鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

縁結び祈願のたび・あとがき

2023-12-26 | 日記


令 和 5 年 ( 2 0 2 3 年 ) 1 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 5 2 分

千 葉 県 柏 市

カ フ ェ ・ ベ ロ ー チ ェ に て



この日は、平成の御代に天皇をお務めになられた明仁上皇陛下のお誕生日。
クリスマス・イヴの前日でもあります。

そして私にとっては、年に一度の健康診断の日。
柏の駅前に出た私は朝のうちに健診を済ませ、やたらと胃酸を出したがるわが胃袋に「富士そば」の天ぷらそばを送り込み、近くの「カフェ・ベローチェ」で休息しているところです。

ここにて第69話を記し終え、執筆に4年を費やした「縁結び祈願のたび」もようやくようやくようやっと完結します。





松江にある八重垣神社にて、「縁結び占い」をしました。
占いは、半紙に硬貨を載せて池に浮かべて、半紙が早く沈めば「縁結び」が近いというもの。
私が占いをしてみると、わが半紙は先に占いをしていた女性のものよりも早く沈んでいったのです。

柏に戻った私は、いつもの遅筆ながら、「縁結び祈願のたび」執筆に取り掛かりました。

そして同年の11月22日、衝撃的なニュースが舞い込んできました。


鬼ヅモ同好会会長・かつ氏、ご成婚。


縁結びが近いというのは私ではなく、会長のことだったんだ!
これは「縁結び祈願のたび」の結びにはぴったりじゃないか! よしよし。

そう考えながら、ダラダラダラダラ・・・・・・・・・と執筆をしていきました。
執筆期間は1年を超え、北海道の旅のときに費やした2年を超えていきました。

その間には、あの恐怖の「カピバラ革命」勃発。
「権力のすべてをソヴィエトへ」ならぬ「休日のすべてをカピバラへ」のスローガンの下、休日の執筆時間は根こそぎ奪われることとなったのです。

そして「縁結び祈願のたび」から2年9か月ほどたった、令和4年の七夕。


第3王子、ご成婚。


私の遅筆のために、また新たなる縁結びを目にすることとなったのです。
そうはいっても執筆の遅さは変わることはなく、「縁結び祈願のたび」からの期間は3年を超えていきます。

そして令和5年のバレンタインデー。



第3王子嫡男、誕生。


出雲の神々は、私に直接の縁結びはなさらなかったのかもしれません。
いや、神々がくださったのはそれ以上の縁なのかもしれませんね。


この赤子の姿を見て「縁結び」の御利益を実感した私は、令和5年の間にこの旅日記を完結させなければならない!
そう感じ、遅筆ながらも少しばかりスピードアップして、ようやく12月23日にあとがきまで執筆するに至りました。



令和元年10月下旬から4年2ヶ月をかけ、「縁結び祈願のたび」ここに完結。

読者の皆様に、「縁結び」の御利益があらんことを・・・・・・!



日本100名城登城の旅・第22弾「縁結び祈願のたび」 完

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素晴らしき縁結び

2023-12-26 | 神社


令 和 5 年 ( 2 0 2 3 年 ) 3 月 1 9 日 ( 大 安 )

午 後 1 時 0 9 分

千 葉 県 柏 市

廣 幡 八 幡 宮



「縁結び祈願のたび」から3年半がたちました。



この日は大安吉日、そして快晴。
地元の神社・廣幡八幡宮にお参りへ。



私の傍らには、カピバラの大好きな女王様
3年半たっても変わらぬ仲・・・と申し上げておきましょうか。

出雲の神々の御利益が、しっかりと顕れているかのようです。



 

拝殿の前にて天を指す御神木
それにしても、空が青青としていて気持ちいいですなぁ。





拝殿へ。

「私のことはどうでもいいので、女王様をお護りください・・・」

そして今回は、さらなるお願いを。



「この子が立派に育つよう、お護りください・・・」



令和4年の七夕の日。
出雲の神々は、第3王子お嫁ちゃんを導き、縁結びをされました。

そして令和5年のバレンタインデー。
第3王子お嫁ちゃん改メお妃さまとのあいだに、玉のような赤子が生まれました。
七夕に結ばれた縁は、より強固なものとなったのです。



そこなる読者様、余計な計算はしないように。



いや~、かわいいんですよぉ。
顔も真ん丸で、ほっぺも柔らかくって、それでいて両目はパッチリと開いているんです。
表情も豊かで、よく笑う。
そしてその笑顔たるや、何物にも代えがたい貴さすら感じてしまいます。
主観的にも、客観的にも、こんなにかわいい赤子はいないんじゃないかと。
街行く赤子の顔を見ながら、ふと、「ああ、うちの子はかわいいなぁ」と思っちゃうんですよ。うんうん。





この日はお宮参り。
赤子が無事に誕生したことを感謝し、健やかな成長を願うべく御祈祷を受けてきました。



そして私も、もうひとつの密やかな願いを。

「じいじ」と呼ばれたい!!
なんなら『じじい』でもいい!!



そのためには、出雲の神々の力を借りない「縁結び」をしなければなりませんね。
精進せねば・・・。





決戦!深夜バス

2023-12-26 | バスの旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 八 時 参 拾 分

島 根 県 松 江 市

宍 道 湖 遊 覧 船 第 2 渡 船 場





夜の遊覧船のりば。
こんな時間に舟遊びなどするわけはなく、タイトルの通り、ここで深夜バスを待っているのです。



深夜バス。

あの百戦錬磨のどうでしょう軍団を地獄にたたき落としてきた深夜バス。

韓国語だと、シンヤポス。

大学生の時分、仙台→新宿の移動で利用したことのある深夜バス。

あの当時も車内で寝付くことができず、完全敗北を喫した、深夜バス。

あれから20年の月日が流れ、100名城登城の旅で、ついに深夜バスに乗る日が来てしまいました。




バスがやってくる時刻まで、松江の夜景を眺めていましたが・・・
島根県第一の高さを誇る山陰合同銀行ビルは、緑色に妖しくきらめています。




21時51分、バスはプシューと音を立て、土俵入りする横綱力士のごとく威厳高らかに入ってきました。

これは本当に地獄行きのバスになるやもしれないぞ・・・。

バスを見た瞬間に感じる、ただならぬ戦慄。
そのバスから、乗務員氏2名が下りてきました。

乗車チケットの確認を受け、手荷物を車床のトランクに預け入れます。
そして座席の割当て。
チケットに座席は記入されておらず、座席の割当ては当日乗車時に乗務員氏から言い渡されます。
私は、一番前の窓側の席のようです。
車酔い体質の私にとっては幸先良いスタート。



そう思ったのは束の間。



乗り込んだ瞬間、ゲンナリ。

座席は・・・4列か。

4列シート。
昼運行の高速バスによくある座席配列で、中央に通路があり、左右に2×2の座席列が続くもの。
昼運行の比較的距離が短いバスなら4列でもいいのですが、長距離の深夜バスにはなかなかキツイ。



時刻は21時を回り、出発時刻となりました。
これより深夜の決戦へ。

やったぞ、隣りは誰もいない!

隣りの席は空席、人は座っていません。
夜間の睡眠に大きな障害となる隣人の不存在はかなりデカい!!




令 和 元 年 神 無 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 九 時 参 拾 分 ご ろ

鳥 取 県 米 子 市

J R 米 子 駅 付 近

バ ス 乗 車 か ら 参 拾 分


米子で隣席の男が乗ってきやがった!!

ハイ、地獄の旅、確定。

隣席の男、礼儀は正しいようですが、私より恰幅が良い。

当然、隣席の男の存在を否が応にも感じてしまいます。

米子で乗り込んできた乗客はそんなにいなかったはずですが・・・
それでも隣席が必要になるほどだったのでしょう。
車内を見回すことはできなかったのですが、たとえば私のひとつ後ろの席は・・・隣人がいない模様。

ひょっとして2人席が埋まっているのは私の所だけなのでは!?

兎にも角にも、半日間の隣人とともに、東京へと向かう地獄の帰路は始まったばかり。




午 後 拾 時 参 拾 分 ご ろ

岡 山 県 真 庭 市

米 子 自 動 車 道 上 り ・ 蒜 山 高 原 S A

バ ス 乗 車 か ら 壱 時 間 半


バスは米子市内で高速道路に入りました。
すなわち山陰自動車道、そして米子自動車道へ。

中国山地のまっただ中、岡山県に入ったばかりの蒜山(ひるぜん)高原サービスエリアで、早くも1回目の休憩に入ります。



山の中のサービスエリア。
お店はすべて閉まっており、利用できる施設はトイレだけ。



オリオンバスさんの全貌。
座席の前後には余裕たっぷりの「コンフォート・タイプ」なのだそうな。
(前後も重要ですが、左右の余裕もとっていただきたかった・・・)
座席の空間をとったためにトイレがないというものなので、サービスエリアに入ったらためらいなく用を足しておく必要があります。


座席4列、トイレ無もなかなかですが、それよりも戦慄をおぼえたのが、車のナンバー。

4が4つも並んでいるのだ!!

「4」といえば連想しやすいあの事象。
ましてや旅客運送業では避けるべき数字と考えられているはずです。
その数字「4」を敢えて車のナンバープレートに並べる・・・それも4連続で。

「こんな物忌みなど意味がないくらい、安全運行に努めているのです!」

オリオンバスさんの妙な「自身」も読み取れますが、私はリクライニングを倒しているときもシートベルトを決して外そうとはしませんでした。


さてこの蒜山高原で、乗務員氏は乗客の就寝の準備を調えます。
各座席はカーテンで仕切られ、車窓も遮光のためカーテンで閉ざされます。
こんな山の中なんだから刺激的な光なんで入ってこねぇんじゃねぇか? とは思いつつも、わが車窓も一枚の厚手の布で閉ざされることとなりました。

外なんか見てねぇで、黙って寝ろ!

ということなんでしょうが、果たして私はすんなりと眠りにつくことができるでしょうか???



私の憂慮とは関係なしに、バスは発車。
米子自動車道から中国自動車道に入ります。




令 和 元 年 ( 2 0 1 9 年 )1 0 月 2 3 日 ( 木 )

午 前 0 時 5 4 分

兵 庫 県 宝 塚 市

新 名 神 高 速 道 路 ・ 宝 塚 北 S A

バ ス 乗 車 か ら 4 時 間 弱


岡山県内で日付は変わり、中国地方を脱出。
高速道路も中国道から新名神に入り、西日本最大のサービスエリアといわれる宝塚北サービスエリアへ。

車内が予告なく明るくなり、サービスエリアで休憩することを知らせてきます。



それにしても・・・寝れねえなぁ。

なんだ・・・隣りの男、いびきかいて寝てやがる!

なんとなくだけど・・・私の座席、スペースを隣りに取られてねぇか?!

こうしてなかなか寝付けない私は、サービスエリアに着いたので下車・・・したかったのですが、隣人がすっかり寝入っているので、それを起こすわけにもいかず、下車を断念。




午 前 3 時 1 0 分

愛 知 県 刈 谷 市

伊 勢 湾 岸 自 動 車 道 上 り ・ 刈 谷 P A

バ ス 乗 車 か ら 6 時 間 1 0 分


バスは東へ。
新名神から伊勢湾岸自動車道に入りました。
沿線にはナガシマスパーランドレゴランドジャパンといった魅力あるアトラクションがあります。
そして夜景の美しい「名港トリトン」と呼ばれる3番の斜張橋を通っていきます。

まったく記憶にございません。

車窓がカーテンに覆われていたということもありますが、このあたりではそれなりに眠りにつくことができたのでしょう。
しかし、車内が急に明るくなります。


(・・・また休憩かよ)

(せっかく寝付いたころだったのに)




観覧車もある、一大ハイウェイオアシス・刈谷パーキングエリア
真夜中では何も見えませんし、そもそも歩き回る気力もありません。
トイレを早々に済まして、そそくさとバスに戻りました。



関ヶ原は通らなかったのですが、関ヶ原くらいの経度のところを超え、いよいよ東に入りました。
深夜バスとの闘いですか? もちろん・・・

やられまくってますよぉ~。




午 前 5 時 5 4 分

静 岡 県 御 殿 場 市

東 名 高 速 道 路 上 り ・ 足 柄 S A

バ ス 乗 車 か ら お よ そ 8 時 間




空は明るくなっていき、夜が明けようとしています。
この期に及んではもはや寝ることはあきらめ、



朝うどんセット、うまい!
この旅最後の食事がいたって普通のフードコートめしですが、闘いの最中のめしとあってとても美味く感じました。



バスに戻ると、車内を仕切っていたカーテンが開け放たれていました。
乗務員、乗客、皆それぞれの気力を振り絞って、目的地の東京を目指していく。
バスとの闘いは最終章へ。




午 前 8 時 4 3 分

東 京 都 千 代 田 区

丸 ノ 内 鍛 冶 橋 駐 車 場

バ ス 乗 車 か ら 1 1 時 間 4 3 分


着いた~!!

松江からおよそ半日かけて、高速バスターミナル・鍛冶橋駐車場に到着。
所要時間11時間43分は、あの憧れのサンライズ出雲よりも25分も早いではありませんか!

しかし、サンライズは1時間半以上も前の午前7時08分に東京駅に到着しています。
嗚呼、やっぱりサンライズで帰りたかった・・・なんて深夜バスとの闘いの後ではそんなことは思い浮かぶべくもありません。
闘いをやり遂げたという感傷に浸る余裕なども全くなく、



早く柏に帰りてぇ。
早く横になりてぇ。


私は足早に、東京駅八重洲南口に入っていきました。



もう二度と深夜バスには乗るものか!!!



【今回の乗車記録】

松江駅北口 宍道湖遊覧船第二乗船場前 21時00分発
★オリオンバス 1652便コンフォート 東京行き
丸ノ内鍛冶橋駐車場 8時43分着(7分早着)

*所要時間 11時間43分
*移動距離 808km
*運賃 5,800円(当時「テレビCMセール」ということで格安で乗れました)





憧れのサンライズ出雲

2023-12-26 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 六 時 拾 四 分

島 根 県 出 雲 市

西 日 本 旅 客 鐡 道 出 雲 市 駅





この旅最後の晩餐をいただき、JR出雲市駅に戻ってきました。



さて、こちら出雲市駅の時刻表。



上り線の15時台から22時台までを抜粋したものです。
普通列車が1時間につき1本から2本、特急列車も同じくらいの本数といえます。
行き先は、普通列車が米子、特急列車は岡山または鳥取というのが大半のようです。

しかし、1本だけ・・・東京の表示があるではありませんか!

列車の名は、特急「サンライズ出雲」
ただの特急ではなく寝台特急、そして現在本邦にて運行している唯一の寝台特急なのです!!



上り線の発車標に、燦然と輝く文字。
「●号」という号数はなく、「サンライズ出雲」とだけ表示される列車名。
そして何より、遠く離れた大都会「東 京」という行先が、特別感満載といったところですね。




午 後 六 時 伍 拾 壱 分

出 雲 市 駅 を 発 つ


サンライズ出雲は出雲市駅を発ち、山陰本線を東へ。
最初の停車駅は、宍道駅
読み方は湖と同じ「しんじ」です。
ここで接続する木次(きすき)からの乗客を加えます。



次の停車駅は、松江
宍道湖の夕陽はとても美しかったです・・・。



松江の次は、安来
難攻不落を誇る月山富田城へは、この駅からバスで向かいます。
緒方拳が演じた大河ドラマでの尼子経久は、恐ろしくも素敵な人物でしたね。



安来駅を発ち、鳥取県に入ります。
鳥取県最初の停車駅は、米子
「鬼太郎列車」の運行する境線の接続駅ですね。
列車は、米子駅の先の伯耆大山(ほうきだいせん)で山陰本線と別れ、伯備線を進んでいきます。


サンライズ出雲は伯備線を進み、中国山地を踏破していきます。
岡山県に入り、山あいの街・新見(にいみ)の中心駅・新見駅で小休止。
新見駅からは姫路へと続く姫新(きしん)が分岐しますが、列車はそのまま伯備線を進みます。


引き続き中国山地の間を進み、備中高梁(たかはし)に停まります。
現存天守を擁する名城・備中松山城の登城拠点となる駅です・・・いつかは行ってみたいなぁ。


約2時間で中国山地を抜け、倉敷駅へ。
鉄道の大動脈というべき山陽本線東海道本線のルートに入り、東京を目指します。



ももたろうランドがあるという岡山駅に到着。
ここでさぬきうどん駅 高松駅からの「サンライズ瀬戸」7両を連結して、東へと向かいます。


列車は中国地方を出て、兵庫県へ。
関西地方に入って最初の停車駅は、姫路



昼間は見える世界遺産・姫路城も、いまは闇の中。
姫路城には二度訪れてはいますが、「平成の大修復」のために華麗なる天守の中には入れていません。
ここもいつかは再訪しなければならない場所ですね。


港町・神戸に入り、日付が変わります。
そして列車は三ノ宮駅で停車。
神戸駅には停車しません。
いつの間にか山陽本線は終わり東海道本線に入っている、といった感じです。


そして西の大都市・大阪へ。
サンライズ号は巨大駅・大阪に停車。
ここで最後の乗客を収容し、東へと向かいます。



午 前 六 時 四 拾 伍 分

横 浜 駅 に 到 着


列車は出雲市駅をおよそ半日かけて、東の大都市・横浜へ。
まぁ、途中静岡、富士、沼津、熱海に停車したらしいのですが・・・ね~て~ま~し~たぁ~。
毎度のことながら、発車メロディを聞いて「関東に帰ってきた」という感覚を味わいます。


そして午前7時08分、長い長い旅路の果てに東京駅に到着しました。



【サンライズ出雲の運行ルート】

JR西日本 出雲市駅 2番のりば 18時51分発
[D]山陰本線 寝台特急 サンライズ出雲 東京行き 7両
岡山駅 4番のりば 22時30分着  サンライズ瀬戸を連結

岡山駅 4番のりば 22時34分発
[S]山陽本線 寝台特急 サンライズ出雲・瀬戸 東京行き 14両
TYO 東京駅 8番線 翌日7時08分着

*所要時間 12時間17分
*移動距離 953.6km
*料金  23,210円
  ・運賃    12,210円(出雲市~東京)
  ・特急料金  3,300円(通常期)
  ・寝台料金  7,700円(シングル(B寝台))





午 後 六 時 参 拾 伍 分

島 根 県 出 雲 市

一 畑 電 車 電 鉄 出 雲 市 駅


嗚呼、サンライズ出雲で東京に戻れたらなぁ~。

サンライズ出雲が入線しているであろう時刻、



JRの出雲市駅ではなく、一畑電車の電鉄出雲市駅のホームにいました。

 

そうそう、忘れずに「城攻め」を。
電鉄出雲市駅では半分城鶴ヶ城を攻略できました。
「鶴ヶ城」といえば福島の会津若松城の雅称で有名ですが、出雲地方にもあるようです。
「半分城」って、「じゃあ残りの半分は何なの?」とでもいいたくなる名称ですね。



そしてこれから乗るのは、松江しんじ湖温泉行きの普通・一畑電車7000系電車です。
当然、寝台などはついていません。はぁ~。



この日の朝に購入した「一畑電車フリー乗車券」を使いたおし、とりあえず松江に戻ります。




午 後 七 時 四 拾 伍 分

島 根 県 松 江 市

一 畑 電 車 松 江 し ん じ 湖 温 泉 駅




朝、フリー乗車券を買った窓口。
松江しんじ湖温泉駅に戻ってきました。
これで一畑電車の全路線、上り下りともに完全乗車ということになりますね。



「温泉」とつく駅らしく、足湯があります。



足湯のそばにおわす、お湯かけ地蔵尊。
これから始まる地獄の帰路を前に、旅の安全祈願をしました。



旅の疲れを癒す・・・というより、地獄の帰路に備え、足湯に浸かります。
気持ちいい、気持ちいいのですが、これから始まる戦慄の旅路を前に、緊張感が先に出てしまいます。



松江しんじ湖温泉駅から宍道湖沿いを歩いて、松江市街へ。





この旅の最後を飾るにふさわしい、松江の夜景です。



朝、駆け足で渡った宍道湖大橋をじっくり眺め、



ゆったりとした足取りで渡ります。
まだまだ松江に滞在したいという思いがあるからか、やや足取りが重いかもしれません。



宍道湖から離れ、中海への水路となっている大橋川へ。
最終決戦の地・遊覧船第2渡船場に到着・・・・・・してしまいました。