日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2018-08-13 08:52:55 | 巻頭言

本日の宣教から 「平和があるように」マタイ福音書10章5-10節

弟子たちは、初めての町や村に入ってふさわしい人を探し出し、立ち去るまでその人のところに留まっていなければならないのです。ふさわしい人というのは、神様をおそれる人のことでしょう。時の流れに身を委ねたり、悪に妥協したりしない人が必ずいるはずです。そういう人を探し出しなさいと言われているのです。弟子たちが初めて足を踏み入れる新しい町や村、そこに知人がいるはずがありません。しかし、弟子たちの語るところに耳を傾ける人が必ずいるはずです。それが「ふさわしい家」なのです。

「その家に入ったなら、まず、平和があるように祈ってあげなさい」。堅苦しくない言葉で。そこから、会話が始まり、信仰の話へと進展してゆくのです。弟子たちはキリストに命じられて宣教に赴きますが、行く先々で、挨拶することから始めなければなりませんでした。イエス様は、あなたの家に平和がありますように、と祈ることから始めるようにと言われたのです。

 「平和があるように」とは、ユダヤ人の日常的な挨拶の言葉です。出会った時も別れる時も、一言、「シャローム!」と言lいます。この「シャローム」は、ヘブライ語で、おはよう、こんにちは、こんばんは、といった挨拶のすべてに使われており、旧約聖書に200回以上も出てきます。

 聖書にとって「平和を造り出す者」とは、平等より、より自由な。公平よりも、惜しみなく与え合う。喜び踊るような相互の関係を構築しようとする者のことです。神様の平和が臨む時、私たちの自己中心的な物差しを手放さない頑なさ、高ぶりは暴露され、砕かれるのです。それは不自由さから真の自由へと招く神様の愛ある行為なのです。神様の平和は、激しい葛藤、衝突、相互対話の中で構築されていくのです。(K神学生)

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