(ヤフーニュース配信朝日新聞デジタル2024年2月9日付「指揮者の小澤征爾さん死去、88歳 戦後日本のクラシック界を牽引」)
オヤジの周囲ではこの訃報が速報として報じられて以降、様々な思い出や業績への称賛などが次々と発信されています。
出遅れた・・・
残念ながらオヤジは長年アマオケ活動をしていましたが、指揮をしていただく機会には恵まれませんでした。
聴衆としても生の演奏を聴いた記憶は1回のみで、多分中学生の頃に新日フィルの演奏だったと思います。
別にオザワ嫌いというわけではなく、たまたまです。
その時のメインが幻想交響曲で、その時に初めて曲を知り、エンディングに向けてLIVEならでは音圧でぶったまげたことを憶えています。
一方でテレビでは何度も拝聴しました。
いわゆるコンサート中継もさることながら、印象深いのは「オーケストラがやって来た」でした。
レギュラーではありませんが、司会山本直純さんとは斎藤門下の兄弟弟子で、出演オーケストラが新日フィルということもあり、よくゲスト出演して息の合ったやりとりをしていた印象があります。
山本さんが小澤さんに言った「俺は音楽の底辺を拡げるから、オマエは音楽の頂点を目指せ」はその筋では有名なハナシです。
そして、二人はそれを実現しました。
きっと今頃は久しぶりに再会して、お互いの夢の実現を称え合って杯を交わしているのではないでしょうか。
1935年、昭和10年生まれ。
オヤジの母と同い年です。
たまたまとはいえオヤジの母も昨夏に天に召されました。
ただそれだけのことですが、オヤジは勝手に御縁を感じています。
ご冥福をお祈りして、合掌。
オヤジの周囲ではこの訃報が速報として報じられて以降、様々な思い出や業績への称賛などが次々と発信されています。
出遅れた・・・
残念ながらオヤジは長年アマオケ活動をしていましたが、指揮をしていただく機会には恵まれませんでした。
聴衆としても生の演奏を聴いた記憶は1回のみで、多分中学生の頃に新日フィルの演奏だったと思います。
別にオザワ嫌いというわけではなく、たまたまです。
その時のメインが幻想交響曲で、その時に初めて曲を知り、エンディングに向けてLIVEならでは音圧でぶったまげたことを憶えています。
一方でテレビでは何度も拝聴しました。
いわゆるコンサート中継もさることながら、印象深いのは「オーケストラがやって来た」でした。
レギュラーではありませんが、司会山本直純さんとは斎藤門下の兄弟弟子で、出演オーケストラが新日フィルということもあり、よくゲスト出演して息の合ったやりとりをしていた印象があります。
山本さんが小澤さんに言った「俺は音楽の底辺を拡げるから、オマエは音楽の頂点を目指せ」はその筋では有名なハナシです。
そして、二人はそれを実現しました。
きっと今頃は久しぶりに再会して、お互いの夢の実現を称え合って杯を交わしているのではないでしょうか。
1935年、昭和10年生まれ。
オヤジの母と同い年です。
たまたまとはいえオヤジの母も昨夏に天に召されました。
ただそれだけのことですが、オヤジは勝手に御縁を感じています。
ご冥福をお祈りして、合掌。
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