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物質文明の限界

2012-08-23 11:43:21 | メッセージ
奨励 M・Y  聖書:列王記上11:1~13 

列王記上を読みますと、ソロモンが登場するところには金銀で散りばめられた豪華な世界を見せつけてられます。でも、驕る平家久しからず、といわれるあの豪華絢爛で名を轟かせたソロモンも老境にはいっていくと今までとは様子が違ってくる。
 この11章に入りますと手厳しい批判の矢がソロモン王に突き刺さって参ります。あわれな最期を迎えイスラエルは南北に切り離されます。なぜ、そのような事態になっていったのでしょうか。
3章では、神さまはソロモン王の夢枕に立ち、何事でも願うがよい、慈しみ深い声をお掛けになりました。彼は自分がまだまだ取るに足らない若者であり、どのようにふるまうべきか知りません。したがってイスラエルを正しくさばき、善悪を見分ける判断力を、イスラエルの国民が言う意見に聞き分ける心を、知恵をお与えくださいと懇願するのであります。すると、神さまはソロモンの姿勢にことのほかお喜びなって、おまえに富と栄光を与えよう。そして、ずばぬけた知恵を与えよう。ただし、お前の父親ダビデの歩んだように、わたしの掟(おきて)を守って、わたしの道を歩むならば、という一つの最も大切な条件をお示しなった。そのとき、ソロモンはハット目が覚めた。それから、ソロモン王はエルサレムに帰ると、さっそく神の天幕に入って契約の箱の前に立ち、完全に焼き尽くすいけにえと和解のいけにえを捧げました。役人を招き、盛大な祝宴を開いたのです。
 この続きに、大変有名なお話が、一人の赤ん坊をめぐる話をとおして、ソロモン王の大岡政談がまっています。私は現役のころ、この赤ん坊をめぐる、ソロモンの名裁判のくだりを入学試験の問題に用いた事がありました。4章はソロモン王の閣僚名簿が披露され、彼の聡明な専門職ともいえる知識である、文化の所産がイスラエルの繁栄を築いっていったことが述べられている。ソロモン王の在世中、ユダとイスラエルの全国民は平和に暮らした。彼が法律、学問、芸術、宗教などと言った文化に関する外国の文物をどんどん取り入れ、また、外国との貿易も盛んになっていった。ソロモンが神殿建設にかかったのは王に即位して、4年目の春、イスラエル国民が奴隷になっていたエジプトを出てから480年後の事でした。壮大な神殿建設には三万人の労働者がつぎ込まれ、この仕事の監督にあたったのは、ソロモン王の側近、労務長官アドニラムであった。7章にはさらに13年かけて宮殿を建てたのです。それはそれは眩いばかりの資材をつかって、熟練工たちが腕をふるった。いよいよソロモン王はイスラエルの部族や氏族の代表者をエルサレムに集めて、「契約の箱」を神殿に運び入れ、盛大な祝典を挙行するのに、数え切れないほどの羊や牛を、いけにえとして捧げました。また、熱心に心から祈りを捧げたのであります。彼の名声はたかまり周囲の国々から多くの代表者たちが訪れるようになりソロモン王が神殿と宮殿、を合わせて20年がかりで完成させた時、神さまにソロモンは両手を天に述べたまま、ひざまずいて祈り終えてから、祭壇の前から立ち上がり国民を大声で祝福した。     

さて、ところが11章の最初にはそのソロモンが完全に有頂天になって、唯我独尊の世界に、もてあそび、遊ばされる状況になっていった生き方が記されている。ソロモン王が神に背を向けた、その背信行動の原因であることが記されています。本日の聖書の個所には、ソロモン王が何人もの外国の女を愛した、という有名なところです。
これは当時この王国が置かれていた国際的な地位の高さを表しているのだとも読めます。列王記はこの王がやったことを全面的に肯定などしてはいません。しかし、神殿建設に関しては実際に起こったことよりもずっと美化して出来事を描いているように思われる。物事を斜に構えて見るならば、この神殿建設の事業がソロモンの知恵と栄華の関係を具体的に示す歴史的出来事であったことです。神殿を建てるために実際に必要なのは信仰よりも、むしろ経済力と宗教建築にかんする専門的知識であった、と皮肉な見方をしてしまいます。
第2神殿を大々的に改築したヘロデ大王のことを考えて見ればすぐわかります。神殿建築と信仰は必ずしも結びついていない。神殿と栄華(経済的繁栄)、神殿と知恵、(それとも悪知恵)はただちに結び付きます。
聖書には神殿や、そこでの祭儀にマイナス評価をあたえている個所が多く見出されますが、このことと関係がないとは言えないのではないか。ソロモン王国崩壊の理由がここに明記されている。彼女たちにうつつを抜かし、ソロモンは自分を見失っていった。神は、異教の女との結婚を明らかに禁じておられた。その目的は信仰の純潔のため、女たちによって偶像礼拝とその乱れた行動に染まることのないためであった。
5節「シドンびとの女神アシタロテはバアル神の妻と考えられておりまして、当時、多産と性愛の神と信じられていました。明らかに偶像によって人々の心は神から引き離される。また、アンモンびとの神である憎むべきミルコムは幼児を犠牲に捧げたものです。(エレミヤ32:35)こうした偶像礼拝の弊害は、ソロモン王宮のみにとどまることなく、国民をも毒して偶像礼拝と不道徳に導き入れた。彼には絶大な地位に安住したために倫理観がなくなってしまった。
ソロモンの知恵について考える時に一番問題になるのは、自分に与えられた知恵を実際には何のために使ったか、またその結果はどうであったかです。ソロモン王は知恵をもっぱら王室の富を増大させ、自分の宮廷の豪奢な生活を自慢するために用いた。巧みな王の外交政策によって、大きな戦争は起こらなかった。だが、国内での紛争は多発した。このことがソロモンの死後における王国分裂にもつながったのです。
これが、4節「彼の心は父ダビデのようには、その神、主に真実でなかった」(ダビデの心とは異なっていた)現代的な表現で言えば、ダビデは物質文明の限界を認めていた人であります。
 科学技術文明自身がブレーキもハンドルも効かずに暴走しているのが、現代の特色であります。
ダビデは自分の罪を素直に認めるひとでありました。ダビデは砕かれた心で告白したひとでありました。ダビデは罪のゆるしを信じて主に依り頼み、ここから感謝と讃美、また力を得ると言う信仰の持ち主でありました、そのことが判るのは、彼が祈った内容が記されている。詩篇32篇の罪のざんげに続くゆるしの確信と、新しい霊をいただいて、喜びを持って歩んだ信仰が現れています。

その懺悔(ざんげ)の告白の一節を読んで終わります。
詩篇32:1・2「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。」
~祈ります~
コメント
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