レイジング・ブル(怒れる猛牛)の異名で知られたジェイク・ラモッタが
2017年9月19日に亡くなった。
享年95。
あのシュガー・レイ・ロビンソンと6度対戦し、滅多打ちに遭った事を
考えると(不謹慎かもしれないが)奇跡的な長寿とも言える。
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ジェイク・ラモッタが活躍したミドル級は、いつの時代も花形階級。
しかも1940~50年代は、ロッキー・グラジアノ、トニー・ゼール、
マルセル・セルダン、S・R・ロビンソンら人気選手の宝庫。
そんな中、持ち前のタフネスとスタミナ、猛ラッシュで激しく戦い
抜いたラモッタの存在は異彩を放ったと言われている。
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本名:ジアコーベ・ラモッタ
1922年7月10日、米NY州ブロンクスにて、イタリア人の父とユダヤ人の
母の元で生まれる。
スラムで育ったラモッタを喧嘩の日々から救ったのは、御多分に漏れず
ボクシング。
中量級としては身長173cm、リーチ170cmは短躯に当たるが、それでも
右利きのファイターとして頭角を現す。
ボディワークが上手いとか、出入りの足が巧妙だったとか、ゴムマリ
みたいに戦ったとか、そういうタイプではない。
機を見ては突進し、乱打を上下にブチ込むスタイルだった。
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生涯戦績は、106戦83勝30KO19敗4引分。
最大の勝利は、ボクシング史上もっとも偉大な選手と言われる、
シュガー・レイ・ロビンソンの連勝を中断させた判定試合。
40連勝中のロビンソンはラモッタに唯一の敗戦を擦り付けられたあと
再戦での勝利を含め、92連勝!
ウェルターとミドルで2階級制覇を達成し無敵の快進撃を遂げた。
一勝の価値はボクシング史に残る程なのだ。
ラモッタ自身も人気選手マルセル・セルダン(仏)から世界ミドル級
王座を奪取。頂点に立った。
しかし彼に挑んで来たのは1階級下のウェルター級王者となった、
シュガー・レイ・ロビンソン。
パンチがあって、勘が良くて、スピードもあって、しかもタフ。
弱点は天才にありがちな「気まぐれ」だけ。
しかし、この日のシュガー・レイは気が入っていた。
さすがのラモッタも相手強打を浴び続け、それでも天才をロープに
詰めて乱打したが、ロビンソンも耐えた。
13ラウンドには滅多打ちを食らい、それでも倒れない王者を見て
危険と判断したレフェリーがストップした。
今ではありえない、凄惨な試合。
敗れたとはいえ戦い抜いたラモッタは賞賛されたという。
※クラシック・ファイトの白黒映像で見れますが、「まだ止め
ないのかよ!?」と驚愕する程です。そういう時代だけど。
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ロビンソンとの6度目の対戦で敗れ、王座陥落した後のジェイク
・ラモッタは精彩を欠き、黒星を増やして引退。
それでもナイトクラブを経営し、悠々自適の余生を送ったが、
現役時代の八百長が発覚したりしてスキャンダラスな存在と
して名前を売る事になってしまった。
※世界挑戦のチャンスが欲しくて星を売ったとも言われる。
なお、シュガーレイはウェルター王者時代に欧州を転戦
しているが、これは暗黒街の意向を汲まなかったため、
ギャングの報復から逃れるのが目的だったとも言われる。
タフな時代を生きたラモッタ、その波乱万丈の生涯を自伝と
して記し、ヒットさせたりもした。
※ボクサーとしても「名誉の殿堂入り」を果たした。
アメリカの拳闘界は心が広いねぇ・・・
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そして彼の自伝は映画化された。80年代を代表する名作と
言われる「レイジング・ブル」である。
公開日:1980年(昭和55年)上映時間:128分 白黒
監督:マーティン・スコセッシ
主役:ロバート・デ・ニーロ
ラモッタは、強情で自分の意志を曲げない性分の持ち主で、
さらに猜疑心が異常に強く描かれ、それが仇となって身を
滅ぼすストーリーとなっている。
「ディアハンター」のデニーロと、ショーン・ペンが競演、兄弟
役として終盤まで激しい葛藤を見せる。
デニーロが役作りのため体重を30キロ近くも増減させた事は有名。
それはデニーロの代名詞と言われるようにもなった。
ボクシング・シーンの迫力も素晴らしく、ラモッタ氏本人が
お墨付きを与える程。
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細いロープ、古い型の「EVERLAST」グラブ・・・当時を再現する細部の
拘りも見事。
宣材写真もボクシング誌から切り取ったか如し・・・だ!
デニーロは役作りと演技が認められ、第53回アカデミー主演男優賞を
始め、アメリカ国内の映画賞を多数獲得している。
もっとも正直言って、主人公の性格に問題あり過ぎ、終盤は救いの
ない話で、最初に見た時は「これのどこが名作なんだ?」と驚いたが。
引退後に膨れ上がった腹をガハハと笑いながら叩くラモッタ(デ・
ニーロ)の姿は清々しく、ある意味中途半端なハッピーエンドより
よっぽど魅力的だ。
そして米国映画の名作に不可欠な「アメリカその物を描く」視点。
1940年代~50年代を切り取った姿勢は評価の対象として納得がいく。
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その時代を、まさに体現したジェイク・ラモッタ。
米フロリダ州マイアミの老人ホームで亡くなった、偉大な元世界王者。
―― レイジング・ブルよ、永遠に。
2017年9月19日に亡くなった。
享年95。
あのシュガー・レイ・ロビンソンと6度対戦し、滅多打ちに遭った事を
考えると(不謹慎かもしれないが)奇跡的な長寿とも言える。
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ジェイク・ラモッタが活躍したミドル級は、いつの時代も花形階級。
しかも1940~50年代は、ロッキー・グラジアノ、トニー・ゼール、
マルセル・セルダン、S・R・ロビンソンら人気選手の宝庫。
そんな中、持ち前のタフネスとスタミナ、猛ラッシュで激しく戦い
抜いたラモッタの存在は異彩を放ったと言われている。
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本名:ジアコーベ・ラモッタ
1922年7月10日、米NY州ブロンクスにて、イタリア人の父とユダヤ人の
母の元で生まれる。
スラムで育ったラモッタを喧嘩の日々から救ったのは、御多分に漏れず
ボクシング。
中量級としては身長173cm、リーチ170cmは短躯に当たるが、それでも
右利きのファイターとして頭角を現す。
ボディワークが上手いとか、出入りの足が巧妙だったとか、ゴムマリ
みたいに戦ったとか、そういうタイプではない。
機を見ては突進し、乱打を上下にブチ込むスタイルだった。
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生涯戦績は、106戦83勝30KO19敗4引分。
最大の勝利は、ボクシング史上もっとも偉大な選手と言われる、
シュガー・レイ・ロビンソンの連勝を中断させた判定試合。
40連勝中のロビンソンはラモッタに唯一の敗戦を擦り付けられたあと
再戦での勝利を含め、92連勝!
ウェルターとミドルで2階級制覇を達成し無敵の快進撃を遂げた。
一勝の価値はボクシング史に残る程なのだ。
ラモッタ自身も人気選手マルセル・セルダン(仏)から世界ミドル級
王座を奪取。頂点に立った。
しかし彼に挑んで来たのは1階級下のウェルター級王者となった、
シュガー・レイ・ロビンソン。
パンチがあって、勘が良くて、スピードもあって、しかもタフ。
弱点は天才にありがちな「気まぐれ」だけ。
しかし、この日のシュガー・レイは気が入っていた。
さすがのラモッタも相手強打を浴び続け、それでも天才をロープに
詰めて乱打したが、ロビンソンも耐えた。
13ラウンドには滅多打ちを食らい、それでも倒れない王者を見て
危険と判断したレフェリーがストップした。
今ではありえない、凄惨な試合。
敗れたとはいえ戦い抜いたラモッタは賞賛されたという。
※クラシック・ファイトの白黒映像で見れますが、「まだ止め
ないのかよ!?」と驚愕する程です。そういう時代だけど。
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ロビンソンとの6度目の対戦で敗れ、王座陥落した後のジェイク
・ラモッタは精彩を欠き、黒星を増やして引退。
それでもナイトクラブを経営し、悠々自適の余生を送ったが、
現役時代の八百長が発覚したりしてスキャンダラスな存在と
して名前を売る事になってしまった。
※世界挑戦のチャンスが欲しくて星を売ったとも言われる。
なお、シュガーレイはウェルター王者時代に欧州を転戦
しているが、これは暗黒街の意向を汲まなかったため、
ギャングの報復から逃れるのが目的だったとも言われる。
タフな時代を生きたラモッタ、その波乱万丈の生涯を自伝と
して記し、ヒットさせたりもした。
※ボクサーとしても「名誉の殿堂入り」を果たした。
アメリカの拳闘界は心が広いねぇ・・・
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そして彼の自伝は映画化された。80年代を代表する名作と
言われる「レイジング・ブル」である。
公開日:1980年(昭和55年)上映時間:128分 白黒
監督:マーティン・スコセッシ
主役:ロバート・デ・ニーロ
ラモッタは、強情で自分の意志を曲げない性分の持ち主で、
さらに猜疑心が異常に強く描かれ、それが仇となって身を
滅ぼすストーリーとなっている。
「ディアハンター」のデニーロと、ショーン・ペンが競演、兄弟
役として終盤まで激しい葛藤を見せる。
デニーロが役作りのため体重を30キロ近くも増減させた事は有名。
それはデニーロの代名詞と言われるようにもなった。
ボクシング・シーンの迫力も素晴らしく、ラモッタ氏本人が
お墨付きを与える程。
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細いロープ、古い型の「EVERLAST」グラブ・・・当時を再現する細部の
拘りも見事。
宣材写真もボクシング誌から切り取ったか如し・・・だ!
デニーロは役作りと演技が認められ、第53回アカデミー主演男優賞を
始め、アメリカ国内の映画賞を多数獲得している。
もっとも正直言って、主人公の性格に問題あり過ぎ、終盤は救いの
ない話で、最初に見た時は「これのどこが名作なんだ?」と驚いたが。
引退後に膨れ上がった腹をガハハと笑いながら叩くラモッタ(デ・
ニーロ)の姿は清々しく、ある意味中途半端なハッピーエンドより
よっぽど魅力的だ。
そして米国映画の名作に不可欠な「アメリカその物を描く」視点。
1940年代~50年代を切り取った姿勢は評価の対象として納得がいく。
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その時代を、まさに体現したジェイク・ラモッタ。
米フロリダ州マイアミの老人ホームで亡くなった、偉大な元世界王者。
―― レイジング・ブルよ、永遠に。
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