9/26、英男性ロック歌手ロバート・パーマーが休暇先のパリで
心臓発作のため急死したとか。
享年54才。フランスのメディアが伝えたトコロに拠ると。
パーマーは交際相手のメアリー・アンブローズさんって女性と
一緒だったそうで。
なんか、自分のアルバムのドラムまで任せる息子が居ながら
(嫁とは離婚)、女と一緒にバカンスに出掛けて客死など。
不謹慎ながら「いかにも、セクシーなジャケットで名を成した
R・パーマーらしいな」なんて妙な感慨を覚えてしまう。
―――以下、故人のプロフィール。
本名:ロバート・アラン・パーマー
1949年1月19日、英国ウェスト・ヨークシャー州生まれ。
その後、父親の仕事の関係で英領マルタ島で育つ(幼少時の環境が
後のトロピカルフレーバー溢れる楽曲に影響ありと見るのは短絡か?)。
再び英国に戻り、当時の英国青年らしく(?)R&B系のバンドを
結成、リード・ヴォーカルを担当。
69年、ジェス・ローデンの後釜として、アラン・ボウン・セットに
参加。プロの道を歩む。
71年、エルキー・ブルックスと一緒に、ヴィネガー・ジョーを結成。
男女ツイン・ヴォーカルで、それなりの人気を獲得するも、
3枚アルバムを発表後に解散(私ゃ、ブルックスの大仰なシャウトは
苦手・・・)。
74年、ヴィネガー・ジョー時代からの契約レーベルであるアイランドから
「スニーキン・サリー・スルー・ジ・アリー」(ローウェル・
ジョージ、ミーターズ参加)でソロデビュー。
活動拠点を米国に移し。85年、アルバム「リップタイド」を発表。
シングル「恋におぼれて」が、全米1位に輝きブレイク。
同年、デュラン・デュランやシックのメンバーと「パワー・ステーション」を結成。
アルバムはトップテン・ヒット。
シングルの「ゲット・イット・オン」(Tレックスのカヴァー)も
FMラジオのヘヴィーローテーションとなった。
しかし、パーマーはこの後のツアー参加を拒否、再びソロへ
(バンドで出て来てもアダルト・スーツだもんなぁ・・・。ちなみに
後釜ヴォーカリストは元シルヴァー・ヘッドの人だったような)。
87年には、グラミー賞ロック部門で最優秀男性ヴォーカルに選ばれ、
キャリアのピークを向える。
88年にEMIに移籍、「へヴィ・ノヴァ」を発表。
グラマラスな女性をはべらしたビデオ・クリップも話題となる。
89年には、2度目のグラミー賞受賞。
翌年にはローリング・ストーン誌の読者投票で、ロック部門ベスト・
ドレッサーに選出され、知名度を定着させた。
その後はマーヴィン・ゲイやロバート・ジョンソンのトリュビートに
参加するなど原点回帰の方向へ。
96年、青天の霹靂的にパワー・ステーションを短期間ながら再結成。
アルバムも発表し、何とツアーにも参加。来日を果たしている。
―――正直、ブレンダー誌の「ロック・ミュージシャン最低ランク」に
ノミネートされてもOKなぐらいの「ナオンはべらせ系ビデオクリップ」を量産、
アルバムジャケットも「海辺のホテルのバルコニーに裸の女の後姿。
手前にタバコを持ったR・パーマー」みたいな写真を使い。
ソウルフルな喉もってるのに軽いトロピカル風味な曲を
歌ったり、ストイックな印象ゼロのパーマーさん。
今回、同伴していた女性は19才年下だそうで。
「フランスに同伴旅行」→「心臓発作」→「腹上死」なんて連想を
不謹慎ながらしてしまうオレって俗人?
でも、そうであって欲しい。
プレイボーイ・パーマーが真っ当な心臓発作で苦しんで亡くなるなんて
寂しいじゃないか!?
【9/26の試合結果】
◆後楽園ホール
東日本新人王準決勝4R
○MM級関根一哉 判定 加藤和之
○LF級依田有矢 引分 下遠彰博(依田選手の勝者扱い)
○F級山中 力 判定 山元康隆
○SF級江原 淳 判定 大嶽正史
○B級下田昭文 KO3R 刈込文宏
○SB級中村幸之進 KO2R 松本 良
○Fe級佐々木 裕 判定 桜井敦史
○SFe級会田 篤 不戦勝 木村智仁
○L級小林正典 判定 藤野大作
○SL級清田広大 KO3R 茂木 修
○W級池田好治 TKO2R 中村彰孝
○SW級新井雅人 KO1R 湊 紅虎
○M級清田祐三 KO1R 奈良好晃
【大阪市中央体育館】
○10Rレブ・サンティリャン(比) TKO8R 山本 大五郎
○10R石田順裕 判定 大東 旭
・・・石田選手のアウトボクシングが上回った模様。
採点は96-94、97-94、99-91のユナニマス。
○10R辰吉丈一郎 判定 フリオ・セサール・アビラ
心臓発作のため急死したとか。
享年54才。フランスのメディアが伝えたトコロに拠ると。
パーマーは交際相手のメアリー・アンブローズさんって女性と
一緒だったそうで。
なんか、自分のアルバムのドラムまで任せる息子が居ながら
(嫁とは離婚)、女と一緒にバカンスに出掛けて客死など。
不謹慎ながら「いかにも、セクシーなジャケットで名を成した
R・パーマーらしいな」なんて妙な感慨を覚えてしまう。
―――以下、故人のプロフィール。
本名:ロバート・アラン・パーマー
1949年1月19日、英国ウェスト・ヨークシャー州生まれ。
その後、父親の仕事の関係で英領マルタ島で育つ(幼少時の環境が
後のトロピカルフレーバー溢れる楽曲に影響ありと見るのは短絡か?)。
再び英国に戻り、当時の英国青年らしく(?)R&B系のバンドを
結成、リード・ヴォーカルを担当。
69年、ジェス・ローデンの後釜として、アラン・ボウン・セットに
参加。プロの道を歩む。
71年、エルキー・ブルックスと一緒に、ヴィネガー・ジョーを結成。
男女ツイン・ヴォーカルで、それなりの人気を獲得するも、
3枚アルバムを発表後に解散(私ゃ、ブルックスの大仰なシャウトは
苦手・・・)。
74年、ヴィネガー・ジョー時代からの契約レーベルであるアイランドから
「スニーキン・サリー・スルー・ジ・アリー」(ローウェル・
ジョージ、ミーターズ参加)でソロデビュー。
活動拠点を米国に移し。85年、アルバム「リップタイド」を発表。
シングル「恋におぼれて」が、全米1位に輝きブレイク。
同年、デュラン・デュランやシックのメンバーと「パワー・ステーション」を結成。
アルバムはトップテン・ヒット。
シングルの「ゲット・イット・オン」(Tレックスのカヴァー)も
FMラジオのヘヴィーローテーションとなった。
しかし、パーマーはこの後のツアー参加を拒否、再びソロへ
(バンドで出て来てもアダルト・スーツだもんなぁ・・・。ちなみに
後釜ヴォーカリストは元シルヴァー・ヘッドの人だったような)。
87年には、グラミー賞ロック部門で最優秀男性ヴォーカルに選ばれ、
キャリアのピークを向える。
88年にEMIに移籍、「へヴィ・ノヴァ」を発表。
グラマラスな女性をはべらしたビデオ・クリップも話題となる。
89年には、2度目のグラミー賞受賞。
翌年にはローリング・ストーン誌の読者投票で、ロック部門ベスト・
ドレッサーに選出され、知名度を定着させた。
その後はマーヴィン・ゲイやロバート・ジョンソンのトリュビートに
参加するなど原点回帰の方向へ。
96年、青天の霹靂的にパワー・ステーションを短期間ながら再結成。
アルバムも発表し、何とツアーにも参加。来日を果たしている。
―――正直、ブレンダー誌の「ロック・ミュージシャン最低ランク」に
ノミネートされてもOKなぐらいの「ナオンはべらせ系ビデオクリップ」を量産、
アルバムジャケットも「海辺のホテルのバルコニーに裸の女の後姿。
手前にタバコを持ったR・パーマー」みたいな写真を使い。
ソウルフルな喉もってるのに軽いトロピカル風味な曲を
歌ったり、ストイックな印象ゼロのパーマーさん。
今回、同伴していた女性は19才年下だそうで。
「フランスに同伴旅行」→「心臓発作」→「腹上死」なんて連想を
不謹慎ながらしてしまうオレって俗人?
でも、そうであって欲しい。
プレイボーイ・パーマーが真っ当な心臓発作で苦しんで亡くなるなんて
寂しいじゃないか!?
【9/26の試合結果】
◆後楽園ホール
東日本新人王準決勝4R
○MM級関根一哉 判定 加藤和之
○LF級依田有矢 引分 下遠彰博(依田選手の勝者扱い)
○F級山中 力 判定 山元康隆
○SF級江原 淳 判定 大嶽正史
○B級下田昭文 KO3R 刈込文宏
○SB級中村幸之進 KO2R 松本 良
○Fe級佐々木 裕 判定 桜井敦史
○SFe級会田 篤 不戦勝 木村智仁
○L級小林正典 判定 藤野大作
○SL級清田広大 KO3R 茂木 修
○W級池田好治 TKO2R 中村彰孝
○SW級新井雅人 KO1R 湊 紅虎
○M級清田祐三 KO1R 奈良好晃
【大阪市中央体育館】
○10Rレブ・サンティリャン(比) TKO8R 山本 大五郎
○10R石田順裕 判定 大東 旭
・・・石田選手のアウトボクシングが上回った模様。
採点は96-94、97-94、99-91のユナニマス。
○10R辰吉丈一郎 判定 フリオ・セサール・アビラ
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