4・5日の千葉行の報告のうち、巡った名刹・名所の報告をします。
①天台宗・別格大本山笠森寺
延暦3年(784)開基され、写真の観音堂は長元元年(1028)建立されています。観音堂は日本唯一の「四方懸崖」の建築様式で、重要文化財に指定されています。
写真のように、岩の上に四方を柱に支えられて立っています。ぐるりと回廊で回る事が出来、景色はいいのですが地震の事を考えると、観音様のご加護を祈らずにはいられません。
周辺は「県立笠森鶴舞自然公園」の指定され静かな森の佇まいです。鳥の多そうな森でした。
②亀山湖
千葉県の多目的ダムとして建設されています。紅葉の終わりとしてまだまだ観光客の姿が、周辺の道路に溢れていました。我々が到着したのはもう夕方で、ダムの湖面も暗くなっていました。あらためて、翌日6時半に起床、寒い朝ダムへ出かけてみました。
早朝の鳥の写真が撮れましたが、本日は観光写真として、「バスフィッシング」の若者が朝靄の中ボートを操っている写真を掲載します。
彼らは小型の電動モーターでボートを操縦していますので、まったく静かに湖面を動いています。
③鋸山・乾坤山日本寺 地獄のぞき
神亀2年(725年)聖武天皇の勅詔により開かれた関東最古の勅願所です。「日本寺」とはと驚いたのですが、パンフレットによると時の帝よりわが国の国号を冠する「日本寺」の勅額を賜っているそうです。はじめは法相宗でしたがついで天台、真言宗を経て徳川三代将軍のとき、曹洞禅宗になったということです。
ロープウエイの終点の案内板より、地獄のぞきに行く事になったのです。イメージでは山伏などによりロープで縛られた身体を崖の上から谷底をのぞくと想像していましたが、写真の通りです。
それでも途中で、写真のように岩の出っ張りの様子を目の当たりにしてから、その出っ張りに上りますので怖さはそれなりのものがありました。観光客も、グループごとに立ち止まり
自分の番をじっと待っていて、詰め込まないようにしているのは笑えてきました。
④乾坤山日本寺 大仏《薬師瑠璃光如来》
原形は天明3年(1782)三ヵ年を費やして現在の地に彫刻されたものですが、江戸時代末期に自然の風蝕によりにより崩壊があり、昭和44年六月、四年の復元工事により再現された日本最大の大仏だそうです。総高31m、御丈21mだそうです。
鋸山全山が岩山ですから、それから切り出されたのでしょうか。久し振りの大仏様でした。
鋸山の10万坪の境内が急な山道でつながっており、夫々寺の各所を巡る急な石の階段歩くようになっています。くたびれました。
最後に隣の保田港によりました。漁協直営の食堂で食事をし、海鳥を撮影し、さばの干物をゲットしましたが、それはまた後ほど紹介いたします。
追伸。先日仏像彫刻家のI氏にお会いしたところ、デルターKの皆さんがこのブログをご覧になっているとのことで、懐かしく感じました。よろしかったら「コメント」を寄せてくださいませんか。
①天台宗・別格大本山笠森寺
延暦3年(784)開基され、写真の観音堂は長元元年(1028)建立されています。観音堂は日本唯一の「四方懸崖」の建築様式で、重要文化財に指定されています。
写真のように、岩の上に四方を柱に支えられて立っています。ぐるりと回廊で回る事が出来、景色はいいのですが地震の事を考えると、観音様のご加護を祈らずにはいられません。
周辺は「県立笠森鶴舞自然公園」の指定され静かな森の佇まいです。鳥の多そうな森でした。
②亀山湖
千葉県の多目的ダムとして建設されています。紅葉の終わりとしてまだまだ観光客の姿が、周辺の道路に溢れていました。我々が到着したのはもう夕方で、ダムの湖面も暗くなっていました。あらためて、翌日6時半に起床、寒い朝ダムへ出かけてみました。
早朝の鳥の写真が撮れましたが、本日は観光写真として、「バスフィッシング」の若者が朝靄の中ボートを操っている写真を掲載します。
彼らは小型の電動モーターでボートを操縦していますので、まったく静かに湖面を動いています。
③鋸山・乾坤山日本寺 地獄のぞき
神亀2年(725年)聖武天皇の勅詔により開かれた関東最古の勅願所です。「日本寺」とはと驚いたのですが、パンフレットによると時の帝よりわが国の国号を冠する「日本寺」の勅額を賜っているそうです。はじめは法相宗でしたがついで天台、真言宗を経て徳川三代将軍のとき、曹洞禅宗になったということです。
ロープウエイの終点の案内板より、地獄のぞきに行く事になったのです。イメージでは山伏などによりロープで縛られた身体を崖の上から谷底をのぞくと想像していましたが、写真の通りです。
それでも途中で、写真のように岩の出っ張りの様子を目の当たりにしてから、その出っ張りに上りますので怖さはそれなりのものがありました。観光客も、グループごとに立ち止まり
自分の番をじっと待っていて、詰め込まないようにしているのは笑えてきました。
④乾坤山日本寺 大仏《薬師瑠璃光如来》
原形は天明3年(1782)三ヵ年を費やして現在の地に彫刻されたものですが、江戸時代末期に自然の風蝕によりにより崩壊があり、昭和44年六月、四年の復元工事により再現された日本最大の大仏だそうです。総高31m、御丈21mだそうです。
鋸山全山が岩山ですから、それから切り出されたのでしょうか。久し振りの大仏様でした。
鋸山の10万坪の境内が急な山道でつながっており、夫々寺の各所を巡る急な石の階段歩くようになっています。くたびれました。
最後に隣の保田港によりました。漁協直営の食堂で食事をし、海鳥を撮影し、さばの干物をゲットしましたが、それはまた後ほど紹介いたします。
追伸。先日仏像彫刻家のI氏にお会いしたところ、デルターKの皆さんがこのブログをご覧になっているとのことで、懐かしく感じました。よろしかったら「コメント」を寄せてくださいませんか。