韓国、クラフトな旅 その5
国立中央博物館では、主に陶磁器を見ます。 主にといいますが、韓国の芸術において陶磁器は大きな比重を占めるように見えます。欧米の芸術とはずいぶんと違う。韓国は<日本に陶磁器を教えたのは韓国である>という自負があることは間違いありません。確かに、日本は韓国の技術を学んで、中国の陶器を手本として陶磁器を作り、韓国の陶磁器自体も日本に大きな影響を与えています。 にわか勉強で、間違っているかもしれませんが、ざっくりと韓国の陶磁器の話をしましょう。時代の流れから3つに分類できます。1)青磁:高麗時代の焼き物の中心で、9世紀後半から10世紀前半が全盛期。特に象眼青磁は韓国のおはこである。青磁の生地に模様を彫って、白や黒の土で埋めて焼く象眼技法を発達させ12世紀中ごろから流行した。青磁ベースの焼き物には辰砂彩(シンシャサイ)、白堆花(ハクツイカ)、絞胎(コウタイ)というバリエーション技法があるらしい。
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2)高麗が滅んで朝鮮王朝(李朝)に代わると、青磁が衰退して粉青沙器(フンセイサキ)に代わる。日本では三島とよばれる、青磁にくらべるとずっとバリエーションが多く、この時代の焼き物をひっくるめて言うらしい。釉薬の下に白化粧する場合が多く、象眼、印花(インカ)、刷毛目(ハケメ)、粉引(コヒキ)、線刻、掻き落とし、鉄絵などがある。 日本の茶人が好んだので、よく見聞きするから、当方、素人にもなんとなくどんな焼き物かわかる気がする。 しかし、それぞれにおいて、中国でもなく、日本でもなく韓国らしい雰囲気は何かといわれると整理して見たことがないので心もとない。
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3)李朝時代に白磁も始まり、次第に白磁が中心となって行く。ここからが、朝鮮の方向がユニークである。中国や日本は白磁技法を手に入れると、色彩を追求する方向に走ったのだが、朝鮮はどんどん色を制限していったのである。青花の青、鉄絵の褐色、そして辰砂の赤が時々使われる程度で、それらが同時に使われることはまれである。
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たまたま最近、瀬戸の旅で伊万里焼の展覧会を見たので、双方の流れが記憶にある。呉須(ゴス)というコバルトで白地に青の絵付けをする<染付>は伊万里でも瀬戸でも流行したが、これはまさに朝鮮の青花にあたり、その技術を日本が引き継いだことになる。日本では徹底的白とその上に書く色彩を追及して、結局世界を制覇してしまうことになる。16世紀末に豊臣秀吉の朝鮮出兵により戦乱で窯場が荒廃して、本家、朝鮮の焼き物は衰退してしまう。その時連れ帰った陶工により、伊万里焼をはじめとする日本西国の諸窯が興隆したのである。
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日本、伊万里、染付
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日本、伊万里、柿右衛門
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日本、瀬戸、染付
ソウル近郊には李朝時代から白磁を中心とする窯が多く、現代の韓国でも白磁が中心を占めている。朝鮮の焼き物は日本に移り、韓国の方で日本で焼き物を学ぶ人も多く、再び韓国に帰って焼き物を構築しているわけである。 この旅もそうした流れの中にズッポリ浸かっているわけだ。さらにご先祖の中国の話もしておかないと片手落ちになります。中国もまずは青磁が基調となります。こうなると青磁は紀元前1500年ころにすでに作られていたと話はスケールが違ってきます。今言う青磁らしい形になるのは1世紀後漢時代で、最盛期は宋時代、10~13世紀で朝鮮とそうかわりない。白磁は青磁から白磁への移行期間を経て、6世紀中頃から後期にかけて白磁らしい白磁が出来上がり、唐から宋時代、7~13世紀に絶頂期を迎える。朝鮮の白磁は14世紀からはじまり、日本では17世紀、ヨーロッパマイセンがやっと作れるようになったのが18世紀である。やはり中国がとんでもなくお父さんなのである。ですから、いくら喧嘩しても、中国はお父さん、韓国はお兄さんとして礼をつくさねばと思っているのです。
今日は時間がないので少しだけ写真をのせます。 また明日にでも載せましょう。
国立中央博物館では、主に陶磁器を見ます。 主にといいますが、韓国の芸術において陶磁器は大きな比重を占めるように見えます。欧米の芸術とはずいぶんと違う。韓国は<日本に陶磁器を教えたのは韓国である>という自負があることは間違いありません。確かに、日本は韓国の技術を学んで、中国の陶器を手本として陶磁器を作り、韓国の陶磁器自体も日本に大きな影響を与えています。 にわか勉強で、間違っているかもしれませんが、ざっくりと韓国の陶磁器の話をしましょう。時代の流れから3つに分類できます。1)青磁:高麗時代の焼き物の中心で、9世紀後半から10世紀前半が全盛期。特に象眼青磁は韓国のおはこである。青磁の生地に模様を彫って、白や黒の土で埋めて焼く象眼技法を発達させ12世紀中ごろから流行した。青磁ベースの焼き物には辰砂彩(シンシャサイ)、白堆花(ハクツイカ)、絞胎(コウタイ)というバリエーション技法があるらしい。
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2)高麗が滅んで朝鮮王朝(李朝)に代わると、青磁が衰退して粉青沙器(フンセイサキ)に代わる。日本では三島とよばれる、青磁にくらべるとずっとバリエーションが多く、この時代の焼き物をひっくるめて言うらしい。釉薬の下に白化粧する場合が多く、象眼、印花(インカ)、刷毛目(ハケメ)、粉引(コヒキ)、線刻、掻き落とし、鉄絵などがある。 日本の茶人が好んだので、よく見聞きするから、当方、素人にもなんとなくどんな焼き物かわかる気がする。 しかし、それぞれにおいて、中国でもなく、日本でもなく韓国らしい雰囲気は何かといわれると整理して見たことがないので心もとない。
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3)李朝時代に白磁も始まり、次第に白磁が中心となって行く。ここからが、朝鮮の方向がユニークである。中国や日本は白磁技法を手に入れると、色彩を追求する方向に走ったのだが、朝鮮はどんどん色を制限していったのである。青花の青、鉄絵の褐色、そして辰砂の赤が時々使われる程度で、それらが同時に使われることはまれである。
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たまたま最近、瀬戸の旅で伊万里焼の展覧会を見たので、双方の流れが記憶にある。呉須(ゴス)というコバルトで白地に青の絵付けをする<染付>は伊万里でも瀬戸でも流行したが、これはまさに朝鮮の青花にあたり、その技術を日本が引き継いだことになる。日本では徹底的白とその上に書く色彩を追及して、結局世界を制覇してしまうことになる。16世紀末に豊臣秀吉の朝鮮出兵により戦乱で窯場が荒廃して、本家、朝鮮の焼き物は衰退してしまう。その時連れ帰った陶工により、伊万里焼をはじめとする日本西国の諸窯が興隆したのである。
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日本、伊万里、染付
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日本、伊万里、柿右衛門
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日本、瀬戸、染付
ソウル近郊には李朝時代から白磁を中心とする窯が多く、現代の韓国でも白磁が中心を占めている。朝鮮の焼き物は日本に移り、韓国の方で日本で焼き物を学ぶ人も多く、再び韓国に帰って焼き物を構築しているわけである。 この旅もそうした流れの中にズッポリ浸かっているわけだ。さらにご先祖の中国の話もしておかないと片手落ちになります。中国もまずは青磁が基調となります。こうなると青磁は紀元前1500年ころにすでに作られていたと話はスケールが違ってきます。今言う青磁らしい形になるのは1世紀後漢時代で、最盛期は宋時代、10~13世紀で朝鮮とそうかわりない。白磁は青磁から白磁への移行期間を経て、6世紀中頃から後期にかけて白磁らしい白磁が出来上がり、唐から宋時代、7~13世紀に絶頂期を迎える。朝鮮の白磁は14世紀からはじまり、日本では17世紀、ヨーロッパマイセンがやっと作れるようになったのが18世紀である。やはり中国がとんでもなくお父さんなのである。ですから、いくら喧嘩しても、中国はお父さん、韓国はお兄さんとして礼をつくさねばと思っているのです。
今日は時間がないので少しだけ写真をのせます。 また明日にでも載せましょう。