あられの日記

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石垣山一夜城の二の丸周辺

2014年01月03日 06時14分43秒 | お城&御所
説明板発見:国指定史跡:石垣山一夜城
所在地 小田原市早川字梅ケ窪1383-11
指定 昭和34年5月13日
史跡石垣山は、JR早川駅の西方約2、5キロ、国道1号線から東へ約1キロのところにあります。
また小田原城までわずか3キロのところにあり、標高257メートルの本丸からは小田原城や城下の様子が一望できます。
石垣山は、もと笠懸山、松山などと呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏の本拠小田原城を水陸15万の大軍を率いて包囲したとき、その本営として総石垣の城を築いてから石垣山と呼ばれるようになりました。この城を秀吉が一夜にして築いたようにみせかけたという伝承から、石垣山一夜城とか太閤一夜城などとも言われています
秀吉は、この城に滞在していた100日余りの間に天皇の勅使を迎えたり、千利休や能役者、猿学師等を呼び寄せました。また自ら淀君などの側室も予備、参陣の諸大名にもこれにならうよう勧めたと言われています。
この城は単に小田原攻めの本営であるというだけでなく、太閤秀吉の威信を示すと共に、長期戦に備えた本格的な城構えであったといえます。
この城は関東で最初につくられた石垣の城です。
石積みは秀吉が連れてきた近江の穴太衆による野面積みといわれるもので、小田原藩の管理下におかれていた江戸時代にも、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影を大変よく残している貴重な城跡です。
この石垣山は、土地所有者の松岡氏を始め地元関係者のご厚意により昭和62年に公有地化することができ、現在歴史公園として一般に公開しています。(小田原市)
細い山道を上っていく。途中に対岸にも石積みがあるのを望む。
っと!携帯電話の撮影機能の限界です。遠目の石積みが判別出来ない~。一応画像奥には石垣が左右に伸びてるのが見えるんですが。
登っていた細い道が、やがて緩やかになり普通の山道ハイキングみたいになった!道の先にあったのがトップ画像の広場です。かつての馬屋曲輪跡(二の丸)です。
ハイキング気分でお弁当を広げている観光客もちらほらほら。
画像の右の石柱には櫓台跡と刻まれてます。
訪問は2013年11月23日だったのですが、既に赤く色づいているモミジがありました。

モミジの下に石のひょうたんのオブジェがありますね。やっぱ秀吉だからひょうたんの選択だったのかな?ひょうたんの石柱は石垣山一夜城の行き先案内になっています。城の縄張りを散策していたら、あちこちに設置してありました。
二の丸の平坦な広場の端っこにガイドさんが案内。

ガイド「あれが近年パワースポットとして人気の井戸曲輪です」
ひょえっ!!
上の画像で確認出来ますかねえ?右手の二本の木の間に人がいるんですが。こ・高低差…。
ハイ!見なかった!
ガイドさんが次に向かったのは展望台です。

入生田の長興山紹太寺が一望出来ます。紹太寺といえば、春日局の息子、稲葉一族の墓所や、有名なしだれ桜があります。

眼下を箱根登山鉄道の赤い電車がゆっくりと駆け抜けて行きます。山は秋色に染まりつつあり今日は散歩にはぴったりですね。

ガイドさん「秀吉はこの場から集まった兵士に向かって演説をしました」ってな事で、秀吉目線で画像を撮影。

ガイドさん「二の丸の下に道があるのが見えますか?」
ん?
あ。確かに左右に伸びる細道がある。
ガイドさん「かつてはあそこに兵士が並んで物見をしていました」
ここから先、本丸に登る道はまた軽い山登りの自然道。う”。落ち葉が滑る…。
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