戦争前の時代の小学校の写真。
さて。100歳超えのおばさんの現状を教えてもらいまして。
おばさんは現在娘の住む場所へ引っ越してる。
おばさんは元気だけど、もう自分で我が家に取りには来れないだろう。娘さんの家族がおじさんちに来る用事があるから、その時に渡してあげよう。と言われ、ありがたくおばさんのアルバムを渡しました。
で。まさかのお隣まで巻き込む事態になり恐縮し、それでもミッション終了となり一安心したのですが。続きのミッションがありました。
「アルバムはお隣におばさんの家族が来るので頼みました」と義母に知らせたところ「100歳超えのおばさんは元気なんやな。京都から取りに来るなら、うちでダンナさんの位牌を預かってるから渡して欲しい」と来たもんだ!
な、ななななな何だってぇ〜!!
もしや、私毎月1日にお花を供えてる軍人墓地の一柱の方のこと??なんで我が家にそんな位牌があるのよ!
最終ミッションは、お隣のおばさん家だけでなく、100歳超えのおばさん宅まで巻き込んでの大騒ぎに発展したのですよ。これこそ個人情報満載で書けることが少ないのですが。もうね。なぜ100歳超えのおばさんと、昭和9年生まれの介護施設に入ってる義母と令和3年に92歳で永眠した義父の間で話を終わらせておかなかったのか!と。残った親戚一同が心の底から叫んだよ。隣のおばさんなんか、わざわざ別の家の一族の奥さんに相談しに足を運んだそうだし。義父が亡くなった時に相続する時に我が家の昔の戸籍が必要だったとかで、ダンナが書類を出してきたのですが。これがもう〜!昔の書類は間違いだらけでした〜。続くのか?



無理!
最終ミッションで別立てに記事を書くか迷ったのですが、私のことなら書いても自己責任ですが、他人の個人情報をバカスカ披露出来ない。しかもヤバめのばかりだし。横溝正史が裸足で逃げそうな複雑〜な話がいっぱいあったわ。
かろうじてセーフかな?と思ったのが、我が家の昔の戸籍の間違い。探してた戦死した大叔父さんの父の名前が、曽祖父でなく本人と数歳違いの兄になってた。それを確定させるにも時間がかかるという。戦後は遠くなりにけり〜。
あとですね。なぜに我が家が100歳超えのおばさんの戦死したダンナさんの位牌を預かったのか?といえば、若くしてダンナを戦争で亡くした女性が、一人で子供を育てて生きるのはよくないという時代の倣いから、再婚することになり、再婚するのに前の夫の位牌を持っていくことは出来ずにうちが預かったらしいです。
ただ、その時に、またその後にどういう取り決めをしたのかわかる当事者がいない。義父が生存してたらよかったのにね。当事者たちは面倒だからと後回しにしといたのでしょうが。経緯を1から調べることから始めた私とダンナの本音は本当に勘弁して欲しかったです。あ〜言えない〜。情報を伏せたまま書くにはこれが限界だ。戦争はしちゃいかんよ。1945年に戦争は終わったのに。不幸しか残らないわ。
結論としては、最終ミッションは失敗です。私が生きてる間は位牌は引き続き我が家でお世話します。そして軍人墓地のお墓へもお花を供えさせていただきます。ツラたん。
コメント
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