レトロな倉庫が並び立つ小樽運河を散策しました。
運河の終点にある浅草橋から、そのままゆるやかな坂を上っていくと、
またもや、レトロな建物が並ぶ大通り。
運河から上って最初の交差点には、その四隅にレトロな建物があります。
交差点の東は、旧三菱銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第18号】。
大正11年(1922年)建築、鉄筋コンクリート造り。
かつて北のウォール街といわれた地区の中心に位置しています。
建築当初は、外壁に煉瓦色のタイルが張られていましたが、昭和12年(1937年)に現在の色調に変更されました。
1階正面には、ギリシア・ローマ建築様式を表すように6本の半円柱が並んでおり、この建築を特徴づけています。
(小樽市の案内看板より)
現在は北海道中央バス第2ビルとなり、「小樽運河ターミナル」の名称でバス乗り場と商業施設を兼ね備えた複合施設となっています。
南は、旧第一銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第24号】。
大正13年(1924年)建築、鉄筋コンクリート造り。
外壁デザインは飾り気のない壁面に改変されていますが、当初は道路側2面に3階通しの大オーダーが立てられていました。
現在は洋服工場として活用されていますが、内部の2階吹き抜けの営業室は、もとのまま残されています。
(小樽市の案内看板より)
案内看板のとおり、現在はトップジェント・ファション・コアという会社が入っていて、ここでオーダーメイドのスーツを製作しているようです。
西は小樽郵便局、見てくれはレトロですが、平成になって新築したものなので歴史的建物ではありません(^_^;)
北は、旧北海道拓殖銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第31号】。
大正12年(1923年)建築、鉄筋コンクリート造り。
小樽経済の絶頂期に建設され、三菱、第一の各銀行と共に「北のウォール街」の交差点を飾っています。
銀行に貸事務所を併設する当時の道内を代表する大ビル建設で、銀行ホールは2階までの吹抜けで、6本の古典的円柱がカウンターに沿って立っています。
(小樽市の案内看板より)
大正末期には、銀行が札幌に10箇所、函館に16箇所、小樽は道内最大で20箇所ほどあったそうです。
銀行建築に加え、大手商社、大手運輸会社の支店などが軒を連ね、小樽は北海道一の経済繁栄を誇っていました。
銀行の支店が建ち並んでいたこの色内地区は、世界の金融地区ニューヨークのウォール街になぞらえ、いつしか「北のウォール街」と呼ばれるようになったそうです。
その後、青函連絡船の台頭、札幌への一極集中政策、石炭産業の縮小、苫小牧港の開港、戦後の樺太間や大陸間の貿易ルート喪失といった要因で、小樽経済は急速に衰えていきました。
かつての栄華を偲ばせる会社建築は歴史的建造物となり、転用し保存されています。
「北のウォール街」の中心となる交差点を直進し、日銀通りの坂道を歩きます。
小樽郵便局のすぐ隣に、旧北海道銀行本店【小樽市指定歴史的建造物・第6号】。
明治45年(1912年)建築、石造り。
設計は長野宇平治で、請け負ったのは地元の加藤忠五郎です。
銀行建築の重厚さをもち、玄関や窓回りの石組みデザイン、コーナー部分や窓の間隔の変化などに特徴があります。
(小樽市の案内看板より)
現在は北海道中央バスの本社ビルと、「小樽バイン」というワインバーとして使用されています。
さらにその坂上には、
旧三井物産小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第30号】です。
これまでの建造物とは一線を画す、きわめて単純な造形です。
昭和12年(1937年)建築、鉄筋コンクリート造り。
戦前の道内事務所建築の代表作で、当時の建築思想を示す国際建築様式の単純明快な意匠です。
黒御影石の貼られた玄関や1階は、2階以上の白色タイル壁と鮮やかなコントラストを見せ、新鮮な印象を与えます。
(小樽市の案内看板より)
現在も松田ビルと名称を変えて、事務所ビルとして活用されています。
その対面には、
日本銀行旧小樽支店【小樽市指定文化財】です。
明治45年(1912年)建築、レンガ造り。
設計者は日銀本店や東京駅を手がけた辰野金吾やその弟子の長野宇平治ら。
レンガ造りですが、外装を石造風の装いにまとめています。
ドームの曲線と重厚な外観が融和してひときわ荘重な姿を誇り、小樽を代表する建造物であります。
(小樽市の案内看板より)
そして現在も日銀が保有し、日銀旧小樽支店金融資料館となっています。
日銀から坂を下り、「北のウォール街」の中心ともいうべき交差点に戻ります。
今度は日銀通りと交差する色内通りを歩きます・・・が、こちらは次話へ。