日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

まことの礼拝

2009-08-09 07:06:55 | メッセージ
エレミヤ7章1~11節

ここには神殿での礼拝時は「主の神殿、主の神殿、主の神殿」と何度も繰り返して唱え、いとも敬虔に見えても、日常では昔からの偶像神をはじめ、異教的な言い伝え、神殿があるから大丈夫といった迷信により頼んでいたエルサレムの人々の状況が記されています。もはや神を愛し、畏れ敬う心を忘れ、自分のご利益ばかりを求めてやまない人々。そこに不正や搾取の罪がはびこり、偽預言者や私服を肥やす祭司たちの偽りの言葉に惑わされていく下地ができたのであります。結局人々はまことの神ではなく、人間の作った神殿を崇拝していたに過ぎなかったわけでありますね。そういう偶像に仕えていたことの帰結が、罪にまみれた日常であったということであります。偽りの言葉、偽りの礼拝をするものは、当然日常にあっても、神のみ言葉が実を結んでいかないのです。
私たちもこういった礼拝と日常の信仰生活の二面性には気をつけなくてはなりません。バプテスマを受けているし、献金もしているし、とりあえず日曜日の礼拝に出席していればもう安心だという信仰の神話がないでしょうか。礼拝に出席して、ああ恵まれた。今日の話はまあまあやったなあと思いながら、礼拝堂から一歩外に出ると、神さまとの関りがない別の世界にチャンネルが切り替わってしまうのであれば、これはまことに残念なことであります。み言葉が生活に生きていないクリスチャン生活。それはまるで塩気のない塩、炭酸の抜けたコーラのようであります。クリスチャンではない世の人々は、そういうクリスチャンの姿をよく見ていて、それが大きな躓きとなります。み言葉を聞いたら従って生きるところに命があります。そのことによって日常に救いと変化がもたらされ、証となっていくのです。その生活の中で、日常の中で主のみ声、み言葉に聞き従って生きていくことが大切であります。
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