先週も書きましたが、ガキのまま成人を迎えてしまった連中の話題をテレビで見ました。
別に大人や体制に対する反発のエネルギー自体は否定されるべきものではないと思いますが、明らかにガキ成人には「社会」の視点が欠けてます。
結局は「自分」しか存在せず、近しい自分の周辺にしか関心・配慮が持たれていません。そして何より群れなければ何もできない、結局個々は哀れな迷える羊でしかないことに気づいていないことです。群れながら自分は虎だと勘違いして周囲に気を配らずに騒いでいる。こんな群れがどうなるか、冷静に考えると結構怖いことです。
本当の虎に襲われたり、悪魔に操られたらどうなるか、既に悲惨な結果はいくつも目の前に提示されていても、ガキ成人は気づかないどころか、愚かな行為を伝統として誇ってしまってすらいます。
あまりに安定した社会のために、日々その存在を意識せずとも自然のものとなってしまった。そこに平和の良さもあるのでしょうが、失って気づいた時では既に遅いだけに、大人がもっともっと真剣に教え込むこと、厳しく接していくことが必要なのだと思います。
別に大人や体制に対する反発のエネルギー自体は否定されるべきものではないと思いますが、明らかにガキ成人には「社会」の視点が欠けてます。
結局は「自分」しか存在せず、近しい自分の周辺にしか関心・配慮が持たれていません。そして何より群れなければ何もできない、結局個々は哀れな迷える羊でしかないことに気づいていないことです。群れながら自分は虎だと勘違いして周囲に気を配らずに騒いでいる。こんな群れがどうなるか、冷静に考えると結構怖いことです。
本当の虎に襲われたり、悪魔に操られたらどうなるか、既に悲惨な結果はいくつも目の前に提示されていても、ガキ成人は気づかないどころか、愚かな行為を伝統として誇ってしまってすらいます。
あまりに安定した社会のために、日々その存在を意識せずとも自然のものとなってしまった。そこに平和の良さもあるのでしょうが、失って気づいた時では既に遅いだけに、大人がもっともっと真剣に教え込むこと、厳しく接していくことが必要なのだと思います。