大坂夏の陣で豊臣氏が滅び、
一国一城令が下され、
その四年後に完成した明石城。
二代将軍徳川秀忠が築城を命じた
西国を睨む堅城です。
初代明石藩主は、織田信長と徳川家康の二人を
曽祖父に持つ小笠原忠真でした。
城は明石海峡を望む丘陵地に連郭式に築かれ、
本丸・二の丸・三の丸の石垣・堀の工事は
幕府直営で行われたそうです。
本丸四隅には三重の隅櫓が建てられましたが、
現存するのは左の坤櫓と巽櫓の二棟だけで、
国の重要文化財に指定されています。
本丸跡に建つ巽櫓・坤櫓は、
日本に12基しか現存していないとか。
西南隅に建てられた坤櫓は、城内最大の櫓で、
天守の代用にされたとみられるそうです。
伏見城の遺構になります。
豪壮な石垣、約500㎡の広さの天守台がありますが、
ついに天守は築かれることはなかったのです。
天守台は熊本城天守と同規模で、
五重の天守が建築可能な大きさです。
阪神・淡路大震災で被害を受けましたが
全面修復されています。
別名:喜春城
種別:平山城
築城年:1619年
築城者:小笠原忠真
天守の構造・形態:天守台のみ残る
兵庫県明石市明石公園1-27
2019.8.9
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