あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

わらべ唄『通りゃんせ』の舞台

2011年07月02日 04時37分23秒 | お城&御所
川越城本丸御殿の向かいに、古い社の神社がある。
三芳野神社です。
かつて、三芳野神社は川越城の城内にあった。上の地図の右にある。
ここはわらべ唄「通りゃんせ」の舞台です。画像を撮りそびったのですが、発祥の地の石碑も建ってます。
wikiで検索。『「通りゃんせ」は江戸時代に成立したと見られるわらべうた』だそうで。
ということは、川越城が健在だった頃のこと。…え~と??お城の中に庶民は参拝とはいえ気軽に入れたんだろうか??少し疑問が残りますなあ。この疑問の答えがwikiにあった。
三芳野神社は川越城の城内にあることから一般の参詣ができなくなったのだが、信仰が篤いことから時間を区切って参詣することが認められた。
しかし、この天神さまにお参りするには川越城の南大手より入り、田郭門を通り。富士見櫓を左手に見、さらに天神門をくぐり、東に向かう小道を進み、三芳野神社に直進する道をとおってお参りになければならなかった。
また、一般の参詣客に紛れて密偵が城内に入り込むことを避けるため、帰りの参詣客は警護の者によって厳しく調べられた。そのことから「行きはよいよい、帰りは怖い…」と唱われるようになり、それが伝わっていったものと思われる。」だそうですよ。
お閑な方は前出の川越城の地図で参拝ルートを辿ってみて下さい。すると通りゃんせのわらべ唄が臨場感たっぷりに脳裏に展開するやもしれん。
あ。念のため、通りゃんせの歌詞も紹介しますね。
『通りゃんせ』
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
どうぞ通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
トップ画像には雰囲気出てる画像を選んでみました。
画像ではわかりにくいけど、右手に竹林があって、訪問した5月14日はタケノコが竹に変身しかかってました。
こんな感じで。
時はお昼時。三芳野神社の境内にあるベンチでいつものお昼~。
はうっ!画像がないっ!!な、なんでやっ!
ま。いつものあんぱんとお茶なので画像がないからって嘆く程じゃないか。
ベンチに腰かけて拝殿を撮影。
あれ?奥の石碑に何か貼紙してある??何って書いてあるんだろう…。
げっ!?
「地震の時は石碑、墓石、鳥居から離れて下さい。倒壊する恐れがあります」
………。時節柄仕方ないよね。コレ。テレビでは全く報道ないけど、実際に鳥居が壊れた神社もあるしな。
昨今しゃれにならんので、揺れたら気をつけよう!
さて。
三芳野神社の拝殿は変ってて、神社仏閣の建物好きの皆さんへお薦めの物件です。
朱色は古ぼけてるけど、この戸がいいよねなんか源氏っぽい
看板はあったけど、画像撮影をしそびったので、神社の由来はいつものwikiで。
「川越城築城以前から当地にあったが、川越城築城より場内の天神曲輪に位置することとなった。
創建:大同2年(807)
主祭神:スサノオの尊。奇稲田姫命。
現存する社殿は、寛永元年(1624)川越城主酒井忠勝が3代将軍徳川家光の命を受けて造営したもので、鈴木近江守長次によって再興された。翌寛永2年には、天海大僧正を導師として遷宮式が行われた。これ以後、喜多院、仙波東照宮とともに江戸幕府の直営社となった。
寛永3年(1626)には徳川家光の侍講林羅山がこの地で嫡男叔勝の病気平癒を祈願した。
明暦2年(1656)には、4代将軍徳川家綱の命を受けた川越城主松平信綱により大改造が行われ、施工には木原義久があたった。この大改造の時に江戸城二の丸の東照宮本殿を移築し当本殿とし、寛永に建てられた拝殿との間に幣殿を新しく設け、権現造りの携帯とした。」
凄い…。
何が凄いって、神社の歴史を簡単に省略して掲載しようとしたけど、歴史のビッグネームが次々と登場して結局wikiの全文掲載しちゃったよ~。
画像は拝殿しか撮ってないけど、この後ろにあった本殿は江戸城の二の丸から移築されてたのか~。もっとちゃんと見とけばよかった~。少し悔しいなあ。
ちなみに。
現在の三芳野神社には社務所はありません。絵馬等は神社に隣接する食堂が取り扱ってます。
江戸時代は幕府と川越藩のお殿様から厚く庇護されていたのでしょが、明治維新になると没落しちゃったんでしょうねえ。往時の面影はあまりないですが、歴史散歩的にはなかなかに高ポイントの神社です。
でも私のブログのカテゴリーは『お城&御所』にて公開。

2020年1月18日:補完
拝殿の隣に立ってる楠の巨木ですが、2018年末辺りから巨木探訪にハマった私は、巨木探訪のサイトを日々巡回するようになりました。
ある日、『出会った巨樹』というサイトさんに、川越三芳野神社さんのクスノキの巨樹を紹介されてました。あれ?そんなのあったっけ??私が川越の歴史巡りをしたのは2011年でした。その頃には巨木に全く興味がなく、記憶にも残ってませんでした。
ふまえて、『出会った巨樹』さんの記事を読んでましたらば、「江戸期に建立された三芳野神社は修復の時期を迎え、平成4年より第1期修復工事が竣工。平成27年(2015)より第二期修復工事を行うこととなりました。
今期の修復に当たり、社殿並びに創建当時よりの石組の排水溝が大楠の根によって持ち上げられ、旧態を止めることが困難になっていることを鑑み、関係各位と協議し、やむなく大楠を伐採することとなりました。」という説明板が掲載されてました。
念のため既出のこの記事を確認したら、伐採された大楠の在りし日の姿が写ってました。拝殿の画像の左手に写ってるのが伐採された大楠です。実は伐採されたのはこの大楠だけでなく、その後ろにもう1本あった大楠も同じ理由で伐採済みのようです。
ただし、枯死しての伐採でなかったのが幸いして、切り株からヒコバエの若い芽が出てるとあります。三芳野神社さんはこれを後々は次世代の巨樹にしたいようです。壮大な夢ですね。けどもそうなればいいとも思います。
在りし日の大楠を偶然写してたので、巨樹好きの皆さんに閲覧していただければと2020年1月に文章を追加しました。

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