なんという事だ!!
グレン・フライまで!
しかも、まだ67歳じゃないかよ!!
1月18日、イーグルスの創設メンバーにして、シンガーで
作曲家、ギタリストのグレン・フライがニューヨークで
亡くなった。
発表はバンドの公式サイトにて。
原因は関節リウマチと急性の潰瘍性大腸炎、肺炎の合併症。
腸の疾患を抱えていたグレンは、昨年11月に手術も受け、
「長期の療養が必用」としてイーグルスの活動は停止されて
いたとの事。
「ホテル・カリフォルニア」の驚異的ヒット、同時期に
発売されたベスト・アルバムも相乗効果で売れまくり、
結果的にイーグルスは、アルバムとシングルの売り上げ合計が
1億枚を超える怪物バンドになった。
グラミー賞を6回受賞し、最も成功した70年代グループとも
言われた。
しかし、捨て曲なしの怪物アルバムを出したプレッシャーで
次回作は遅れ、そのあげくバンドは解散。
それぞれソロに転向したフライとドン・ヘンリーが競うように
シングルヒットを発表。
80年代に妥協したような曲調や、長髪をバッサリ切った彼らの
「変節」に寂しい思いもさせられたもんです。
「ユー・ビロング・トゥー・ザ・シティ」なんて、サックスが
むせび泣くアーバン・ポップだもんなぁ・・・。
※いや、何だかんだ言って好きなんですがね
しかし、あのムサ苦しかったイーグルスのメンバーが随分と
イメチェンされたもんだ・・・と。
※「ならずもの」のジャケです
※その頃のフライさんです。
目の周りが真っ暗な写真もあって「何なんだ!」と思い
ましたが、異常に彫りが深いために影になっていたのでした。
イーグルスの代表曲はヘンリーのハスキーでハイトーンな
声で歌われるものが多かったですが、フライの甘い中域声を
好むファンも多かったですよね。
私も両方好きなクチで、「ニュー・キッド・イン・タウン」
なんて当時すごく愛聴しておりました。
再結成を望む声も多いなか、トップ2は「絶対に有り得ない」と
頑なに拒否していたのですが。
しかし、1994年に突如として再結成。
変則アルバム「ヘル・フリーゼズ・オーヴァー」と、それに
関連するツアーは大ヒットを記録。
2011年3月1日から6日にかけ、5度目の来日を果たし、ドーム
ツアーを成功させた。
ちなみに、この数日後に東日本大震災が発生。
実は3/5観に行った私は、例によってダラダラと日記を書いて
いるうちに地震の影響で それどころじゃなくなってしまい、
イーグルス2011年東京ドームの感想は中断してしまったのだ。
※震災当日から暫く分の日付けは後から書き足したもの・・・
J・ウォルシュの「ウォーク・アウェイ」も聴けた。
「ホテル・カリフォルニア」も聴けた。
なんと、「ユー・ビロング・トゥー・サ・シティ」も!
ブルーグラス調の曲も、コーラスだけの「Seven Bridges Road」も、
カントリー調の曲も、すこしファンク・ディスコ入った曲も、
ハードロック調の曲も・・・あらゆる曲が詰まったショウだった。
まるでイーグルスの歴史を披露してくれたような、そして60年代
からの米国(白人層)のポピュラー音楽を網羅したかのような、
それらを東京ドームに提示してくれたような、そんな風にさえ
受け取れた、凄いコンサートだった。
ありがとう、グレン・フライ。
『呪われた夜』で「次はどんなアルバムが作られるんだろう?」と
ドキドキし、そして『ホテル・カリフォルニア』が来た時の衝撃、
感激・・・そして、感動。
リアルタイムで味わえた私は最高に幸せでした。
本当に、ありがとう。
天に召されたグレン・フライに祝福を・・・。
グレン・フライまで!
しかも、まだ67歳じゃないかよ!!
1月18日、イーグルスの創設メンバーにして、シンガーで
作曲家、ギタリストのグレン・フライがニューヨークで
亡くなった。
発表はバンドの公式サイトにて。
原因は関節リウマチと急性の潰瘍性大腸炎、肺炎の合併症。
腸の疾患を抱えていたグレンは、昨年11月に手術も受け、
「長期の療養が必用」としてイーグルスの活動は停止されて
いたとの事。
「ホテル・カリフォルニア」の驚異的ヒット、同時期に
発売されたベスト・アルバムも相乗効果で売れまくり、
結果的にイーグルスは、アルバムとシングルの売り上げ合計が
1億枚を超える怪物バンドになった。
グラミー賞を6回受賞し、最も成功した70年代グループとも
言われた。
しかし、捨て曲なしの怪物アルバムを出したプレッシャーで
次回作は遅れ、そのあげくバンドは解散。
それぞれソロに転向したフライとドン・ヘンリーが競うように
シングルヒットを発表。
80年代に妥協したような曲調や、長髪をバッサリ切った彼らの
「変節」に寂しい思いもさせられたもんです。
「ユー・ビロング・トゥー・ザ・シティ」なんて、サックスが
むせび泣くアーバン・ポップだもんなぁ・・・。
※いや、何だかんだ言って好きなんですがね
しかし、あのムサ苦しかったイーグルスのメンバーが随分と
イメチェンされたもんだ・・・と。
※「ならずもの」のジャケです
※その頃のフライさんです。
目の周りが真っ暗な写真もあって「何なんだ!」と思い
ましたが、異常に彫りが深いために影になっていたのでした。
イーグルスの代表曲はヘンリーのハスキーでハイトーンな
声で歌われるものが多かったですが、フライの甘い中域声を
好むファンも多かったですよね。
私も両方好きなクチで、「ニュー・キッド・イン・タウン」
なんて当時すごく愛聴しておりました。
再結成を望む声も多いなか、トップ2は「絶対に有り得ない」と
頑なに拒否していたのですが。
しかし、1994年に突如として再結成。
変則アルバム「ヘル・フリーゼズ・オーヴァー」と、それに
関連するツアーは大ヒットを記録。
2011年3月1日から6日にかけ、5度目の来日を果たし、ドーム
ツアーを成功させた。
ちなみに、この数日後に東日本大震災が発生。
実は3/5観に行った私は、例によってダラダラと日記を書いて
いるうちに地震の影響で それどころじゃなくなってしまい、
イーグルス2011年東京ドームの感想は中断してしまったのだ。
※震災当日から暫く分の日付けは後から書き足したもの・・・
J・ウォルシュの「ウォーク・アウェイ」も聴けた。
「ホテル・カリフォルニア」も聴けた。
なんと、「ユー・ビロング・トゥー・サ・シティ」も!
ブルーグラス調の曲も、コーラスだけの「Seven Bridges Road」も、
カントリー調の曲も、すこしファンク・ディスコ入った曲も、
ハードロック調の曲も・・・あらゆる曲が詰まったショウだった。
まるでイーグルスの歴史を披露してくれたような、そして60年代
からの米国(白人層)のポピュラー音楽を網羅したかのような、
それらを東京ドームに提示してくれたような、そんな風にさえ
受け取れた、凄いコンサートだった。
ありがとう、グレン・フライ。
『呪われた夜』で「次はどんなアルバムが作られるんだろう?」と
ドキドキし、そして『ホテル・カリフォルニア』が来た時の衝撃、
感激・・・そして、感動。
リアルタイムで味わえた私は最高に幸せでした。
本当に、ありがとう。
天に召されたグレン・フライに祝福を・・・。
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