鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

意宇六社めぐり・最終章~熊野神社参拝?

2021-09-20 | チャリ旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 後 拾 弐 時 参 分

松 江 市 東 出 雲 町

平 賀 公 会 堂 ・ 黄 泉 比 良 坂 伝 説 地 付 近



死の淵から蘇った私を待ち受けていた、公会堂の媼。

 

もしや・・・媼は伊弉諾尊イザナギノミコトを捕捉せんとした伊弉冉尊イザナミノミコトの化身だったのか?!
「黄泉帰り」の証として御朱印を賜ったものの、30分ほど公会堂にとどまることになりました。



意宇おう六社めぐり」最後の神社は、熊野神社【出雲國一宮】。
地図を見ると・・・これはかなり頑張らなきゃいけませんなぁ。
わき目も振らずひたすらママチャリで進み、12時11分。



熊野神社に到着しました。


この日はさらに巡る場所があったため、残念ながら熊野神社の画像は撮れずじまいになってしまいました。
御朱印もいただくことはできなかったのですが、とりあえず六社めぐりはこれにて完了!ということにしましょう。



【熊野神社までのルート】



*移動距離 10.4km


いや~、熊野神社は遠かったですなぁ。
上り坂もなかなかにきつかったです、うんうん。




それでは、先を急ぎますかな。



国道9号を西へと進み、松江市内をめざします。
進行方向右側には、宍道しんじ中海をつなぐ大橋川が見えてきます。



山陰本線の車窓からも見えた、大橋川に浮かぶ塩楯島に鎮座する手間天神社


『古事記』によると、造化三神の一柱・神産巣日神カミムズビノカミ神皇産霊尊カミムスビノミコトが産んだ神で、体がとても小さい少名毘古那神スクナビコナノカミ少彦名命スクナヒコナノミコトがいらっしゃいました。
少名毘古那神は、神産巣日神の指の間から落ちてしまい、地上に降臨することになります。
そのおりに海水が凝固して島になったと伝わり、後世「塩楯島」と呼ばれるようになったそうです。
また少名毘古那神は、手の間から落ちたということで「手間天神」とも呼ばれることになったそうです。

地上に降臨した少名毘古那神は、出雲の神・大国主神オオクニヌシノカミ大己貴命オオアナムチノミコトと兄弟の契りを交わし、ともに国づくりに精を出したといいます。
そして人民や家畜の病を治すための方法を定め、また害鳥や害虫から穀物を守るためのまじないの方法も定めたといい、現在は国土経営の神、農耕の神、医療の神として信仰されています。



この塩楯島も「神蹟地」とされているので、祭礼の日を除いて入島は禁じられています。
また祭礼の日であっても、入島できるのは一部の者に限られているそうです。
私も、国道9号の路上から手を合わせ、先へと進みます。




午 後 拾 弐 時 四 拾 四 分

J R 松 江 駅 北 口


松江の市街地に戻ってきました。



思っていたよりも質素な面持ちのJR松江駅
ママチャリはさらに進み、宍道湖に面する松江の中心街へ。
駅通りから新大橋通りへと曲がったところで、とあるカフェに立ち寄ります。



この日のランチはこちら、「IMAGIN. COFFEE(イマジン. コーヒー)」でいただきます。

こちらは旅立ち前、当時同僚だった女性にお勧めされたカフェ。
彼女は一時期松江に住んでいて、こちらのオーナーさんとは知り合いのようで、「私の名前を出してもいい」と言っていました。

初見の旅人ならばまず素通りするであろう、それほど大きくなく目立たない感じのカフェ。
中に入ると、オーナーさんと思われる女性に客がひとりと、静かな感じの店内。
こりゃあ「Iさん(元同僚)にお勧めされて、はるばる千葉の柏からやってきましたよぉ~」なんて厚かましいことを言える雰囲気ではないですなぁ。
ここは普通の客として、普通にランチをいただいて、普通にコーヒー飲んで、普通に出るとしましょうか。

朝から神社を6社くらい?参拝し、20kmほどの自転車移動を敢行したので、



砂の国の珈琲店でいただいたような、しっかりとしたランチをいただきたいな~と思って、メニューを拝見しました。
すると・・・FOOD(食事)の欄が「トースト」と「チョコレート」しかない模様。
よく見ると、トースト・セット(税抜600円)があったので、これをオーダーすることにしました。
コーヒーは、喉が渇いていたのでアイスコーヒーにしました。


まず、アイスコーヒーがやってきました。



アイスコーヒー、後味酸っぱい???
私は喫茶店をよく利用はしますが、はっきりいってコーヒーの味なんてよくわかりません。
そんななんちゃって珈琲愛好家が飲んだもんだから、後味が酸っぺぇなぁ~ぐらいのうっすーい感想しか出てきません。
そばにあった「本日のコーヒー」の説明書きを読んでみると・・・なるほど、なるほど。
コーヒーチェリーという果実の種子がコーヒー豆であって、云々。
説明書きの内容は詳しくは忘れてしまいましたが、それを読んだ後で再び飲んでみると・・・



アイスコーヒー、後味がフルーティでさわやかです!
・・・ああ、惜しむらくは私の喉が渇いていたため、よく味わうことなく飲み込んでしまったことでしょうか。

そうこうしているうちに、トーストがやってきました。



トースト・バター、うまい!
おいしいですが、やっぱり物足りない?
これは、来店するタイミングを間違えたのでしょうか。

ここは、1時間以上ゆったりし、コーヒーを味わい、ついでに軽食をつまむところ。
ちゃりんこでダーっと来て、ぐいっと飲んでガッツリ食らって、さっと出ていくようなところじゃないのです。

残念なことに、この後私が訪れるべき場所は多く、こちらで長居をすることはできませんでした。




午 後 壱 時 廿 六 分

松 江 新 大 橋


島根県のふたつの湖をつなぐ大橋川



松江新大橋を渡り、北岸へ。
西に見える松江大橋のほうへ進みます。
ひときわ高いビルは山陰合同銀行本社ビルで、島根県で最も高い建築物です。



大橋川の北を流れる京橋川
松江の市街地を東西に走る水路で、慶長16年(1611年)の堀尾吉晴による築城に際して造られたものです。
築城とセットで造られた水路なので、水濠の役割を担っていたわけですね。



午後1時33分。



やっと、この旅最大の目的地・松江城【国指定史跡】にたどり着きました。





意宇六社めぐり・第6章~あの世の境目・黄泉比良坂

2021-09-20 | 神社


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 前 拾 時 五 拾 八 分

松 江 市 東 出 雲 町

揖 夜 神 社





揖夜神社を参拝し、意宇おう六社めぐり」は残る1社となりました。
最後の神社・熊野神社に向かう前に、1箇所だけ寄り道します。



前日の山陰本線からの車窓から見えた、気になる看板。



黄泉比良坂 Yomotsu-hirasaka 0.4km ⇒
黄泉比良坂って、たしかあの世との境目だったよな・・・・・・あの世の入口って、島根県にあったのか?


そしてこの日、「意宇六社めぐり」で揖夜神社を参拝するにあたり、この不可思議な黄泉比良坂なる場所にも行ってみようと考えたわけです。
看板にあるとおり、山陰本線の踏切をわたったら400メートルほど進みます。



要所要所に看板があるので、迷わずに行けます。



道中には、黄泉比良坂の御朱印所もあるそうな。


このまま道を進み、黄泉比良坂の伝説地・伊賦夜いふやに到着。

ちょっとした駐車場もあり、車が数台停まっていました。
神話の伝承地というだけあって、観光客もそこそこいるようだな・・・そう思っていたら、一台の車から釣竿を持ったおじさまが下りました。
どうやら黄泉比良坂に来たのではなく、すぐそばのため池で釣りをしに来たようでした。



【揖夜神社 → 黄泉比良坂伝説地 のルート】



揖夜神社 10時58分発
島根県道191号揖屋停車場線経由
黄泉比良坂伝説地 11時08分着

*移動距離 1.2km
*所要時間 10分  (平均の速さ 7.2km/h)




午 前 拾 壱 時 八 分

黄 泉 比 良 坂 伝 説 地 ・ 伊 賦 夜 坂


ママチャリさんを停め、伝説地に足を踏み入れます。



石柱2本にしめ縄が拵えられています。
神社の鳥居の原型のようなものでしょうか。
鳥居と同じく結界を示すものだと思われますが、ここのものはなんとも雰囲気がおどろおどろしいです。



「神蹟 黄泉平坂・伊賦夜坂伝説地」の石碑


国父の神・伊弉諾尊イザナギノミコトと国母・伊弉冉尊イザナミノミコトは森羅万象の神々を産みましたが、火の神・軻遇突智かぐつちを産んだ際に陰部を火傷したために、伊弉冉尊は死んでしまいました。
伊弉諾尊は激怒して軻遇突智を殺すと、伊弉冉尊の遺体を比婆山(現在の島根県安来市とされています)に埋葬しました。
しかし、伊弉諾尊が伊弉冉尊に逢いたい気持ちは日増しに募っていき、ついに伊弉諾尊は死者の世界・黄泉よみに向かったのです。

黄泉国で再会した二柱ですが、伊弉冉尊は「黄泉国の食事をとった」という理由で、伊弉諾尊のもとに戻ることをためらいます。
伊弉諾尊がなおも願うと、伊弉冉尊は了承して、
「黄泉国の神の許しを得るので、しばらく待ってほしい。その間、決して私の姿を見てはいけない
と告げました。
伊弉諾尊がしばし待っても、伊弉冉尊はその姿を現しませんでした。
待ちきれなくなった伊弉諾尊はついに伊弉冉尊のところへ向かうと、そこには最愛の妻が腐敗した姿があったのです。
驚いた伊弉諾尊は、あまりのことにその場から逃走しました。

変わり果てた姿を見られてしまった伊弉冉尊は、夫に恥をかかされたと激怒。
一飛びで千里を走るという泉津醜女よもつしこめ(黄泉醜女)や、黄泉国の軍勢に夫を追わせました。

伊弉諾尊が自らの髪飾りを投げると、ブドウが生えてきました。
泉津醜女はブドウの果実を食べるのに夢中になりましたが、やがて我に返り、再び伊弉諾尊を追い始めました。
伊弉諾尊が自らのくしを投げると、タケノコが生えてきました。
泉津醜女はタケノコを食べるのに夢中になり、その間に伊弉諾尊は逃げおおせました。
しかし黄泉国の軍が伊弉諾尊を追いかけてきます。
伊弉諾尊はその場に生えていた桃の実を投げると、その霊力により黄泉国の軍勢は撤退していきました。

しかしついには、伊弉冉尊自身が伊弉諾尊を追いつめていきます。
伊弉諾尊は辛くも黄泉比良坂まで逃れると、地上の出口を千引きの岩という巨岩で塞いでしまい、伊弉冉尊との離縁を宣言しました。
千引きの岩の向こうから伊弉冉尊は呪詛し、
「わたしはおまえの国の人間を1日1000人殺してやる」
というと、伊弉諾尊は、
「だったらわたしは、1日に1500の産屋を建ててやろう(人間を1日1500人産ませてやろう)」
と答えたのでした。



この世とあの世の境界・黄泉比良坂
『古事記』によれば、その黄泉比良坂は出雲国にある伊賦夜坂を指すのだといいます。



その伊賦夜坂があるのが、この地だというのです。



石碑の近くに横たわっている岩が、千引きの岩なのだそうです。
こんなところに千引きの岩が転がっているってことは、黄泉国との境界が塞がっていないということ・・・?



黄泉軍を追い払う?ためのヤマモモの木が植えてありました。



おどろおどろしいしめ縄の結界を出ました。



こちらにも桃の木が植わっているようです。


なれあれを助けしが如く、葦原中国あしはらのなかつくにに有らゆるうつしき青人草あおひとくさの、苦しき瀬に落ちて、うれなやむときに助くべし。
(桃の実よ、私を助けたように、この世の人々が苦しみに流されて、悩み事に呆然となっていたら助けてやってくれ)


虎口を脱した伊弉諾尊はこのように仰せになり、桃の実に意富加牟豆美命オオカムヅミノミコトの神名を与えられたのでした。




そしてこちらが、伊賦夜坂の入口。



いざ、黄泉国へ!



これは・・・水準点でしょうか?
国土地理院の職員さんは、黄泉国にまで測量のためにやってきているのでしょうか。



どこまでも続きそうな下り坂です。



大小の石がまとまっている箇所がありました。



こちらがさえの神なのだそうです。
「さえ」の神とはすなわち「遮る」神ということで、地域の境界にあって外界の悪霊や疫病を遮るものとされています。

・・・ん? ここでいう「境界」って?!





午 前 拾 壱 時 廿 弐 分

黄 泉 帰 り




無事に蘇った私は・・・・・・



黄泉比良坂の御朱印をいただくことのできる平賀公会堂へ。

まさか黄泉比良坂の御朱印があるとは思いませんでした。
伊弉諾尊と伊弉冉尊に関係するから、神社の御朱印帳に書き入れてもらうのかな?
そう考え、公会所におわす齢70ばかりと思われる媼に、300円を支払って御朱印帳を手渡しました。

私は媼の言うまま公会所の中に入り、御朱印帳の書入れを待っていました。

「どちらからいらっしゃったんですか?」『千葉県の柏です』
旅人の出身地の話を皮切りに、媼との会話が盛り上がっていきます。



神跡地、黄泉比良坂!
主祭神?の黄泉津大神ヨモツオオカミを中央に記してあります。
ご本尊を中央に筆記するお寺さんの御朱印に倣っているかのようですね。
桃の実の朱印も、また面白いですね。

こちらの御朱印だけ、なんと金墨汁で筆記してくださいました。
達筆なる媼曰く、「今日は即位の礼だから、特別ですよ」。



有難い金色の御朱印を頂戴したところで、公会堂を退出・・・・・・。

「映画のロケ地にもなりましてねぇ」「北川景子さんもいらっしゃったんですよ」

有難い金色の御朱印を頂戴したところで、公会堂を退出・・・・・・・・・・・・。

「私も80歳を超えましてねぇ」「もうそろそろ坂の向こうに行くかもしれませんけど」

話好きなる媼の口は止まず、私は40分ほど、公会堂で腰を下ろすこととなったのでした。