皇居を1周。
顔本にしてしまった公約をまがりなりにも果たし、顔本上で報告したところで・・・
あとは皇居をま~ったり歩くとしようかねぇ。
やっぱり俺には走るよりも歩く方が性に合うわい。
桜田門【国指定重要文化財】から、また歩き出す。
桜田門の一の門は、高麗門という形式の造りになっている。
高麗門は、シンプルな屋根(横から見たら「へ」の字のような屋根;切妻屋根)で、脇の柱にも小さな屋根がついている。
二の門は、頭上から攻撃できる櫓と一体になっている渡櫓門。
桜田門は、正しくは外桜田門という。
かつては小田原方面への街道の起点であり、桜田門は「小田原口」とも呼ばれていた。
桜田門から水濠ぞいに歩くと、皇居のシンボル登場。
桜田濠と、その先の二重橋濠にかかる二重橋。
手前のめがね橋は正門石橋、奥の橋は正門鉄橋といい、橋が二重に架かっているから二重橋の名があるとされる。
正門石橋の向こうに構える門が、皇居正門。
正門前には皇宮警察職員の詰所が設けられ、正門石橋には障害物が置かれて渡ることはできない。
正門石橋から二重橋濠を望めば、鉄橋が濠からかなりの高さに位置することがわかる。
江戸時代には低い橋を架け、その上にもう1本橋を架ける必要があった。
そのため二重橋の名称があった。
鉄橋の先にある櫓は、伏見櫓【現存】という。
もともとは京都の伏見城から移築したものといわれるが、本当のところは違うらしい。
関東大震災で破損したが、修復される。
装飾性の高い二重櫓が印象的だが、その脇に多聞櫓(城壁に櫓の機能をつけたような、横長の櫓)がついている。
二重橋からそのまま二重橋濠に沿って歩けば、皇宮警察の警備が厳重な坂下門【復元】。
かつては桜田門と同じく一の門・二の門が存在する枡形構造であったが、現在は二の門が復元移築されて残る。
江戸時代には、坂下門外の変という事件が起きている。
桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の後を継いで幕政を指揮した老中・安藤信正。
幕府は、14代将軍・徳川家茂の正妻に孝明天皇の妹・和宮を迎えようと動いており、その主導的立場であった安藤は、尊攘派の浪士に襲撃されてしまう。
安藤は命を取り留めたが、幕府の重臣が相次いで襲撃されるという事実は、幕府の権威失墜を早めてしまった。
現在は宮内庁の正面玄関となっている。
二重橋濠は坂下門で止まり、その先は
蛤濠のむこうにわずかに見えるのは、三重櫓である富士見櫓【現存】。
蛤濠はすぐに終わり、次いで桔梗濠。
両者の濠を隔てる桔梗門【復元】。
こちらは一の門が高麗門、二の門が渡櫓門の枡形構造となっている。
桜田門が外桜田門というのに対し、こちらが内桜田門。
この門は皇居参観のスタート地点になっている。
いつか行きたいねぇ。
※皇居参観の申込み : 宮内庁 http://sankan.kunaicho.go.jp/
朝
立派なお姿の桜田二重櫓(
すでに開門していた大手門【復元】の中に入っていった。
日本100名城登城の旅・第5段「皇居 ランナー ウォーカー」 第7話へ続く。