午後になってようやく台風の影響が実際に感じられるようになってきました。
でもまだ関西への最接近はこれからです。
寝ているうちに何事も起きずに通り過ぎてくれるといいですが。。。
九州をほぼ縦断して、未だなお大型の勢力を保っています。
これまでに被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて、今日たまたまリンクが表示されていた今から3年前の記事に反応です。
(のりものニュース配信2019年12月16日付「山手線『降りたことがない駅』トップは駒込 だが『影の薄い駅』は別の駅だった」)
東京に行く機会もめっきり減っているオヤジなので最新の「高輪ゲートウェイ」駅での乗降経験はありませんが、それ以外はすべての駅で乗降経験があります。
何より、子供の頃は10年間巣鴨に住んでいました。
最寄り駅は当然巣鴨ですが、大塚も子供の足で10分ちょっとでしたからよく使ってましたし、学校に通うのは大塚駅を通ってました。
池袋は身近な繁華街でしたし、西武池袋線、東武東上線を利用する際の乗換駅でもありました。
目白は学習院の最寄り駅でした。別に学習院に学んだわけではありませんが何度も行く機会があったんです。(笑)
高田馬場はやっぱり早稲田大学に行くための乗り換えが多かったでしょうか。
新大久保は小学校時代に通っていた進学教室の最寄り駅でした。
新宿は山手線のターミナルの中では最も利用した駅でした。乗り換えは勿論のこと、街もよく遊ばせてもらいました。
代々木といえば代ゼミ、オヤジも通いました。
原宿は子供の頃は代々木公園に遊びに行くときの最寄り駅、そして社会人として古巣の本社が当時は原宿で4年ほど通勤の最寄り駅でした。
渋谷は新宿の次に使いました。大学時代は特にお世話になりました。
恵比寿はオヤジにとっては比較的歴史が浅く、8年ほど前に仕事の関係でお邪魔する機会が何度かありましたが、それ以外は日比谷線への乗り換えが主でした。
目黒も定期的に利用したことはありませんが、かつては権之助坂にあった楽器屋さんに何回か行ったように思います。
五反田は乗り換えでの利用が主でした。大学後半で習ったヴァイオリンの師匠が東急池上線沿線でしたから。また幼児の頃に同じ年のいとこに遊びに行く最寄り駅でもありました。当時は確かに駅前からトロリーバスに乗っていきました。
大崎は大学に入ってすぐ自動車免許を取るために通った教習所の最寄り駅で、今から40年前はホントに何もない車庫前駅でした。
今やその自動車教習所も無くなりました。
品川は五反田のいとこの家からの帰りに何故かトロリーバスで品川駅に出ていたことを思い出します。それ以降もすべての時代にわたって乗り換えが主でしたがお世話になりました。
田町は大学の最寄り駅です。さんざん利用しましたが海側の出口を出た記憶がありません。
浜松町は大学の時に1年間住んだ町です。竹芝桟橋のほど近くでした。
新橋は銀座に行くときにヤマハが近いので有楽町よりも新橋で降りることが多かったように思います。
東京はもう専ら乗り換えでしたが、古巣の本社が八丁堀近くに移転して2年ほどは東京駅から歩いて通ってました。なにしろ中央線の始発駅で帰りが確実に座れましたから。
神田は何故か飲みに行った記憶ばかり。美味い焼き鳥屋の記憶です。(笑)
秋葉原は小さい頃から電気街としてオヤジの世代では石丸電気レコードセンター。小遣いを握りしめてクラシックレコードを漁りに行くのが楽しみでした。
御徒町の印象は、ディスカウントの多慶屋です。巣鴨に住んでいたころ母親に連れられていった記憶が妙に鮮明です。
上野といえば公園口正面の東京文化会館。考えてみれば巣鴨時代は家から30分で行けました。
鶯谷は記事では「影の薄い駅 NO.1」でしたが、大学時代の前半、ヴァイオリンのレッスン場所が鶯谷でした。
日暮里は小学校高学年から中学1年の頃にヴァイオリンのレッスンの最寄り駅が日暮里でした。
西日暮里はさすがに千代田線との乗り換えに利用した以外に記憶がありませんが、巣鴨に住んでいた頃に新しく駅を作っていた記憶がおぼろげにあります。
田端は友人が住んでいて何度か遊びに行ったときに初めて乗降したように思います。小学生の頃は巣鴨の自宅から自転車で尾久の電車区に電車を見に行く際、駅前はよく通ってました。
駒込は記事の通りオヤジにとっても40代までは「降りたことのない駅」でしたが、50代になって六義園の最寄り駅として利用しました。子供の頃は自転車行動圏でしたので、駒込駅周辺は普段から走り回ってましたけど。
と、だらだら徒然に思い出すまま山手線一周しました。
お付き合いいただきありがとうございました。
でもまだ関西への最接近はこれからです。
寝ているうちに何事も起きずに通り過ぎてくれるといいですが。。。
九州をほぼ縦断して、未だなお大型の勢力を保っています。
これまでに被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
さて、今日たまたまリンクが表示されていた今から3年前の記事に反応です。
(のりものニュース配信2019年12月16日付「山手線『降りたことがない駅』トップは駒込 だが『影の薄い駅』は別の駅だった」)
東京に行く機会もめっきり減っているオヤジなので最新の「高輪ゲートウェイ」駅での乗降経験はありませんが、それ以外はすべての駅で乗降経験があります。
何より、子供の頃は10年間巣鴨に住んでいました。
最寄り駅は当然巣鴨ですが、大塚も子供の足で10分ちょっとでしたからよく使ってましたし、学校に通うのは大塚駅を通ってました。
池袋は身近な繁華街でしたし、西武池袋線、東武東上線を利用する際の乗換駅でもありました。
目白は学習院の最寄り駅でした。別に学習院に学んだわけではありませんが何度も行く機会があったんです。(笑)
高田馬場はやっぱり早稲田大学に行くための乗り換えが多かったでしょうか。
新大久保は小学校時代に通っていた進学教室の最寄り駅でした。
新宿は山手線のターミナルの中では最も利用した駅でした。乗り換えは勿論のこと、街もよく遊ばせてもらいました。
代々木といえば代ゼミ、オヤジも通いました。
原宿は子供の頃は代々木公園に遊びに行くときの最寄り駅、そして社会人として古巣の本社が当時は原宿で4年ほど通勤の最寄り駅でした。
渋谷は新宿の次に使いました。大学時代は特にお世話になりました。
恵比寿はオヤジにとっては比較的歴史が浅く、8年ほど前に仕事の関係でお邪魔する機会が何度かありましたが、それ以外は日比谷線への乗り換えが主でした。
目黒も定期的に利用したことはありませんが、かつては権之助坂にあった楽器屋さんに何回か行ったように思います。
五反田は乗り換えでの利用が主でした。大学後半で習ったヴァイオリンの師匠が東急池上線沿線でしたから。また幼児の頃に同じ年のいとこに遊びに行く最寄り駅でもありました。当時は確かに駅前からトロリーバスに乗っていきました。
大崎は大学に入ってすぐ自動車免許を取るために通った教習所の最寄り駅で、今から40年前はホントに何もない車庫前駅でした。
今やその自動車教習所も無くなりました。
品川は五反田のいとこの家からの帰りに何故かトロリーバスで品川駅に出ていたことを思い出します。それ以降もすべての時代にわたって乗り換えが主でしたがお世話になりました。
田町は大学の最寄り駅です。さんざん利用しましたが海側の出口を出た記憶がありません。
浜松町は大学の時に1年間住んだ町です。竹芝桟橋のほど近くでした。
新橋は銀座に行くときにヤマハが近いので有楽町よりも新橋で降りることが多かったように思います。
東京はもう専ら乗り換えでしたが、古巣の本社が八丁堀近くに移転して2年ほどは東京駅から歩いて通ってました。なにしろ中央線の始発駅で帰りが確実に座れましたから。
神田は何故か飲みに行った記憶ばかり。美味い焼き鳥屋の記憶です。(笑)
秋葉原は小さい頃から電気街としてオヤジの世代では石丸電気レコードセンター。小遣いを握りしめてクラシックレコードを漁りに行くのが楽しみでした。
御徒町の印象は、ディスカウントの多慶屋です。巣鴨に住んでいたころ母親に連れられていった記憶が妙に鮮明です。
上野といえば公園口正面の東京文化会館。考えてみれば巣鴨時代は家から30分で行けました。
鶯谷は記事では「影の薄い駅 NO.1」でしたが、大学時代の前半、ヴァイオリンのレッスン場所が鶯谷でした。
日暮里は小学校高学年から中学1年の頃にヴァイオリンのレッスンの最寄り駅が日暮里でした。
西日暮里はさすがに千代田線との乗り換えに利用した以外に記憶がありませんが、巣鴨に住んでいた頃に新しく駅を作っていた記憶がおぼろげにあります。
田端は友人が住んでいて何度か遊びに行ったときに初めて乗降したように思います。小学生の頃は巣鴨の自宅から自転車で尾久の電車区に電車を見に行く際、駅前はよく通ってました。
駒込は記事の通りオヤジにとっても40代までは「降りたことのない駅」でしたが、50代になって六義園の最寄り駅として利用しました。子供の頃は自転車行動圏でしたので、駒込駅周辺は普段から走り回ってましたけど。
と、だらだら徒然に思い出すまま山手線一周しました。
お付き合いいただきありがとうございました。
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