鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ハイソフト「日本の美しい橋」第5橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 1 日 ( 月 )

午 後 6 時 0 5 分

職 場 に て



この日はおやつタイムに続き、



お帰りタイムにも森永ハイソフトを開封しました。



この橋は知っていますよ~。
たしか大月の水色の師匠たいまつ持って走った橋ですよね。



7番、猿橋!
めずらしい刎橋(はねばし)という構造をもっていた「日本三奇橋」のひとつです。




猿橋は、桂川(相模川)に架かる山梨県大月市の歩行者専用橋です。
長さは30.9メートル、通行幅は3.3メートルです。

最初に猿橋が架かった年代は不明ですが、推古天皇の御代の610年ごろに百済の渡来人の志羅呼(しらこ)という人物が建造したといいます。
志羅呼は、猿が互いに体を支え合っているさまを見て、猿橋を造ったといいます。
時代は下り、江戸時代に江戸から甲府まで甲州街道が整備されると、猿橋は街道の一部を構成することとなりました。
周囲の渓谷とともに「甲州街道随一の名勝」とうたわれました。
現在の橋は昭和59年(1984年)に再建されたもので、刎橋構造を装飾にしている「刎橋風」の橋となっています。





両岸の岩盤に支えとなる柱を埋め込み、中空に突き出します。(これを刎ね木といいます)
最初は短めに突出し、その上にさらに長い刎ね木を同様に設置していきます。
その上にはさらに長い刎ね木、さらにその上にはより長い刎ね木をこしらえていきます。
両岸の刎ね木の間隔が短くなっていったところで、刎ね木の上に橋を架けていく構造が刎橋です。

文章で説明するよりも、猿橋の画像を見たほうがわかりやすいと思います。

刎橋は、猿橋のように橋脚を設けることが困難な場合に用いられていた構造です。
現在は純粋な刎橋はなく、猿橋も橋げたに刎ね木(のような装飾)をくっつけているだけであり、刎ね木が橋を支えている構造ではありません。



そういえば聖火を掲げて猿橋を渡った三遊亭小遊三師匠は、令和3年の東京オリンピックでも聖火ランナーを務めるようです。
東京オリンピック・・・開催できるのでしょうか?





ハイソフト「日本の美しい橋」第4橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 1 日 ( 月 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て



ハイソフトとの闘いが始まって2週間。
かつてのように連日というわけでもなく、無理なく無駄なくキャラメルを賞味しています。


さて今回も、職場でのおやつタイムでハイソフトを開封します。



岩ですか?
ああ、これも橋なんですか。
どこの橋だか皆目見当もつかないので、裏面の解説を参照・・・



12番、帝釈峡雄橋!
読みは「たいしゃくきょう おんばし」です。




雄橋は、帝釈川に架かる広島県庄原市の橋です。
中国山地有数の渓谷・帝釈峡に鎮座する巨大な石灰岩が、川の浸食作用によって下の部分が貫通するに至り、橋のようになったといいます。
長さは90メートル、通行幅は18メートルで、世界最大級の天然橋といわれています。
帝釈峡全域が国の名勝に、また雄橋も国の天然記念物に指定されています。
雄橋は、帝釈川を挟んだ地域の生活道の一部となっていたほか、「神が架けた橋」あるいは「鬼が架けた橋」との伝承もあり、地域住民の信仰の対象にもなっていました。



カードの画からはよくわからなかったのですが、この雄橋の「天井」から帝釈川の水面までは18メートルほどもあるそうです。
このことを踏まえあらためてカードを見ると、



なるほど「鬼が架けた橋」という伝承も頷けそうですね。
ちなみに、雄橋(おんばし)と対になる雌橋(めんばし)というのもあるそうです。



Google Mapで位置を確認してみると・・・やっぱりというか、なんというか、山の中ですね。

鉄道が主な移動手段である私が、帝釈峡に行こうとするならば・・・
まずJR芸備線 東城駅で下車するのですが、ここまで行くのが大変。
上り列車が1日6本、下り列車に至っては1日3本しかありません。
そして駅からは1日4本の路線バスに乗車する必要があります。
このバス、休日は運行していないようです。

私が雄橋を訪れる機会は、果たしてあるのでしょうか???





ハイソフト「日本の美しい橋」第3橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 2 2 日 ( 金 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て





2橋目で早くもダブリを引いてしまった私。
この日はたまたま持っていた、もうひとつの森永ハイソフトを開封し、リベンジを図ります。
そして・・・



これはパッケージにも描かれている橋じゃないですかねぇ。



5番、二荒山神社神橋!
ここは見たことがありますよ~。




二荒山神社神橋は、大谷(だいや)に架かる栃木県日光市の橋です。
長さは28メートル、通行幅は7.4メートルの歩行者専用橋で、国の重要文化財に指定されており、また世界遺産「日光の社寺」を構成しています。

奈良時代の末期、日光山中禅寺を開いた勝道(しょうどう)上人が、山に入る際に大谷川の急流に行く手を阻まれてしまいます。
上人が神仏に加護を求めたところ、2匹の蛇が現れ、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったといいます。
この伝説から「山菅橋」「山菅の蛇橋」とも呼ばれています。

日光山に東照宮が創設されると、寛永13年(1636年)朱塗りの橋に架けかえられました。
その橋は明治35年(1902年)の洪水で流されてしまい、明治34年(1904年)に再建された橋が現存しています。



神社にある神橋は、神域と俗世とをつなぐ橋という意味合いがあります。
二荒山神社の神橋も、日光山の玄関の役割を果たしてきたのですね。

私自身、日光には何度も訪れたことがあります。
しかしこの橋を歩いて渡ったことはないので、日光を訪れる機会があれば、この橋を渡ってからじっくりと参拝していきたいですね。





ハイソフト「日本の美しい橋」第2橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 1 9 日 ( 火 )

午 後 8 時 5 0 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



前日に続き、この日も森永ハイソフトを開封します。



なんだか、どこにでもありそうな普通の橋のようにも見えます。
ここは裏面の解説を見ることにしましょうか。



16番、愛本橋!
う~ん、存じ上げませんなぁ。




愛本橋は、黒部川に架かる富山県黒部市の橋です。
長さは130メートル、通行幅は8.6メートルの道路橋です。

寛文2年(1662年)3代加賀藩主前田綱紀の命により、北陸街道をつなぐ橋として架けられました。
江戸時代においては、国境に近い河川には領地防衛の観点から橋を架けないことはよくあるケースでしたが、綱紀は往来の利便性を優先し、家臣の反対を押し切って架橋を命じたといいます。
黒部川はたびたび増水し橋脚を立てるには適していなかったため、川の両岸から大木を突き出して橋を支える刎橋(はねばし)の構造で架けられました。
それでも橋は幾たびも架け替えがなされ、大正9年には鉄骨製のトラス橋、それが流失した後の昭和47年(1972年)には12代目の橋としてアーチ橋が架けられて現在に至ります。

刎橋という珍しい構造から、「日本三奇橋」のひとつに挙げられています。
刎橋ではなくなってしまった現在もなお「日本三奇橋」とされています。




ここで「刎橋」「トラス橋」「アーチ橋」という用語が出てきましたが、このあたりの説明は後ほどとさせていただきましょう。
橋の構造についての学習も必要なハイソフトとの闘い、まだまだ序盤戦です。




1 月 2 2 日 ( 木 )

午 前 1 1 時 3 4 分

職 場 に て




16番、愛本橋!
2橋目で、早くもダブリを引いてしまいました。





ハイソフト「日本の美しい橋」第1橋

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 9 時 3 9 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



わが本拠の近所のスーパーから、突如始まったハイソフトとの闘い



森永さんが選んだ「日本の美しい橋」、最初の1橋は・・・



むむむ・・・どこの橋だかまったく見当もつかない。
城には興味があっても橋にはあんまり興味がないもので。



カードの裏を見ると・・・8番、蓬莱橋!・・・っていうんですね。
今回のシリーズは、裏面に解説がしっかりと記述されています。
その代わり、メッセージカードの機能はなくなってしまったんですね。



蓬莱(ほうらい)は、大井川に架かる静岡県島田市の橋です。
長さは897.4メートル、通行幅は2.4メートルの木造歩道橋です。

江戸時代は架橋が許されなかった大井川に、明治12年(1879年)牧之原台地と東海道の島田宿(島田市)を結ぶために架けられた橋です。
牧之原の農地開拓のために当地の農民の出資によって架けられた橋なので、関係者以外からは通行料金を徴収しました。
これは現在も続いており、本邦でも数少ない賃取橋(ちんとりばし)で、通行料金は大人100円、小人10円です。
自転車で渡る場合は、さらに100円の追加料金となります。
架橋の経緯から、現在も法令上は農道の一部となっているそうです。
大井川の氾濫によって蓬莱橋は幾度となく流されたため、昭和40年(1965年)の架け直し以降、橋脚だけはコンクリート製となっています。

平成9年(1997年)12月30日に、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスブックに認定されました。
長い木=「長生き」の橋、897.4=「やくなし(厄無し)」の橋として、パワースポットにもなっているのだそうです。



裏面の解説文をそのまま載せるのでは芸がないので、島田市のサイトなどを参考にしながら編集しました。

島田といえば、続日本100名城の諏訪原城【国指定史跡】がある地。
登城ついでに立ち寄ってみるのもいいかもしれませんね。



ハイソフトとの闘いは、まだまだ始まったばかりです。





普段は行かないスーパーにて

2021-02-11 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 9 時 1 8 分

千 葉 県 柏 市

近 所 の ス ー パ ー マ ー ケ ッ ト に て



この日は、女王様第2王子とともに、普段は行かない近所のスーパー「B」にいました。


第2王子JR南流山駅にクルマで迎えに行く。
帰路の途上にあるコンビニ「M」で、女王様がソフトクリームをお召しになる。
さらに適当にスーパーに寄って、買い物をする。
第2王子を家まで送ってから、本拠地に戻る。


私の生活の中で、心ならずもこの流れが定着しつつあります。
いや、ここでは何も言うまい・・・。



普段は行かないスーパーに立ち寄ると、私が決まってすることがふたつあります。

ひとつは、サバ缶の確認
この店には、どのメーカーのサバ缶があるのだろう。
そして価格は・・・。
ひととおり確認しますが、サバ缶は一切買いません。

だって、もう一生分のサバの水煮は食べちゃったもん。
サバ缶食べ比べはもうやりません、ここで断言します!


・・・取り乱して失礼しました。

そしてもうひとつは、キャラメルの確認です。
キャラメルの確認、というより森永製菓 ハイソフトキャラメルの有無をチェックするのです。
さらにいえば、ハイソフトに入っている“おまけ”のカードをチェックするのです。

“おまけ”のカードは、「日本の名城」シリーズになってから5年近くたちます。
そろそろ新しいシリーズの“おまけ”が登場するのではないだろうか。
そう思って、ハイソフトのパッケージをチェックしていたのでした。



「日本の名城」シリーズのコンプリートから3年半。
ついに新しいシリーズが登場しました。
ほうほう、「日本の美しい橋」ですか。



3年半のブランクを経て、みたびハイソフトとの闘いが幕を開けたのです。



ハイソフトとの闘いにおいて、私は以下のようなルールを設定しました。


一、カードはなるべく自力で集めるべし。

自力でカードを集める、すなわちハイソフトを自分で買い、そこで得たカードのみ集めるのが原則です。
つまりは、赤の他人からもらったり、メルカリなんかで買ってはいけない、ということです。
まぁ、ネットオークションに出品するような人はいないとは思いますが。
しかし「なるべく」・・・原則に例外は付き物です。
私がカードを集めていることを知っている知人から、善意で提供されたカードはOKということにします。
ただあくまで善意に限るものとし、私からカードの提供を要求することはありません。

一、カードの内容を事前に知るべからず。

どの橋がカードに採用されているかをネットで検索することを自主規制します。
パッケージに記載のある3橋以外は、ハイソフトを開けてからはじめて知ることとします。

一、キャラメルを廃棄するべからず。

かつてのビックリマンチョコ、昨今では恵方巻きの大量廃棄と、フードロスが社会問題となって久しいです。
ハイソフトとの闘いではカードが主目的なのですが、だからといって商品本体であるキャラメルを絶対ないがしろにしないことをここに誓います。
ハイソフトは1箱に12粒のキャラメルが入っていますが、それを全部食べます!
このように言いたいところですが・・・・・・。

一、キャラメルを無理に食べるべからず。

さすがにハイソフトを連日食べていくと、私の血糖値に問題が生じてしまいます。
なのでキャラメルは全部食べず会社の同僚とシェアする、毎日は食べずに週2食程度にするなど、無理なく闘いを繰り広げていこうと考えております。
私も年をとったものでねぇ。





それでは森永ハイソフトキャラメル、いざ開封!





第79回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・後編~横浜家電革命

2021-02-11 | 鬼ヅモ同好会


令 和 3 年 ( 2 0 2 0 年 ) 1 2 月 2 9 日 ( 土 )

午 後 6 時 3 5 分

横 浜 市 某 所

大 会 会 場



初日の闘いが終わってから、酒を呑み肉を食らい、旅行談義に花を咲かせていた横浜の三人。
オンラインのふたりとのビデオ通話が終了してもそれは続き、旭日が昇ってようやく就寝となりました。


この日は起きてはゲームに興じ、昼寝をし、また起きてはゲームに興じ・・・の繰り返し。
この自堕落な時間もまた、いいんですよねぇ。



日輪はとうに地平線に隠れてしまった午後6時。
かつ会長よりLINEが入りました。

「帰宅しました。これから食事にします」

推測するに、なんと規則正しい生活を送っているのだろう。
奥方がいらっしゃると、こうも・・・・・・。

そういえば横浜に集結した三人、いずれも・・・・・・。

「食事終わりました 参加できます」

ふたたびの会長のLINEが鏑矢となり、闘いが再開されたのでした。
この日がいちおう最終日ということもあり、何試合行うか事前に決めるのですが・・・

「まぁ、じゆうにやろうや」

などと言いながら、とりあえず試合開始。


8試合目が終わったところでご~先生の参戦があり、そこから4試合行うこととなりました。
本当に「じゆうに(12)」やることとなったわけですね。


結果ですが・・・




ご覧のとおり、たか先生が142ポイントをお獲りになり、優勝となりました。



この日はとにかくたか先生が強すぎました。
12試合中7試合トップじゃ、かないませんよぉ。




令 和 3 年 ( 2 0 2 0 年 ) 1 2 月 3 1 日 ( 月 )

午 後 5 時 5 8 分

大 会 会 場 に て


会場に集った3人は、このまま大会会場で過ごしていました。



よね先生がこしらえた新鋭のコーヒーメーカーです。
牛乳を用意すればラテやカプチーノも賞味できる優れもの。
これのおかげで、飲み物は連日コーヒーをいただくこととなりました。


さて大晦日。
令和2年最後を飾るお食事は、やはり年越しそば。



肉なんばんそば、うまい!
太田屋さんのおそばを頂戴し、苦難の多かった令和2年も〆とまいりましょう。
よね先生は今回も天ざるそばでした。ブレがありませんなぁ。


午後7時、大会会場に戻りました。
特に何をするわけでもなく、ただただくつろぐ3人。
3人とも重度のどうでしょうバカですが、大泉さんが司会を務める紅白歌合戦を見るわけでもありません。



そうそう、よね先生は電子レンジも新調されました。
おそばを食べたのが午後6時ごろだったこともあり、ここでお夜食の調理が始まります。



ローストチキン、うまし!
中におにぎりは包まれていません。



さば塩焼き、うまい!
これは酒の肴にピッタリですねぇ。



遠くの寺院から鳴り響く除夜の鐘。
独身漢たちは家電のイノベーションを肌身で感じながら、年越しを迎えたのでした。



第79回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記 完

ホーム画面に戻る。


第79回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・前編~闘痔の旅?

2021-02-11 | 鬼ヅモ同好会


令 和 3 年 ( 2 0 2 0 年 ) 1 2 月 2 8 日 ( 金 )

午 後 2 時 3 5 分

東 京 都 港 区

レ イ ン ボ ー ブ リ ッ ジ



コロナ禍の中の年末。

年末のこの日は、鬼ヅモ同好会麻雀大会の開催日。
会場の横浜までの行程をグループラインで共有するのが、ここ最近のトレンドになっています。



最初に口火を切った私の画像、レインボーブリッジ
このとき私は品川台場【国指定史跡・続日本100名城】・・・要するにお台場へと向かっていました。
そこへ、副会長・たか先生からのレスポンス。

 (C)たか先生

中国勝山・・・中国地方にいるのか?!
おそらくは中国地方の山の中にある鉄道の写真です。
あのあたりは伯備線やら芸備線やら津山線やら福塩線やら、路線がいろいろあってよくわからないのです。

すかさずGoogle Mapさんで確認すると・・・ほほう、姫新(きしん)ですか。
岡山県の北部、美作(みまさか)地方ですね。
何用あって岡山の山の中にいらっしゃるのか・・・・・・津山城【国指定史跡・日本100名城】に行ったというのなら、なんとうらやましい。

でも、28日中に横浜まで戻って来られるのか???




午 後 5 時 5 8 分

東 京 都 品 川 区

京 急 青 物 横 丁 駅 前


品川台場【国指定史跡】を見学した私は、りんかい線品川シーサイド駅まで移動し、



京急線青物横丁駅にたどり着いていました。
ここからは普通電車にでも乗って、ゆっくりと横浜に向かおう。
LINEにもその旨を共有すると、さっそくたか先生のレス・・・



ももたろうランドではありませんか!
この時季だからなのか、像にはちょっとしたイルミがこしらえてありますが・・・



ほんの一瞬だけ、キングボンビーの顔面に似ているなぁと思ってしまいました。
私だけでしょうね、たぶん。

たか先生は飛行機で横浜に向かう・・・とLINEにメッセージがありました。
なんという強行軍でしょうか。




午 後 1 0 時 0 2 分

横 浜 市 某 所

大 会 会 場


午後8時30分ごろ、私は会場のよね先生宅に到着しました。
そして午後10時、会長・かつ先生がオンラインで参戦。
さらにご~先生も、急きょオンライン参戦。

ここに、闘いの火蓋は切って落とされたのです。

途中、岡山から飛んできたたか先生も到着し、そのまま参戦の運びとなりました。



オンライン参加ふたりの家庭の事情もあり、日付が変わろうかという時刻で初日は終了。



4試合ということで飛び抜けた戦果はないものの、まずまずのスタートを切れたといったところです。



そして闘いのあとのひととき。
横浜に集結した独身者3人衆は、



たか先生が岡山で買ってきた地酒を味わっていました。
それにしても、岡山の山の中に何しに行ってたんでしょ???



たか先生が買ってきてくださった地酒。
描かれているのは「温泉むすめ」のキャラクター、湯原砂和湯郷美彩

ほほぅ、闘痔の旅 湯治の旅ですか。

岡山県北部の美作(みまさか)地方には、「美作三湯」という名湯があるそうな。
すなわち湯原温泉奥津温泉湯郷温泉
湯郷はともかく、湯原と奥津はエライ山の中です・・・・・・よく横浜まで戻って来られたなぁ。



コラボ地酒! くぅぅぅ・・・うまい!
最初に空けた湯郷美彩は、活発的なキャラクター設定のとおり、すっきりとした辛口寄りの味。
その後の湯原砂和は、人当たりの良い内気なキャラクターを思わせる、口当たり良い甘口といったところ。



ゆばらのかすてら、これはうまいねぇ!
黄色い生地は甘ったるくない、私が思っていたよりも甘さは控えめという感じです。
底に敷いてあるざらめ糖の甘みが際立ちますが、嫌味な甘さではありません。


たか先生の美作みやげに舌鼓を打ちつつ、夜は更けていきました。