鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

正月のママチャリ帰省

2014-02-10 | 移動の旅

2 0 1 4 年 1 月 2 日 ( 木 )

午 前 8 時 3 0 分

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



毎年正月の帰省は高速バスを使うのが私の中での慣例だが、今回は途中で初詣を済ませてしまおうと思い、あえて冬場のママチャリ帰省を敢行することとした。


私がまだ行ったことのない寺社で、行程の途中にあるところ・・・・・・


ひとつは印西市(旧印旛村)にある松虫寺
ロードマップを眺めるたびに私の心に引っかかっていた「松虫」というおもしろい寺号。


いまひとつは利根川のそば、神崎町にある神崎神社
拙宅・実家間のママチャリ移動はもはや両手で数えられないくらいの回数を重ねているが(2進法方式で数えた1023回にはまだまだ足りませんが)そのたびにスルーしてきたところだ。


時間があれば佐原の街並みも行こうかな、小見川にある善光寺ってところも気になるな、やっぱ地元の息栖神社かな、などいろいろ行程を考えていた。




午 前 9 時 3 0 分

拙 宅 に て


拙宅から実家まではだいたい6時間くらいかかるだろう。
それで寄り道2箇所でだいたい1時間半くらいだろうか。

拙宅の片づけとかもやらなきゃいけないし。
朝風呂にゆっくりつかりたいし。
ご飯も食べて・・・。




午 前 1 1 時 3 0 分

拙 宅 に 滞 留


ゆっくりしすぎたかな。

神崎神社は寄るのをやめて、寄り道の時間は1時間と考えても、実家に着くのは18時半ごろか。
まぁ、ちょうどいい時刻だろうな。




午 後 1 2 時 3 0 分

ま だ 拙 宅


三国志11やってしまった。
時間が過ぎてるなぁ。

でも拙宅・実家間の6時間というのも利根川沿いの道を行けばという話だ。
この時季は風向きも北西、基本的には追い風になるだろう。
それにスマホさんを使って最短経路を行けば、これも時間短縮につながるはずだ。




午 後 1 時 1 5 分

よ う や く 出 発


そろそろ行くとするか。
夜のサイクリングロードは案外怖いから、少しは急いでおくか。

スマホを見てみると、途中まではいつもと同じ行程だ。余裕余裕。




午 後 4 時 1 3 分

千 葉 県 印 西 市

印 旛 沼 湖 畔


印旛沼を照らす斜陽。







いやぁ~すばらしい・・・
おびただしい数の黒点はすべて鴨。

なんて哀愁に浸っている暇はない!
太陽の位置からして、1時間後には日没を迎えるだろう。

もちろん松虫寺などの寄り道は取消し。

日没寸前で残りの行程50km超とは、まさに危機的状況。
街灯のない川沿いのサイクリングロードをひたすら走行するのは、なかなか厳しいものがある。



スマホで最短経路を検索したのであったが・・・

最短経路を突き詰めると、複雑で細い道を進むこととなり、曲がり角のたびにスマホをチェックすることになった。
八千代緑が丘、ユーカリが丘などのアップダウンにやられた。
道に迷ったために後戻りを余儀なくされた。

こうして、通常たどる行程よりも1時間近く遅れることとなった。

教訓 最短経路は最短時間ではない!!




元日の東京タワー

2014-02-02 | 移動の旅

2 0 1 4 年 元 日

午 前 1 1 時 0 7 分

東 京 都 港 区

慶 應 義 塾 大 学 付 近



第一京浜をひたすら北上していた私とママチャリ「飛電」は、元日の混雑が予想される銀座・築地方面を避け、東京タワーが真正面に見える三田通りへと入った。



三田通りは途中で国道1号・桜田通りに合流する。



桜田通りに面する慶應義塾大学三田キャンパス東門
そういえば慶大に来たのは初めてだ。
早大には国家試験を受けるのに何回か行ったことがある。そしてそのたびに教室内の酷い座席にやられ己の知識の無さを嘆いたものであった。





晴天を貫く東京タワーは、私の憂鬱をも砕いてくれた。


国道1号は、テレ東のある虎ノ門、そして官庁街の霞が関を進む。




東葛地域に輪を描く

2013-12-28 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 5 時 5 1 分

千 葉 県 我 孫 子 市

J R 天 王 台 駅





最後の駅・取手の「喜多そば」でかき揚げそばをいただき、迅速に天王台へ戻ってきた。



さて、帰ろう!

暗闇の移動なので、道に迷うリスクの小さい幹線道路を使う。
千葉県道8号線・通称「船取県道」を南下して、鎌ヶ谷大仏のもとに戻る。


途中通過する手賀沼大橋。





手賀沼は真っ暗でほとんど見えない・・・。

  

手賀沼を題材にするスタンプがこんだけありましたなぁ~。
手賀沼とあけぼの山農業公園」「手賀沼とオオバン」「あやめと手賀沼」、これで行った・・・と言い切ってしまおう!



道の駅しょうなん・・・の向かい側、スーパー銭湯「満点の湯」のイルミネーション。



手賀沼大橋を渡り、ここから再び柏市。


この旅は、見た目以上に、思った以上に、つらかった。

 ♪SUPER TROUPER by A☆Teens


 2013年11月29日。
 新小岩駅で買った730円の乗車券――。
 すべてはここから始まった――。



 7時23分。
 最初の駅、馬喰町。
 通勤時間に浮きまくる旅人――。




 8時46分。
 京浜東北線蒲田駅に到達。
 「やっぱやめようかなぁ」
 倦怠感との戦いが始まる――。



 9時39分。
 有楽町駅の外に出て、
 徒歩で京葉線東京駅に到達。



 9時50分。
 スタンプのない潮見駅を訪れる
 痛恨のミス。



 12時20分。
 常磐線金町駅到達。
 最初の食事。



 14時08分。
 足の疲労が溜まりつつも、
 北端の浮間舟渡駅を制覇。




 14時28分。
 尾久駅で最初の靴&靴下脱ぎ。
 足をそよぐ冷風が心地よい。




 14時50分。
 上野駅で「北限の海女」に面会。
 水とクッキーをゲット。



 15時43分。
 埼京線十条駅。
 高校生の群れに翻弄されるも、
 倦怠感は消えうせていた――。



 17時30分。
 大崎駅で疲労ピーク。
 二度目の食事。



 17時56分。
 神田駅に到達。
 本日最後の路線・中央線へ――。




 20時02分。
 都区内西端のJR駅・西荻窪到達。
 ここから東へ引き返す。




 20時30分。
 なつかしき戦いの地、中野。
 ここで三度目の食事をしたが――。



 21時01分。
 東京駅のライトアップが時間切れ。





船取県道をひたすら南下。



いつの間にか鎌ヶ谷市に入っていた。





 2013年12月4日。
 鎌ヶ谷大仏で祈願。
 残りのスタンプを求め、旅を再開。



 9時46分。
 松戸、中華そば富田食堂。
 いつもと違った最初の食事。



 10時29分。
 戸定歴史館の特別展。
 徳川慶喜公の遺品を拝見。



 10時55分。
 戸定邸にハマる。
 武家屋敷好きな私は、流れる時を忘れた――。



 12時08分。
 脳内にCMソングが流れる
 松戸競輪を尻目に――。




 13時03分。
 北小金駅に到達。
 松戸、北松戸、馬橋、新松戸と、
 松戸市内5駅を制覇。


 13時19分。
 本土寺を参拝。
 紅葉の終焉に思い――。



 14時12分。
 南流山駅に到達。
 武蔵野線制覇。



 14時41分。
 近藤勇陣屋跡をサクっと訪問。




 16時17分。
 北柏駅に到達。
 雨に悩まされながらも柏市内3駅を制する。



 17時14分。
 天王台駅制覇、千葉県内を制す。
 残るは1駅!



 兵は神速を貴ぶ――。
 神速というべき移動で取手駅に到達!


そして――。



 17時25分。
 77駅スタンプ、完全制覇。





私とママチャリ「飛電」は、鎌ヶ谷市内の中心部に入っていった。



鉄道の高架橋&踏切が一緒にある光景。
上が北総線・成田スカイアクセス線、下が新京成線。




午 後 7 時 2 8 分

千 葉 県 鎌 ヶ 谷 市

新 京 成 電 鉄 鎌 ヶ 谷 大 仏 駅




スタート地点である鎌ヶ谷大仏とはほんの少し離れるが、鎌ヶ谷大仏駅に戻ってきた。
なにせ鎌ヶ谷大仏は普通の墓地の中にぽつんと鎮座してるし、夜に大仏様のご尊顔を拝するのは失礼千万ってもんですな。



鎌ヶ谷大仏を出発してから、鎌ヶ谷大仏駅に戻るまでのママチャリ「飛電」の走行距離 69.7km 61.1km、走行時間 6時間47分。
千葉県の鎌ヶ谷、松戸、柏、我孫子一帯の東葛地域に大きな輪を描いた。



このあと私は、激安スーパー「スーパーてらお」で食料品を買って帰宅の途に就いた。



小さなたび「東京等77駅完全巡回」完

ついに77駅制覇!?

2013-12-27 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 4 時 2 0 分

千 葉 県 柏 市

J R 北 柏 駅





北柏駅のスタンプをとり、残るスタンプは3つ。

武蔵野線 完全制覇!
新松戸、南流山

常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手

残る3駅をポン、ポン、ポーンと行って、完全制覇の勝ち名乗りを堂々とあげたいものですなぁ~。
(↑なんという駄文・・・)



空はじょじょに宵闇に染まりつつあった。
我孫子駅までのルートを確認した。国道重視のルートだとかなりの遠回りになりそうだったので、道に迷うというリスクはあるものの、最短経路に沿って行くことにした。



見知らぬ土地というのは、少しの距離であっても長く感じるものだ。
ましてやアップダウンがあると、だんだんやさぐれてくる。




午 後 4 時 4 0 分

千 葉 県 我 孫 子 市

J R 我 孫 子 駅


我孫子駅は下り坂を下りたところにあった。



我孫子駅の北口。
この階段の下にママチャリ「飛電」を留め置く。



改札に入らず(乗り鉄の立場からすると、改札を出て)駅長室付近にスタンプ台はあった。
が、あるのは台だけで、スタンプは改札の駅員さんにもらう。



75番、我孫子! あと2つ!
絵柄は「手賀沼とオオバン」。「オバハン」じゃないですぞ。



我孫子駅から天王台駅の最短ルートを確認して進んだ。

地名に「台」とか「丘」とかつくところは上り坂がある。
柏あたりからのアップダウン連続にもはや辟易していた私は、天に唾するように天王台を罵りながら進む(^_^;)
最短経路の道は複雑で、暗闇もありじゃっかん迷った挙句・・・



最初に検索した最短経路とは全く違う道をたどって、天王台駅に着いた。




午 後 5 時 1 0 分

千 葉 県 我 孫 子 市

J R 天 王 台 駅






天王台駅南口脇の小路に「飛電」を留めた。

 

ああ、ここも台だけだ。改札の駅員からもらうことに。



76番、天王台! あと1つ!!
絵柄は「あやめと手賀沼」。手賀沼に行ってる時間はない!



時刻は午後5時14分。
天王台駅から取手駅までの距離は、最短経路で4.3kmか・・・。




午 後 5 時 2 1 分

茨 城 県 取 手 市

J R 取 手 駅
















77番! 取手!
小生、たったいま結願いたしました!!





にわか雨・・・柏3駅

2013-12-25 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 2 時 4 4 分

千 葉 県 流 山 市

近 藤 勇 陣 屋 跡





近藤勇陣屋跡の石碑をチラ見しただけで、流山を発つ。



旅の目的をおさらいしておこう。

今回はJR東日本東京支社管内77駅のスタンプをすべて回収すること。
そしてこの日の残り12駅をママチャリで訪れ、さらにスタンプの絵柄に選ばれた史跡名勝などをなるべく見物するのだ。
戸定が丘歴史公園でまったりし、本土寺で紅葉を愉しみ、流山の近藤勇陣屋跡をチラ見して・・・スタンプがすっかりサブメニューになりつつあったので、ここで心機一転。

本日分の訪問駅は・・・

武蔵野線 完全制覇!
新松戸、南流山

常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手

残る駅のうち、まずは柏市内の3駅を制覇していく。



いつものようにスマホで最短経路を確認して行く。
だが途中で道を間違えたり、スマホが自転車の通れない階段道を表示していたりで、経路はこうなった。



さらに途中で雨が降る。
雨は、はじめ小雨であったが、南柏駅に近づくにつれ「遊びのない」普通の雨になってきた。




午 後 3 時 2 3 分

千 葉 県 柏 市

J R 南 柏 駅


国道6号から南柏駅へと続く道に入った。
その途中にある某薬局チェーン店にママチャリ「飛電」号を留めた。



南柏駅西口から駅構内へ。



駅構内のNEWDAYS脇にスタンプ台を発見。



72番、南柏!
絵柄は「駅舎と209系」


雨が弱くならない。
南柏駅西口周辺には一休みできそうなファミレスが見当たらなかったので、このまま突破することにした。



次の柏駅の位置を確認する。
雨が強くなったときに避難できる店を確保するため、最短経路ではなく国道6号を経由する安全策をとる。




午 後 3 時 5 0 分

J R 柏 駅 付 近


おや、雨が弱くなってきたかな?

国道6号沿いにある東葛飾高校の生徒が歩道を闊歩していた。もう下校時刻を迎えているのか。

東葛飾高校(通称「東葛」)は、千葉高校(通称「県千葉」)、船橋高校(通称「県船」)とともに千葉県の県立高校「御三家」とされ、入試での必要偏差値はだいたい65以上といわれる。
ちなみに全国的に有名で、漢字変換も一発で出る「市船」(船橋市立船橋高校)の必要偏差値はだいたい50強といわれる。
そのため卒業して他県へ出た県船の卒業生が、他県民から「市船じゃないんだ~」と言われると、「あんなところと一緒にするな」と思ったりするとかしないとか。

駅近くの某コンビニにママチャリ「飛電」を留め、柏駅へ。



さすがに柏駅は人が多いなぁ。
2012年JR東日本の1日平均乗車人数は、船橋駅、西船橋駅についで千葉県内で3位(119,064人/日)。
東武鉄道の1日平均乗降人数は、138,686人/日で東武野田線では最多で、大宮、船橋より多い。

おやおや、先客ですな。



中央改札正面のみどりの窓口の前にあるスタンプ台。



73番、柏!
絵柄は「柏の葉公園」だが、悪天候のためスキップさせていただく。


次は北柏駅。
そこへの経路も、国道6号を軸に検討した。



「飛電」を留めていたコンビニで茶を買い、出立。
いつしか雨は止んでいった。しかし徐々に空が暗くなっていった。




午 後 4 時 1 4 分

J R 北 柏 駅




北柏駅に到着。近くの郵便局に「飛電」を留めて、駅の中へ。



スタンプ台は少しだけ北口寄りの改札付近に、自販機の陰に隠れるように立っていた。



74番、北柏駅! あと3駅!
絵柄は「手賀沼とあけぼの山農業公園」。寄る時間はないのでパスです(^_^;)



ともかく柏市内の3駅は制覇。




ちょっと遠い?!南流山

2013-12-23 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 1 時 4 9 分

千 葉 県 松 戸 市

長 谷 山 本 土 寺 仁 王 門 前





本土寺を出た。

弊ブログの記事では本土寺を長々と紹介したが、実際のところは30分強程度の滞在であった。
12月初旬では紅葉が終わりを迎えつつあり、境内を少しばかり足早に歩いていたかもしれない。
いや、これから流山と柏と我孫子に取手まで行かなきゃならなかったのが大きいだろう。



さて、例のごとくスマホで本土寺から南流山駅までの経路を検索したところ、「本土寺」の位置があさっての方角になっている・・・。
スマホのGoogle Mapで始点をずらす方法を知らなかったので、仕方なく表示されたルートの所まで移動してから、Google Mapの最短経路にしたがって進むことにした。



南流山駅に向かう途中・・・



難読地名登場(^_^;)・・・すぐ横にあったのが、



あぁ、すっきりした。




午 後 2 時 1 2 分

千 葉 県 流 山 市

J R 南 流 山 駅 に 到 着




南流山駅周辺で「飛電」を留められそうなところを探し、北口の某コンビニに駐車させていただいた。

スタンプ台を探し、南北出口通路からは少し隠れたところに発見。



ああ、このパターンか。改札の駅員にスタンプを出してもらい、



71番、南流山駅!
絵柄は「駅舎と近藤勇の石碑」


スタンプの絵柄に採用された「近藤勇の石碑」というのは、近藤勇陣屋跡にあるようだ。
というわけで近藤勇陣屋跡までのルートを確認する。

しかしGoogle Mapさんは、近藤勇陣屋跡までのルートをなかなか表示してくれない。
検索結果の中には、近藤勇さんという人の税理士事務所とかが出てくる。その事務所は大阪にあるようだ。
ママチャリで大阪まで行けってか!

スマホでいろいろ検索していくうちに、近藤屋敷陣屋跡は流鉄流山線の終点・流山駅の近くにあるとわかった。
とりあえず流山駅を目標としつつ、進路をとった。



南流山駅からなんと2.4km、なかなか遠いわ~。






流山は、新撰組の局長・近藤勇と副長・土方歳三が最後に別れた地。

戊辰の戦役で敗走を重ねていた新撰組は、流山で敗残兵をまとめるべく、また新規の兵を募るべく陣屋を構えていた。
そこに新政府軍が流山を包囲する。
当時幕臣となり名を「大久保大和」と改めていた近藤。
土方は、その改名がまだ周知の事実でないことを利用し、包囲する新政府軍に釈明する策を立てた。
近藤は新政府軍の陣屋に出頭したが、新撰組が粛清した御陵衛士の生き残りにより身元が判明してしまう。
そのまま捕縛、板橋に身柄を送られ、斬首された。



土方は北へ逃れ、宇都宮、会津、函館で転戦し、戦死した。




松戸で長居してしまったので、流山はあっさりと終了。




名曲の地?・・・松戸制覇

2013-12-18 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 前 1 1 時 4 3 分

千 葉 県 松 戸 市

戸 定 が 丘 歴 史 公 園





戸定が丘歴史公園で長居してしまった・・・。



77駅スタンプを本日ですべてそろえると決意したが、すでに正午前。
本日いかなければならない駅は、残り11か所。

武蔵野線
新松戸、南流山
常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手

ここから一番遠い取手駅までは、スマホで調べたところ約30km。
戸定が丘歴史公園で2時間ほど滞在してしまい、時間がおし始めていた。
それだけ戸定が丘歴史公園がよかったのではあるが・・・。




午 前 1 1 時 5 8 分

J R 北 松 戸 駅 東 口




戸定が丘歴史公園から3.1km、ぎりぎり正午前に着くことができた。



駅前ロータリーのところにあるコンビニ前に「飛電」を留める。



改札前右脇(乗り鉄側からすると、改札を出て左脇)にスタンプ台を発見。



67番、北松戸!
スタンプの絵柄は「上本郷の七不思議」。マニアックなものを題材にしているなぁ。

「上本郷の七不思議」というのは、
 ・切られ地蔵(スタンプの絵柄になっている)
 ・二つ井戸(これも絵柄になっている)
 ・富士見の松
 ・揺るぎの松
 ・八百比丘尼(やおびくに)
 ・大杉の影
 ・官女の化け物
上本郷に伝わる民話が7話あって、それにまつわる史跡がそれぞれ残っているという。

このときの私は、「七不思議」の中身など当然知るはずもなく、「そんな話があるのね」程度にしか思わなかった。
よって「上本郷の七不思議」はスキップさせていただいた。



北松戸駅の次は、馬橋駅。
常磐線各駅停車が乗り入れているほか、総武流山鉄道(流鉄)流山線の始発駅。



常磐線に沿って流れる新坂川沿いの道を進む。




午 後 1 2 時 0 8 分

松 戸 競 輪 場 付 近




♪カ~ン カ~ン 栄光の カ~ン カ~ン 鐘が鳴~る~
♪ま~つ~ど~け~ぃ~り~~~~ん


ラジオからよく流れてきたこの曲が脳内で再生される松戸競輪場(T_T)


この曲は「走れ!自転車」という名前がついており、歌っているのは「およげ!たいやきくん」で有名な子門真人氏。
そしてよく聴くと、カ~ンカ~ンじゃなくてサ~ンサ~ンだった!! 30年も勘違いしていた。
歌詞に出る「33バンク」とは、松戸競輪場の1周333メートルのコースを表している。

私は小学生のころ千葉競輪場と取手競輪場はよく行っていたのだが、松戸は今も行ったことはない。
小3のときに単勝式、複勝式、連勝複式、連勝単式の内容をマスターし、千葉競輪のことを学校の作文に書いたこともあった。
・・・まぁ、こういう親父でしたので(^_^;)



競輪場に隣接しているのは、宝酒造の工場。



突如の腹痛&便意!!
実は戸定歴史館で1回じっくり用を足していたが、再び来るとは・・・。
少し進んだところにあるミニストップで所用を足した。

このチャリ旅は、
チャリをこぐ → 暑い → 発汗多量 → ジャケット脱ぐ → 体冷える → おなかゆるくなる → 所用 → ジャケット着る → 暑い ・・・
のループに陥ることとなり、トイレによりさらに時間がおすこととなった。




午 後 1 2 時 2 3 分

J R 馬 橋 駅 西 口


馬橋駅の西口は、川を渡る通路とともにある。



西口付近の東武ストアの駐輪場に停めて、馬橋駅構内へ。



スタンプ台がパンフ置きにされている!この冷遇っぷり。



スタンプは改札の駅員が保管しているようだ。



68番、馬橋!
スタンプの絵柄は「駅舎と噴水」



これかい?! すっかり干上がってらぁ。




午 後 1 2 時 4 2 分

J R 新 松 戸 駅 西 口




馬橋駅から1.6km、新松戸駅に到着。



駐輪場が見つからない上に、おじちゃん監視員が配備していたので、素直におじちゃんに問うた。
・・・おじちゃんがそう言ったわけではないが、付近の某銀行にムリヤリ停めることにした。



スタンプは西口のみどりの窓口に入ってすぐ右側にあった。



69番、新松戸!
絵柄は「駅と武蔵野線&常磐線」




午 後 1 2 時 5 8 分

J R 北 小 金 駅 付 近




新松戸駅から北小金駅までは約1.5km。その途中で・・・



神社と銀杏は本当に画になるねぇ~

銀杏の見事な八坂神社から450mほどで・・・



北小金駅に到着。
「飛電」は近くのイトーヨーカドーに留めた。



スタンプ台は改札前右脇(乗り鉄側からだと、改札を出てすぐ左)、証明写真機のそばにあった。



70番、北小金!
スタンプの絵柄は「本土寺のアジサイとしょうぶ」
松戸の名刹とあっては行かずにはおられまい!



ここまでで松戸市内の駅スタンプはすべて集めた!
残りのスタンプは、流山市内に1つ、柏市内に3つ、我孫子市内に2つ、取手市に1つ。
時刻は午後1時を回り、本土寺に進路をとる。




松戸駅とつけ麺

2013-12-12 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 前 8 時 2 5 分

千 葉 県 鎌 ケ 谷 市

鎌 ヶ 谷 大 仏





鎌ヶ谷大仏に駅スタンプ完全制覇を祈願。



いちおう振り返っておきましょうか。

JR東日本東京支社管内の駅には、「駅の数だけ、発見がある。」ってことでそれぞれの駅のスタンプが設置されている。
その数、77
そのうち11月29日に、都内の駅を歩き回って65のスタンプを収集した。
残りのスタンプ、12
残りの駅はすべて東京都の外、千葉県と茨城県にある。

武蔵野線
新松戸、南流山
常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手



愛馬「飛電」にまたがってこれらの駅を回り、スタンプを回収していくこととなる。



スマホさんで最短距離を検索。



鎌ヶ谷大仏から12km進み、9時33分、松戸駅東口へ。



近くの100均で「飛電」を留め、駅に入る。
時差通勤の時間帯なのか、人出はまだ多い。
中央改札の脇にスタンプ台があった。5日ぶりの駅スタンプ。



66番、松戸!
絵柄は戸定(とじょう)が丘歴史公園」


本日最初のスタンプとともに、本日最初の食事も松戸でとることにした。



つけ麺の名店「中華そば とみ田」の支店?と思われる「松戸中華そば 富田食堂」
「とみ田」のつけ麺は日比谷公園の「つけ麺フェスティバル」で食べたことがあったが・・・味は忘れてしまった(^_^;)
・・・腹減ったし、とにかく行ってみよう。

予想に反し、話し方のしっかりした色白とおぼしき女性の店員がひとりで店を切り盛りしている。
席に着こうとしたら「食券を買ってください」と促される。
食券を渡すと、6分ほどでつけ麺が出てきた。



端整な麺がきれいに盛られたつけ麺220g+半熟玉子(830円)。
つけ汁はネギが多めに入っており、あっさり目、そして酸味が少しきいている。
私は酸っぱいものが苦手なのだが、問題なく食べられる。

麺を完食し、スープ割りしてつけ汁を味わったが・・・酸味はともかく、苦味がするどく主張するスープ・・・。
正直、私の口には合わない。が、饗されたものは完食するのが信条。



富田食堂の向かいの100均に停めていた「飛電」にまたがり、そこで買った茶を飲みつつ出立した。




雨上がりを待って

2013-06-23 | 移動の旅

2 0 1 3 年 6 月 1 6 日 ( 日 )

午 前 5 時 5 5 分

千 代 田 区 大 手 町



容赦のない雨は、まったく止む気配がない。
スマホで天気予報を見ても、千代田区の天気は一日中雨。
しかも午前10時ごろには雷雨と報じている。

多少の雨ならまだ我慢できるが、雷は嫌だ。
ああ、それならもう帰ろうかな~。

でも顔本で「雨が降ろうが走る」と決意表明をした手前、退路はない。

とりあえず雨が弱まるまで待機しよう。



大手町の地下街に入ったが、この時間は店が開いてない。
大手町のようなオフィス街で、会社の休業日の早朝にわざわざ開店するような奇特な店はそうそうない。


待機する場所を探すのに窮して、地下街を歩き回って、東京駅に。


そうだ、電車に乗って時機を待つか。


JR東京駅 総武地下ホーム1番線 6時01分発
  横須賀線 普通 横須賀行き
  武蔵小杉駅 3番線 6時21分着


武蔵小杉駅の横須賀線ホームと南武線ホームとは400メートルも離れている。


JR武蔵小杉駅 2番線 6時32分発
  南武線 各駅停車 立川行き
  立川駅 8番線 7時15分着


夜も明けきらぬ時刻に家を出た私は、すっかり車内で寝てしまう。
いやいや、ここで睡眠時間の調整を図ったまでのこと。

終点の立川駅は、長野やその先の北陸へ遠征するときにお世話になる。


JR立川駅 3番線 7時21分発
  中央線 中央特快 東京行き
  神田駅 5番線 7時58分着


東京のひとつ先、有楽町まで行こうと考えていた。
東京のひとつ前、乗り換えのスムーズな神田で下車。
車窓から見るに、雨は弱まってきている。


JR神田駅 2番線 8時02分発
  山手線 外回り 東京・品川方面行き
  有楽町駅 3番線 8時06分着


早朝には傘がなきゃやってられないほど降っていた雨も、この時間には傘がなくても問題ないくらいまで弱まっていた。


有楽町駅から歩いて、皇居ランナーのスタート地点・桜田門【国指定重要文化財】へ。



なんと桜田門は工事中・・・。

それはそうと、こんな天気の悪い日なのに、皇居ランナーは少なからず走っている。
なんだろう、何らかの駅伝大会でもあるのか、管理ボランティアと思われる人々が少なからず配置についていた。

初心者の私にはどうも居心地が悪い・・・。



とりあえず走ってみましょうかね。



次回へ続く。

ハイカラさんに乗り込んで

2013-01-07 | 移動の旅

2 0 1 2 年 4 月 2 日 ( 木 )

午 前 9 時 4 3 分

福 島 県 会 津 若 松 市

J R 会 津 若 松 駅



会津若松駅に着いて、駅そばで小腹を満たし、駅の外へ出る。
駅から出たところにコインロッカーが並んでいたので、ここに荷物を預け会津を回っていく。



駅入口に立つ大きな大きな会津の民芸品・赤べこ

あるお寺のお堂を建てるとき、上流の村から大量の材木を寄進された。
しかし、水量の多い川だったので、材木を運ぶのは簡単ではない。
人々が材木を運ぶのに難儀していると、どこからか牛(べこ)の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。
重労働で多くの牛が倒れる中で、最後まで働いたのが赤色の牛だったという。




白虎隊像も入口近くにたたずんでいた。


ところで、会津若松の周遊バスは、「あかべぇ」「はいからさん」の2本がある。
「あかべぇ」が、
JR会津若松駅 → 飯盛山 → 武家屋敷&東山温泉 → 御薬園
→ 会津若松城 → 野口英世青春通り → JR七日町(なぬかまち)駅 → JR会津若松駅
と、東回り(外回り)に市内をめぐる。
「はいからさん」は「あかべぇ」とは反対の西回り(内回り)。
時刻表によると、両バスが会津若松駅を15分ごとに出るようだ。

運賃は、目的地を問わず1回200円。
1日周遊券が600円で、こちらは会津若松城などの入場料に割引がきく。




午 前 1 0 時 0 7 分

は い か ら さ ん に 乗 車


はいからさんは、予定より5分程度遅れて出発。
観光案内所にいた私は、やや駆け込み気味に乗車。
急いで乗車したため、周遊券を買いそびれてしまった。

乗車して程なくすると、車内に歌謡曲が流れる。
南こうせつ氏の「AIZUその名の情熱」という曲で、会津若松駅の発車メロディにもなっている。

こじゃれた駅舎のJR七日町駅を通過。




午 前 1 0 時 3 0 分

北 出 丸 大 通 り


会津若松城のひとつ前である北出丸大通りバス停で下車。



西郷頼母(たのも)邸跡の碑。

西郷頼母は会津藩最後の家老。
幕末期、藩主・松平容保(かたもり)京都守護職に推挙されると、領内の負担増から強く反対し、家老職を罷免された。
倒幕後、家老に復帰、会津戦争を指揮した。
明治政府軍が会津の城下に迫ると、頼母は新政府への恭順を進言するが、藩士の多くは反対、事実上追放される。
このとき頼母邸にいた女子たちは、籠城戦の足手まといになることをおそれ、皆自害して果てた。



西郷頼母邸から歩いて3分ほどで、



鶴ヶ城(会津若松城)の入口に到着。