甲府城は古くは甲斐府中城、
その形から舞鶴城とも呼ばれていました。
1582年、織田信長、豊臣秀吉により
武田氏は滅亡しました。
織田信長亡き後、甲斐の国は徳川家康の支配。
1590年、豊臣秀吉が日本を統一すると
東海、甲斐、信濃を支配する家康を
関八州に移封しました。
秀吉は関東の家康を見張る城として
甲府城を築城しました。
関ヶ原の戦い以降、甲斐は徳川家の直轄地、
将軍家一門が城主となりました。
発掘調査により発見された石垣を土台にし、
1700年ごろの絵図をもとに、
柳沢吉保が城主だった時代の姿に復元。
当時の石垣を土台にし、その上に一石ずつ
野面(のづら)積み(自然石をそのまま
積み上げていく方法)で積み上げた
本丸天守台からの眺望です。
中央本線の開通で分断された甲府城ですが、
甲府駅北口に甲府市歴史公園が、
甲府駅南口に舞鶴城公園があります。
明治になると廃城令により主な建物は破壊。
甲府駅、県庁、県民会館などに使用されましたが、
1968年に公園として整備され、
発掘調査をもとにした復元が進んでいます。
桜の名所としても有名で、
約160本の桜が甲府城の石垣を
囲むように咲き誇ります。
山梨県甲府市北口2-5-5
山梨県甲府市丸の内1-5-4
2024.3.8
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