(ヤフーニュース配信産経新聞2024年12月2日付「『殺さないで』クマ殺処分の秋田市などに抗議の電話殺到 獣医師立ち合いで麻酔後に電気殺」)
クマさんは必死に生きようとしただけです。
クマさんに何の罪がありましょうか。
人間が被害者然として捕らえて殺すとはあまりに身勝手、自然に戻してあげることこそ万物の霊長である人間がすべきことです。
・・・って、とかくこういう時には「可哀そう」が先立つ言動が沸き起こります。
でもね。。。
クマさんの必死に生きる行為が他の生き物にとって害であれば、その生き物がクマさんを排除しようとするのは自然の摂理です。
その生き物が人間としても例外ではありません。
人間もまさに自然の中に生きているのですから。
スーパーに行けば生肉が腹いっぱい食べられることを覚えたクマさんは、山に帰っても腹が減れば同じことを繰り返します。
それはやはり人間にとって重大な脅威です。
街中で突然クマと対峙したら、クマに笑顔で優しく「ここは君の来るところじゃないから山へ帰りなさい」なんて言えますか?
突然でなくても、今回のような時に自ら進んでクマさんの保護のために、スーパーのバックヤードに入っていけますか?
結局、捕獲された姿がテレビ画面に映り、この後に殺処分されると報じられると、臨場感と距離のある人が短絡した感情的反応を示しがちです。
ペットショップで可愛くて衝動買いしたペットが成長して世話をし切れなくなって、捨てたり放置したりする行為と根は同じです。
そういう時に何故「可哀そう」と感じて思い止まれないのでしょうか。
それって結局は万物の霊長たる人間の傲慢さだと思うのです。
クマさんは必死に生きようとしただけです。
クマさんに何の罪がありましょうか。
人間が被害者然として捕らえて殺すとはあまりに身勝手、自然に戻してあげることこそ万物の霊長である人間がすべきことです。
・・・って、とかくこういう時には「可哀そう」が先立つ言動が沸き起こります。
でもね。。。
クマさんの必死に生きる行為が他の生き物にとって害であれば、その生き物がクマさんを排除しようとするのは自然の摂理です。
その生き物が人間としても例外ではありません。
人間もまさに自然の中に生きているのですから。
スーパーに行けば生肉が腹いっぱい食べられることを覚えたクマさんは、山に帰っても腹が減れば同じことを繰り返します。
それはやはり人間にとって重大な脅威です。
街中で突然クマと対峙したら、クマに笑顔で優しく「ここは君の来るところじゃないから山へ帰りなさい」なんて言えますか?
突然でなくても、今回のような時に自ら進んでクマさんの保護のために、スーパーのバックヤードに入っていけますか?
結局、捕獲された姿がテレビ画面に映り、この後に殺処分されると報じられると、臨場感と距離のある人が短絡した感情的反応を示しがちです。
ペットショップで可愛くて衝動買いしたペットが成長して世話をし切れなくなって、捨てたり放置したりする行為と根は同じです。
そういう時に何故「可哀そう」と感じて思い止まれないのでしょうか。
それって結局は万物の霊長たる人間の傲慢さだと思うのです。
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